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できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

5月11日付けの投稿(転載その25)

2006-09-20 16:33:14 | 過去の記事の転載

飛鳥会理事長逮捕と旧UFJ銀行との関係についてのネット配信記事(朝日新聞)http://www.asahi.com/national/update/0511/TKY200605100443.html

大阪市が飛鳥会との契約に関して、監査委員からの契約方法改善を先送りしていたことについてのネット配信記事(産経新聞)http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060510-00000025-san-soci

飛鳥会が市の公社に対して駐車場の収入状況を過小申告していたこと、しかもそれを15年前から把握していたことに関するネット配信記事(共同通信)http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060509-00000075-kyodo-soci

飛鳥会の駐車場収支の報告書記載がなかったことを、財団法人を監督する大阪府も監査していなかったことに関するネット配信記事(産経新聞)http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060509-00000022-san-soci

ここ数日、この事件に対する私のコメントをこの日記帳ブログで掲載しています。

で、前々から言い続けてきたように、この逮捕された財団法人の理事長やこの法人のことも確かに問題だし、本人は否認しても報道された内容が事実であれば、警察の捜査等々は免れないだろうと思っています。で、容疑事実にもとづいて法的な処分を受けることも、これは当然だろう、という風に思います。

ただ、と同時に、これもずっと書いてきたことですが、この件がずっと放置されてきていた背景にある市の当局者や外郭団体の監理のあり方、市議会などのチェック状況なども問題だとも思います。

そして、「今まで放置されてきたこの件が、なぜ今頃になって明らかになってきたのか、その背景事情のほうが気になる。どうも、深刻な財政難に悩む大阪市の、行財政改革をめぐる政治的な争いが絡んでいるのでは?」ということも、ここでずっと書いてきました。

そうすると、昨日あたりから徐々に、今日紹介した記事のように、この財団法人の経理状況などに監督責任を持つ大阪府とか、あるいは市の公社に対する監査のあり方、さらには公社と民間団体との業務委託契約のあり方など、いろんな形で行政当局側の問題点が次々に明らかになってきましたよね。

私にしてみると、「マスコミ筋は、この件について、その逮捕された人やその財団法人に対して、ことあるごとに毅然とした姿勢を示せなかった行政側、そちらがなぜ、毅然とすることができなかったのか。また、なぜ今頃になってこの問題を明るみに出し、キレイに関係を整理することに至ったのか。その行政側の背景事情にまで立ち入って取材して、ここをもっと問題にしてほしい」と言いたいです。

というのも、私に言わせると、最近の行財政改革のなかで、ことあるごとに「官から民へ」といえばなんでもうまくいくという風潮があるのですが、「民」の側にもいろんな連中がいて、「民」のあり方にも問題が多々あるケースがある。だから、なんでもかんでも「官から民へ」ゆだねればいいってものでもないだろうし、ちゃんと仕事をゆだねた「民」が何をやっているのか、きちんと監督責任を果たす「官」の責任があるだろう、おいしい儲け話をくれという「民」に対して毅然とそれを突っぱねる「官」の姿勢の問題もあるだろうと、このケースなどを見ていると思うんですよね。

だから今回、たまたまかつてのいわゆる「」対策事業関連で、そのスジの関係団体で発覚したから、なんかいわゆる「」行政ばかりがやり玉にあがってますが、同じような例は他の分野でも行政と民間団体との関係でも起こりうるのではないか、という風に考えるわけです。ちなみに、確か関東の方では今から10年ほど前、高齢者福祉施設の建設工事やその運営に関する補助金との関連で、旧厚生省の高官をめぐるこんな汚職(贈収賄)事件もありましたよね。(http://gonta13.at.infoseek.co.jp/newpage231.htm などを参照)

私に言わせると、別にそれが「」対策事業であるかどうかに関わらず、行政から公金が民間に流れるところにはそれなりの「利権」が発生して、その「利権」から「うまい汁」を吸おうとする民間側の思惑も発生する。そして、そこから「官と民」のおかしな関係が、形はいろいろ変えても、常に何らかの形で起こりうる危険性が生じるわけで・・・・、という風に思うわけです。

だから、今までだって「官から民へ」業務が委託されていくなかで、くり返し今まで形を変えて次々に事件が起きてきたのに、今、行財政改革のなかで「官から民へ」と簡単に言えばことが済むような発想を持っている連中が、本当に信じられないんですよね。どっちも、中身をよく見て、チェックできるシステムを持たなきゃだめだ、と思ってしまうんですよ。

そして、今朝の朝日新聞ネット配信記事などを見ていると、銀行の担当者もかなりこの財団法人の運営に絡んでいたことも見えてきました。というか、記事そのものを見ていると、銀行の担当者が財団法人の事務所に常駐して、本来財団法人側がやるべき業務を代行していたというのだから、これは驚きですね。これだと行政当局は果たすべき監督責任を長年放置していたとともに、銀行とこの財団法人はつるんでた、ということになりますよね。こういった事件を通じて、銀行側の「法令順守」の姿勢とか、取引相手先との関係づくりのあり方が、行政側とともに問われると思うのですが・・・・。

<追記> 2006年5月23日(火)

この日記帳ブログを書いたあと、次のサイト(ブログ?)で、私の5月16日づけ日記帳ブログの文中にある言葉が引用されています。また、私がこの日記帳ブログで、他の日に取り上げた「飛鳥会事件」のことも、次のサイトで紹介され、「これこそ公正・中立の立場」と高く評価してくださっています。

<アドレス部分は転載に際して削除>

しかしながら、私が自分の5月22日・23日付けの日記帳ブログで書いているとおり、下記サイトでの高い評価への感謝の思いと、このサイト運営者がネット上で大阪市の問題に対していろいろ取り組むことに敬意を表しつつも、どうも私とは基本的なスタンスがちがうように感じていますし、そこには「誤解」もあるように思います。だから、上記サイトからこの日の投稿分にアクセスされた方は、ぜひ私の5月22日・23日付けの文章も読んでいただければ幸いです。お手数をおかけしますが、よろしくお願いします。


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5月14日付けの投稿(転載その24)

2006-09-20 16:29:16 | 過去の記事の転載

※この日も2度、投稿していたんですね。

共同通信のネット配信記事(飛鳥会関連で市の公社職員が架空報告の前例踏襲など)http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060513-00000158-kyodo-soci

産経新聞のネット配信記事(大阪市生活福祉部も飛鳥会の土地利用を把握していなかった件)http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060513-00000032-san-soci

この事件についてのネット配信記事を追い続ける作業を、ずっとこの日記帳ブログで継続して行っています。

くりかえし書いていますが、私の基本的立場は、あくまでも飛鳥会及び逮捕された理事長の問題は、警察・検察が法にもとづいて適切に捜査し、容疑事実にもとづいて起訴すべきだということ。これは、容疑事実が固まり次第、起訴・裁判という手続を経て、「適切な法の裁き」を受けるしかない、というしかありません。

と同時に、ここまで報道されているようなことが事実であれば、例えば大阪市役所などの関係行政当局も、適切にこの会や理事会の実態把握を行ってこなかったとか、実態を把握していても対応を長年放置してきたこととか、場合によれば、関係行政当局や取引先銀行も一役かって飛鳥会とこの理事長をめぐるさまざまな不正行為が行われていたのではないかと思われることなど、本当の問題は飛鳥会とこの理事長以上に、関係行政当局や取引先銀行など関連企業の対応の側にあるのではないかと思ってきました。これもくりかえし、この日記帳ブログで書いてきました。

で、もっというと、市の当局が今回紹介したような2つのネット配信記事のようなことをしていれば、当然ですが、これは人権行政にかかわらず、あらゆる行政の担当領域における法令遵守の在り方など、大阪市としての行政としての基本的な姿勢が問われます。

例えば、もしもこの2つのネット配信記事の内容が事実であるとすれば、長期間、架空報告の前例を踏襲していた行政職員の行為など「あってはならない」ことであって、地方公務員法等の諸法令に照らして厳正な処分を行う必要もあるのではないでしょうか。また、その管理・監督上の責任も、当然のことながら市の上層部に置いて問われることになるでしょう。そこは今後、どのように市の当局として問うていくのでしょうか。飛鳥会及び理事長と関係する市の機関の諸問題がこのように報じられるたび、市の職員及び市の機関としての「けじめ」をどのようにつけるのか、そこが大変気になります。

このように、大阪市の当局者として、地方公務員法その他関連法令及び大阪市としての行政施策の諸方針にもとづいて、誰が相手であっても、やるべきこと、やってはならないことというのが、きちんと基本的なスジとしてあるはずです。その行政職員としてふるまうべき基本的なスジが、なぜか長期間、この飛鳥会関係の諸事業については守れなかった、ということ。そこがやはり、おかしいんではないでしょうか。何か、これまでに把握された事実関係にもとづいて、市の機関及び市職員として、ここらで「けじめ」をつける取り組みがいるのではないでしょうか。

