今朝のこちらの地方紙の記事には、昨日の夕方に、太陽が2つに見え、それを写したというのが載っていました。
ほんとに夕陽が、2つになっていますね。
私が通所しているディサービスの職員さんも、目にしたそうです。
渋谷刺傷、バッグに凶器隠し地下鉄で都心逃走か(読売新聞) - goo ニュース
「幸せそうに、嬉しそうに、楽しそうに」なんかしていると、それをやっかんだり嫉んだり、ねたんだりして嫉妬させる事になる。
それが募ると、こういう事件を起こすものだ。
「質素誠実」な態度でいなければならないね。
飲酒禁止令の福岡市長「ショック療法が必要」(読売新聞) - goo ニュース
「飲むな」とは言うけれど、「酒を造るな」とは言わない。
だから、どんどん酒は、造られている。
何せ、「酒税」が入るからな。
言う事が、矛盾している。
首相、泥沼の「二股愛」 「Xデー」無視も低姿勢 「小沢会談」どう転ぶ(産経新聞) - goo ニュース
「二兎を追うもの、一兎をも取れず」て言う、諺がある。
ところが「ドジョウ首相」なるこの人は、一兎である「消費税増税」ばかりを追っていて、国民の「願い、望み、思い」を適えようとはしないでいるから、支持率は下がり、全滅の憂き目にあっている。
それでもまだ目が覚めないで、「一兎」を追っているのだから、いつまでたっても「ドジョウ」のような「のらりくらり」でしかない。
信仰心、即ち宗教心を持とうとするならば、何よりも「今生きている」という事を見詰め、自覚しなければならない。
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我々は「息」をしている。何のために「息」をしている ?
「息」をしているという事は、生きているという事である。
では「生きている」という事は、どうして生きているのか ?
「生きている」という事は、「命」があり、持っているからである。
ではその「命」は、どうしたのか ?。単に「ポツん」と出てきたものなのか。
我々が命を持って生きているのは、その「命」を父母から貰ったからである。
与えられ、戴き、授けられたのが、我々の生きている命である。
では父母はどうだったのかというと、父母も命をそれぞれの父母から貰い、与えられ授けられている。そしてその父母の父母もまた、その父母の父母から命を貰っている。
では最初の父母は、その命をどうして受けたかというと、それは「神や仏」からの授かりものと言わなければならなくなる。
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今は自分の立場になって「息」をしているのが何故なのかと逆登って行ったが、今度は反対に立ってみる事にする。
即ち「神や仏」の位置に立つのである。そして「神や仏」の位置に立ち、「神や仏」は何故に我々に「命」を与えたか、授けたのかおもんばかってみる。
それは「何のために、何をさせようとして、どのように生きて貰おう」としていたのかを、今の自分を離れた位置に立って見つめなければならない。
我々は何かと今の自分の位置や立場について、「言い訳、言い逃れ、責任逃れ」のような事を言う。それも自分の都合によって言い、且つ他を批判する。酷いのになると、それができなくなって「私は馬鹿ですので」といって、自分に命を与え授けた親や「神や仏」に責任があるように言って転嫁する。
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我々が「生きている」という事は、「神や仏」が何かの使命を与えて「命」を与え授けられたと自覚しなければならない。そう自覚する事によって、信仰心が始まり、宗教心が立ち上がって行く。
「関電が停電テロ」と府市顧問…橋下氏は擁護(読売新聞) - goo ニュース
野田首相も、「消費税増税」しなければ、「社会保障と税の一体化」できないといって、テロ行為的に脅迫している。
一方のマスコミメディアも、「志村けんのバカ殿様」のような番組を児童に見せることには無関心で、新聞などのスポーツ欄は4ページにも及ぶくらいにして、公器を用いて「テロ行為」している。
国が、国の者によって「テロ」に晒されている。
「週刊ポスト」の、む5/18号には、「陸山会政治資金事件」で小沢一郎に無罪判決が言い渡された事について、この「無罪判決文」は、駄文判決だといっている。
言わば「灰色の無罪」に対しての批判である。
しかしこの小沢一郎や、この小沢一郎を中心とした会派も、遠慮えゃくも無く「私鉄鉄道乗車無料パス」などを受け取っている事には、知らん顔をしている。
どっちもどっち、無茶苦茶・・・・・