観測史上最速タイで、東京で開花した桜(染井吉野)の咲き満ちる軌道と同期した第五回WBC。アメリカマイアミで行われた決勝戦で、日本代表「侍ジャパン」はアメリカを破り14年ぶりに優勝しました。「野球の神が脚本を書いた」と世界のファンが熱狂する結末でしたが、久しぶりにしびれる決勝戦だったと思っています。
「咲き満る 桜・染井吉野」
一次リーグも含めて様々な劇的なドラマを生んだWBCでしたが、決勝戦でも印象的なドラマが生まれました。それは、日本が1点リードして迎えた9回表の二死無塁の場面で実現したメジャーを代表する二人の対決でした。日本の投手として登板していた大谷翔平と、アメリカを率いるマイク・トラウトの、エンジェルスの同僚対決です。一発が出れば同点の場面でしたが、大谷は気合の入った最高のスライダーでトラウトから空振り三振を奪取し、大舞台での勝負を締めくくりました。普段は仲間として戦う大谷とトラウトで幕を下ろすという、劇的な幕切れは、今大会において最も印象的なシーンのひとつになり、歴史の一齣として今後も語り継がれる名場面となりました。
「咲き満る 大島桜」
「侍ジャパン」を優勝に導いた栗山英樹監督について「朝日新聞」の記事を参考にしつつ、少し触れたいと思います。彼が「あれをつくっていなかったら、僕はきっと監督にはなっていなかった」と言われる場所「栗の樹ファーム」があります。これは北海道栗山町の丘陵地帯にある少年野球場であり、栗山監督が私費を投じ、町の皆さんの協力もあって作られた両翼70メートルの球場です。ここでは野球教室や少年野球大会か開かれ、誰でも気軽にキャッチボールが出来る球場とのことです。ここ「栗の樹ファーム」での長年の活動、プロ野球での選手としての実績、スポーツキャスターとしての真摯な取り組み等が評価され、2011年日本ハムから監督就任の要請が届いたとのこと。この監督が率いる「侍ジャパン」にダルビッシュ有、大谷翔平、さらにラーズ・ヌートバーが加わり、最高のチームが出来上がり、WBCを駆けあがり、優勝を手中にしました。
栗山監督は「WBCを見て、野球をやろうと思ってくれる子が必ずいる。そのことがすごく嬉しい」と優勝を決めた際のインタビューに答え、野球を介して人が繋がり、子供たちが夢を持つことへの希望を述べていました。
私も、ささやかな経験ですが、かつて少年野球との関りがありました…。コンピュータシステムの開発と言う、結構過激な業界に身を置きながら、子供たちがお世話になっていることから、地域の少年野球等を中心としたスポーツリーグに、コーチ、監督を経て審判等の役割を担い、理事として二十数年間に渡って関わって参りました。システム開発の繁忙期、徹夜明けに始発電車で家に帰り、朝6:00からの朝練のコーチを一時間ほど務め、シャワーを浴び、再び職場に駆け付けるという綱渡りも、少なからず行って参りました。これは身体的にはかなりきつかったのですが、メンタルの切り替えと、リフレッシュ、さらにはコーチングの実践的訓練にかなり効果があったと思っています。さすがに、開発責任者に就いてからは他の方に監督等の役割は担って頂きましたが、今では懐かしい少年野球の子供達との思い出です。
このスポーツリーグからは、メジャーリーグを経て現在広島東洋カープに所属する秋山 翔吾さん等を始め有為な選手たちも巣立っていきました。それに続く少なからぬ少年たちが、今回のWBCの快挙をみて、それを目標に育っていくことを希望したいと思っています。
リコです
私のブログにコメントをくださった方に今、パソコンから、返信をしましたら送れました。
貴方に送ったときは「規約に、同意する」に、チェックを入れなかったようです、
また。パソコンでトライします。
これはスマホから送っています。
貴方の歌風に言及したのは僭越でした。申し訳ありません。
ただ、
解説のときにあなたは、辞書に載ってるのってない、又は有名歌人を引き合いに出されるので、その歌に対する貴方自身の思いが私には伝わりません。
生意気を申してすみませんでした。
「湯中り、水中りが分かる人は、人中りが理解できる」はおっしゃる通りです。
ただ、私が申し上げたいのは「人中り」は日本語の用語として存在しないということです。
従って造語と認識し、また注釈し使用することが必要ではないかと申し上げた次第です。
斎藤茂吉の名歌「逆白波」などは造語として有名ですね。
〇最上川逆白波の立つまでに吹雪く夕べとなりにけるかも
歌語(句語)で辞書にないものはたくさんありますので、その旨承知して詠んでいくことは、私はこれからもありと思っています。
ご指摘のように「水曜サロン」は、諸々の垣根を外し、純粋に「一行の詩」としての短歌のあるべき姿を求めてみたいとも思っています。その意味で決して「正統派の歌人風」でもありませんので…。
これからもよろしくお願いします。
リコです
湯中り、水中りが分かる人は、人中りが理解できると思います。
貴方はよく短歌会でお叱りを受けるかもと言われますが、日本歌人クラブの会員さんの貴方は歌人クラブの歌風を配慮して見えますか?