そこから考えると、たまたま今の段階では、飛鳥会とこの理事長、それから行政当局をめぐる事実関係の報道が中心になっています。でも、その段階で終わり、にするような話ではなく、マスメディアはこの件を通して、市の行政の基本姿勢にまで立ち返った議論を展開すべきではないでしょうか。私は個人的に、飛鳥会側の問題よりも、大阪市の行政の基本姿勢の問題点をもっと、マスメディアには徹底的に取材して明らかにしてほしいと願っています。

そうしないと、下手すると今回、これだけマスメディアが取り上げて問題にしても、結果的に「飛鳥会という悪い団体と、その理事長だけを法に基づいてさばいて終わり」ということになりかねません。その結果、「市の当局側」が民間団体との接し方の面で抱えている構造的な諸問題は放置され、結局、形が変わるだけでどこかで似たような問題が大阪市のなかでくりかえされるのではないか、と思うからです。

<追記> 2006年5月23日(火)

この日記帳ブログを書いたあと、次のサイト(ブログ?)で、私の5月16日づけ日記帳ブログの文中にある言葉が引用されています。また、私がこの日記帳ブログで、他の日に取り上げた「飛鳥会事件」のことも、次のサイトで紹介され、「これこそ公正・中立の立場」と高く評価してくださっています。

<転載に際してアドレスを削除>

しかしながら、私が自分の5月22日・23日付けの日記帳ブログで書いているとおり、下記サイトでの高い評価への感謝の思いと、このサイト運営者がネット上で大阪市の問題に対していろいろ取り組むことに敬意を表しつつも、どうも私とは基本的なスタンスがちがうように感じていますし、そこには「誤解」もあるように思います。だから、上記サイトからこの日の投稿分にアクセスされた方は、ぜひ私の5月22日・23日付けの文章も読んでいただければ幸いです。お手数をおかけしますが、よろしくお願いします。

ついでに、自分の文中に誤字も発見したので、この14日の分、修正しました。


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5月14日の投稿(転載その23)

2006-09-20 16:24:01 | 過去の記事の転載

大阪市の公金不正支出をチェックする市民グループ「見張り番」のブログhttp://mihari.exblog.jp/

読売新聞のネット配信記事(今日の社説・大阪同和行政、不正の構造を根本から見直せ)http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20060513ig91.htm

この読売新聞の社説、私は従来の大阪市における「同和行政」に対するこだわりだけしか書いていないというその一点を除いて、基本的には「比較的まとも」な意見を書いていると思っています。この一点を除いては、私は読売新聞の社説にかなり近い意見も持っています。

しかし、その一点の違いというのは、かなり大きいし、重要な問題です。というのも、別にいわゆる「」行政だけが、読売新聞が「根本から見直せ」という、大阪市の「不正の構造」を抱えているわけではない、と私などは考えるからです。

例えばこの間、大阪市の行政当局における公金の不正支出の問題とか、財政上の諸問題について、住民の立場からくりかえし監査請求等できる手段でその改善を訴えてきた市民グループ「見張り番」は、他にも次のようなことで、大阪市の財政のあり方の問題を訴えています。

下記にあげたのは今年1月から今までに「見張り番」のブログに出ていたもので、いわゆる「」行政関連以外の大阪市の行政や市議会のあり方などに関するものばかりです。でも、こういった問題に今回の読売新聞の社説は一切触れず、あたかも従来の「」行政だけが「不正の構造」を持っているかのように書かれていますよね。そこに、私はものすごく、ひっかかりを覚えるんですよ。

  • 中央卸売市場の産廃処理業者の会計に関する問題。
  • 大阪市のオリンピック招致に関する市職員の視察等の経費に関する問題。
  • 大阪南港WTC、ATC関連の市の保有情報非公開に対する抗議。
  • 市会議員の永年勤続表彰(宝石入りバッチの贈呈)に対する抗議。

このように、大阪市の行政当局や市議会のあり方には、特に財政面で、特にいわゆる「」行政に限定しなくても、たくさんの問題が市民側から指摘されています。

そして、この「見張り番」が指摘してきた大阪市の行政や市議会の諸問題のうち、いくつかは、読売新聞だって、他の新聞だって書いてきたのではないでしょうか。

だとしたら、読売新聞が市の行財政や市議会の「不正の構造」というときには、単にいわゆる「同和行政」だけをやり玉にするのではなく、こういったほかの問題も視野に入れて問題にするのでなければ、私としてはきわめて「恣意的な記事の作り方ではないか?」と思ってしまいます。

そういった意味では、この「見張り番」に代表されるような市政をチェックする民間グループの活動のほうが、マスコミなんかよりも「先を行っている」のではないか、とすら思えてきます。少なくとも今回のブログ・ネット配信記事を比べる限り、「見張り番」の活動の方が、読売新聞の社説よりも「公平」に、どの立場に対しても、公金の不正支出の問題などを的確に指摘しているように見えます。

私が「たった一点の違いだけど、この違いはかなり大きいし、重要」と、この日記の冒頭で書いたのは、そういう理由です。

<追記> 2006年5月23日(火)

この日記帳ブログを書いたあと、次のサイト(ブログ?)で、私の5月16日づけ日記帳ブログの文中にある言葉が引用されています。また、私がこの日記帳ブログで、他の日に取り上げた「飛鳥会事件」のことも、次のサイトで紹介され、「これこそ公正・中立の立場」と高く評価してくださっています。

<アドレスは転載に際して削除>

しかしながら、私が自分の5月22日・23日付けの日記帳ブログで書いているとおり、下記サイトでの高い評価への感謝の思いと、このサイト運営者がネット上で大阪市の問題に対していろいろ取り組むことに敬意を表しつつも、どうも私とは基本的なスタンスがちがうように感じていますし、そこには「誤解」もあるように思います。だから、上記サイトからこの日の投稿分にアクセスされた方は、ぜひ私の5月22日・23日付けの文章も読んでいただければ幸いです。お手数をおかけしますが、よろしくお願いします。


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5月15日付けの投稿(転載その22)

2006-09-20 16:18:34 | 過去の記事の転載

最近はどこの市町村・都道府県議会も便利になってきて、各市町村・都道府県議会の議事録(本会議・各種委員会など)をインターネット上で公開しているところも増えました。そこで、当然ですが、ここ数日ずっと追いかけている例の「飛鳥会」の問題について、大阪市議会ではどんな議論があったのか、下記のページであれこれ検索して、調べてみました。http://www.city.osaka.jp/shikai/

このページでの「議事録検索」で、例えば「飛鳥」なんていうキーワードを入れると、「飛鳥時代の文化財保護」に関する市の施策とかいうような話も出ます。

でも、当然ながら、大阪市の飛鳥地区における諸施策、特にいわゆる「」行政の問題について指摘する市議会議員の質問と、それに対する市の担当者(といっても部課長クラス以上)の答弁が出てきます。

それを読んでいて思ったのですが、もう20年以上も前から、主に共産党系市会議員が中心になって、飛鳥地区の施策の問題点や、逮捕された飛鳥会理事長と暴力団との関係などについて指摘しているんですよね。特に、ここ最近の数年間は、駐車場の委託問題など、今、マスメディアで問題になっている話をずっとしつこく、共産党系の議員が取り上げて質問しています。

しかし、それでもこの20年くらいの間、ここにメスが入ることはなかった・・・・ということは、大阪市議会も、大阪市役所も、この地区の諸施策に問題があることはわかっていて、ず~っと放置していたということになりますね。また、共産党系議員も、たとえ「正論」を主張し、くりかえし飛鳥地区の問題点を質問等で取り上げてはいますが、その声が施策に反映するだけの議会内での多数派工作とかができなかった。だからこそ、問題がここまで来ているわけですから、「自分たちの力のなさ」をやはり問題にしないといけないでしょう。

ところが、この約20年近く動かなかった問題が、今、ここへ来て動き出している。その背景には、やっぱり、昨年末の大阪市長選挙のあとの市議会内での政争を考えないといけないように思います。と同時に、ここへ来て、市議会・マスコミ・市民グループと市長を含めた市当局が、「妙なところでリンクし始めた」という思いも強まってきました。要するに、この事件をきっかけにして、「お互いに、たたきやすいところを徹底してたたいている」というところで、まとまってきているような感じもするんですよね。

というのも、昨年末の市長選挙で落選したある人は、この約20年近く、執拗に飛鳥地区の問題を含めた「」行政の問題を指摘し続けた、共産党系市会議員団のひとりでしたよね。その昨年末の選挙後も、駐車場委託の問題等々で飛鳥地区の施策について質問をくりかえしたのは、共産党系市会議員団のメンバーが多いように感じます。そう考えると、この飛鳥地区の問題を、今年早々の議会で共産党系市議団が取り上げたのは、前年の市長選挙のあとの「意趣返し」のようにも見えます。彼らの言ってることは「正論」だと思いますが、今の市議会の動向を見ていると、そういう受け止め方も可能ですよね。

