おなじみ関内ホールの、関内寄席へ。
本日は桂歌丸独演会。
あの真景累ヶ淵の第4弾。勘蔵の死。
さて寄席の構成は
フルバージョンでは;前座(落語)、二つ目(落語)、色物(曲芸、漫才、鳴りもの、手品,物まね、紙切り、など)真打ち(落語時に講談)、お仲入り(休憩)、真打ち、色物、真打ち。
それぞれのプロフェッショナルが芸を披露します。
独演会の場合はいわゆるソロライブです。出演者も少ないので構成も少しシンプル。
前座、二つ目、真打ちでお仲入り。そのあと、色物、真打ち。という具合。
前座さんというのは落語会の院生。二つ目さんはインターン。真打ちに昇進して初めて一人前です。
前座さんは自分の出番が終わっても、それでお仕事おしまいという訳ではありません。
控え室では先輩芸人さんたちにお茶を入れたり、着物を畳んだり、舞台では、「めくり」をめくったり、師匠高座を整えたり…。
特に舞台の働きがよくわかるのは、寄席ではお仲入り(休憩)の前以外では緞帳が開演途中でおりることは滅多にないからです。
ところが、
前半二つ目さんが高座を降りたあと、お仲入りでもないのに緞帳がおろされました。
次は真打ち、今日は桂米丸師匠の出番です。
あれ?
ほどなく緞帳があがり、高座にはすでに歌丸師匠がスタンバイ。
この間は2,3分もなかったのですが「?」と思った人は少なくなかったと思います。
その空気を察した歌丸師匠が、おもむろにこう切り出しました。
「えー、実は、どうも腰の具合がここのところあまり芳しくなく、最近では立って歩くのもひどくつらくなりまして…」
おそらく、車椅子で舞台にあがり、前座さんのサポートで高座に着席。
そしてご開帳となったのだと思います。
「そういう姿をお客様にはいっさい見せない」という噺家としてのプライドと同時に「噺を楽しみにしているお客様に余計な心配をかけてはいけない」という配慮がそこに感じられ、頭が下がりました。
「内蔵などは大変調子よく、食欲もあるのですが…」
と話は続き、いつのまにか本題に。
気がつくと、そこは古典落語の世界。
会場に最近増え始めた若いお客さんたちにわかるように時代考証を加えながらの一席がはじまっていました。
親切と善意がちょっとしたタイミングの悪さで妙な案配に。時代は違えど、今に通じる人情の機微が大人の共感を呼びます。
最後は大岡裁きで全員大団円という、おおらかな人情話でした。
最後の下げは、しがない背負い小間物屋(行商の化粧品売り)だった主人公が、
めでたく大店(おおだな)の主人に収まることに収まることに決った時、修羅場をおさめたお奉行様にお礼を申し上げるくだり。
「こころあらたに、大店を背負って立つ所存にございます。」
するとお奉行すかざず、
「これこれ、そなたはもはや背負い小間物屋ではない。もう店を背負うことはなかろう。」
最後まで善意が通った一席でした。
そしてお仲入り。
後半はまず、色物。本日は大きなかわいい猫さんみたいな江戸屋猫まねき猫姐さんの、鳴き声ものまね。
いわゆる、ボイスパフォーマンス。小川のせせらぎまで再現してしまうんですよ。
表情たっぷりに楽しい演目。女性ならではの華やかさと暖かい高座で、みなさん思わす、ふふふふ。
そしてトリは再び米丸師匠。
今日のメイン。真景景ヶ淵の第4章。巡る因果応報に善意の人たちが絡めとられていきます。
籠が小塚原(江戸時代の処刑場)をぐるぐる迷う件は、本当に湿った風と真っ暗闇がそこにあるかのよう。
前半の明るい人情話とは正反対の、人の心が悪い方へ悪い方へと荒んでいく、これもまた人情話の有名なお話です。
さすがの米丸節にうっとり。
満場の拍手とともに緞帳がおりました。
(あ、一カ所文字がまちがっておりますなあ…お名前だからこれはいかんでしょう…)
次回の独演会は7月13日。
本日は桂歌丸独演会。
