青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

青い鳥の世界観  (附則)

2008年03月23日 | 人生設計

自意識を持たない、自我意識を持たないことを、「空」とい言っていることについて述べることにする。
「空」という考え方は、仏教の特色ある考え方のようで、他には見られないもののようだ。そしてこの「空」という考え方を理解するということは、縁起や無常と言ったことを理解することにも、つながっていく事だろう。
「空」という考え方は、元々は私達の物事に対する心の動き、精神の状態が、緊張し過剰になったり敏感に応対するか、あるいは反対に鈍感になったり怠けるような反応をするということに対する、正しい心の持ち方、精神の持ち方を教えるものを指していた。
釈尊は、釈尊の元で修行する人達に、「琴の糸は張りすぎていても、弱すぎていても、音色を出すことは出来ない。丁度良い強さに張られていたとき、妙なる音色を発する」と述べられ、この心の状態、精神の状態を「中道」と名付けられた。
「中道」というこういう教えは、心と精神の状態を表すものだったが、釈尊亡き後の仏教徒達によってこの「中道」の教えは発展させられて、心、精神分野だけでなく物質分野にも通用するものとして「空」の思想が確立された。
この「空」の思想を説いた経典が、「般若経」という経典ということである。この経典は長文だそうで、私も読んでいないが、思想を抜粋した私たちにも良く知られている経典に「般若心経」がある。漢文で二百五十数文字の短い経典だが、ここに「空」の思想が語られている。
「空」の思想の概要とは、「般若心経」の中にも述べられているが、「有と無、大と小、善悪、損と得」というような分別差別を持たないし、何物もの存在を否定しながら存在を認める、という考え方に立っている。
それ故に存在しているものは存在感を持たず、存在感を持たずして存在感を持っていると言うことになる。

私達が自分の肉体や地位とか金銭とかを自分のものと思っているが、それは因により縁起によって成り立っている仮のもの、その因や縁が崩れれば、崩れていくものであるがために「空」なのだということなのである。
しかしこういう「空」の中で、今という因と縁とを結ぶ時、かけがえのない「一期一会」の時がある。

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