「律正論」の「律」とは、「 行動を秩序づけるためのおきて。さだめ。」のことを言う。
それ故に「律正論」とは、この「秩序」が正しく行われるようになさしめるための「理論」である。
我々が産まれ生きている「この世」、といっても他に別の世がある訳でもなく、これが随一の世なのだが、この世はいつも動いている。流転し変動し、変化している。
この「いつも常に動き、流転し、変動」しているということは、反対のことを言えば「動かない」でいたら「淀み」が生じてしまい腐ってしまうことを意味し、この事から「動き、流転し、変化」するということは、新線を保つということとなる。
我々人間においても、生命あるものは「生命体」といい、「動植物」という様に、「動く」ことが基本づけられている。
ところが人間は、「文化文明」の発達によって「豊かで、楽しく、楽(快適、便利)」な生き方をしようとすることとなり、それは「動かない」で甘受することが、「人間らしい人間」の生き方と思うようになってしまっている。
このために人間は、肉体にも心、精神にも「サビ」が付いてしまっている。
この「肉体と心・精神」のサビを落とすことが、今の我々の愁眉の急になっている。
それを急き立てるように天地自然は、天災地変を巻き起こして、「律正論」を展開させている。
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