二葉鍼灸療院 院長のドタバタ活動日記

私が日頃行っている活動や、日々の鍼灸臨床で感じたことなどを綴っていきたいと思います。

一日一生、と思って生きる

2009年10月16日 | 言葉のちから 心のちから
「一日一生」、この言葉は私が星稜で野球をしている時から、山下監督さん(現 総監督)がことあるごとに話されたり、野球日誌に書いて頂いた言葉です。
今になって心に沁みてくる言葉ですし、患者様との会話の中でも私がよく話す言葉なんですね。

≪行に入ると、毎朝毎朝、草鞋を履いて出ていく。登りが10キロ、わりと平坦な道が10キロ、下りが10キロの道をぐるぐる歩く。そうして一日山を歩き通して帰ってくると、草履がくたびれてボロボロになっている。翌日はまた、新しい草履を履いていかないといけない。
それを、毎日毎日、繰り返していたら、ある時、草履が自分に見えてきたんだ。

草履はボロボロになっちゃった。もし自分が草履だったら、今日でおしまいなんだなあって。明日になるとまた新しい草履を履く。それは、また生まれ変わるみたいだなあって。一日が終わって、また生まれ変わる。草履も人間も同じなんじゃないかなって。

山をトットコトットコ歩いている時は、動きの世界。一日履いた草履を脱いで、お経を上げたり、横になったりしている時は、静かな世界だ。静かな世界が終ると、朝になり、また動きの世界が始まる。動と静っていうのは背中合わせ。動があるから静があり、静があるから、動がある。

人生で置き換えるなら、「動」というのは生きること。「静」というのは死の世界。生まれるから死んで、死ぬからまた生まれる。

今日の自分は草履を脱いだ時におしまい。そこからは明日生まれ変わるために、一生懸命反省すればいい。復習するわけだな。今日なぜこういう悪いことがあったのか。じゃあ明日は二度と再び同じことは起こさないように努力しましょうって…。

そしてまた、新しく蘇って出ていく。今日の自分は今日でおしまい。明日はまた新しい自分が生まれてくる。

一日が一生、だな。今日失敗したからって、へなへなすることはない。落ち込むこともない。明日はまた新しい人生が生まれてくるんじゃない。それには、今日を大切にしなかったら、明日はありませんよっていうことでもある。今が一番大切だってことだよ。

今、自分がやっていることを一生懸命、忠実にやることが一番いいんじゃないのかな。≫

『一日一生』  酒井雄哉 著


天台宗大阿闍梨の、自己の実践から生まれ、体験から生み出される言葉たちには、何か奥の深さと、うんうんと納得できるものがあります。

「今」を一生懸命生き、それを積み重ねて一日を悔いなく過ごす。明日になったら今日の人生が肥やしとなった新しい自分が生まれ、そして一日を過ごす。人生とは動と静、その繰り返し。その中で何を感じ、発見するかは自分の心しだいといったところでしょうか。

一日一生でいきましょう 

二葉鍼灸療院 田中良和
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