しかも、選挙後当選した現市長(前の市長と同じ人物ですが)、今年はじめに「市政改革」の基本方針として、「これまでの慣行・先例との決別」ということを「市政改革マニフェスト」という形で出しています。また、そのマニフェストにもとづいて、今、大阪市としては、財政再建という観点から、外郭団体(監理団体と役所の文書では呼んでいますが)の整理統合、経営状況の監視などを行うという方向性も打ち出されています。

そうすると、「これまでの慣行・先例との決別」とか「外郭団体の整理統合、経営状況の監視」という現市長を「いじめる」のに、市議会側として最も好都合なのは、共産党市議団がこれまで執拗に追いかけつづけてきたのに、のらりくらりとかわされてきた飛鳥地区の問題ですよね。

市長選挙に敗れた共産党市議団にしてみれば、「先例や慣行との決別という、そういう市政をするというのに、飛鳥地区の問題が過去何年も放置されてきたのはおかしいじゃないか。こんな悪しき先例と決別しろ」とか、「外郭団体である市開発公社の経営はどうなってるのか、こんな経営おかしいじゃないか」とか、いろいろ難癖つけやすいですから。

ここへさらに、「見張り番」のような市民グループからも、「不適切な公金支出が行われている」という声があがっているから、共産党市議団としては余計に言いやすいですよね。

これに対して、現市長側も、そういう市議会や市民の声をバックにすれば、「これまでの慣行・先例との決別」とか「外郭団体の整理統合」という自分の立てたマニフェストに沿って、「不採算部門の整理」という観点から、飛鳥地区で取り組んできた施策をこの際「切る」ということも言いやすくなりますよね。

特に、現市長の財政再建案などをつくってきた当局者と、その当局者に協力した経済学者、企業経営者などにしてみると、「いままでの不適切な財政支出を正す、いい口実ができた」というところではないでしょうか。

ここへさらに、今回の事件をきっかけに、マスコミがこれまでの「飛鳥会」と「市開発公社」のおかしな関係などを次々に指摘してくれたら、市議会の共産党系議員団、市民グループの声に加えて、さらにマスコミの声をバックに、市の財政当局は「これまでの慣例・先例との決別」「不採算部門の整理」ということがやりやすくなります。

こんな感じで見ていくと、この「飛鳥会」問題というのは、私にしてみると、これを徹底的に問題視して市の当局を追及している共産党市議団・市民グループ・マスコミに加えて、実は当の追及されている市長や市の当局者にとっても、「長年、手がつけられなかった悪弊をここで一層できる」というメリットがある。だからこそ、今までは「のらりくらり」と対処してきた問題を、市の当局者の側も明るみに出して、両者から寄ってたかって、「たたきやすいところをたたいている」ようにも見えるわけです。

もちろん、この日記帳ブログでずっと書いてきたように、「たたかれる」側の「飛鳥会」に多大な問題があって、法的な手続にのっとった正当な措置(処分)を受けざるをえない面があることは重々承知しています。それはある意味、当然のことだと思っています。

しかし、少し距離を置いて冷静に今の事態を見れば、今の私には、大阪の市長や市の当局者も、その市長や市の当局者の責任を追及しているマスコミも、市民グループも、共産党市議団も、「寄ってたかって、みんなで一番、たたきやすいところをたたいている」という風にしか見えない。その上で「非は飛鳥会側にある」と今回のケースの場合、誰もが大いにいえますから、お互いがこの問題で「飛鳥会」と関連する市の外郭団体などをたたくことで、「市政改革をちゃんとやった」といえるような構図をつくっている。そんな風にしか見えないんですよね。

そして、寄ってたかってこんな議論をやって、「飛鳥会」たたき・外郭団体たたきをしている間に、もっと社会的にしんどい立場にある人たちの施策が大阪市において切り捨てられ、「まじめに仕事をしている人」も含め、大阪市職員も整理されていく。その結果、大阪市に住む人たちの暮らし、特にしんどい立場にある人々の暮らしがより悪い方向にむかっていくのではないか。そんな危惧すら抱くんですよね。そのことについて、「社会的弱者のための政治」を唱えている市議会の各政党、特に、共産党市議団のみなさんと、「身の丈にあった行政を」という、市の行政改革担当者はどう考えるのか。ぜひ、聞いてみたいです。

<追記> 2006年5月23日(火)

この日記帳ブログを書いたあと、次のサイト(ブログ?)で、私の5月16日づけ日記帳ブログの文中にある言葉が引用されています。また、私がこの日記帳ブログで、他の日に取り上げた「飛鳥会事件」のことも、次のサイトで紹介され、「これこそ公正・中立の立場」と高く評価してくださっています。

<アドレスは転載に際して削除>

しかしながら、私が自分の5月22日・23日付けの日記帳ブログで書いているとおり、下記サイトでの高い評価への感謝の思いと、このサイト運営者がネット上で大阪市の問題に対していろいろ取り組むことに敬意を表しつつも、どうも私とは基本的なスタンスがちがうように感じていますし、そこには「誤解」もあるように思います。だから、上記サイトからこの日の投稿分にアクセスされた方は、ぜひ私の5月22日・23日付けの文章も読んでいただければ幸いです。お手数をおかけしますが、よろしくお願いします。


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5月16日付けの投稿(転載その21)

2006-09-20 16:15:13 | 過去の記事の転載

※ほかのことをメインで書いた記事なのですが、途中で飛鳥会事件のことにも触れているので、こちらにも転載します。

産経新聞の今日のネット配信社説 http://www.sankei.co.jp/news/editoria.htm

そろそろ新聞各紙のネット配信記事のレベルでは、例の「飛鳥会」関連のニュースはあまりネタになってこない傾向です。ですから、今後は少し、「飛鳥会」関連の話はお休み、ということになりそうです。

ですが、今まで大騒ぎして新聞各紙で報道したことが、今後の大阪市議会や市政改革でどうなっていくのか、注目しておきたいと思います。たぶん、続報も新聞各紙、書かないような気がしますので。

もしも昨日書いたとおり、「しょせん、飛鳥会のように、一番たたきやすいところをたたいて、お互いの顔が立つ」ような形で、大阪市議会や市の行政当局が今後、動くのであれば、「これじゃあ大阪市の行財政改革なんて、まぁ、財政再建も住民の福祉向上も、低次元のレベルでの議論に終始するだろうな」と思うので。

それよりも、「教育基本法改正」をめぐる新聞各紙のネット配信記事。こっちのほうを少し、問題にしていきましょう。

それにしても、なんですか、この産経新聞の社説。「民主案もいいではないか」ですって。先日も書いたとおり、民主党案は政府案よりもヒドイ部分もたくさんあるし、「どっちもどっち」で、「今の教育基本法が必ずしもいいとは思わないが、こういう理由でなら、そもそも改正する必要があるのか?」というのが私の意見。そこから考えると、この産経新聞の社説の書き手も、あんまりちゃんと日本の教育史や最近の教育改革の動向を批判的には勉強していないか、もしくは、ここ最近の動向などに「両手を挙げて賛成」という立場なのかな、という気がします。そして、こんな記事を書いていると、記事の書き手の資質も問われますよ。

特に今回の社説のこの部分、私に言わせると「これを文言化したものを条文に入れたら宗教界の堕落をもたらすだけ」で、こんな理念を条文化するなどもってのほか、教育基本法改正の理由になりませんよ。

「日本の地域に伝わる伝統行事や生活習慣は、それぞれの神社や寺などと深い関係にあり、それらを子や孫たちに継承したいという宗教界の願いが込められている。自然に対する畏敬(いけい)の念やその恵みに感謝する気持ち、死者をいつくしみ先祖を尊ぶ心などの日本的感性をはぐくむためにも、宗教的な情操や感性の涵養は必要であろう。」

あのね~、この産経新聞の社説書いた人。ちょっと考えてください。各地に伝わる伝統行事や生活習慣のなかには、それぞれの神社や寺などと深い関係がある。そして、それを子や孫に継承したい。それは別にかまいませんが、それこそ、各神社や寺が勝手に自分たちで地域住民に呼びかけ、協力してくれる人を募って、信者を獲得してそういう伝統行事や生活習慣を継承すればいいわけです。それが各神社・寺がいくらやってもできない、あるいは、やってもついてこないような伝統や生活習慣なら、しょせん、それまでのものではないですか。なぜそれを「宗教的情操や感性の涵養」という「教育基本法改正」に結びつけなければいけないのか。理由が本当によくわかりません。

あるいは、日本の各地には、神社や寺、すなわち神道や仏教とは異なる信仰の持ち主だって住んでるかもしれない。そういうことへの「想像力」って、この社説の書き手にはないんでしょうかね?

