先日、フェイスブックを見ていました。
池間哲郎さんのページで、ある経営関係のデータからということで記事が載っていました。
それによると親の助けを借りずに独立した事業所のほとんどが上手くいっていないということでした。
基準は30年間、企業として継続しているということ。継続している企業が3%で、残りの97%は上手く継続していってないということです。なかなか厳しいデータですが、今後、数年は何が起こるか分からない経済や社会の中、一つの考察を与えていただいたデータだったと思います。
鍼灸マッサージ業界では、まだまだ会社として成り立っている所は少ないでしょう。調べていませんが
私たちの業界でも親から受け継いでという治療院もありますが、ほとんどが創業者です
そんなことを考えると、鍼灸治療の技術や診察能力も大切、経営も大切、そしてそれを支える理念や哲学も大切になるといつも思います。私は名古屋の東洋医学研究所® 黒野所長(師匠)のもと修行していたので、その辺りは認識していたと思ったのですが、開業して16年と7カ月、少し甘くなるところや、今後ステップアップしていかなくてはいけないという想いをいつも持っています。
想いだけではなく実行あるのみなんですけど
さて、上記の厳しいデータの後は、少し面白いデータもあります。
日本では100年以上もの間、受け継がれて運営されてきた企業が約28000社あるそうです。何かワクワクしてきますが、さらにさらに1000年以上の企業が7社あるそうです 素晴らしいですよね
また、世界で一番古い企業は・・・トップ3が日本にあるということです。
(ちなみに企業ではありませんが、世界で一番伝統がある国(古くから続く王族・皇室)も日本の皇室なんですね)
金剛組 578年(飛鳥時代)~ 社寺建築(宮大工) 本社大阪
池 坊 587年(室町時代)~ いけばな
慶雲館 705年(奈良時代)~ 旅館業 甲州西山温泉(山梨県)
だそうです。
その中で、世界一伝統ある企業である金剛組は、社寺仏閣を建立する宮大工の技を受け継ぐ企業です。
日本で最初の官寺である「四天王寺」を建立する際、聖徳太子の命により百済から工匠が3名招かれ、その中の一人が創業者だったそうです。
長年、企業を経営していると、国も時代も変化していきます。その中で経営の危機も訪れます。
2000年に入ってからも苦境が続いたそうです。そんな中、本当に厳しい状況に陥った時に、やはり本物の仕事というものは救われるのでしょうか、救世主が現れます。
(以下、http://next.rikunabi.com/journal/entry/20141112 より抜粋、添付。)
西暦578年から大阪・四天王寺のお抱え宮大工として、脈々と続いた金剛組。2005年秋、この1427年続いた企業が倒産の危機を迎えていた。その頃、同じ大阪の松建設株式会社(現松コンストラクショングループ)の会長、松孝育氏は、共通の取引先であった銀行から金剛組の経営危機に関する噂を聞いて、堺市にある金剛組・美原加工センターまで足を伸ばす。宮大工たちの技巧をじかに目にして戻ってきた会長は、取締役を集めてこう告げた。
「金剛組を潰したら大阪の恥や。古いものは一度なくなってしまうと二度と元に戻すことはできない。そうなれば長い年月、積み重ねてきた人の努力も技術もなくなってしまう。商人の街、大阪の上場企業として、それを見逃すようなことはできない」
「一般の建築屋だったら、支援はしていないでしょう。世界最高の社寺建築屋で、国宝級の技術があったからこそ、支援が決まりました」と刀根氏。
「それまでの松建設と金剛組との接点といえば、取引している銀行が同じだったことくらいです。最後に副社長がいろいろ調査するために乗り込んだ時は、瀕死の重症状態だったと聞いています。普通、M&Aをするとなると、利益目的になるはずなんですよ。会長は『金剛組を潰したら、大阪の恥や』以外、言わないし、私らもそれ以上は詳しく聞いていません。金剛組の宮大工の技を『国宝級や』と感動して、それを残したいと思った。金剛組への全額出資を決めたのは、義理と人情、“ほんまのなにわ節”です」
支援をすると決めたあとも、借金の整理はしなければならない。債権者会議で協力を求めた際も、罵声を浴びるかと思いきや、債権者たちはふたつ返事だったという。「四天王寺を守り続けてきた金剛組の技術を、今度は我々が一丸となって守り抜こう」。会長の決断に、大阪中から激励の声が集まった。
松会長の決断も素晴らしい 粋です そしてこれこそ日本人が大切にしなければならない精神でもあると思います。
と同時に、金剛組の宮大工の皆様の人を感動させる仕事ぶりが素晴らしい 尊敬します
どんなに厳しい状況においても、守り継がれて来た伝統の「技」に精魂を込めて「仕事」を行う。その姿勢や努力、訓練の中で培われてきた技術力が人を感動させたのでしょう。
また四天王寺をはじめ、歴々の先輩方が残してきた功績が大阪の皆様の激励を後押ししたのだと思います。
