つれづれ日記

~認知症に備えて~
(H26/11/21geocitiesから"goo"に引越)
(写真はクリックすると大きくなる)

何度でも テレサ・テン:甦る歌姫

2015-09-16 21:36:51 | テレビ番組
 新聞のテレビ番組表を見ていたら、テレサ・テンの番組を見つけた。BS-TBS(BS6チャンネル)で、18時から2時間の番組で「甦る歌姫テレサ・テン~日本を愛した歌と心~幻の音源発見完全公開」というものだった。
 テレサ・テンは大好きは歌手の一人で、このような特別番組があるときは、必ず(気付いた時は)見ている。2年前の12月8日のBS-TBSで同じタイトルで放送があった。その再放送と思った。その後、昨年の3月4日や、今年2月9日や、6月13日の歿後20年のテレサ・テンの番組があった。
 今日もまた、時に涙を流しながら2時間見てしまった。いつも感動している。本日のBS-TBSのテレビ放映の画面から撮影した映像をほぼ放映された順に示す。
                

キンモクセイが花開き始めた

2015-09-15 22:57:22 | 
 天気がいいのに誘われて庭に出ると、かすかにキンモクセイの匂いが漂っていた。昨年は9月15日には花を見つけられなかったが、匂いを感じていたので、今年も同じ日に感じたことになった。
 そこで、きっと花が咲いているはずと思い、よく見ると、確かにわずかだが咲いているのを見つけた。まだまだ、ほとんどは青いままの芽だが何万とあるだろう蕾のうち数個が咲いていた。

(ちょっと高めの所に咲いていたので、手を伸ばして片手で撮ったのでピントが合っていない)

外付けSSDを装備した

2015-09-15 10:25:52 | パソコン
 昨夕、電気屋で256GBのSSD(Solid State Drive)を買った。今まで外付けポータブルのHDD(Hard Disk Drive)をバックアップ用に使っていたが、使用量が満杯となったので、買ったものである。
 HDDとは違って、SSDは外付け用としては売ってなく、内蔵型SSDとそれを装備するためのボックスを別々に買って、ボックス内にSSDを収納するように組み立てることで、ポータブル外付けSSDは完成できる。
 使用可能にするためには、取説にしたがって、フォーマット化するとにより可能となる。これによって、最近外付けHDDが満杯でNorton360による自動的なバックアップができていなかったが、これで可能となった。

(完成したポータブルのSSD。外形寸法は、幅85x長134x厚12.5mm

飛騨高山旅行(第11回OC4人会)第三日目(最終日)

2015-09-11 23:38:58 | OC4人会
 今日もホテル2階のレストランのバイキングの朝食を摂り、9:10ホテル発の送迎バスで高山駅へ。今日は帰宅するので、ホテルはチェックアウトし、荷物は初日と同じく駅のコインロッカーに預けた。
 駅から国分寺通りを歩いて鍛冶橋に出て、手長・足長の像を見ながら橋を渡って、鍛冶橋東袂から左に北へ折れて宮川沿いの宮川朝市を眺めながら往復した。
  (左:手長、中:足長、右:宮川朝市

 そこから歩いて「匠館」へ行って2階の家具や、1階のお土産物を見て(他は買ったが、小生は土産を買わず)、古い町並を通ってそこの酒屋「玉の井」で、酒を飲まない小生以外は有料の試飲酒を飲みながら、しばらく休み話をしたが、別の来客があったのを機に出た。

 高山市政記念館(旧高山町役場)を外からのみ見て過ぎて、本日の昼食として中華そばを食べるために、11:50「まさご」に入った。黒いスープの中に縮れ麺にチャシュー1枚とメンマに、刻みネギの薬味が載っているものだった(並サイズで\700。大盛は\900)。味の分からない小生には特段おいしいとは感じなかった。
 (左:高山市政記念館:入口に中国人の群れが大声でわめいていた、右:「まさご」の中華そば

 12:10「まさご」を出て、高山駅から名古屋駅に向かう列車の出発までに時間があったので、駅前にある喫茶店「Greenwich」に入った。狭い室内で、テーブルも小さく4人席に座った我々は窮屈だった。それでもおよそ40分を1杯のコーヒーとおしゃべりで過ごした。店内に飾ってあった外国詩を彫刻した内容が良く見えないこともあったが、分からなかった。

 計画通り、13:30高山駅発「ワイドビューひだ12号」に乗り、16:02名古屋駅着。途中列車の中から犬山城と岐阜城を撮った。
  (左:犬山城、右:岐阜城)

 名古屋駅で今回の旅行の解散をして、16:27名古屋駅発「ひかり526号」に乗り、18:10東京駅着。折角山側の席を取り名古屋駅を出るときはすっきりと晴れていて期待したが、富士山に差し掛かるころにはその部分のみ雲が掛かり全然見えなかった。残念!
 東京駅発18:53の「ひたち25号」までには時間があったので、山手線で上野駅まで行って、丸善で本の立ち読みをして時間を過ごして、上野駅から乗った。20:08水戸駅に到着。南口でタクシーに乗って20:18自宅到着し、心配した台風18号には影響されず、今回の楽しい旅行は無事に終了した。