さらに、この社説の書き手は、何の疑いもなく「自然に対する畏敬(いけい)の念やその恵みに感謝する気持ち、死者をいつくしみ先祖を尊ぶ心などの日本的感性」って書いてます。ですが、日本に住む外国籍の人々、あるいは神道や仏教以外の信仰を持つ人々には、「自然に対する畏敬(いけい)の念やその恵みに感謝する気持ち、死者をいつくしみ先祖を尊ぶ心」がないのでしょうか。その人たちには、この点について、その人たちなりの感じ方・思い方があるはずです。そんなこと、ちょっと「想像力」をめぐらせればわかることなのに、なぜこれが「日本的感性」と呼ばなければいけないのか。私には全然理解できないし、「書き手の資質が問われる」としか言いようがありません。

それに、今までの教育基本法だって、条文をちゃんと読んでくださいね。「宗教に対する涵養の態度」の尊重ということば、ちゃんと現行の教育基本法第9条に書いてあります。と同時に、国公立学校における政教分離の原則も、この第9条には書いてあります。さらに、「信教の自由」と「政教分離」の原則は、今の日本国憲法にもとづく限り、第20条でしっかりと書き込まれていて、こんな教育基本法の改正案を盛り込んだら、即刻その段階で「憲法違反の疑い」として、誰かが訴訟を起こすかもしれませんよ。

そういうこと、この社説の書き手はちゃんと勉強してものを言ってるんでしょうか? 私が社説から見た限りでは、どうもそうではなくて、各政党案と政府案を比較するレベル、それも、自分の価値観のなかだけで議論しているようにしか思えません。だから、「書き手の資質が問われる」と言ったわけです。

ちなみに、敗戦直後に当時の文部大臣として教育基本法制定に深くかかわった田中耕太郎は、『世界法の理論』など、法学者としても著名であるともに、カトリックの信者でもありました。その彼が、戦前期の宗教に対する国の施策を見て、カトリック信者の立場から、「信教の自由」と「政教分離」の原則を法のなかでつらぬくことについて、彼なりのこだわりをもっていたことは、少し考えればわかると思うのですが。

もちろん、田中耕太郎の当時の思想には、今日の時点でみれば、限界や問題点も多々あると思います。しかし、田中耕太郎ら、教育基本法制定当時の知識人より「さらに上を行く」ような改正案なら支持もできます。ですが、その当時の人々よりも国際感覚も、「信教の自由」や「政教分離」の原則も後退させるような、そんな教育基本法改正案、私はとても支持できません。それこそ、日本の知識人たちの「思想的伝統」をないがしろにするものではないのでしょうか。今回の社説の書き手に、ぜひ聞いてみたいところです。

<追記> 2006年5月23日(火)

この日記帳ブログを書いたあと、次のサイト(ブログ?)で私のこの日記の文中にある言葉が引用されています。また、私がこの日記帳ブログで、他の日に取り上げた「飛鳥会事件」のことも、次のサイトで紹介され、「これこそ公正・中立の立場」と高く評価してくださっています。

<アドレスは転載に際して削除>

しかしながら、私が自分の5月22日・23日付けの日記帳ブログで書いているとおり、下記サイトでの高い評価への感謝の思いと、このサイト運営者がネット上で大阪市の問題に対していろいろ取り組むことに敬意を表しつつも、どうも私とは基本的なスタンスがちがうように感じていますし、そこには「誤解」もあるように思います。だから、上記サイトからこの日の投稿分にアクセスされた方は、ぜひ私の5月22日・23日付けの文章も読んでいただければ幸いです。お手数をおかけしますが、よろしくお願いします。


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5月22日付けの投稿(転載その20)

2006-09-20 16:10:21 | 過去の記事の転載

下記アドレスのサイトからアクセスされた方へ。

<転載にあたって、アドレスを削除しました>

私の日記帳ブログは、アクセス解析ができるようになっています。そこで、どういうところからアクセスがあるのかを調べてみると、例の「飛鳥会事件」がらみで、このサイトからのアクセス者が多いことに気づきました。

で、このサイトの作成者は、私が飛鳥会事件のことに関してこの日記帳ブログで書いたことに対して、「これこそ公正・中立の立場」と高く評価してくださってます。まずはその点について、一言お礼申し上げます。

ただ、このサイトの作成者が私の書いた文章を高く評価してくださっているので、大変申し上げにくいのですが、私はこのサイトの作成者の書いてくださっているほど「公正・中立」の立場ではありません。

私が仕事を通して出会ってきた大阪市の行政職員や、解放同盟関係の人たちは、本当にまじめに、こつこつと、日々の仕事や活動に取り組んでいます。そういう人のほうが、圧倒的に多かったように思います。私はこの飛鳥会の事件から、大阪市の行政施策の問題点を指摘はしたいですが、大阪市の職員や運動関係者のなかの「良質」の部分まで、いっしょくたにして非難しようという気はありません。

これまでもここで書いてきたように、飛鳥会のことについて、起こった問題は問題として、きちっと法的手続に基づいて処理しなければいけないし、過去の不正についても、正すべきものは正すべきでしょう。しかし、そのことと、「すべての大阪市の行政職員や解放同盟関係者が、あたかも悪い人たちだらけ、というようなイメージをふりまくこと」とは、全くの別問題です。むしろ、ネット配信されている新聞記事を見ていると、そういう議論になってほしくないので、あえて市の上層部や市議会のレベルの問題を掘り起こしてたくさん書いてきました。

だから、このサイトで「公正・中立」とかいって持ち上げられると、「ちょっと、それもどうかなぁ? なんかこの書き手の方、私のことを誤解されてるのでは?」っていう気がします。正直、恥ずかしいです。私はけっして、このサイトでいわれるほど「公正・中立」の立場で、この事件についてここでものを書いていませんし、今後もおそらくそうだと思いますので、その点だけ、誤解のないようにしてください。以上、よろしくお願いします。


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5月23日付けの投稿(転載その19)

2006-09-20 16:06:55 | 過去の記事の転載

もう一度、下記のサイト(ブログ?)から私のブログにアクセスしてこられた方へ。また、下記のサイトを運営されている方へ。

<ここにサイトのアドレスが入っていましたが、転載に際して削除しました>

私が上記のウェブサイト(ブログ?)で「公正・中立」と高く評価されるのは一方でうれしいものの、どこかでそれは私への誤解が混じってるかもしれないと思っていること、だからあらためて、私が飛鳥会事件についてコメントをした理由などを書いたことは、昨日の日記帳ブログのとおりです。

それともうひとつ。上記のウェブサイト(ブログ?)では、作成者ご自身の名前やプロフィールなどを一切明かさず、「匿名」という立場で書かれていますね。少なくともこの日記帳ブログでは、自分の所属先も名前もさらした形で、飛鳥会に対しても、大阪市行政当局及び市議会に対しても、マスコミに対しても、ひととおりの自分の意見を述べる形をとっています。そこが、何かこの事件についてものをいうときの基本姿勢の部分で、今回、私の立場と上記のサイト運営者とでは、ずいぶん違っているようにも感じます。

ちなみに、私も匿名で掲示板等に自分の意見を書いたことがあるので、あまり人のことは言えません。また、「匿名」がすべてダメだという気は、私には全然ありません。むしろ、その頃の自分を思い出して、「きっと、今、そうでなければ書けないような、何かこの人にとって大切な事情が、このサイト運営者にはあるんだろうなぁ」と、つくづくそう思います。

でも、実は「匿名でないとサイト(ブログ?)で書けない」という、その事情の部分が、上記のウェブサイト(ブログ?)について、私としては知りたいところですね。なんか、「この人、書いている内容はかなり網羅的に大阪市の問題点を拾い上げて立派なのに、どうして堂々と実名で文章が書けないのかなぁ?」と、率直に思ってしまうんですよ。

上記のサイト(ブログ?)を見ていると、「私のものを含め、あそこまで他のいろんなサイトやブログの記事をていねいに見たり、テレビや新聞などから大阪市の問題を広い集める執念って、すごいなぁ」と感心します。

ですが、同時に、「でも、ここまで努力したのだったら、ここで堂々と名乗って、『大阪市、ほんまにこのままでええんか?』と問題提起して、多くの支持者を集め、その人たちとともに、大阪市の地方政治を変える運動でもしはったらどうですか?」とも言いたくなるんですよね。

そして、たぶん、大阪市の地方政治を変えようという動きが住民から起こらない限り、市役所も市議会も、本気では動かないんじゃないでしょうか?

