昨今では、自動車では世界のトップメーカーであるトヨタ自動車のリコール問題が、いまだなお報道を賑わせています。最近の新聞の経済面やテレビを観ていると、日本人として自信と誇りを無くしてしまうのではないか…という感じさえ受ける内容だと感じるのは、私だけでしょうか。
日本人は昔から勤勉であり、努力家、職人肌でこだわりのある人が多かったようです。その下地があったからこそ、技術大国として精密機械から環境技術、IT技術などの繊細で精巧な技術が発展してきたのだと思うのです。
≪最近、日本人の間で、職人に対する「憧れ」が薄れてきているような気がしてならない。「ものづくり」が繁栄する条件は、突き詰めてみると、職人への敬意を持ち、彼らの仕事を正当に評価する国民が存在することに尽きるのではないだろうか。
「ものをつくる」ということは、それ自体が「喜び」を伴うものである。心血を注いだ作品が完成した時に達成感を感じない職人などいるはずはない。そこにやりがいを感じ、職人になりたいと思う若者は必ずあるはずだ。それに世間の「尊敬」という精神的支援が加われば、後継者の心配など杞憂となる。
あとは経済的基盤である。いかにすぐれた工芸品も、美術館に収められるだけでは存続は不可能だ。買ってくれる人がいて初めて生業として成り立つ。それも、職人の仕事への正当な評価、すなわち「本物」を愛する風潮さえ醸成できれば、そこに需要が生まれるはずだ。
実際、少々値段が高くなっても、「本物」を提供することにこだわっている現代の職人(今は企業であることが多い)は少なくない。そうした職人気質の企業に共通していることは、社長(昔風に言えば親方)は従業員と作ることの喜びを共有し、従業員は自分の仕事に誇りを持ち、社内の士気が高く活気があることである。
~中略~
「本物」を愛する人は必ずいる。彼らを満足させることが、匠の活躍の場所を広げていくのだ。≫
『匠の国 日本 ~職人は国の宝、国の礎~』 北 康利 著
私のやっている鍼灸治療はまさしく職人であり、匠たるべき技だと思います。確かに、現代医学的知識をしっかり勉強し、患者さまが安心できる、身体に関しての最低限度の判断力をつけることは重要なことです。
しかし鍼灸治療は、患者さまの皮膚に触れ、脈に触れ、直接ではないにしても筋肉の状態を診て、舌の状態を診て、目の輝きや、顔色、声の響き、足音、体臭、お腹の状態など、多くの身体の情報を、治療者の五感を、あるいは第六感まで働かせ、治療につなげる高度な職人技なのです。
様々、治療技術について書いてある書物などがありますが、やはり、最後のところは自分でやってみて、感触を確かめ、自分で感じて感覚を磨いていくしかありません。師匠の動きを見て、話し方に耳を澄ませ、それを真似て、そして自分でたくさん失敗し、反省して、よりよい治療方法、治療感覚を模索していく、突き詰めれば鍼灸治療もそんな「匠」の技術だと思いますね。
そこにあるのは、患者さまの喜ぶ姿であり、「楽になったわ」という言葉でしょう。これが私たちの仕事でいう”心血を注いで完成した作品”なのだと思います。
師匠をみるにつけ、他の国民から信頼があつい先生方を見るにつけ、自分はまだまだ「本物」には、ほど遠~~~~~~~~~~~~~いなと思うのです。
「本物」になれ
これは私の師匠 黒野先生がよく話される言葉です。
「本物」になれば、磁石が鉄を引き寄せるが如く、周囲から様々なものが引き寄せられてくるということでしょうか。「本物」目指して、日々精進の日が続きます。これは棺桶に足を入れるまで続くことでしょうね。それまで仕事やるつもりですから
「本物」を必要とする患者さまに、「本物」の医療が提供できるように、鍼灸師は常に向上心をもって努力し、「本物」を追求していく使命があると思うのです。
それが、鍼灸師の活躍の場を広げていくのだと思います。
