シュルイのブログ「エコ魂」

スケールの大きい小心者のこの私。地球の未来を憂いて早四半世紀。地域活性と持続可能な社会を目指す日々を綴ります。

安さ以外のモノの価値

2023年01月14日 | 持続可能な社会
昨年から(もっと前からだっけ?)様々な物価が上がっているにも関わらず
多くの人々の給料が上がらず、苦しい生活を強いられているという報道を何度となく見ます。

前々から感覚的にモノの値段が上がるのが当たり前だと思っていた。
もちろん、給料もあがるのが前提だけど。
なので、90年代から、日本がデフレになり買い物をする際に値段を重視しすぎる風潮は
ホントにこれで良いのかな~~みたいな感じを持ち続けておりました。

100円ショップ、ファストファッション、最安値を容易に探せるネットショッピング。
安さには飛びつくけれど、値上がりにはとても厳しい社会。
昨今の値上がりは別としても、以前より、例えば天候などの理由で野菜が値上がりすると
ワイドショーやニュースでいちいち大騒ぎすることに疑問を持っていた。
生産者や販売者が気まぐれで値上げしてるわけでもないのに。
報道では「こういう理由で値上げしていますが、買って生産者を応援しましょう」ではなく
「値上げは困る」という消費者の声や、より安いスーパーを紹介するなど
「値上がり良くない、それによってみんなが困る」という印象を与えていないかい?
モノの値段なんて、すべてが時価だろうと思う。

モノには背景がある。
素材そのものや、品質や、どのように生産されたか、どこでどんな人が作っているかとか、流通過程や、歴史あるものなら守るべき意義とか。
だけどまず取り上げられるのは値段なんだよねー。
そこを重視しすぎると、安ければ安いほど良いことのような錯覚に陥ってしまうのではなかろーか。

もちろん、欲しいものが安く手に入るのは良いことだ。
日本は様々な場面で品質もサービスも良く、安価であるというとても良い国なんだけど、
いざ値上げやむなし、という状況になった今。
その良い面に慣れてしまっているのがゆえ、値上げに過剰に反応しすぎなのではないか、と思っている。

お客さんが離れてしまうのでは、と値上げに踏み切れず苦しい経営を続ける企業があったり
企業が儲からないから給料も上がらなかったり、モノの値段を上げられないことによって
むしろ悪いことが増えている気がするのだ。

一方、コロナ禍で「買って応援」とか「食べて応援」というような取り組みもあったり
買い物の指向が、安さを求めるのと対局に上質なモノを選ぶという2極化になったり。
さらにはフェアトレードなど、通常より高くても環境に優しいとか労働者をも守るとかを重視する傾向もあったり。

お金をどのように使うかは千差万別だけど、
その一つ一つが生産者や企業や国など、未来への投資であることを頭の隅に置きつつ買い物をしたいものです。

持続可能な社会が持続可能な平和をもたらす

2022年04月18日 | 持続可能な社会
ついさっき、TVの世論調査で
「ガスや電気料金などの値上がりにつながってもロシアからのエネルギー資源の輸入を減らす必要がある」
と約6割が回答したというニュースを見た。

落としどころがなく長引くと言われているロシアの攻撃に、国際社会の無力さを感じずにはいられない。
とはいえ、中国など協力しない国もあるにせよ、多くの国々がウクライナに支援をしプーチン政権に対抗している。

日本でも様々なものをロシアから輸入しているが、これを見直す機会になっている。
この侵攻の他にも、コロナや異常気象による不作などの影響で世界では色々なモノが不足しているらしい。
木材についても「ウッドショック」という言葉がよく聞かれる。
コロナ禍を脱したアメリカで住宅建設が増え、木材の需要が一気に増えた。
世界的に供給が不足したなかで、ウクライナ侵攻によりロシアの木材が入りにくくなっており、
日本の住宅建設にも大きく影響しているという。

私は、森の事を知ってもらうための「森の楽校」という事業を10年ほどやっている。
小さな任意団体での活動だけれど、今の日本の森について伝えてきた。
日本では戦後、建築材にするため杉やヒノキがいたるところに植えられた。
しかし、その後に安い輸入木材におされ林業が衰退する。
本来ならば「間伐」という間引きの作業をして、残った木を大きく育てる。
間伐をしないと、ヒョロヒョロと細い木ばかりになる。
そしてその細い木さえも、いつまでも切られることなく放置されている。
実際、いつも活動している山だけでなく、ちょっと出掛けた先なんかでも、そのような状態をしょっちゅう目にする。
細い木同士が風で頼りなく揺れて、てっぺんがぶつかり合っていたりして
あぁここもか、と残念な気持ちになるのだ。