そんなわけで、上記のサイト(ブログ?)を見ていると、「一見、いろいろ強気でものを書いているけど、実際はかなりビビリながらモノを言わざるをえないような、そんな立場におかれているのかな・・・・」とか、いろいろ考えさせられてしまいます。

また、もしも何か今「匿名」でないと困る事情がこの人にあるのだとすると、こうやって私が上記のサイトに対して、あれこれとコメントするのも、ひょっとしたら、上述のサイト運営者が「ビビリながらモノをいう」ことにつながるのかなぁ・・・・なんて、ふと思ってしまいます。

というような次第ですので、今後、このサイトからアクセスされてきた方にお伝えしますが、上記のサイトに対してはこれ以上のコメントを控えます。また、もしも上記のサイト運営者が私の日記帳ブログを見ているのであれば、今後ご迷惑をおかけしたくないと思いますので、私の日記帳ブログからの一切の引用を控えてください。お手数をおかけしますが、どうぞよろしくお願いします。

※追記(2006年5月24日) 

この件について「もうコメントしない」と思ったのですが、上記サイト(ブログ)の管理者の方は、この文面を見られたのか、下記の引用文のとおり、私の日記帳ブログからの引用文を削除されました。その点は一言、お礼申し上げます。また、同じく下記引用文のとおり、私と上記サイト(ブログ)とのスタンスの違いというものをちゃんと明記していただいたことも、あわせてお礼申し上げます。

# 5/23 引用箇所を削除。
追記:コメントをいただきました。こんな稚拙なサイトに相当まじめに批評していただいてまことに面目ないです。実名で活動できない理由は・・・大阪湾に沈むからです(笑)。当「まとめサイト」をご覧の皆様へお願い、決して上記ブログは解放同盟を批判しているわけではないですので、その点は留意なさってください。上記ブログ御指摘の通り、スタンスが違うのです。

ただ、あの程度の内容を書くだけで「実名で活動できない理由は・・・大阪湾に沈む(笑)」と書くところには、「この人、ものすごい、こわがりなんだなぁ。なんかにものすごいおびえているんだなぁ。そのおびえている理由はなんだろう? 何をこわがっているんだろう?」とか、「ああ、やっぱりスタンスが違っているんだな」という風に思いました。「もうコメントしない」と思ったのですが、これでもって、一応、終了ということにしますね。


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5月23日付けの投稿(転載その18)

2006-09-20 16:02:45 | 過去の記事の転載

※一度はこう決めたんですけどねぇ。相手がしつこければ、時には反論しておくことも必要なので・・・・。

すでに別の日記で書いたとおり、飛鳥会事件についての私の日記帳ブログの内容を引用している例のサイト(ブログ?)に対しては今後一切コメントもしないし、相手にもしないことを決めました。

また、そちらのサイト(ブログ?)からアクセスされた方に対しては、「そのサイトの書き手と私とでは、スタンスが違うよ」というコメントを、この事件に関連する記事すべてに、先ほどつけさせていただきました。どうか、誤解をしないでくださいね。

そのサイトの運営者の方が、本当に大阪市の問題点を調べるのに、ここまで努力されたことに、本当に敬意を表します。ただ、どうせなら今後は、そのサイトを運営されている方、そのサイトを見られた方が、一生懸命調べられた情報をもとに、匿名ではなく実名で、市民の立場から積極的に大阪市の行政当局や市議会などに働きかけ、市政がよくなる方向で対処していただくことを願っております。

と同時に、私は私で、大阪市在住ではありませんが、私が信頼している大阪市の市職員や市議の人たち、解放運動の関係者、それから共産党支持者を含めた多様な市民の人たちと協力して、自分の持っている知識や経験などを活かしながら、多少なりとも「まし」な方向に市の施策が向いていくよう、協力してきたいと思っています。そのことも、あわせて書いておきます。

ということで、そろそろこの話は終わりにして、本業の研究や教育の話、あるいは最近の私の生活関連(娘のことも含めて)などで、この日記を書いていくことにしましょう。


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7月23日付けの投稿(転載その17)

2006-09-20 15:57:27 | 過去の記事の転載

今学期、私のゼミ3回生たちのうち、半分くらいの学生は、大阪市内の市立青少年会館を訪問するという形で「聴き取り調査」の練習をしてきました。

その学生たちがたいへんお世話になった青少年会館が、いま、大阪市の行財政改革のなかで、例の飛鳥会事件がらみで青少年会館事業の再編(廃止を含めて)、民間委託等の危機に直面しています。

しかし、実際に現地を見学し、そこで熱心に働く職員の様子やそこに集う子どもたちの様子を見てきた学生たちは、「もっとこうしたら?」という提案は持っていても、「廃止」なんていう話をすると「ありえない~、残さないといかん!」と口をそろえて言います。

そこに通って日々放課後を楽しく暮らしている子どもたち、子育て教室に通っている保護者、識字教室に通う人々、そして居場所に集う不登校や引きこもり経験者などなど・・・・多様な子どもたち・若者たちとその保護者にとって、今の青少年会館はなくてはならない施設のはずです。また、もっと人が集まっていない公的施設も多々あるんじゃないでしょうか。そんなところ、ちゃんと大阪市役所の上層部の人々は調べているんでしょかね? 私がゼミ学生に現場を見てきてもらったように・・・・。

おまけに、私にしてみれば、下記のような「人権尊重のまちづくり」とか、「人権行政推進」に関する大阪市政の方針に一番沿った活動を今までしてきたのは、青少年会館ではないのか、という思いがとても強いです。特に「子どもの人権」を守るということでいえば、大阪市の教育分野では、学校以上にがんばってきた面もあると思いますよ。

そういう青少年会館が、たとえかつての「」施策と深い結びつきがある施設であるにせよ、今は別の方向性へと事業転換中であることを考慮すべきでしょう。また、ただ一部の人の犯した違法行為(しかも、市役所自ら把握していながら「お先棒を担ぐような行為をしていた)のために、なぜ青少年会館事業の「廃止」や「民間委託」等を考えなければいけないのか。私には、「大阪市地対財特法期限後の事業等の調査・監理委員会」のやろうとしていることの意義があまり見出せません。

大阪市地対財特法期限後の事業等の調査・監理委員会http://www.city.osaka.jp/keieikikakushitsu/chitai/index.html

大阪市人権推進の社会づくり条例 http://www.city.osaka.jp/shimin/jinken/04/jorei/index.html

大阪市人権行政基本指針の概要http://www.city.osaka.jp/shimin/jinken/04/suishin/index.html

そこで、「たぶん、こんなことを言っても、市役所から返事は帰ってこないだろうなぁ」と思いつつ、あえて第一弾として、市役所のホームページからメールで私の意見をぶちこんでおきました。市役所側から回答が帰ってきたら、またここでアップしていきたいと思います。

でも、たぶん私の予想では、な~んも返事がかえってこないだろうなぁ。とりあえず、数日待ってみて、何も言ってこなければ、続いて二発目、三発目をぶちこみたいと思います。

<以下、大阪市役所に送ったメール>

大阪市地対財特法期限後の事業等の調査・監理委員会についてお尋ねします。
大阪市市民局のホームページによると、大阪市には、「大阪市人権尊重の社会づくり条例」と「大阪市人権行政基本方針」というものがあるそうですね。
この条例・基本方針と、「大阪市地対財特法期限後の事業等の調査・監理委員会」の出してくる方針との間に、どのような整合性があるのでしょうか。
すなわち私の解釈では、大阪市としては、市議会が定めた「人権尊重の社会づくり条例」と、市の行政当局として策定した「人権行政基本方針」を守る前提で、なおかつ、「地対財特法期限後の事業」のなかで問題の多いものだけを見直す、という方針で、上述の「調査・管理委員会」は動いているということになるのですが、 それにまちがいないでしょうか?
もしも上述の条例・基本方針と、上述の「調査・管理委員会」が出す方針との間に「ズレ」や「矛盾」が生じているとすれば、大阪市としては今後、どのような「人権行政」を行い、
「人権尊重の社会づくり」をするつもりなのか。そこをお聞かせいただきたいと思います。
まずはこの2点、昨今の報道を通じて少し疑問がわいたので、教えてください。
おいそがしいことかと思いますが、よろしくお願いします。
また、上述の「調査・管理委員会」の動きを含め、昨今の大阪市のかつての「施策」見直しや、「行財政改革計画」実施の動きのなかには、市内の「子どもの人権」尊重の社会づくりという観点からいくつか気になる点もありますので、今後何か気づけば、どんどん質問させていただきます。
ご多忙の時期かとは思いますが、そのときはどうぞよろしくお願いします。


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8月5日付けの投稿(転載その16)

2006-09-20 15:53:46 | 過去の記事の転載

大阪市地対財特法期限後の事業等の調査・監理委員会http://www.city.osaka.jp/keieikikakushitsu/chitai/index.html

ここで、第4回の会合が先月18日にあり、そこで今後の青少年会館の存続等に関する議論もあったようです。ですが、この大阪市役所経営企画室のホームページ上からは、「議事要旨」しかなく、何がどう論じられてこの結論に達したのか、まったくわかりません。だから「あったようです」という以上のことは、何も言えません。

それにしても、大阪市政のあり方として、この「地対財特法期限後の事業等の調査・監理委員会」の議事のなかでも、例えば委託事業の見直しにかかる行政の「透明性」とかいろいろ言うわりには、このような形で、何をどう論じたのかわからないようなウェブ上での情報公開のあり方は、はっきりいって矛盾してます。今までの人権行政、特に同和対策事業に関する行政の「透明性」を高めるための委員会が、最も「不透明」な運営をされている危険性すら、この委員会の議事要旨の公開のあり方からは伺えます。

また、この日の議事要旨をどう読んでも、いったい、大阪市政は今後、青少年会館をどういう風に扱いたいのか、よくわかりません。というか、この「地対財特法期限後の事業等の調査・監理委員会」の議事要旨を見る限り、この委員会そのものに、社会教育施設としての青少年会館の歴史や存在意義、今後の活用の方向性をきちんと評価する力量など、もともと「そんな力ない」のではないかとすら思えてなりません。

ちなみに、本気で青少年会館の存続や将来像などを構想しようと思えば、その設置以来の歴史的経過を調べたり、現在、どのような子どもや地域住民・保護者たちが、どのような事業について、どのような形で利用しているのかを「自分の目で調べたりする」など、地道な調査活動からはじめるべきでしょう。それを本気でするには、最低でも今年度、私の3回生前期ゼミで取り組んだくらいの作業量が必要なはずです。

しかしそんなこと、この委員会、やる気あるんでしょうかね? きっと、市役所内の関連部局から適当に書類を出させて、それを見て「あ~だ、こ~だ」と議論をして、現場の実情や現場の人の意見など一度も聞かずに、「結論はじめにありき」みたいなことを言うんでしょう。それで本当にいいんでしょうか? 