飛騨高山旅行(第11回OC4人会)第二日目

2015-09-10 23:14:35 | OC4人会
 ホテル2階のレストランでバイキングの朝食を摂って、ホテル玄関前から9:10発の送迎バスで高山駅へ。今夜も同じホテルに連泊するので、荷物は部屋に置いて出かける。

 高山駅脇にある「高山濃飛バスセンター」で、往復の路線バス料金と「飛騨大鍾乳洞」とそれに併設の「大橋コレクション館」の入場料のセット券(それぞれを合計したものより350円安い)を購入し、9:40出発の路線バスに乗り込む。比較的狭い道を結構な速度で走るのには驚いた。

 30分後大鍾乳洞口のバス停に到着。そこからは、バス停舎の中のインターホンをとると、大鍾乳洞に直通されてその迎えのマイクロバスが迎えに来る。距離は約1kmだが、登り道となり、往は3~4分、復は2分ほどで往復できる距離である。
 まず、飛騨大鍾乳洞を発見した大橋外吉が集めた工芸品、装飾品など世界の美術品を展示した大橋コレクション館見て、その後大鍾乳洞へと向かう。大鍾乳洞はい全長800m(平面)ほどあり、途中で外に出られるバイパス出口が2か所設けられていて、幼・老齢者などに配慮されている。


 大鍾乳洞見学後、再び高山市街に戻り、肉の「丸明」で飛騨焼肉ミックス御膳を昼食として摂った。肉屋と焼肉屋をも経営しているようで、結構大きな店構えをしていた。12:30から約1時間半かけてのゆったりとした昼食だった。


 食後は、歩いて近くにある「山下清原画展」に入場。沢山の山下清(1922-1971)のちぎり絵、フェルトペンによる素描画、中には油絵などもあり、楽しむことができた。原画展の脇のコーナーにある「花火のカフェ」(山下清の特徴的な花火のちぎり絵に因んだものと思った)でコーヒーを飲んで(傍らでは雁の助主演の裸の大将のビデオがかかっていた)20分ほど休んだ。

そこから、山下清原画展と共通入場券(¥1100のところ\800)となっていた「高山昭和館」に入った。昭和30年から40年代ころの生活・文化などの店舗や商品などが展示されていて、当時を思い出しながら懐かしくおよそ40分ほど見て回った。

 そこから歩いて高山陣屋を目指して歩いたが、途中頭上に雨雲が広がり雨が降って来たので、アーケードの下でしばらく雨宿りをして古い町並を通り、また何回か目の赤い欄干の「中橋」を渡って「高山陣屋」に到着した。

 元禄7年(1692)7月、徳川幕府はそれまでこの地を治めていた6代高山城主金森頼旹(よりとき)を出羽上山へ移封し、飛騨国を幕府直轄領とした。以来、明治維新に至るまでの117年間25代の代官・郡代が政務を行った。
 ここを見学中に、御蔵の中の説明資料中に元水戸藩士梅村速水(本名:沼田準次郎:1842-1870)を知った。水戸藩士の家に生まれ、水戸学を学び決断力に優れ、学問・武術も人に抜きんでいたといわれている。後、脱藩し諸国を廻り、岩倉具視、三条実美たちに接しその影響を受け、1868(慶応4、のち明治元年に改元)年新政府から飛騨国出役を命ぜられ、27歳の若さで高山県の初代知事となった。知事となってから、旧習を退け、新しい施策を矢継ぎ早に打ち出したが、その急進的な改革は、飛騨の人たちに受け入れられず1869(明治2)年に騒動(梅村騒動)が起こった。これにより、梅村の理想政治はわずか1年で終わり、知事を解任され、捕らえられ明治3年10月26日無実を訴え続けながら牢死した。しかし、明治政府が目指した新しい国造りがようやく軌道に乗り世の中も次第に落ちついてくると、梅村知事の足跡を振り返り、遺徳をしのぶ鳥羽了英、江馬弥平らによって、梅村知事遺愛の碑を建立する話が持ち上がり高山の名勝城山三之丸跡の一画に竣工した。篆額:岩倉具視(右大臣・従一位・大勲位)、撰文:重野安繹(国立博物館編集副館長・従五位)、書:藤田 健(茨城県警部長・従六位)になる石碑の碑文の終わりには「飛騨の人々は、君が世を去ってから初めて本当の事を知った。君を死に追いやった事を大変くやみ、悲しみに堪えない」と哀惜の言葉で結んであるという。

 1時間ばかり見て高山陣屋を17:05出て高山駅まで歩いた。駅前からタクシーでホテルに戻った。その途中、「崇教真光」総本山を車中から見てホテルには17:40分頃に到着。
 夕食は、ホテル2階のレストランでバイキングの食事を摂ったが、とても支払った食事代は元が取れることはないと思った。

