今日はひとまず、お知らせだけ。あした、東京で行われる「親の知る権利を求めるシンポジウム」(NPO法人ジェントルハート主催)に出ます。詳しいことは下記を見てください。今から大急ぎで講演レジュメをつくらなければいけないのですが・・・・。
http://www.gentle-h.net/_src/sc358/6th20sympo.pdf
この数年、私が全国学校事故・事件を語る会の活動などを通じて感じていること、考えていることなどを中心にお話することになるかと思います。また、このブログで何度かコメントした文科省の子どもの自殺事案発生時の対応に関する通知などについても、当然、被害者・遺族側への支援という観点から、いろんな形でコメントをすることになるかと思います。
なにしろ、学校での事件・事故が発生した際、その多くのケースにおいて、その被害を受けた子どもの保護者に対して、適切に状況の説明などが行われていないこと。また、学校での諸課題に起因する子どもの自殺や、学校で起きた子どもの死亡事故の場合、適切な事実の解明、原因の検討と再発防止策の確立が行われていないということ。さらに、事故・事件発生後の学校への支援は、たとえば危機対応チームの派遣や周囲の子どもへの「心のケア」等々、なんらかの形で行われるようになっているのに、被害者・遺族側へのサポートが不十分であること。そして、被害者・遺族の側が「事実を知りたい」と望んで学校や教育行政側に接触し始めると、とたんに情報が伝わらなくなったり、場合によれば事実隠しや、学校・教育側に都合のいいように解釈・修正された話しか出てこなくなる。まだ「出てくればいいようなもの」で、多くの場合は何も知らされないままになり、それを知ろうと思うと被害者・遺族の側が訴訟等の法的な対応に出ると、ますますガードが固くなったり、自分たちに都合のいい主張を学校・教育行政側が繰り返すようになる・・・・。
およそ、私が見ている学校事故・事件のケースは、このような流れで動きます。そこへさらに、事実を知らせてほしいと願う被害者・遺族側への動きに対して、地域社会の人々や学校の他の保護者などから、「余計なことをするな」というような声があがったり、誹謗中傷などが行われるようなケースすらあります。そのなかで、被害者・遺族の方は沈黙を余儀なくされたり、何があったのか十分に知らされないまま、心身に苦痛を感じて過ごしておられるケースも多々あるようです。
このような学校事故・事件の被害者・遺族の抱えている諸課題に対して、今後、どのような支援策をつくっていく必要があるのか。おそらく事件・事故発生後の被害者・遺族への心理学的・医学的なケアや、生活支援に関する社会福祉学的なケアに加えて、訴訟などでの責任追及や受けた被害に対する補償の問題など法学的な支援も必要でしょう。あるいは、亡くなった子どもなどの葬儀やその後の供養等々などを考えると、宗教的な面からのケアも必要でしょう。そして、いちばん肝心なことは、こうしたケア・支援の大前提として、「いったいこの事故・事件はどういう経過で生じたのか?」「なぜわが子は死に至ったのか?」について、遺族側の求める情報が適切な形で得られるよう、事実経過の把握と原因究明の作業が適切に行われることが必要不可欠でしょう。その仕事には当然、学校での教育活動、あるいは学校生活のなかで起きた出来事ということで、教育学や体育学などが積極的にその任務を負うべきものが多々あるのではないかと思っています。まさに、学校事故・事件の被害者・遺族への対応という課題は、総合人間学というのか、「人文学的な課題」として「学際的に」検討しなければならないことが多々ある、と私などは思うわけです。
というような次第で、あしたはだいたい、こんな話をレジュメにまとめて、話をしてこようと思っています。