なんせ大阪市、「次世代育成行動支援計画」という別の行政計画では、「課題を抱えた青少年の居場所づくり」や「家庭教育支援」を青少年会館で行うということで、市の機関をあげて「子どもの人権尊重」に取り組むって言ってるんですから。それと、この「地対財特法期限後の事業等の調査・監理委員会」が出そうとしている方針の関係がよくわかりません。

なんか、こういうことを見ていると、大阪市の行政はどっち向いて施策をつくっているんでしょうかね? あっちの部局でいうことと、こっちの部局でいうこととが、相互に調整できないくらいかけはなれていて、バラバラっていう感じです。それを調整するのが、ある意味、経営企画室の仕事なんじゃないでしょうかね?

大阪市次世代育成行動計画 http://www.city.osaka.jp/shimin/seishonen/pdf/project.pdf

そこで、前回送ったメールへの大阪市役所からの返事もないことですし、下記のとおり、二発目のメールを今日、送りました。

「地対財特法期限後の事業等の調査・監理委員会」と、その「庶務」を担当している経営企画室の面々からどんな返事がもどってくるのか。楽しみですね。たぶん、何も言ってこないでしょうけど(笑) 言ってこなければ、三発目、四発目と打ち込むだけです。

<以下、大阪市役所へ送ったメール>

前略、「大阪市地対財特法期限後の事業等の調査・監理委員会」(以下「同委員会」と略)について、あらためてお尋ねします(先月もメールで問い合わせました)。
今回は同委員会の7月18日の議事要旨を経営企画室のホームページから見ての質問・意見です。
さて、上述の同委員会・7月18日の議事要旨を見させていただきましたが、いったい、本当のところで何を論じたのか、全然わからないような記録になっていたので、大変びっくりしております。これではたしていいのか、率直に疑問を感じております。
次に、同委員会7月18日の議事要旨から、「総点検にかかる委託事業・補助金について」というPDFファイルを、さっそくダウンロードして見ました。
ですがこの内容も、詳しいことが全然わかりません。
例えば、「透明性の確保」「公平性の確保や今日的な視点から事業の必要性が説明可能か」といった事業見直しの基準ですが、そもそも同委員会が「透明性」「公平性」「事業の必要性」「今日的視点」をどう考えているのか。そこをきちっと説明すべきではないのでしょうか。
同委員会は何を指標として、かつての同和対策諸事業を「総括」し、「評価」し、「見直す」のでしょうか。そこをまずはお聞かせいただきたいのですが。
次に、「公の施設の指定管理にあたっては、公募とする」ということですが、「公募になじまない事業」を担当している「公の施設」というのもあるのではないでしょうか。そこについては、同委員会はどう考えているのでしょうか。そこもお聞きしたいところです。
そして、青少年会館12館については、「今日的な視点で必要性を精査し、今年度中に抜本的に施設のあり方を見直す方向で、引き続き委員会で検討する」とあります。しかし、上述のとおり、「今日的な視点」というのが、同委員会がどう考えているのかわからない以上、どうやって評価・検討するのでしょうか。
正直なところ、同委員会の外部委員の方々は、社会教育・生涯学習について、あるいは人権施策について「門外漢」ともいうべき方々ですよね。
だから、このような青少年会館・教育振興公社の事業や、その委託元である市教委の施策について、どんな基準で評価をして、「見直し」をされるのか。私としては、たいへん気がかりでなりません。
きちんと青少年会館事業の歴史や、そこで展開されてきた社会教育・生涯学習施策の趣旨や、実績などをご理解いただいた上での「見直し」という方針の提示であれば、関係機関も納得されるのでしょうし、私もわからなくはありません。
しかし、今の同委員会・7月18日の「議事要旨」のような内容で、今後の青少年会館のあり方を左右されるようなことがあっては、やはり、私としては到底、納得ができません。
以上の3点が、今回、同委員会・7月18日の「議事要旨」を見て、経営企画室に対して問い合わせたいことです。
なお、この件について、市民局や市教委の関係部局と、経営企画室とで、ぜひともご協議いただいた上で、文書もしくは電子メールでのお返事を直接いただければ幸いです。
また、こちらの方からの質問事項については、前回も私個人のブログ(http://tsuyokun.blog.ocn.ne.jp/nikkicho/)にて紹介させていただいておりますし、返答がなければ「なかった」旨、あったらあったでその内容の要旨を、こちらの方で公開させていただく予定にしております。
どうか、そのおつもりで、経営企画室の方では今回の質問についてご検討いただければ幸いです。
お忙しいところ恐れ入りますが、どうぞよろしくお願いいたします。草々


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8月10日の投稿(転載その15)

2006-09-20 15:47:43 | 過去の記事の転載

※これは直接、廃止問題にかかわっているわけではないですが、大阪市の子ども施策の現状がわかるので、こちらに転載です。

昨日は別に「関ジャニ∞」のライブを見に行くためだけに、大阪に出かけたのではありません。実はこの夏、3回生のインターンシップや、後期からの「調査演習」の準備という理由で、例えば大阪市内のある青少年会館で活動をしたり、民間の学童保育所のお手伝いをしたりしている学生が、社会メディア学科(というか私のゼミ)で何人かいます。その学生たちの様子を見に行くという目的もあって、午前中は大阪市内をあっちに行ったり、こっちに行ったりしていました。それを書くのが、連発ブログ書き込みの2発目です。

それで、率直にあえてここで書かせていただきますが、学生たちの活動している「現場」を実際に見させていただいて感じたのは、「大阪市の青少年会館が持っているハード面・ノウハウ面でのよさ」ということと、「民間学童保育所が置かれている物質的条件面での課題の多さ」という、大きな問題です。

どちらも子どもの社会教育・福祉の両面にかかわる施設ですし、どちらも特に小学生の長期休暇中や放課後を意識した取り組みを行っています。しかし、片方は行政施策のひとつにきちんとした位置づけをもち、きちんとした公的支出・人員配置を伴って運営されている。もう片方は、あくまでも民間ベースで細々と続けられているし、いったいどこまで公的助成が行われているのかよくわからない。

私の見た限りでいいますが、かなり古い民家を改装したそれほど広くない部屋を、十数人の子で使っている民間学童保育所。他方に、行政施策で作られ、ゆったりとした施設空間になっている青少年会館。これ、どう考えても、同じ年頃の子がこんな風に施設面で格差のついた形で過ごしているのは、よくないですよ。やっぱり、「民間学童保育所にももっと財政面などから公的支援を行って、きちんとした大阪市としての子どもの放課後育成事業の方向性を確立すべきだ。でないと、本当の意味で、大阪市としての子どもの人権保障なんてこといえない」と思うのですが。

と同時に、「大阪市の青少年会館が施設面での条件よすぎる」という風に見えるのは、「それはそれ以外がより条件が悪いことによってそう見える」というだけであって、「本当は他も青少年会館並みに近づくよう、施設面での条件を整える必要がある」ということなのではないでしょうか。なんか、よってたかって青少年会館タタキをする前に、大阪市全体の子ども施策の底上げをしていくべきではないのか、特に放課後の子ども育成関連の諸事業についてはそうすべきではないのか、ということを感じてしまいました。

ついでに、実は今日も、学生がインターンシップでお世話になっているということで、京都市内の某児童館にご挨拶に伺ってきました。規模的にはそれほど大きくない児童館でしたが、例えば小学生の放課後の学童クラブ的な活動、自由来館の子ども対象の活動、乳幼児の子どもがいる親たちへのサポート活動、学生や地域の人々などボランティア人材の育成といった具合に、社会教育・児童福祉の両面にまたがる多面的な活動が展開されていました。

いま、大阪市内でこれに類似の機能を持った公的施設のひとつが、市内12館の青少年会館だと思っています。また、大阪市内12館の青少年会館の場合、これに加えて、例えば「ほっとスペース事業」という名で、さまざまな「課題」を抱えた子ども・若者たちの相談・居場所づくり活動にも力を入れています。例えば近隣地域の不登校・ひきこもり傾向のある子ども・若者、非行傾向のある若者、「障害」を持つ子ども・若者などの相談・居場所づくり活動などにも、青少年会館は力を入れています。そして、これらの事業全体を貫いて、「子どもの人権」の尊重という方向性を模索しようとしていますし、近隣地域の諸団体やNPO、他の行政機関との連携にも力を入れようとしています。ちなみに、こういった取り組みは90年代後半から検討され、2000年ごろから少しずつ実施に移されてきて、もうかれこれ5~6年の蓄積があります。