あの真景累ヶ淵の第4弾。勘蔵の死。
さて寄席の構成は
フルバージョンでは;前座(落語)、二つ目(落語)、色物(曲芸、漫才、鳴りもの、手品,物まね、紙切り、など)真打ち(落語時に講談)、お仲入り(休憩)、真打ち、色物、真打ち。
それぞれのプロフェッショナルが芸を披露します。
独演会の場合はいわゆるソロライブです。出演者も少ないので構成も少しシンプル。
前座、二つ目、真打ちでお仲入り。そのあと、色物、真打ち。という具合。
前座さんというのは落語会の院生。二つ目さんはインターン。真打ちに昇進して初めて一人前です。
前座さんは自分の出番が終わっても、それでお仕事おしまいという訳ではありません。
控え室では先輩芸人さんたちにお茶を入れたり、着物を畳んだり、舞台では、「めくり」をめくったり、師匠高座を整えたり…。
特に舞台の働きがよくわかるのは、寄席ではお仲入り(休憩)の前以外では緞帳が開演途中でおりることは滅多にないからです。
ところが、
前半二つ目さんが高座を降りたあと、お仲入りでもないのに緞帳がおろされました。
次は真打ち、今日は桂米丸師匠の出番です。
あれ?
ほどなく緞帳があがり、高座にはすでに歌丸師匠がスタンバイ。
この間は2,3分もなかったのですが「?」と思った人は少なくなかったと思います。
その空気を察した歌丸師匠が、おもむろにこう切り出しました。
「えー、実は、どうも腰の具合がここのところあまり芳しくなく、最近では立って歩くのもひどくつらくなりまして…」
おそらく、車椅子で舞台にあがり、前座さんのサポートで高座に着席。
そしてご開帳となったのだと思います。
「そういう姿をお客様にはいっさい見せない」という噺家としてのプライドと同時に「噺を楽しみにしているお客様に余計な心配をかけてはいけない」という配慮がそこに感じられ、頭が下がりました。
「内蔵などは大変調子よく、食欲もあるのですが…」
と話は続き、いつのまにか本題に。
気がつくと、そこは古典落語の世界。
会場に最近増え始めた若いお客さんたちにわかるように時代考証を加えながらの一席がはじまっていました。
親切と善意がちょっとしたタイミングの悪さで妙な案配に。時代は違えど、今に通じる人情の機微が大人の共感を呼びます。
最後は大岡裁きで全員大団円という、おおらかな人情話でした。
最後の下げは、しがない背負い小間物屋(行商の化粧品売り)だった主人公が、
めでたく大店(おおだな)の主人に収まることに収まることに決った時、修羅場をおさめたお奉行様にお礼を申し上げるくだり。
「こころあらたに、大店を背負って立つ所存にございます。」
するとお奉行すかざず、
「これこれ、そなたはもはや背負い小間物屋ではない。もう店を背負うことはなかろう。」
最後まで善意が通った一席でした。
そしてお仲入り。
後半はまず、色物。本日は大きなかわいい猫さんみたいな江戸屋猫まねき猫姐さんの、鳴き声ものまね。
いわゆる、ボイスパフォーマンス。小川のせせらぎまで再現してしまうんですよ。
表情たっぷりに楽しい演目。女性ならではの華やかさと暖かい高座で、みなさん思わす、ふふふふ。
そしてトリは再び米丸師匠。
今日のメイン。真景景ヶ淵の第4章。巡る因果応報に善意の人たちが絡めとられていきます。
籠が小塚原(江戸時代の処刑場)をぐるぐる迷う件は、本当に湿った風と真っ暗闇がそこにあるかのよう。
前半の明るい人情話とは正反対の、人の心が悪い方へ悪い方へと荒んでいく、これもまた人情話の有名なお話です。
さすがの米丸節にうっとり。
満場の拍手とともに緞帳がおりました。
(あ、一カ所文字がまちがっておりますなあ…お名前だからこれはいかんでしょう…)
次回の独演会は7月13日。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます