1月14日の午後7時から、テレビでは「バカ殿様」という番組が2時間ほど放送された。
これを子供たちは、ケタケタ笑いながら見ていた。
私もちょっと見ていたが、あまりのバカバカさに呆れかえってしまっていた。
こんな番組を放送するテレビ局は、子供の将来を少しも考えていないようだ。これは放送倫理審議会も、文部科学省も、教育委員会も放置している。これでよくこういう審議会などの、委員が務まるものだ。
更には安倍首相も、「道徳心、愛国心」と言いながら、中央教育審議会に対して義務化とか必須化とか言うだけで、目の前のこの「道徳心、愛国心」から外れた放送などには、何等規制の網をかぶせない。それは週刊誌などでのいかがわしい記事を記載することに対しても、放置している。それらによって子供たちの非行やいじめなどの蔓延する素地を作っていて、それが大人社会へも感染し、多くの社会問題を引き起こしている。
こういう事になっているのは、視聴率を上げて金儲けするためだ。そうして景気拡大し経済成長し、アベノミクス効果をあげてデフレ脱却しようというのが、安倍政権の狙いと言える。
そのためには、子供たちの将来は犠牲になっても構わない気だろう。
傷痍軍人とは、戦争の時傷を負った人たちや、病気になった人たちのことを言う。
この傷痍軍人たちは、戦死して英霊と祀られている人たちに対して、おめおめ生き長らえて故国に帰国した人たちとして自虐の念を持っていられた。
更には傷病を持っていたために仕事に着かれず、帰国後の生活も困窮していたという。
私がまだ子供の頃のことだったが、神社の縁日の日に見物に行くと、白衣を着て軍帽をかぶった人が数人、参道の両脇にござを敷いて正座して座り、両手を付いて頭を垂れているのを見たことがある。
まだ子供だったので、この人たちが何故このようにしているのか判らなかったが、長じてからこの人たちが傷痍軍人の方たちなのだと判った。
私が目にしていたころは、この傷痍軍人の方たちには、誰一人として労りの言葉さえかけるものはいなかった。
こうした傷痍軍人の方たちは、その後国立病院などの施設に入っていられるという事だが、現在生存していられる方たちは少なくなっていることだろう。しかしこういう傷痍軍人の生き残りの人たちには、首相や政治家が靖国神社に参拝して「英霊英霊」と持ち上げていても、一度として見舞って上げたという話を聞いたことが無い。
それだけではない。
靖国神社に祭られている英霊たちの遺族は、遺族年金を支給されていい思いをしているのに、こうした傷痍軍人の家族には支給されず、同じようにして戦地で戦ったものなのに、差別待遇されてしまっている。
そればかりか、今の政府は、安倍政権は、憲法解釈を変更し、集団的自衛権を行使し、また特定秘密保護法を制定し、再び国民を戦地に行かせようとしている。その結果英霊が増え、傷痍軍人も増えていく。
少子高齢化社会だというのに、働き盛りの若者たちを戦場に送って、この国をどうしようというのだろう。
ちなみに安倍首相が、祖父の岸信介元首相の念願だあった憲法改正への意欲というものは、認識がずれている。それは現「日本国憲法」が連合国からの押し付け憲法だという事からにあるが、確かに現憲法は押し付け憲法である。
しかしこの押し付けは、連合国の英知を集め、日本国を二度と戦争をさせない平和国家になって欲しいという願いを込めて押し付けた憲法なのである。
この連合国が作成した憲法草案を、我が国の国会で成立させた。そして天皇の署名捺印御名御璽(ぎょめいぎょじ)によって正式公布となり制定されている。
ところが岸信介や安倍晋三は、違う。ただ単に米国の言いなりになろうとするための、また走句になるために憲法改正しようとしているだけのものでしかない。
現に岸信介は米国の核の傘に入ろうとして「日米安保条約」を妥決している。そしてその孫の安倍晋三も、米国の顔色を読むことに一生懸命になっている。これはいわば国民の総意を裏切り、天皇陛下をも冒涜する行為と言わなければならない。
それはいわば靖国神社に詣で傷痍軍人を見捨てても、その米国の言いなりなりになることを誓うためのものとしか言いようがない。