鍼灸医療も飛鳥から奈良時代にかけて、仏教などと共に大陸より入ってきました。鍼灸医療も明治、昭和の二度にわたり存続の危機にさらされましたが、先輩方の努力と情熱によりその危機は免れ、今にまで伝承されてきています。そんな素晴らしい医療でもあります。
しかし、私たちは国民の皆様に鍼灸医療を正く伝えているのか 医療の中で国民の皆様が本当に必要だと思っていただいているのか 常に問答しながら、地域貢献や学術・研究活動を通じて地域へ発信し、そして、宮大工の皆様のような高度で究極の技術を体得し、常に磨いていく必要があるのだと思います。
そして何より「よっし、鍼灸医療を受けてやろうやないか」、「皆で支援してやろうやないか」(関西弁) というようなファンや支援者をたくさん作っていくことが必要なのだと、これら一連の記事を読んで思ったのでした。
もうひと~つ
北海道で植松電機という会社をやっている、植松 努 専務取締役の講演会の映像がYoutubeにありました。
その内容に感動しました 「夢」、「仕事」、「人生」を考えさせられるものでした。
植松電機は産業廃棄物などリサイクルのものの中から鉄などを取り出すマグネットを開発している会社である傍ら、植松専務が長年の夢を実現させた宇宙開発(ロケット等)を行っております。日本には、ここの会社しかない実験施設などがあり、人工衛星までも打ち上げ実験に成功したというからスゴイです。
この映像をみると本当に勇気が湧いてきました
Hope invites | Tsutomu Uematsu | TEDxSapporo
要約すると・・・
母から教わった「思いは招く」・・・思い続ければ必ずそうなる これは可能性を開花させるために必要。
祖母から教わった「お金をためるくらいなら本を買って、頭に溜めなさい。そこから新しいものが生まれる」
夢とは・・・今できないこと追いかけること。
自分ができれば、周囲の人にしてあげることができる。そこから仕事が生まれるかもしれない。
どんな困難があっても、一生懸命、夢を持ち走り続けていれば、いい出逢いがある。
失敗はマイナスではない。自分をよりよく導くためのデータである。
学問・・・社会の問題を解決するために人類が生み出し築き上げてきたものであり、決して誰かに評価されるためのものではない。
人は足りないから助け合うことができる。
足りないことは恥ずかしいことではない。中途半端でもいいから、まずやることが大事。
アフリカから研修に来た皆様に教えていただいたこと・・・「勉強しても、努力しても無駄」と思っている人の多くが、人を殺して、あるいはだまして、人のものを奪う。頑張れないから生み出せない→結果、奪うしかなくなる。
「自分なんて・・・」 「どーせ無理」・・・これらの言葉は、考える力を無くし、楽をするほうに走ってしまう。人間から自信と可能性を奪い取ってしまう言葉。簡単に話せるが、その効果は恐ろしい。使わないようにしたい。
上記の言葉を言わないことが「世界を救う」
自信が出る自分になるために・・・①やったことのないことをやろう ②あきらめない ③工夫しよう
夢を語り合った時、「だったらこうしてみたら」と話そう それは相手の夢を肯定、応援していることになり、皆が夢を思い続けることができる=夢が実現するということ。
技を究極まで磨くことを心がけ・・・
夢を思い続け・・・
人を幸せに、感動させる仕事をして・・・
可能性に満ちた、歓び溢れる人生を送ろう・・・
そして、鍼灸医療を後世に伝承していこう・・・
などと技、夢、仕事、人生について考えてみました。
ブログの神様が久しぶりに降臨 しているので一気に書いてみました。
最後までお読みいただき、ありがとうございます
前回のコメントで
僕は苦しみ続ける運命なのだと諦念して、希望の死の光を目指して1歩1歩歩いて行きたいと思います。
田中先生は、この文章が素晴らしいと言ってくださいましたが、本当は嫌です。
死ぬことにしか希望がないなんて、そんなのは単なる絶望です。
生きているうちに幸せになりたいです。
僕にとっての幸せとは、嫌なことがなにも起こらない人生です。良い事も悪い事もなにも起こらない平凡な人生です。
ヘソの症状が治れば、それだけで僕は十分幸せです。
毎日毎日、ヘソが苦しくて苦しくて堪りません。
死ぬまで何十年も耐え続けるなんてできません。
死にたいです。今すぐ死にたいです。
暗いコメントで、すみません。
コメントありがとうございます。
本当にその人の苦しみはその人しか分かりませんね。どうしても自分目線でしか捉えられないという部分は他人にはあるのだと思います。
同じ体験をしていても少しずつ、皆、違った体験ですしね。
人は生まれた時に確約されているのは「死」するということです。
この「死」をどう捉えるか、変な意味でなく、どう死んでいくかということも常に考えておかないといけないと私は思ってます。
そのヘソの症状が少しでも改善されることを私は願っていますよ。