青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

生命の道

2021年01月20日 | 人生設計
生命の道
生命を授けれたものは 生命を受けとると同時に
生命としての生きる道を 自ずと会得している
しかれども人という生命は、生命の発生時には生命を生きる道に生きる生命であるが、成長共にこの生命は、真の生命の道から掛け離れた道へと辿って行ってしまうことになる。
そうさせたのは、成長とともに知恵に目覚めて行ったことにある。知恵は、生命の道を正しく保持していってこそ、知恵としての役割を担っていける。それが多くの人は、楽や面白いことや遊ぶこととするばかりでなく、金銭欲に物欲に権力欲を満足させ事に熱中させてる。今人は、生命を持つ者としてここに生きようとするならば、忘れ去った昔日の生命の道を蘇らせて、その元に正しき生命の道に生きたいものである。


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幸せ

2021年01月11日 | 宗教観
  幸せ
みんなが求める幸せは どこを探しても見付からない
青い鳥物にあるように どこにもない
それは探しているのは 目の前のものばかりによる
他所に見つけようとしても 自分に会ったものはみつけられない
自分には自分の個性があり 他所には他所の個性を持つ
故に相容れない事から 目に付かず見付けることができずにいる


同一の個性を持つものは 二つとはない
二つはないが故に 自分一人が頼りになる
「青い鳥物語」の主人公「チルチルとミチル」の兄妹の兄弟は、遠路遥々と幸せの青い鳥を求めながら挫折し故郷に帰って来た。
しかし二人の長い苦労の旅路は無駄ではなかった。
この苦労の結果、幸せの青い鳥のありかを知ったのだ。
幸せの青い鳥は、他所に、遠いところにはいない。
身近なところにいた。身近も身近、自分自身の中にいた。
自分そのものが幸せの源であった。

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失われた理

2021年01月10日 | 人生設計
失われた理
 私たちが生まれ、育ち、生きていくこの世という世界には、厳しくも侵してはならない「理、真」がある。この「理、真」を「真理」という。
「真理」には、形もなく、音もなく、臭いもなく、触れることもできとるこまてない。
どこまでも深遠にして広大な世界を形成している。
ではこの広大無辺にして深遠なるこの世界は、どのような世界なのだろうか?
これは、形、形状のことではない形状でいうなら、巨大にして深遠な空間の中に、無数の素粒子が飛び交い、その素粒子同士が結合して物質となり、その物質が巨大化して天体となっていく。
ここで言いたい「どのような」というのは、こうした形状、形態のことではなく、「この世はどのような思いを持ち、気持ちを持ち、望みや願いを持って存在しているか」を問い掛けようとするものである。
何の思いも持たずにいるとは思えない。何らかの思いや願いを持って存在しているに違いないと思わずにはいられなくなる。
「思い」ということは、「心、せいしんt、、精神とも言える。
この世はどのような「心で精神」」で存在しているのか?
まず言えるの、物事を「活かす」ことを望んでいるのが知れる。滅びることは望んでいない。
ついで言えるのは「和合と融合」への願いがあり、だからこそ変化に富む森羅万象の姿を見せている。そしてこの「和合」を成り立たせるには、勝手を通そうとするところからはでてこない。
「和合、融合、調合」といったものは、厳密にいえば「感謝」の心と思いとから発しして来る。それは別に言えば「お蔭様」という心からくる。
しかしそれが「してやってる、やってやってる」という傲慢さのはなはなしいことか。
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布施

2021年01月06日 | 宗教観
布施
果てしなく続き 広がりゆく
  この世の世界に 満ちるのは
 優しく輝く 愛なりし
だが悲しいことに この愛は
人の社会には 育まれない
愛を育む心が 整えられていないから
 整えるには何が必要なのか 分かっていないから
布施の心を育ませるには 労りと思いやりを兼ね備え
こうしてやったと言うような 己が利得を持たず
純粋無垢な布施に充たされた 愛にによって備わる
身を捨て欲を捨て 命を落とす覚悟で
 勤め励み 続けよと
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菅総理1都3県「緊急事態宣言を検討」

2021年01月05日 | ニュース


こういう事態になってから検討するとは、怠慢さも甚だしい。
新型コロナウイルスが発生した時点で、「緊急事態宣言」を検討していなければならないのに、今からやったって手遅れになり、更なる感染増加にしかならない。
命の安全安心と言いながら、金や経済ばかり気にしている。そればかりか、自分の地位保全ばかり気にかかけいて、真に国民本位になろうとはしていない。だからいくら外出自粛を強調し訴えても、人出は減らず、感染者が増えるだけだ。「笛吹けど・・・・・」だ。
第一、自身や政府の態度からして、「桜を見る会」などに対して、強力な指導力を発揮して事実解明に向けて行動もしていない。
こんなんでは国民だれしも、言うことなんぞ「馬の耳に念仏」にして言う通りにはしないし、言う通りにもなろうとはしないのも、郁子なるかな、よ。
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謹賀新年

2021年01月02日 | 短歌
謹賀新年
★ クリスマス 星の輝き 手に受けて
    この身を以って 救いの御子にと
★ 我が身をば 救いの御御子と なろうとも
     誤解ばかりで 真意伝わらず
この二つの短歌は、「能動性と受動性」の心をつづったもので、年賀状に書き添えたものです。
寒々と 雪のちらつく大晦日
     新しき年は 丑に引かれて
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