飛騨高山旅行(第11回OC4人会)第一日目

2015-09-09 23:46:08 | OC4人会
 年2回のOC4人会旅行は、今年の春は実施無く今回の秋のみとなった。
 自宅近くのバス停からバスに乗って(いつもは遅れてくるのだが、今日は時間通りにやって来た。やはり、早めについておかないと、万一早く来たときは乗れない恐れある)、水戸駅北口に到着。いつものように黄門さま一行の銅像に挨拶し、今回の旅の無事を祈った。

 今日は台風18号が愛知・知多半島辺りに上陸し、東海・北陸を縦断して日本海に抜けるとの予報があった。そのため、この台風が気がかりで、いつもより丁寧にお願いをした。駅構内マックでフィレオフィッシュとコーヒーを摂って30分ほどの時間を過ごした。

 水戸駅8:10発「ひたち4号」で東京駅着(今年から常磐線特急のほとんどが品川駅まで乗り入れた)。10:03東京駅発「ひかり467号」に乗車。在来線は3割とか5割の間引き運転をしているようだったが、新幹線は定刻通り運転して、浜松当たり手前で雨も止んだ様子で、12:09名古屋駅に到着した。

 4名全員集合し、それぞれ名古屋駅で駅弁を買って12:48発の「ワイドビューひだ11号」に乗車。高山駅に定刻通りの15:06に到着。
(「名古屋名物みそかつヒレ重」\950とお茶\140の昼食弁当。半熟玉子が入っていたが、箸では食べにくくてしょうがなかった)

 駅のコインロッカーに皆の荷物を纏めて入れて、まず歩いて飛騨国分寺に行った。天平年間に建造されたようで、本堂前の大イチョウは目通り約10m、樹高約28mで樹齢は推定1200年で、本堂は国指定重要文化財、三重塔は岐阜県指定重要文化財、表門や鐘楼門は高山市指定文化財となっている。
(奈良時代当時、七重塔、金堂、仁王門などを備えた壮大な伽藍があったと伝わる)

 そこからタクシーで桜山八幡宮へ向かい、そこで高山祭屋台会館に入った。女性のスタッフの説明を聞きながら展示されたいた神輿、屋台(山車)を見て回った。

その後は、屋台館の傍にある桜山日光館に入った。ここには日光東照宮の各種建造物を10分の1の縮尺で再現したもので、素晴らしい出来栄えであった。

 そこからは下二之町や三町伝統的建造物群保存地区(古い町並)を通って、天ぷら季節料理「はし膳」で17:30~20:00の間ゆっくりと夕食を摂った。その間安保関連法案など、今の問題などについて喧々諤々議論をした。
 そこからは、高山駅まで歩いて、コインロッカーに入れておいた荷物を銘々が取り出して、20:30発の今夜泊まるホテルの送迎バスに乗って20:40ホテルアソシア高山リゾートに着いた。

切符を買った

2015-09-03 14:56:37 | 日記・エッセイ・コラム
 朝からどんよりと曇っていて、昨日とは異なりほとんど日差しはなかった。最高気温は27.3℃と、昨日に比し4.5℃低かった(平年よりも1℃低い)。

 昨日買えなかった名古屋までの往復切符を買いに水戸駅に出かけた。昨日とうって変わってみどりの窓口はほとんど混んでいなく、数分待って買うことができた。当然ながら、新幹線は山側の席を往復とも頼んで、取れた。このところの天候を考えると、富士山は見えないことも十分考えられるが、そのときは仕方がない。

(写真は左から、水戸駅南口駐車場、駐車場からの階段を上がり2階のデッキより南口方面を望む、南口にある「水戸の納豆記念碑」」)

駅に切符を買いに行ったのだが、・・・・

2015-09-02 16:21:42 | 日記・エッセイ・コラム
 今日は時々日差しが差し、気温も31.8℃と久しぶりに真夏日となった。これまで涼しい、気持ち良い日が続いていたので、蒸し暑く扇風機を回した。
 毎年春と秋の2回行っている元仕事仲間3人(自分を入れて計4人)との旅行は、今年は秋だけの1回となった。名古屋駅集合・解散での旅行の為、水戸駅から名古屋駅までの往復の切符を買うために水戸駅に出掛けた。
 駅の駐車場は30分以内なら無料。切符を買うのは十分の時間であるので、いつもこの駐車場を利用している。今日は満車であったので、5分ほど待って駐車。みどりの窓口に行くと、40名ほどの客が列を作っていた。最後尾の人に、「どうしてこんなに並んでいるんでしょうね」と聞くと、「恐らく事故があったので切符を変更するためではないでしょうか」ということだった。小生は切符は今日買わなければならないことはなく、長く待つのは嫌な質なので、並ぶのをやめた。帰り際に駅の電光板を見ると、「十王と高萩の間の踏切で事故があり、磐城~勝田の間で上下線で遅れが発生している」と流れていた。
 切符を買うのは、明日にしよう!