エネルギーに関しても、温暖化防止のために再生可能エネルギーを、と言われながらも
日本が本格的にそれに大きく舵を切る事はなかった。
再エネというと太陽光エネルギーや風力発電がよく知られるが
実は世界第3位(!!)の地熱エネルギーを持っている。
これがほとんど使われていないのは、技術がないせいかと思いきや・・・。
アイスランドでは電力は100%自然エネルギーであり、その20%が地熱。
そして、地熱発電のタービンは日本製であるという。
日本で地熱発電が進まないのはその土地が国定公園内だとか
温泉施設に影響が出るのではという懸念から積極的でないとか
掘り当てるまでにお金と手間がかかるとか色々あるらしいが、
そーいうのは「やれない理由」ではなく「やらない口実」だよなぁ。
つい最近、業務スーパーの創業者が事業を進めているというニュースで聞いたので期待が高まる!!
2016年からやってたんですってー。知らなかった-。

これから、様々な食料や日用品が今までのように手に入りにくくなるとよく言われている。
しかし、今まで輸入に頼っていたものを、国産にすれば輸送のコストは削減できる。
日本はこれまで何十年も、安価なものを求めすぎて国内の産業を伸ばす機会を逃していたんじゃなかろーか。

ここに来て、日本の賃金が外国に比べて低いとか、円安がすすんで外国人が日本のモノは安い!と言われるようになるとは驚きだけど
安さを優先するがゆえに輸入に依存してきたのを変えるキッカケになるならば、それは良い事だと思う。

今に限らず、ずっと以前から何かが値上がりする度に大騒ぎで取り上げて
スーパーで客にインタビューし「家計に大打撃」などと報じてきたマスコミにも責任あるよ。
何十円値上げしました、と聞いて文句を言っても、一方で高い家電が流行っていたりして。

様々な理由でモノの値段が変わるのは当たり前の事だし、
値上がりを悪いことのように報道するのは、それを取り扱うお店にとって
値上げを躊躇させてどこかにしわ寄せがきて、結果的には人件費が削られて
給料は上がらないとか悪い循環を生んでいるんじゃなかろーか?

あと、声を大にして言いたいのはモノや資源を大切にしようよ!というコトです。
食べ物が高くなる、と騒がれるけれど捨てられる食べ物も多く、無駄にしている。
「もったいない」という言葉は有名になったけれど、
日本人が本当にモノや資源を節約し、大事にしているかは常々疑問に感じている。

この文章の一番最初に書いたように「値上がりを許容する」という声が多いのは良いことだが
金額の問題だけでなく、節約など自分自身の行動を変えたり、
世界の出来事が自分にはどう関係しているかと考えるのも必要だ。

今回の戦争で、悪事をはたらく国に依存しているリスクがいかに高いかを思い知らされた。

それぞれの国で持続可能な社会を目指すことが、
戦争や危機的状況から私たち一人一人や、未来を担う子どもたちに平和な世界をもたらすのだと思う。

その「おもてなし」、無くても大丈夫ですよ。包装編

2022年01月21日 | 持続可能な社会
日頃「エコじゃないなー」とモヤモヤするコトのいくつかは、
前々から過剰な「おもてなし」のせいではないかと思っている。

容易に思い付くのが、包装。
せっかくレジ袋が有料化になったのに、
スーパーのレジでは店員さんが肉や魚などを薄いビニール袋に入れてくれる。
万一の汁漏れや、冷たいものの水滴がついたりするのを防ぐためなのだという理由だろうけど。
その他にも、歯ブラシなど小さい雑貨も何故かわざわざ一つずつ入れてくれる。
「要りませんよ」と言いたいのだが、素早い動作でささっと入れてしまう。
客が会計済みの商品をマイバッグなどに入れる台に、そのビニール袋があるのだから
本当に必要だとしても、店員さんがやらなくても良いのになぁ。

