2075冊目はこの本。
高橋哲哉『反・哲学入門』(白澤社、2004年)
もう10年以上前に書かれた本だが、ずっと読まずに今まで来た。書棚の整理をするときに見つけて、読んでみた。
従軍慰安婦問題などの歴史認識の問題に見られるように、90年代以降どんどん右傾化する日本。そういう日本の現状を憂うる著者の気持ちには共感はするのだが・・・。でもそれを訴える上で、細かいところで、やっぱり論理展開の矛盾というか、著者自身の事実認識の部分で、自分にはひっかかるところがある。
一番ひっかかったのは、第14講「民主主義の未来形」の部分。もしも仮に著者のいうとおり世界どこの国を見ても「現存民主主義に完全なものはない」(200ページ)のであれば、論理的には「今の日本にも不完全な民主主義はある」といってもいいし、また、「過去の日本にも不完全な民主主義はあった」といってもいいことになる。
実際、大正デモクラシー運動など、近代日本において民主主義を求める政治運動はあったわけだし、それが一定、普通選挙の実現という道を切り拓いた側面もある。もちろん、このときの普通選挙は男子のみの権利であり、また、治安維持法とセットになっていたわけだが。また、連合国が出したポツダム宣言が「民主主義的傾向の復活強化」を打ち出したのも、このような近代日本の民主主義のある程度の成熟を見ていたからであろう。そして、その流れが占領期改革以後の日本にも続いているという見方もできなくはない。こういう歴史的な事実認識にたつと、「戦前・戦中の天皇制絶対国家」(183ページ)という言い方は、安易には使えなくなるように思うのだが。
また、大正期のデモクラシー運動やその結果としての普通選挙の実現以後、日本の民主主義がなぜ昭和期のファシズムにつながったのか・・・・という問いは、著者にはあるのだろうか? それこそドイツだって、第一次大戦後に成立した「民主的」なワイマール憲法下で、ヒトラーのナチス党が「合法的」に政権を獲得している。こういうことを、著者はどう見るのだろうか?
ということで、「気持ちはわかるのだけど、もう少し、その思いを訴える際の論理展開や事実認識の部分を緻密にしたほうがいいような・・・」という思いをこの本には抱いた。