だから、大阪市の青少年会館には、他市においても営まれているような社会教育・児童福祉の両面にまたがる活動に加え、「公的機関が担うべき事業」として、「子どもの人権尊重」という観点から、かなり先駆的な取り組みも実施しているところがあります。

そういった今の大阪市の青少年会館が持っている多面的な取り組み、しかも、他市よりも優れたノウハウをもっていたり、NPOなどとも積極的に協力関係を構築して運営しようとしている。そういった努力が、はたしてこの前から書いているように、「大阪市地対財特法期限後の事業等の調査・監理委員会」の面々には、わかっているのかどうか。ここがほんとうにあやしいのです。現場を実際に見に行ったことがあるのか、現場の人の話を直接聴いたことがあるのか・・・・と、青少年会館で実際に苦労しながら数々の実践例をつくってきた人々を知っているだけに、文句のひとつやふたつ、言いたくなります。

どうも、青少年会館の現場レベルでのこうした地道な努力というものを全然理解しないまま、いまある「風評」や一部の「悪しき慣例」だけを拡大解釈して、これまで青少年会館がやってきたすべてを「つぶす」方向で動きかねない。そんな危惧を、この委員会に対しては抱いています。それだけは、絶対にやめてもらわないと。

今のままでは、「子どもの権利条約」にかかげる諸理念に反する施策を大阪市はやろうとしていることになりますよ。ただでさえ、民間学童保育所に通う子どもたちへの施策は、相当に「遅れている」という印象が、大阪市の場合にはあるのですから。ここへ青少年会館事業まで「やめる」なんて話になったら、ますます「後退」ですね。


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8月11日の投稿(転載その14)

2006-09-20 15:43:29 | 過去の記事の転載

もう日付がかわって、8月11日(金)になりましたね。

昨日、私からの7月20日付の1回目の質問メールに対して、大阪市市民局の局長名で、メールにて返答がありました。その内容をここで詳細に紹介することは控えますが、その内容は、今後の大阪市の青少年会館事業を含めた子どもの人権施策を考える上で、とても重要な内容を含んでいるように思いました。

そこで、3回目の質問メールとして、あらためて市民局宛てに、適当に市民局長からの回答を引用しながら、以下の内容を送りました。これに対して、市民局からどういう返答があるのか、注目したいところです。

ちなみに、私がもしも市民局長の立場だったら、この質問、ものすごい「嫌だなぁ」と思いますね。だって、「差別は今もある」「新たな人権課題の存在」ということを自ら言っているわけですから。そこを認めている以上、そういった諸課題に対応する施設として、既存の青少年会館や人権文化センターを改革して存続させたらいい、という意見だってありうるわけです。少なくとも、私はそういう意見の持ち主です。

にもかかわらず、「大阪市地対財特法期限後の事業等の調査・監理委員会」関連の新聞報道などでは、青少年会館や人権文化センターは「廃止」もしくは「民間委託」を前提にしたような議論が先行している。これだと、もう市民局は人権文化センターという現場を持たないよ、ということになりますよね(ちなみに、青少年会館は社会教育施設であり、市教委が市教育振興公社を指定管理者として管理運営業務を委託している)。それでいったい、「新たな課題」に直面している人権施策を、どうやって市民局は運営していけるのでしょうか?

前述の話の繰り返しになりますが、人権文化センターが市民局の事業として「残る」のであれば、そこでの事業の中身や方法の改革ということを徹底すれば、「新たな人権の課題」に対応していけるはずですよね。

同じように、青少年会館が市の社会教育事業として位置づけられた上で、例えば民間と行政の連携とかをはかっていく。そういう筋道だってあるでしょうし、そうでなけければ、私としては、「新たな課題」に直面している人権施策に、市としての責任を果たすことにはならないように思うわけです。実際、この1つ前の日記帳ブログの記事で、青少年会館でのここ数年の取り組みのことを書きましたが、すでに青少年会館はその方向で動き始めていますよ。

そこで、「いったい、このあたりのことを、市民局はどう考えているのかなぁ? 市民局にはぜひ、例の大阪市地対財特法期限後の事業等の調査・監理委員会に対して、人権施策をこれからも充実させるんだという意志表示をして、突っ張るところを突っ張って、がんばってほしい」という思いもこめて、この質問をさせてもらってるんですが・・・・。

だから、実はいろいろ質問していながらも、市民局の人々を困らせようという意図はまるでなく、実際は逆で、「ここでふんばって~、がんばって~」という、応援したい思いの方が強いのです。

むしろ、大阪市地対財特法期限後の事業等の調査・監理委員会には、「もう少し、既存施設を有効活用しつつ、大阪市の人権施策をこれからどうするのか、という視点から、ものを考えてほしいよな~。それこそ、人権文化センターや青少年会館を廃止すりゃ、市内の各種人権問題は、今まで以上によくなるんかいな?」といいたいですね。本当に私が「なんか考えてほしいな」と思うのは、実は市民局より、こっちの委員会です。

<以下、3回目の質問として送ったメール>

 先日来、「大阪市地対財特法期限後の事業等の調査・監理委員会」に関する質問を2回させていただいたうち、最初の7月20日分について、昨日(8月10日)、電子メールで、大阪市市民局長名でお返事をいただきました。ごていねいにお返事をいただき、ありがとうございました。次の分についても、近いうちにお返事がいただけるものと大変期待しております。
 さて、昨日、市民局長名でお返事いただいた内容について、上記委員会の取り組みと、大阪市の人権施策、特に青少年会館など子どもの人権に関する施策について、あらためて下記の点を確認したいと思い、再度ご質問させていただくことにしました。こちらについても、文書もしくは電子メールでお返事をいただければ幸いです。

 なお、これまでご質問させていただいた時と同様に、このメールの内容は、すべて私の日記帳ブログ(http://tsuyokun.blog.ocn.ne.jp/nikkicho/)に掲載させていただきます。また、この大阪市ホームページ「市政への提言」からの大阪市政への質問は「1500字以内」という制限がかかっているようですので、要点だけを手短にまとめ、以下のとおりお伝えします。いろいろお手数をおかけしますが、よろしくお取り計らい願います。

(1)市民局長からの私宛メール回答によると、市民局としては「差別は今も存在し、また、新たな人権課題も生起していることから、人権行政というものは、これからもますます重要性を増すものと考えております」とのこと。そこでお聞きしたいのは、これからの「人権行政」について、大阪市としてはどのような取り組みが必要だとお考えでしょうか。また、その現在もなお続く差別や、新たな人権課題への取り組みにおいて、今後、青少年会館や人権文化センターでの取り組みはどのようにあるべきだとお考えでしょうか。市民局としてのお考えをお聞かせいただければ幸いです。

(2)(1)でもしも何らかの形で青少年会館や人権文化センターでの取り組みが重要だとお答えになられた場合、例えば今後、青少年会館や人権文化センターを「廃止」もしくは「民間委託」するということがあれば、市としての「人権行政」に対する責任はどのように果たすべきだとお考えなのでしょうか。市民局としてのお考えをお聞かせください。

(3)さらに、市民局長からの私宛メール回答によると、「大阪市人権行政基本方針」は、「人権尊重の視点から行政運営を行うため、本市のめざす人権行政の基本理念やそれを具体化していくための基準などを示したもの」とのことですね。とすれば、「大阪市地対財特法期限後の事業等の調査・監理委員会」の出す方針もまた、この「人権行政基本方針」に照らしてチェックされるべきではないかと私は考えますが、市民局のお考えをお聞かせください。ちなみに、同「人権行政基本方針」には、子どもにかかわる「直面する課題への取り組み」として、2005年策定の「次世代育成支援行動計画」が挙げられており、そのなかで青少年会館関連の諸事業も含まれております。ここから考えると、私としては市としての人権施策推進という観点から見て、そう簡単に青少年会館や人権文化センターを「廃止」「民間委託」することは「できない」とも考えますが、いかがでしょうか。

 質問事項は以上の3点です。どうぞご回答のほど、よろしくお願いいたします。 以上


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8月19日の投稿(転載その13)

2006-09-20 15:39:26 | 過去の記事の転載

※青少年会館とは直接関係はないですが、例の「監理委員会」関係ということで転載します。

「旧芦原病院問題で大阪市が元健康福祉局長を諭旨免職にする見込み」との朝日新聞のネット配信記事。http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200608180040.html

この記事によると、旧芦原病院に対する補助金の迂回融資などの不適切な経理上の諸問題で、大阪市の行政関係者がどうやら大量に処分される見通しです。そのことの是非を問う前に、まずは、今回、あえてブログにおいて、次のことを指摘しておきたいと思います。

