ウィキ情報によれば、シソゾー先生は当年とって、65歳と言うことだそうである。 無理して言えば、筆者と同年代ということにはなる。 筆者もとある人々に、若い時代、『センセー』呼ばわりされたことはあったが、あまり心持の良い記憶はない。 アべ先生は、いかなる感覚をお持ちになるのか、お聞きしてみたいような気もする。
さすが、御幼少のころから、お付きの人々に可愛がられ、その幼年期の能力を遺憾なく発揮されている現状を見れば、学問に王道ありということがよく理解できる。
いつのころに、かの高名な平沢勝栄氏が、家庭教師としてご活躍なされたのか、よく知らないが、そのシンゾー先生、≪もし≫という言葉を許してもらえれば、彼が限界集落という田舎村のリーダーであったなら、その能力は大いに村民たちに喜ばれたのではないだろうか・・・。
今、田舎で一番必要な心意気は、有無を言わさず自然は征服するもの、という横柄な思考力が、必要なのだろう。 だが、このような唯我独尊的な思考法が、大都市で用いられた場合、混乱と享楽、退廃と貧困しか、もたらすことは無い。
かの家庭教師、こんな事を教えなかったということは無いのだろうが、我々の年代なら ≪四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。・・≫の、ことわざを知らないはずはないような・・・あるような・?
数えきれないほど投稿で指摘してきたが、縁故政治、世襲政治、近親政治で、一般国民の困窮した生活環境に対する、本来の政治という言葉に値する行政の内容は、何処に置いて来て、政治という喫緊の現実から逃げ回っているのか・・・・。 それとも、世襲であるが故に、現実の社会の歪み、ひずみが眼に入らないとでもいうのだろうか・・・・?
さて、前置きはこのくらいにして、本論。 突然の衆議院解散、総選挙の話題で、町中が、そちらに振られてしまった感はあるが・・・。
カケ、モリ友の国有財産払下げ、国民の共有財産に対する横領、言葉がきつければ≪背任≫という言葉に置き換えてもよいが、その問題を≪選挙と北朝鮮≫の話題の中に、埋没させようとでもいうのか・・・。
近親政治の全体像は、ほとんどのマスコミに把握されている現状の認識を、示唆する人が、身の回りにいないのだろうが、それを、自身が賢く立ち回り、自分で問題を把握せねばならない、・・・だから、バ力なリーダーを選んだ国は、崩壊することになる。
この9月20日の、国連での我がトップリーダーの『アべ先生』の演説、ネット国民に今更言うまでもないが、下の絵のような、ガラガラの国連の議席の状況、拡散しておきます。
昔の鳩山氏の国連演説画像
画像引用元:https://ameblo.jp/tiger-mask-fighter/entry-12312912605.html
何のことは無い、その原因の一つに『オリンピック誘致』の為の演説、『福島の原発発電所爆発の、放射性物質は完全にコントロールされている』、の言質がまったくの想像の産物、福島の死亡率あるいは癌の発生率が、上昇している現状、日本のトップリーダー『アべ先生』は、嘘をウソと認識しているいないにかかわらず、安全サイドに話(演説)を振る、謂わば『目的のためには、嘘でも何でもあり』の性癖が、国際的に認知されたという結論。
そんな人の演説など、誰も聞きぁしない、そんな世間の通念すら、理解できていない、ボンという世襲特有の、ホレホレ育ちだからでしょう。
『人づくり解散』って、官僚が考えたのか、本人が考えたのか知る由はないが、
一般論で考えれば、≪教育≫や≪人づくり≫という事の実践には、まず『嘘をつかない』という世間の中で、リーダーやサブリーダーが、見本を見せて、その背中で人を育てなければならない。
偉い人の言葉を借りれば、≪言って聞かせて、やって見せて、褒めてやらねば人は育たず≫ということなのだろうが、かの勝栄家庭教師は、金儲けの知識だけ、詰め込んだとでもいうのか・・・。
言葉ばかり、嬉しそうに飛んだり跳ねたりしているような、『アベノミクス、ウソ付かない、TPP断固反対、美しい国、1億総活躍、トリクルダウン 』 等々、行く末というか、ベクトルはまっすぐ隷米主義へと集約されている。
言うまでもない、我が国のトップリーダーは、米国の国際金融の掌の中で、踊っているに過ぎない。 もちろん、欧州の金融資本とも、ウォール街は切っても切れない関係があることは、今更である。
立法、司法、行政、と建前は三権分立ということなのだが、司法は人事権と立身出世が絡み、所謂、ヒラメ裁判官ばかりが目につき、行政という立場の官僚は、アホ政治家を掌の中で思いのままに、操っている現実。
どうすれば、政治が正常に機能することが出来るのか、明確な解決法を筆者は、思いつかないが、とりあえず自民党に、過半数あるいは2/3の議席を与えることを、選挙によって防ぐことが、その第一歩ではないかと思っている。
もう一人、最後になったが、世襲の外務大臣も筆者から見たら、思想信条が、自分の都合によってコロコロと変わると云うことも、今更ですが・・・・。
維新の怪やユりコ女史については、論評する価値もないのではないか・・・・・!