国と言う形は、世界各国がそうであったように、日本国内においても時代と共に変わり続けて来た。 現在は『日本』と云う国はほぼ同一民族が住む範囲であり、ほぼ同じような国家感を持ち得ていると言っても間違いではないと思う。 北方4島には、最早ルースキー(ロスケ)しか住んでないかも知れないが・・・ 。
今この国の形が、米国のグローバリズムによって崩壊の危機に瀕しているのではないだろうか。 あるいは、それを世界国家への一里塚と見るか・・・ ?
本来、一個の人体のように維持機能を果たしてこそ、独立自尊を謳うことが出来る『国の形』と言えるのだろう。
『獅子身中の虫』によってか、あるいは『虎の威を借る狐』と云う本来持っている役割以上のことを自分がしようと云う己の欲望のために、『宿主』本来の生命までも奪いかねない事態、そんな状態が今の日本だと断言したいほど、国論と云うか国の進む方向というものを見失った状態となった。
国論の前に、国としての哲学や真実がなく無ってしまったのだろう。
国を形成している細胞(個人)さえもその存在意義を見失っている状態では当然といえば当然であるだろうか・・・ 。
税金の最も重要な役割の一つに、他国から、その国の構成員一人ひとりの命と利益を守ることが有るのだろう。 何も、免疫を太らせる為に税金が納められている訳ではないのだろう。
個人の体に置き換えれば、それが免疫の役割と云うことであろう。 昔、人は食べ物を食べるときに、野菜とか肉片に付いた『バイキン』所謂、外敵も一緒に口にすることが多かった。 そしてそれは、免疫によって排除された。
現在は、食材も無菌に近い状態に水道水で洗い、用いる食器をもその水道水で洗い、それでも気にかかる人は(殆どが?)食材用、食器用を問わず洗剤まで使用する。
人間の体に住み続けた免疫たち、今はだいぶ手持ち無沙汰の免疫の種類も、消滅してしまった免疫もあることだろう。
あるいは、免疫の矛先が自己の細胞に向かう、現在の日本の国内事情のような様相を作り出すものも有ろう。
日本の国に例えて言えば、正式に免疫細胞と言えるのは、自衛隊が筆頭に上げられるだけであるが、そのほか免疫細胞に当たる組織も少なからずあるのだろう。
国民も、国防軍と言える自衛隊に税金を使用することに反対を表明できる人はいないのではないだろうか。 しかし、公務員がすべて免疫細胞かといえば、そうではなく誰とは言わないが、日本の組織を壊す『ガン細胞』になってしまった高級官僚ガン細胞が、目に付き過ぎるようである。
今時、心臓移植の時代であるから、半島から心臓を持ってきて日本に移植しても、騒ぎ出す『免疫群』は、居ないのかも知らん・・・ 。
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