私も、若いときにいろいろな寮の管理人さんと出会った。
通して言える事は、20歳前後の多感な青年に対して、とこでも管理人さんは親と同じ心持を持つと言う事であった。
一つの例えをいえば、・・・ っと、止めておこう出所がばれてしまう。
しかし、同世代の男同士でも、面と向かって言えないことも寮母さんに話して、だいぶ慰められ、元気付けられ、淡い憧れにも似た尊敬の思いを抱いた事は、一度だけではなかった。
東電の寮の管理人さんの、赤裸々な思いが『Asahi Japan Watch』に報じられて、その訳が下記URL に載っていた。
http://blog.goo.ne.jp/tarutaru22/e/af79067082e98f0fd2462204915eb91d
*** 以下 引用 ***
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ある入寮者は「もう規定被ばく量に行ったよ」と言った。 別の入寮者は、「原発事故の処理をしなきゃなんないけど、あるいみ、モルモットみたいだ」といい、62歳の夫人は時々彼らに何と声をかければ良いのか分からなくなる。 「事態が収束したら、それがいつか彼らの強みになる事だけを考えたい」 @@@@@@@@@@
かつて、夫人は完全に言葉を失った事があった。 入寮者が「僕はいつガンが発症するかわからないから、結婚相談所に行ってもきっと一生結婚出来ないと思う。」と。 そんな時、「あなたがどれだけ頑張っているかみんなわかっているよ」と声をかけるしか出来ないと言う。 @@@@@@@@@@
夫妻は涙を浮かべながら、未来のある若者が気の毒だ、と言った。 夫妻の勤める会社は、東電関連会社なので、夫妻は福島第一原発周辺の社員寮で管理人を勤めた。 業務は、寮の管理業務とゴミ処理。 入寮者の問題を聞いたり、忘年会を主催したりもした。 「彼らは皆、自分の子供と同じ」と夫妻は言う。 @@@@@@@@@@
3:11の地震が起きた時、独身寮の階段が壊れた。 「原発に残ってれば良かった」と入寮者が言った。 ご主人は「東電や政府関係者からの説明によれば、原子炉建屋の方が安全なきがした」と言う。 災害時の避難先は最寄りの中学だが、夫妻はTVが映らなかったので被害の規模が分からなかった。 @@@@@@@@@@
夫妻は独身寮に残り、入寮者の帰宅に備えた。 しかし、3/11の夜7時頃、「安全な所へ避難し、窓を閉めて下さい」と公共放送が流れた。 その時夫妻は、原発から放射能が漏れたかもしれないと、一番に思った。 翌日、公共放送から住民に西へ避難するよう指示が出た。 @@@@@@@@@@
ある入寮者が原発から寮に帰って来て「すぐ避難した方がいい。 (原発)施設正門前の放射線量が異常に上がっている」と彼らに言った。 彼らは最終的に、車で30km先の避難所に行った。 その夜TVで、夫妻が車で避難している最中に水素爆発が起きたと報道された。 @@@@@@@@@@
夫妻は恐怖を感じるより先に、入寮者達の顔が目に浮かんだと言う。 東電女性社員と避難所で合流した時に、夫妻の顔を見るなり、彼女は泣き崩れた。 彼女は、原発で先輩が津波に流されたと言った。 その社員は、タービン建屋で破損を確認している時に津波に襲われた。 @@@@@@@@@@
その女性は、腕をのばして先輩に「早くこっちに来て下さい」と叫んだが、先輩は間に合わなかった。 夫人は涙を拭きながら、「現場作業員は、頑張っています。 私達に逃げろと言った入寮者は、3/11非番であったにも拘らず「自分の交代が間に合わないから」と言って原発に向かった」と語った。 @@@@@@@@@@
「入寮者とエリート高官が同罪とは思わない。 彼らこそ内情と向き合うべきだ」と夫人は付け加えた。 夫妻は福島県からの補助金と、老後のための貯蓄で生活している。 夫妻はこの先どれ位、避難が続くが想像付かないそうだが、政府関係者から「時が来れば帰れますよ」とは言われたくないそうだ。 @@@@@@@@@@
原発事故から25年経た今でも、チェルノブイリにはまだ立入り禁止地区がある。 夫人は、「政府は、楽観的な事を言って被災者に将来の希望を持たせたり、原発作業員にプライドをもって働かせるのを辞めるべきだ」と結んだ。 @@@@@@@@@@
*** 以上 引用 終 ***
以上、原文はAJW(Asahi Japan Watch:英文)
http://ajw.asahi.com/article/0311disaster/fukushima/AJ201108176599