柴田典子の終活ブログ「エンディングノート知恵袋」

エンディングデザインコンサルタント柴田典子のブログ。
葬儀に関わらず「賢い老い支度」として終活全般のお話もしています。

高齢者の「みとり」

2010年08月03日 | 尊厳死宣言とは
都内の特別養護老人ホームで
高齢の入所者が死を迎えようとするとき
「自然なみとり」を行っっている。

高齢者の死を「自然なみとり」で、と望む家族がほぼ100%だという。

この施設では
食事が取れなくなった時、が節目と考え
家族の希望を受け入れて
水分と電解質の皮下点滴を始めるそうだ。

「床擦れもできず、血管を傷付けないため
皮膚の内出血や化膿もできず、急な脱水も起きないので
静かに安定した状態でみとりを迎えられる」という。

この施設でも以前は
死を迎えようする入所者は病院へ搬送し
延命措置を施していたそうだ。

2006年から自然なみとりで30例を体験し
点滴を始めて1週間から2か月程で死を迎える。

栄養は補給せず治療行為ではないので長期の延命には
結びつかないが、症状を緩和し衰弱を穏やかにして
みとりに導く。

今年6月に母親を看とった女性は
母親が食事をとらなくなり、5月7日に施設や医師から
自然なみとりの説明があり皮下点滴を始めた。

「毎日可能な限り付き添ったが徐々に会話が成り立たなくなった。
みとりで合意をした後も、状況をみて対応してくれたし
延命措置をしないで逝きたい、と話していた母の希望も叶えられ
家族も本人も心残りなく人生の最後を迎えられたと思う、と
看取った女性は語る。


8月2日付けの東京新聞で載った記事です。

この方法だと苦しむこともなく声がけもできる、という。

一般的に病院で迎える死は、これとは程遠い。

人は生まれる時間を安易に調整してはいない。
自然の状況に任せている。

ならば、
老衰して死んで行く時間も
安易に調整してはいけないのではないだろうか。


神様に逢ったおばあちゃん

2010年08月03日 | 世の中
どうしても紹介したい記事が載っていたので・・・

書き写します。


高齢者の終末医療の特集を興味深く読んでいたら
最後に小さな囲みがあって、デスクメモとしてありました。


曾祖母は認知症がすすみ
食事がすんでも
「飯はまだか」と騒いだ。

髭が長かった学生の私は、家族の要請で
白いシーツを身にまとい神様に扮して
枕元で「家族の言う事をよく聞きなさい」と
諭した。
曾祖母は手を合わせて私を拝み
おとなしくなった。

介護で疲れた母のほっとした顔を思い出す。

文章からその時の様子が窺えます。

穏やかな書き方をしているけれど
この曾祖母は、相当きつい言い方をしていたと思います。

だからこそ母の歩とした顔を思い出す、とかけたのでしょうね。

痴呆だとわかっていても、言い方のきつさに
介護している者は、心がくじけます。

このおばあちゃんのようになるには
我が家はまだ2~3年位はかかりそうでです。