私は「短歌のある暮し」のモットーで詠んでいますので短歌会の思惑を気にしてません。
私は歌歴10年で気楽に詠んで、余り、句切れや、韻律など考えていません。
特に水曜サロンではより自由に詠んでます。
貴方は正統派の歌人風の短歌ですね。
出詠にお手数をかけ、申し訳ありません。
スマホもiPad 、さらにパソコンも基本的には同様な操作と思いますが、
私はスマホからは投稿したことがありませんので
アドバイスできずにすみません。
なお、二首目の「人中り」は、人流も増えた多くの人の中で「湯あたり」と同様に
気疲れし体調に変調をきたしたことを詠んでおられるのだと思います。その想いは十分に分ります。
ただ「人当たり」「湯中り」「水中り」等はあっても、「人中り」は用語としては
存在しないようです。手元にある広辞苑、国語辞典等でも「人中り」は掲載されて
おりませんので、造語として注釈付きで用いることはありと思います。
結社によっては、お叱りを受けるかも知れませんが挑戦も大切と思います。
これからもよろしくお願いします。
早々に「水曜サロン」へ出詠頂きありがとうございます。
おっしゃるように「バーバーのアダージョ」は、落ち込むほどに憂鬱な曲ですが、
人の死は本来こういうものだと曲を通して主張しているとも言えますね。また、
悼む想いを曲に込めたとも感じてしまいます。
一方、「三大レクイエム」の作曲者の一人であるフォーレのレクイエムは、至福の喜びにも
満ちた開放感を感じさせます。かつて、レクイエムがこんなに明るくて良いのだろうかとも
感じました。作曲家の真意は理解できないですが、死に対する感じ方、理解はそれだけ
振幅が大きいのだと思ったことがあります。
詠歌のように満開の桜に振る、雨のイメージに合っていると感じます。曲に響き合う
詠歌も良いものですね。
なお、在原業平を始め「桜の和歌」を紹介いただきありがとうございました。
水曜サロンに集う皆さんの学びになりますので、今回も含めて次週以降も掲載させて
頂ければと思います。よろしくお願いします。
リコです
パソコンからの内容は
名前は リコ
タイトル リコの文芸サロン
https://blog.goo.ne.jp/risukurumi48
以前は送れた時を参考にこうしましたが。届いていないとは変ですね。何か間違ってますか?
では、スマホから再送します、
○高校の入学祝いを渡したり
われと彼との年齢差六十
孫のいない私は若い人と年を比較することはないので、幼稚園児から知っている子の成長に驚きました。
○三年のコロナ籠もりの解除され
外出おおく人中りする
湯中りは聞きますが、人中りはどうでしょうか
ご指導宜しくお願いします。
リコです。今、パソコンから投稿しましたが、
コメントのURLは不正な書式です。
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映差れませんと
出ました。
コメントは届いていますか
だから、パソコンは嫌です。
涙💧
いつも心温まるコメントを頂きありがとうございます。
おっしゃる通り、WBCの戦いを通じて「喜ぶだけではなく本当に多くのことを学んだ」ことは事実ですね。また、子供たちにとっても大きな希望と目標が出来たことと思います。
fumiel-shimaさんが心ならずも、高校球児を諦めた経緯と無念さは痛いほど伝わってきます。
当時の体育会系の部活はそれほど過激でもありましたので、部活か勉学かの選択が否応なく
迫られた時代でもあったと思っています。でも、その後企業に在って61歳まで
野球現役を貫いたことは誇らしい事と思います。また、朝練のコーチを継続されたことは
子どもたちにとっても幸せな事だったと思いますし、それがその後の交流にも繋がっていると思います。
私も、当時の子供達(今は立派な大人ですが)との交流が楽しみの一つとなっています。
いずれにしましても、fumiel-shimaさんと野球を介してお近づきになれたことは嬉しい限りです。
これからもよろしくお願いします。
お心のこもったコメントを頂きありがとうございました。
少年野球への関わりについては、Kenさんへのコメントにも記させて頂きましたが、子供たちがお世話になっている
チームへのお手伝いと、成り行きから加わったに過ぎませんが…。
私たちの地域でも、サッカーに押されて、野球人口が年々減少していますが、今回の
