前にもお伝えしましたが、神戸の教員間いじめ問題については、2020年2月21日付けで、弁護士主体の調査チーム(市教委のいう「調査委員会」)の報告書概要版も公表されていますが、それはそれで後日、読み込みます。
その前に、調査報告書提出後の新聞報道にコメントする作業の続きを…。そういう風に思っていたのですが、先に今日はテレビ(特に東京キー局発)の情報番組のあり方について、ひとこと、言いたいことを書いておきます。
今朝は不愉快な気分です。私は娘を学校に送り出したあと、いつも朝食・朝風呂、そしてNHKの朝のドラマを見ています。
その朝のドラマが終わってチャンネル切り替えたら、某民放東京キー局の情報番組が教員間いじめ問題のことを取り上げていました。そこまではいいとして、今回は激辛カレー動画ではなく、車の屋根の上に載ってる静止画が流れていました。それを見て率直に思ったのは、「いま流すのは調査報告書提出時の会見の様子だけでいいだろう」ということです。
教員間いじめ問題の調査報告書の提出を受けて「教職員の人権感覚が~」という論調をマスコミ関係者は記事や番組で言うわけですが、私にすると、今朝のこういう情報番組見てしまいますと、「その前に、おたくらマスコミ関係者の番組のつくり方の人権感覚も問うべし」と言いたくなります。
賛否はありますが、とにかく神戸市教委が「評判リスク管理」を徹底して、地元の報道を冷静に冷静にもっていこうとしているさなか…。東京キー局はこれですか。地元の人々(子どもを含む)の風評被害とか、被害教員の復職可能性を左右するとか、全く考えてないよなぁ、こういう伝え方。そう思いました。
事実は隠しちゃいけない、オープンにしたほうがいい。そう私も思います。でも、事実の公表を通じて今後、どんな社会的・文化的な環境を整えて、その後の人びとの暮らしの再生をつくっていくのか。そこまで見通した伝え方をしてほしいです。「今が旬や、ええからいてまえ!」的報道は慎んでほしいです。
もうひとつ言うと、「今が旬や、ええからいてまえ!」的な報道が人びとの学校や教委バッシングを煽ることと、それを回避するために学校や教委が「事実を隠す」こととは、セットで常に考えるほうがいいように思います。なので、本当に当事者たちのその後の暮らしの再生につながるような報道を願います。
この教員間いじめ問題について、もう「速報性」はあまり必要ないと思います。それよりは神戸だけでなく日本の教育界全体でこういう問題が「起きる」と考えて、その未然防止と発生時の対応、また、それが起きる背景要因・構造等々について、じっくりと考えるような「遅い」情報発信が必要だと思います。
<追記>
「今が旬や、ええからいてまえ!」的に、誰かに対する加害行為の動画や画像を、マスコミが配信すること。また、動画や画像だけでなく、新聞等の文字媒体で伝えても同様のことが起こる危険性がありますが…。
それって私から見ていると、「誰かをいじめている行為」をみんながそれを見て、何かの「ネタ」として消費しているいう意味では、「第二、第三のいじめ、加害行為」のように思えてしかたがない場合があります。
そもそも「いじめ」という行為のなかには、誰かに対する加害行為を「ネタ」的に消費している側面(おもしろがっているとか、ふざけているとか)があるわけですよね?
報道関係者に、そういう自覚、あるのでしょうか?
もちろん配信している側は、「事実を隠してはならない」という思いで、「とにかく公にこのことを伝えたい」と思って配信しているのかもしれませんが。
でも、もうそろそろ、誰かの加害―被害関係にかかわる事実に対して、そういう「ネタ」的消費を喚起してしまうような伝え方、やめてほしいなぁ。
もっとも、そういう「ネタ」的消費をしてしまう視聴者・読者側に大きな問題もあるわけですけどね。