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普通に言う馬鹿とは、「してはならないことをする馬鹿」と、「しなければならないのにしない」馬鹿とがいる。
これは、仏教用語で言う「三毒」に犯されているからだ。
「三毒」とは「貪・瞋・癡(とん・じん・ち)」のことで、「むさぼるような欲、怒り、恥知らず」なことで、これは大馬鹿者のことである。
それに対して「本物の馬鹿」とは、こういう「貪・瞋・癡(とん・じん・ち)」を持たない馬鹿の事を言う。
ここで何故「貪・瞋・癡(とん・じん・ち)」になるかと言うと、「欲情」に駆られるからだ。それは「利己愛」からであり、自我意識を持つからである。
だから「本物の馬鹿」は、こうした「自己愛、自我意識」を持たない馬鹿の事を言う。
例を挙げると、「便所掃除などをしなさい」と言われると、「何で俺が・・・」と言うものが「大馬鹿者」であり、「はい、わかりました」と言うのが、本物の馬鹿である。
普通に言う馬鹿とは、「してはならないことをする馬鹿」と、「しなければならないのにしない」馬鹿とがいる。
これは、仏教用語で言う「三毒」に犯されているからだ。
「三毒」とは「貪・瞋・癡(とん・じん・ち)」のことで、「むさぼるような欲、怒り、恥知らず」なことで、これは大馬鹿者のことである。
それに対して「本物の馬鹿」とは、こういう「貪・瞋・癡(とん・じん・ち)」を持たない馬鹿の事を言う。
ここで何故「貪・瞋・癡(とん・じん・ち)」になるかと言うと、「欲情」に駆られるからだ。それは「利己愛」からであり、自我意識を持つからである。
だから「本物の馬鹿」は、こうした「自己愛、自我意識」を持たない馬鹿の事を言う。
例を挙げると、「便所掃除などをしなさい」と言われると、「何で俺が・・・」と言うものが「大馬鹿者」であり、「はい、わかりました」と言うのが、本物の馬鹿である。