二葉鍼灸療院 院長のドタバタ活動日記

私が日頃行っている活動や、日々の鍼灸臨床で感じたことなどを綴っていきたいと思います。

成功者の共通点

2010年03月18日 | 言葉のちから 心のちから
世の中、不況の真っただ中。しかし、心は前向きに、そして、仕事に対して、人生に対して向上心あふれるものでありたいものですね

社会を見渡すと、元気な企業やお店もあれば、苦境を強いられている企業やお店などもあります。自身の現段階を踏まえて、やはり「心」の持ち方、ものの観方、考え方、捉え方が、これから、”その状況をどう変化させるか”ということに繋がっていくのだと思います。

≪大きな成功を収めた人、真に偉大な人、その道での第一人者といった人々は、肉体と精神の両面の痛みを克服しているという事実である。それとは逆に失敗続きの人、何をやってもうまくいかない人たちは、肉体的、精神的両面の痛みに対する恐れにとらわれており、それはほとんど迷信とも言えるものであった。

肉体的、精神的な痛みを克服したということは、自分の心を完全に支配したということにほかならないということだ。これこそ創造主が人間に授けた完全にして絶対の支配権であり、唯一絶対のものである。≫

『自己実現』  ナポレオン・ヒル 著  田中孝顕 訳


素晴らしい会社、大きな事業を成功させている人たちには、少なからず影の部分があり、辛さや、悲しみなどの苦境の道を耐え、そして、そこから得られた力をバネに、大きな理想を信念として、その思考を実現させているのだと感じます。

ナポレオン・ヒルは続けて、ワシントンで彼の講座に参加したある未亡人について書いています。

≪彼女は第一次大戦でご主人を亡くされたのだが、それからほどなく病気になり、大手術が必要になった。最初の手術は失敗に終わり、二度目の手術が必要になった。彼女はそうした費用を支払うために、家を手放さなければならなかった。そのために、手術が成功して退院しても住むところがない。二人の息子があり、どちらも結婚していたが、どちらの嫁も一時的にさえ同居を承諾しなかった。兄と姉が一人ずついたが、これもまた、どちらも彼女の養生中の面倒を見ようとはしなかった。

とうとう彼女が以前に通っていた教会の牧師が手を差し伸べ、一時的に宿を提供する親切な人を見つけてくれた。私が彼女に初めて会ったのが、この場所である。私が彼女の自立の助けになるのではないかという希望から、私が招かれたのである。もちろん慈善的な行為であり、それに対しての報酬を受け取るつもりはなかった。そして、授業料は免除するので私の授業に出てみるよう、彼女に話した。

ところが、そのとき彼女の態度に、私はすっかり驚かされた。私の申し出に対する彼女の返事はすばらしいもので、ぜひ、ここに紹介したい。

「ご親切ありがとうございます。でも世の中にはただで何かを頂けることなどないと、ずっと思ってまいりましたので」

と彼女はまず言った。

「どう生きたらいいのかを皆さんに教えるのは、先生のお仕事です。それで暮らしていらっしゃる。ですから、私も先生の教室でご指導を受けたいのですが、授業料はあとで必ずお支払いします。そのことだけは、はっきりさせてください。

体の痛みにも、心の痛みにも苦しんだのは確かですが、私の闘いはまだ続いてますし、試練に負けてもいません。いまのところは経済的な手立てがありませんが、気持ちはしっかりしています。この気持ちをいつもしっかりさせて、貧しさに負けないで、どんなことにも恐れない生き方をしたいと思います。きっと、神様もそうお望みでしょうから。
夫に死なれましたが、そういう女性は他にもたくさんいます。私だけが苦しいわけではありません。

子どもたちも兄も姉も、一番助けが欲しい時に、私を助けようとはしませんでした。でも、そのために傷ついたのは、私よりもあの人たちです。あの人たちは、困っている人に愛を注ぐ機会を剥ぎとられたのですから。それなのに私には、自分の心を頼りに自立し直す道が、まだ残されているのです。

