昨日から大急ぎで新書本2冊、上山信一『大阪維新』(角川SSC新書)、橋下徹・堺屋太一『体制維新ー大阪都』(文春新書)を読みました。詳しい内容を2冊を読んでほしいので、あまりここでは書きません。
ただ、私の印象では、上山氏の本に書いてあることを大阪府政改革に適用したら、橋下氏・堺屋氏の本の内容になる、ということ。あるいは、上山氏の本に書いてある構想を、橋下氏は大阪府知事として実現しようと試みてきたのか、ということ。そんな風に読みました。
まぁ、結論からいえば、「要は、これ、大阪を実験場にして実績を積み、将来の国政改革に打って出ようという発想なのだ」ということですね。なにしろ上山氏の本、6つある章のうちの最初の3つが、今の日本社会の行き詰まりや日本の国政レベルの課題が山積な状況の説明に費やされていますから。だから、国政レベルの諸課題、日本社会の行き詰まりを、大阪市政・大阪府政の改革のような地域レベルでの改革でまずはいろいろ試して、その成果を国政に反映して・・・・という論理構成になっています。
しかし、たとえば自治体の土地などの「ストック活用が再生の鍵」と上山氏の本ではいいますし、それと似たような話を大阪市政改革のときも「創造都市戦略」なるもので確か、数年前、言っていたような気がします。でもこれって、使い方次第では、あらためて大規模な都市再開発をするということで、大手のデベロッパーなどには新たな利益誘導をもたらすものかもしれませんよね。あるいは、既存の建物・施設の有効活用という発想なら、「だったらあの一連の施策見直しで生じた遊休施設、有効活用する構想だしてくださいよ」「あの各地区で雨ざらし状態になっている施設、どうすれば有効活用できるのか、具体的なプランをだしてみなさいよ」と言いたくなってしまいます。
あるいは、橋下氏の本では、今の大阪市を特別行政区に再編すれば、市内にある公立学校の小規模校の統廃合がしやすくなるといいます。でも、私の知る限り、橋下氏が「規模が大きすぎる」という今の大阪市でも、市内中心部にあるいくつかの公立学校はすでに統廃合され、なかには跡地が有効活用されているものもあるはずです。
大阪に府立大学と市立大学の2つがあるのは「二重行政でムダ」とかいう話も変な話。それこそ、たとえば両者間で学部や学科の再編成などを行い、重複する分野を解消することだってできるだろうし、似たような学部・学科が「ふたつあることのメリット」を活かす道だってあるはずです。どうしてそっちの構想は提案しないのでしょうか? また、これは図書館やホールなどの公共施設についても同じです。府と市で「ふたつあることのメリット」を活かす道もあるはずなのですが、なぜそれは考えないのでしょうか?
要するに、2つの本で提案されていることのいくつかは、別に「都構想」なるものをぶち上げて、あえて行政システムの改革をしなくとも、地道に関係者間の調整などをすすめていけばできることが多い、ということ。逆にそれを行政システムの改革を入り口にしてやろうとすることのほうが、時間的にも経費的にもロスが多いのではないか、と思われるわけです。
あるいは、類似の機能をもった公共施設が府・市の両方にある、「ふたつあることのメリットを活かす」というのは、まさに「ストックの活用」ということでもあるわけですが、そういう風には考えられない。そこには、華々しい彼らの主張の裏側に、ホンネとしての行政のスリム化、コスト・カットという動機が見え隠れしています。それによる行政の住民サービスの低下等々については、どう考えているんでしょうかね?
こんな感じで、私は読めば読むほど、2冊とも、「これでだいじょうぶなのか?」と思うことだらけでした。
にもかかわらず、それでもあえてこれを、彼らは「政治家としての決断」という形でやろうという。その理由は、ここで「改革に成功した」「改革に取り組んだ」という「実績」と「経験」を積んで、「次は国政へ進出」ということを狙っているのではないか、という風にも思えてなりません。
そう考えると、彼らが「維新」という言葉にこだわるのも、わからなくはありません。自分たちを幕末の志士になぞらえ、志士たちが雄藩の藩政改革の経験を手掛かりにして、やがては国レベルの改革をやったように、いずれは自分も・・・・という夢を描いているのでしょうね。だからこそ、自分たちは夢、すなわち今後の方向性、ビジョンを示すだけで、そのビジョンや方向性を具体化するのは行政の仕事だ、とかいうのでしょうね。あるいは、彼らの「維新」のために大阪府や大阪市が余計な仕事をすることになったとしても、それは夢の実現のためには許されると思っているのでしょうか。
でも、ここでよく考えてほしいのですが、上山氏や橋下氏が今、いろんな理屈をつくってぶっこわそうとしている大阪市役所は、それこそ数年前まで上山氏が改革提案を行い、それを当時の関市長以下の行政サイドが受け入れて、「実績」をつくってきたものですよね。だとしたら、今後もこんな感じで、自分たちが「実績」を積み上げてきたものでも、自分たちの都合ですぐにぶちこわす・・・・という話になるのではないでしょうか。
また、大阪に都制が実施されたとしても、彼らは将来的に関西州など、道州制を目指すという案も出します。とすれば、今後数年がかりで大阪都ができあがったとしても、そのまた何年か先にはそれをぶちこわすという話になるでしょう。だったら最初から国政レベルで議論をして、道州制を導入したほうが早いのではないでしょうか。
彼らの議論に一貫して見られないのは、「つぶされる側」「こわされる側」から自らの夢を見る、という発想ではないでしょうか。その点は、職員基本条例や教育基本条例、「君が代」条例に関する橋下氏の本の内容からも伺い知ることができます。そこには、職務命令に対してノーと言わざるをえない側の発想や、その職務命令の内容がほんとうに妥当なものなのかどうかを問う姿勢が見られません。もっとも、そういう橋下氏の発想を、最高裁の一連の「君が代」関連訴訟の判決が後押ししている点も、この橋下氏の本からうかがい知ることができましたが。