(1)まず、今の大阪市の推計人口は、約263万人。この人口が、24区に分かれて居住しています。

(2)では、この人口に対して、大阪市内に現在、市立の病院は何ヶ所設置されているでしょうか? 北・十三・住吉の三市民病院に総合医療センターを含め、たった4ヶ所です。これに、阿倍野区にある大阪市立大学附属病院を入れても、5ヶ所にしかなりません。

(3)しかも、北市民病院は此花区、十三市民病院は淀川区、総合医療センターは都島区と、大阪市の比較的北のエリアに3病院が展開し、市の中心部には市立大学附属病院、南部には住之江区の住吉市民病院しかない状況です。

(4)そう考えると、芦原病院は、この「市立病院空白区」ともいうべき浪速区にあり、事実上、この地域における拠点病院として機能してきたものだと考えられます。だからこそ、この芦原病院の資金繰り悪化に対して、健康福祉局がありとあらゆる方法を使って、数々の融資を行ってきたのではないでしょうか。なにしろ、この地域は「市立病院空白区」であって、この「地域医療の拠点」がつぶれてしまえば、その地域住民の医療体制は崩壊してしまいかねないからです。

(5)そこで私はこの芦原病院の問題に対して思うのは、不適正な経理上の問題があったため関係者の処分はやむをえないとしても、より根本的な問題は、この大阪市の市立病院整備や地域医療の体制整備のあり方に問題がある、ということ。ひとりやふたりの幹部級職員のクビを切ったり、関係職員を減給等の形で処分したからといって、この地域医療の体制整備がこんな「お寒い」状態は何も改善されないし、はたしてこんな調子で、本当に市民の暮らしを行政が支えていくことができるのか、ということ。この2つのことに、どうしてマスメディアなどは目を向けないのか、ということが、とても気になってしかたがありません。

なんか、不適正な経理の問題ばかりがクローズアップされて、それが生み出された土壌にある大阪市の医療体制の「お寒い」状況が見落とされていく。そんなことになってしまってはいけません。また、例の「大阪市地対財特法期限後の事業等の調査・監理委員会」が、本当に大阪市のかつての同和対策事業の「見直し」をしようと思うのであれば、この大阪市の一般的な医療施策の「お寒い」現状にも目を向け、そこも検証するのでなければいけない。なぜなら、今のままでは、かつてよりも条件悪化の方向に医療施策を流していくだけで、「行政の市民サービスの向上」という面から見れば、全く意味がない、と考えるからです。


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9月1日付けの投稿(転載その12)

2006-09-20 08:50:26 | 過去の記事の転載

※これで9月分の転載は完了です。ちょっと一休みして、次は今年8月以前のものにとりかかろうと思います。なお、転載という形でさかのぼるのは、今年5月の飛鳥会事件関係のものまでです。

このところ何度かこの日記帳ブログで書いた「大阪市立青少年会館」に関する質問に対して、大阪市役所から3通の返事がまとめてメールで届きました。

その「お礼」もかねて、引き続き「まだ納得いかない部分があるので質問を続けるよ」という意志表示のため、下記のようなメールをまた送っておきました。

ただ、下記の文章の最後にも書きましたが、私はたとえ不祥事や内部の問題点がいろいろ明らかになったとしても、大阪市役所の職員の「良質的な人々」がきっといると思っています。実際、少なくとも私がつきあってきた市職員のみなさんは、この「良質的な人々」ばかりでした。

だからこそ、「なんでもかんでも、大阪市職員と見れば、よってたかってたたく」かのような、最近のマスメディアの報道姿勢には、疑問を感じています。

大阪市役所のとっている行政施策や法令解釈、公金支出のあり方などの誤りを批判的に指摘していくことと、市職員バッシングは、その中身もやり方もちがうのです。

大阪市役所には、今後も市民のために、特にいろんな生活課題を抱えた層の市民のために、いっしょうけんめい仕事をしてもらわねばならぬ部分もあるし、そのために、意気消沈してもらっては困る部分もあるのです。そのことを忘れた報道は、単なる「バッシング」にしかすぎないでしょう。

<以下、大阪市役所に送ったメール>

前略、「大阪市地対財特法期限後の事業等の調査・監理委員会」(以下「監理委員会」と略)に関する市民局長名での№0610-11363-001-01(8月31日付)、№0610-11338-001-02(8月28日付)及び8月22日付での市教委教育長名での回答をいただきました。

お忙しい中、市民局・市教委のみなさまには、私の「市民の声」からの質問メールにお返事いただき、ありがとうございました。まずはひとこと、この場をお借りして、お礼申し上げます。

率直に申しまして、市民局及び市教委からのお返事により、ホームページ上で確認できる情報に加えて、前述「監理委員会」の動向が少し私にも理解できるようになりました。

ただ、お返事を読ませていただいて、あらためてお伺いしたいことがいくつかでております。また、昨日・今日あたりに集中審議をしている「監理委員会」が、市立青少年会館や人権文化センターについてどういう意見を出してくるのかも、大変気がかりなところであります。

さらに、市民局とともに「監理委員会」の庶務を担当したり、ホームページ上に議事要旨等を公開している経営企画室が、この「監理委員会」に対してどんな考えをもって接しているのか。あるいは、今後の大阪市における人権施策や青少年社会教育施策について何を考えているのか。「監理委員会」に関する質問なので、市民局宛とあわせて、こちらは経営企画室にも質問しているつもりですが、この間「これらの施策は経営企画室の所管ではない」ということなのか、何もお返事がなかったのが残念です。特に、8月22日の市教委教育長名での回答メールの内容は、実は経営企画室に質問したつもりの内容だったのですが。

こういった次第ですので、今後も引き続き、「監理委員会」の動向や、これまでの質問へのお返事の内容について、いくつか「市民の声」から継続して再度質問・意見などを述べさせていただきます。いろいろとお手数をおかけすることになるかと思いますが、今後とも、どうぞよろしくお願いします。

それから、私の読んだ新聞などでは、市民局内「厚生会」が、一連の「」施策に関する不祥事で職員の大量処分があった日に解散パーティーをしたことが、あれこれ批判的な観点から取りざたされています。

しかし、私は市民局や市教委のみなさん、特に人権施策を担当されていた方々には、「ここでバッシングに負けるな!」と、逆にエールを送りたいです。私にしてみると、確かにマスコミ等で報道されているように、数々の職員の不祥事や、内部にさまざまな問題点があったことは否めないし、その点は是正すべきであるとは思います。でも、だからといって、市民局や市教委の人権施策担当者には、ここで意気消沈してほしくありません。

私は、大阪市の人権施策担当者が本気になって、これまで市民の人権意識や生活の向上に向けて、あれこれと努力してきた歴史的経過も知っています。だからこそ、「監理委員会」の動向が、みなさんの長年の努力を無にする結果をもたらすのではないかと、気がかりでならなのです。どうか、ここでめげないよう、がんばってください。 草々


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9月1日付けの投稿(転載その11)

2006-09-20 08:45:18 | 過去の記事の転載

※この日はさすがに例の「監理委員会」の結論が出た翌日なので、投稿が3つもありますね。

http://osaka.yomiuri.co.jp/news/20060901p101.htm

やっぱり、例の「監理委員会」の結論は、ここへきましたね。大阪市立青少年会館条例の廃止も含め、市職員の引き上げですか。というか、この間、一連の大阪市役所とのメールのやりとりで、もともと「結論先にありき」でやっていることがミエミエの委員会ですから、「とうとう正体を現したな」という感じです。

はっきりいいますが、私はこれが出てくるのではないかとずっと思っていて、あれやこれやと、大阪市役所ホームページ「市民の声」などを使いながら、あれこれ、この「監理委員会」の取り組みについて批判してきました。

私としては、こんな施策、到底承服しかねます。大阪市の子ども関連の施策、人権施策を水準を大幅に後退させるものであり、大阪市がかかげている「次世代育成支援行動計画」の趣旨から見ても、「こんな施策、これ自体が子どもの人権侵害じゃないのか!」と言いたくなるほどです。だからこそ、大阪市役所の人権施策の担当者に、「ここでふんばれ!」ということをこの日記帳ブログに書き、「市民の声」欄に送ったのです。

昨日からずっと、私の日記帳ブログで書いた記事を検索して、読んでいる人がいるようですが、まずはその人たちに伝わるように、私の反対の意志表示を先にしておきます。と同時に、この日記帳に書いた記事の内容をさっそく、大阪市役所に再度「市民の声」から伝えておきます。

<追記> アクセス解析によると、あるサイトからここへリンクを経由して出てこられた方がいるようですが、そのサイトを運営されている方と私とでは、ずいぶん、立場がちがいます。その点、お断りしておきます。ちなみに、そのサイトの運営者の方は、今年5月ごろ「これこそ公平・中立の立場」と私のことを持ち上げておりました。このことも、あわせてお伝えしておきます。ところで、そのサイト運営者の方、あのとき「公正・中立」と私を持ち上げた、あのコメントについて、今、どう考えているんでしょうね?(笑)


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