私はこれまでの苦しみを残念なこととは思っていません。そのおかげで精神的に強くなれたのですから。その強さで、将来は自由な生き方をしたいと思っています」


彼女はさらに続けた。

「それに、私を助けようとしなかったからと言って、家族を恨む気持ちもないのです。お蔭で私には、『汝を傷つける者を許せ』という神のお教えに従う、すばらしい機会に恵まれたのですから。『われらに罪をなす者をわれが許すがごとく、神よ、われらの罪も許したまえ』。

逆境を経験して、私はそれ相応の”利益の種子”を見つけました。それは私自身の心が持っている力に気づいたことと、その力を使えば悲しみも悩みも乗り越えられると分かったことです。

でも、逆境から得られた一番すばらしい収穫は、肉体の痛みであれ、精神的な苦悩であれ、辛さというものは、神の訴えるのに都合のよい場所を与えてくれる、そのことに気づいたことです。

夫の亡くなる以前にも、私はある教会に属してはいました。逆境の洗礼を受けてもくじけなっかた時から、私は本当の信者になったのです。そして私は今、生活が信仰そのものになっています。ただ信じさえすればいいというものとは違います。

本当に一番苦しい時に、私は絶対に屈しない魂を持っていることに気がついたのです。ですから、なぜ私が家族に恨みを持っていないのか、はっきりおわかりでしょう。家族が何もしてくれなかったからこそ、私は自分の心の持つ力量に気がついたのですから。

私は自分を哀れだとは思いません。でも、血肉を分けた子や兄弟は、たいへん気の毒だと思います。助けるべき者を助けるという慈愛を示して、自分の心の大きさに気づくという、またとない、すばらしい機会を掴みそこねたのですから」


この女性は私の教室で学び、成功の科学をマスターした。のちに、アメリカ大統領から政府機関での、女性としては最高の地位に任命された。その後、彼女は政府の女性職員を対象とした講習会を開き、自分自身の心を発見する方法を教えている。彼女が広義の基礎としているのは、成功の哲学を自分の自立体験に照らして説明することである。

この勇気ある女性は、肉体および精神両面の逆境と苦難を経験して、あらゆる力の源泉へ通じる道を見出した。が、彼女をそこまで奮起させたのは、三回の大手術、夫の死、経済基盤の喪失、親族の冷遇といったことだけではない。お気づきの通りである。

もっぱら前向きの心構えで苦難に対処する、これこそが彼女が苦難の中から「それに見合った利益の種子」を探し出す手段である。彼女が発見した不利な状況を有益なものにする方法、これはすべての人間に恩恵として与えられているものだ。

挫折感、悲しみなどは、それを経験する人にとって、すばらしいものにもなれば、致命的な失敗にもなるのである。その人にとってどちらの状況になるのかを決めるのは、”ひとえに状況に対する心構え次第”である。ある人にとっては、つまずきの石である。だが別の人にとっては、今、お話した未亡人のように、あたり一面を見晴らせる人生の高みへと登る踏み石となるかもしれない。

この未亡人の話を終える前に、彼女のお気に入りの、祈りの言葉を引用しないわけにはいかない。

「過ぎた富を望みはいたしません。神様、必要なものだけをお与えください。また、悲しみや苦しみから解き放たれたいとも思いません。ただ、それを英知に変える術を、この世の摂理にかなった生き方に私を従わせる英知に変える術を、どうかお示しください。全ての人間に等しく授けられてはいないものを、望むこともいたしません。他人から傷つけられた時には、私は相手を許せる強さを、相手の人たちには行いを悔い改める光栄をお与えください。最後に、私が生きる上でどんな状況にあっても、その状況を読み取り、的確に対応できるように、お導きくださいますように」

『自己実現』  ナポレオン・ヒル 著  田中孝顕 訳


心ひとつの置きどころ、心がけ次第で、人生どのようにも変化していくという教えでしょう。人生は「今」の積み重ねであり、「決断」の繰り返しです。「今」をどのような心で過ごし、ここでどのように「道を決断するか」で、自分の行くべき道も決まってくるということなのだと感じます。

自分の道は自分にしか創ることができないし、自分に全ての責任があります。99失敗しても、最後の1が成功であれば、それは人生の成功というものです。あきらめることが失敗です。

自分の中に潜んでいる、”可能性という力”にワクワクしながら、日々の仕事に、人間関係に、そして、遊びに 取り組んでいきたいな~と思うのです 

二葉鍼灸療院 田中良和
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