二葉鍼灸療院 院長のドタバタ活動日記

私が日頃行っている活動や、日々の鍼灸臨床で感じたことなどを綴っていきたいと思います。

生きるということ ~生きる意味~ 考

2010年03月23日 | 言葉のちから 心のちから
今日も気持ちよく、自分のやるべきことを頭の中に思い浮かべながら、ワクワクした一日の始まりを思い目覚めました。

生きるとは…、生きることの意味… な~んて難しいお題ですが、肩肘はらずに少し考えてみますね。

≪~感謝へのふりかえ~
病であろうが、運命が悪くなろうが、それを感謝と喜びにふりかえることです。
そもそも病とか不運とかいうものの原因を考えてください。何も自分に落ち度がなくして、病や不運がくるはずないのであります。つまり、原因あっての結果。

ですから、「おまえの生き方には誤りがあるぞ」、と自覚を促すために病になり不運なりが与えられたとしたら、これは大きな恵みですわ。

それを考えたら、恨みどころか感謝にふりかえ、喜びで誤りを是正する方へと自分の心を積極的にふり向けることが一番必要でしょう。≫

『中村天風 一日一話』 中村天風財団[編]


病は氣からと言いますが、心の持ち方次第でいい方にも、悪い方にも変化します。人生も同じです。人生の様々な分岐点は一日の生活の中にたくさんあります。
ステーキを食べようか、それとも和食にしようか…それもまた分岐点の一つです。そこで体の中の声が聞こえず、腸が弱っているのに、ステーキを食べると、結果は目に見えていますよね。

人生に起こる全ては原因があって、結果が現象となって現れます。そして、全ての分岐点での決断において自分に責任があるのですね。その結果を他人や世の中に転嫁せず、自分の心の鏡に映すと、それが感謝となり、反省となり、不運や病気だと思っていた事柄の中に「宝」が潜んでいたりします。

全ての出来事に感謝できると、自分の中に気づきが生じ、そこから人生は好転していくのだと思います。

これは積極的思考であり、世の中の真理の一つであろうと感じます。このように思考をもっていると世の中、何があってもあきらめることなくチャレンジしていけますよね

しかし、飛行機や電車、自動車など、自分には全く過失がないのに事故で家族の命が失われた、あるいは、事件に巻き込まれ命を失ったり、体が不自由になってしまった。また、お子さまが生まれながらにしてハンディキャップを背負っている、など世の中には理不尽なことも多々あります。そのような人は「分かってはいるんだが、そこまで心を持っていくことができない」というのも世の中の真実です。

≪そして、私たちは、この世という修行の場に、何度も何度もくり返し来訪しては、愛すること、許すこと、感謝することの大切さを学びます。人生とは、いわば、生まれる前に自分で作成しておいた問題集のようなものです。それぞれの問題を解くことができても、できなくても、正解は問題集を終えるまで見てはいけません。

人生という問題集を最後までやり遂げた時、初めて私たちは、自分で用意しておいた正解と照らし合わせ、自分の成長を自己評価することができます。そしてまた、解けなかった問題を解くために、あるいはいちだんと難しい問題を解くために、自分自身で新たな問題集を編み、それをたずさえて、この世という修行の場を再訪するのです。(~中略~)

もう一度、確認しましょう。「思い通りにならないこと」こそが、この物質世界が持つ最高の価値なのではないでしょうか。そして私たちは、「思い通りにならない」という「価値ある現実」から出発して、「思い通りにならない人生」をいかに正しく苦悩しながら生き、ふだんは「思い通りにならない」からこそ、時おり出会うことができる「願いがかなう喜び」を、いかに正しく味わって感謝するかということを、日々の人間生活の中で学んでいるのではないでしょうか。

それが、この物質世界で人間として生きることの意味であり、人生とは、「思い通りにならない」からこそ価値があるのです。(~中略~)

言いかえれば、自分から求めて訪れてきた「思い通りにならない物質的環境」の中で、生まれる前に自分自身で用意しておいた「人生という名の問題集」を解いているというのが、私たち人間の姿であると言えるでしょう。

『[新版]生きがいの本質 ~いつまでも、いつまでも一緒~』  飯田史彦 著


あの世があるのか、ないのか。あるいは、人間死んだら、何もなくなるのか、魂になって存在するのか。これはその時になってみないと本当のことは分かりません。飯田先生は、目に見えるもの、形あるものが全てだと思っている現代の人にも分かりやすく、魂やスピリチュアルの世界を解説されています。

自分にとって究極的にマイナスな出来事が起こったときは、泣いて、悲しんで、落ち込むことも必要です。何もやる気がなくなることも必要な場合もあります。しかし、上記のような思考をすることによって、立ち止まっていた「この場所」から、歩みはほんの少しずつだとしても、一歩一歩前進を始めることができると思うのです。

この思考も世の中の一つの真理だと思います。そして、この柔らかい、優しい思考は、そっと背中を押してくれるような力があり、落ち込んでいる人の心に「頑張らなくちゃいけない」という、大きなストレスがかかることもありません。

中村天風さん、飯田史彦さん、いずれも、人生での使命を思考するため、人生の意味を知るために必要な思考方法だと思います。時と場合によって、あるいは、自分の性格によって、思考方法を選択すればいいのだと思います。

表現方法は違っても、最終的な行きつく先は同じであるように感じますね。

二葉鍼灸療院 田中良和
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