WBCは野球がこんなに楽しくワクワクさせてくれるスポーツであることを改めて
再認識させてくれました。
夕庵さんは一年前まで、短歌の結社に所属されていらっしゃったとのこと。
長い歌歴に裏打ちされた表現の確かさと、深い想いを軽やかに、かつ華麗に詠う
手並みにはいつも学ばせて頂いていました。「指導」などとは、とんでもありませんよ。
このサロンは皆さんで短歌を介して学び合い、交流し合う「広場」でありますので、
お互いに、遠慮なくおおらかにやって参りましょう。
こちらこそ、これからもよろしくお願いします。
今回のWBCは侍ジャパンの結束と信頼感、そして全員が最後まで諦めずに一つ一つのプレーに集中したことによって2009年以来、14年振りに念願の優勝を勝ち摂りましたが、私たちもそれを喜ぶだけではなく本当に多くのことを学んだような気がしとますね。
栗山監督やポエットMさんが仰る通り、少年たちの心にも大きな夢や希望を与えてくれたと思います。
今、ポエットMさんと少年野球との関りについて知り、嬉しくなりました。
過去の記事で何度か書いてきましたが、子供のころから野球が大好きだった私は高校球児になるつもりだったのですが、「勉学と両立しない・・」という根拠のない説得に負けて高校球児を諦めた経緯がありましたので、社会人になってからは人事異動があっても、またその後の転職後も野球を続け、61歳まで現役で大好きな野球をやり続けました。
私も少年野球と関わりましたが監督の方針に賛同できず別枠で希望者を募って朝練のみを担当し、その少年たちの中学入学を機にコーチをやめました。
今は既に30代半ばを過ぎた子供たちや家族の交流は続いているのは嬉しいことです。
WBCが終わって再び選抜高校野球大会に集中する毎日になりそうです。
そしてその後はプロ野球に・・・と。
WBCの夢の球宴も世界一という結果に終わり、ほっとしている今、この記事を読み、またまた感動しています。長い間野球に携わってこられたのですね。ご子息の応援もあってのことでしょうが、人様の子供を指導することは、並大抵のことではなかったでしょうに、今回の世紀の試合には殊更応援されたことと思います。にわかフアンの私でさえ8時からお昼過ぎまでTVから離れませんでした。
そして今は短歌の指導をされて、私はある結社に席を置いていましたが、退会して1年になったとき、このサイトに遭遇し、真摯な運営に安心して、ポエットMさんのご指導を仰いでいる次第です。
どうぞご忌憚なく辛口の解説をよろしくお願いします。
大切な「海と、山を想う日」の御くつろぎの中、早速にコメント頂き恐縮です。
私が横浜からこちらへ越して来た時、長男から地域の少年野球チームに入りたいと言われ、
それから関りが始まりました。三人の子供たちも兄に続いてチームに加わりましたので、
私も最初はお手伝いのつもりで参加しましたが、コーチ、その後、監督を引き受けざるを
得なくなってしまいました。
当時、未だサッカーチームは少なく、野球・ソフトボールが全盛で市中には160を超える
チームがあり、私たちのリーグにも多いときは30チームを超えるメンバーが集っていました。
先に紹介した秋山選手をはじめ、今、衆議院議員の小泉進次郎さんも小学生時代リーグの
チームの一員として頑張っていました。
仕事も結構厳しかったのですが、子供達との交流も楽しく、また他のチームの監督、
コーチとの付き合いにも学ぶことが多く、仕事以外の週末や空き時間はグランドで過ごす
ことが多かったと思っています。流れで、公認審判員の資格もとり結構はまっていました。
Kenさんから「感嘆と尊敬」等と言われると、恐縮してしまいますが、成り行きから
お手伝いしたに過ぎませんので…。
ただ、こんな仲間たちとの絆から地域のボランティアのイロハを学んだことも事実です。
全文読みました。WBC日本代表が優勝したことへのコメントはともかく私が驚いたことは以下の文章でした。「コーチ、監督を経て審判等の役割を担い、理事として二十数年間」「朝6:00からの~再び職場に駆け付けるという綱渡り」Shouさんの頭の良さは最初から分かっていましたが、まさに文武両道の方だったのですね。まあ知り合った時から尊敬していますが、素晴らしいですね。Shouさんもご存じのように私も過去に熱狂的な阪神フアンでした。今朝はShouさんの過去のご活躍に関して感嘆と尊敬を込めて筆を執りました。