自分の仕事を振り返り、日々反省、新陳代謝をしながら、日本の伝統的な「心意気」という「氣」を受け継いできた、職人「匠」に強く示唆を受けたのでした。
二葉鍼灸療院 田中良和
日本人は昔から勤勉であり、努力家、職人肌でこだわりのある人が多かったようです。その下地があったからこそ、技術大国として精密機械から環境技術、IT技術などの繊細で精巧な技術が発展してきたのだと思うのです。
≪最近、日本人の間で、職人に対する「憧れ」が薄れてきているような気がしてならない。「ものづくり」が繁栄する条件は、突き詰めてみると、職人への敬意を持ち、彼らの仕事を正当に評価する国民が存在することに尽きるのではないだろうか。
「ものをつくる」ということは、それ自体が「喜び」を伴うものである。心血を注いだ作品が完成した時に達成感を感じない職人などいるはずはない。そこにやりがいを感じ、職人になりたいと思う若者は必ずあるはずだ。それに世間の「尊敬」という精神的支援が加われば、後継者の心配など杞憂となる。
あとは経済的基盤である。いかにすぐれた工芸品も、美術館に収められるだけでは存続は不可能だ。買ってくれる人がいて初めて生業として成り立つ。それも、職人の仕事への正当な評価、すなわち「本物」を愛する風潮さえ醸成できれば、そこに需要が生まれるはずだ。
実際、少々値段が高くなっても、「本物」を提供することにこだわっている現代の職人(今は企業であることが多い)は少なくない。そうした職人気質の企業に共通していることは、社長(昔風に言えば親方)は従業員と作ることの喜びを共有し、従業員は自分の仕事に誇りを持ち、社内の士気が高く活気があることである。
~中略~
「本物」を愛する人は必ずいる。彼らを満足させることが、匠の活躍の場所を広げていくのだ。≫
『匠の国 日本 ~職人は国の宝、国の礎~』 北 康利 著
私のやっている鍼灸治療はまさしく職人であり、匠たるべき技だと思います。確かに、現代医学的知識をしっかり勉強し、患者さまが安心できる、身体に関しての最低限度の判断力をつけることは重要なことです。
しかし鍼灸治療は、患者さまの皮膚に触れ、脈に触れ、直接ではないにしても筋肉の状態を診て、舌の状態を診て、目の輝きや、顔色、声の響き、足音、体臭、お腹の状態など、多くの身体の情報を、治療者の五感を、あるいは第六感まで働かせ、治療につなげる高度な職人技なのです。
様々、治療技術について書いてある書物などがありますが、やはり、最後のところは自分でやってみて、感触を確かめ、自分で感じて感覚を磨いていくしかありません。師匠の動きを見て、話し方に耳を澄ませ、それを真似て、そして自分でたくさん失敗し、反省して、よりよい治療方法、治療感覚を模索していく、突き詰めれば鍼灸治療もそんな「匠」の技術だと思いますね。
そこにあるのは、患者さまの喜ぶ姿であり、「楽になったわ」という言葉でしょう。これが私たちの仕事でいう”心血を注いで完成した作品”なのだと思います。
師匠をみるにつけ、他の国民から信頼があつい先生方を見るにつけ、自分はまだまだ「本物」には、ほど遠~~~~~~~~~~~~~いなと思うのです。
「本物」になれ
これは私の師匠 黒野先生がよく話される言葉です。
「本物」になれば、磁石が鉄を引き寄せるが如く、周囲から様々なものが引き寄せられてくるということでしょうか。「本物」目指して、日々精進の日が続きます。これは棺桶に足を入れるまで続くことでしょうね。それまで仕事やるつもりですから
「本物」を必要とする患者さまに、「本物」の医療が提供できるように、鍼灸師は常に向上心をもって努力し、「本物」を追求していく使命があると思うのです。
それが、鍼灸師の活躍の場を広げていくのだと思います。
自分の仕事を振り返り、日々反省、新陳代謝をしながら、日本の伝統的な「心意気」という「氣」を受け継いできた、職人「匠」に強く示唆を受けたのでした。
二葉鍼灸療院 田中良和