そのスーパーでは少しだけど花も売っている。
私が欲しかった花は、たまたま1本ずつでしか売っていなくて
いちいち透明のプラスチックシートにくるまれている。
私はそれを2本買ったので、家に帰った時は大きなシートが2枚と、
会計時に下をくるむようにつけてくれたビニール袋が1枚、ゴミになった。
うーーーーむ。
わかるよ、その方が色々便利だというコトも。
でも、売るモノに対してゴミになるモノが、いかんせん多すぎる。
1本ずつではなくて、2本ずつにしたらゴミは半分になる。
1本ずつならば、シートを半分にするなど必要最低限にするとか。

店側の事情や、客に対するサービスも含めた、それまでの慣習なのだろうけど。
持続可能な開発目標、SDGsの12番目「つくる責任つかう責任」は
大量のエネルギーと資源を使うこと見直す項目。
「つくる」生産者と「つかう」消費者の間の輸送や販売でも、責任はある。

キレイに包装することの理由の一つは、見栄えが良いとか持って帰りやすいとか、
客に対する「おもてなし」である部分が大きいと思う。
もちろん、その他の理由があるだろうということも承知の上で。
でも、その「おもてなし」は環境に対してはどうかな?
環境に負荷をかける原因になっているなら、未来の私達にとっては「おもてなし」とは逆のことをしているのでは?

日本は暮らしを便利で快適にするアイディアを生み出すのがすごく得意な国だと思う。
それが「おもてなし」として世界に評価されているけれど
ちょっと過剰ではないか、と感じる事も多い。

その「おもてなし」、無くても大丈夫ですよ。

楽観主義と悲観主義

2021年09月10日 | 持続可能な社会
ジュリーなど、しばしば別のコトが思考のほとんどを占める時があるものの、
私が主に考えているのは「この先、人類は今までのように地球上で生きていけるのだろーか?」というコト。
持続可能な社会であるか、ですね。
今はコロナ禍であったり、今までだって過酷な環境で暮らしてきた人もいるので
現在が理想的な社会ではないのだけど。
とはいえ、人類が繁栄してきた長い歴史を振り返ったら
これまでは自分を含め、地球上の生き物の一つとして不自由のない暮らしが出来てきた。

しかし、近年の自然災害は年を経る毎にひどくなって、
心配なのは「次世代」ではなく「今」になってしまった。

8月9日にはIPCC(気候変動に関する政府間パネル)が
「産業革命前と比べて、地球の平均気温が1.1度上昇している」のは
「人間の活動によって」と断定した。

今までは「その可能性が高い」とかだった気がする。
この気候変動により、猛暑、豪雨などの極端気象が現れるようになってきている。

1.1度というと、「あ、それくらいなの?」と感じるかもしれないが、
人間の体温が、病気になった時にいつもより1度高いとかなり具合が悪いのはわかるだろう。
それが、「平均1.1度」となると、たいがい具合が悪くて、たまに低くなる時もあれば
もっと高くなるときもしょっちゅう、だとするとこりゃたまらんな、と想像できる。

日本の夏も、私が子供のころは気温30度はたまにある程度だったが、
今は珍しくもなんともない。
35度以上の猛暑日も多い。
海外ではイタリアのシチリア島で48.8度だったそう。
暑さによる山火事は世界の各地で絶え間なく起きている。
各地で起こる豪雨や洪水なども、温暖化による海水温の上昇によって海水が蒸発し
雨雲が発達するのが大きな原因なのです。

起こるであろう危機に関して、この先もっとひどくなるだろうと私はかなり悲観していて
それでエコエコ言っているのだけど、
同時に何とかせねば、何とかできるハズだ!と希望を捨てない部分は楽観的なのかとも思う。

環境問題について、捉え方は様々だ。
危機だと感じていても「まぁなんとかなるだろう」とか「そうなったらなったでしょうがないよね」
と思っている人が大半かなぁと何となく感じる。

コロナでもそうだけど、実際、身近に感染した人がいないと
「自分は気をつけてるし、大丈夫でしょ」と思ってしまいがち。
人間ってそういう風に出来ているのかもなぁとも感じる。
危機に対して、みんながずっと心配したり警戒したりし続けてると
ストレスを感じて別の弊害が現れる・・とか。
もしかしたら、そういうワケで温暖化に関しては
「うーん、大変なのはわかってるけど、どうしようもないもんねぇ」と思考停止に陥るのかしら・・・。
どうにかなるだろうという楽観と、個人で頑張っても意味がないという悲観。

私はそこに、なんというか、しつこさがある。
環境問題は常に、なんとかせねばという気持ちがあって衰えるコトがない。
そして、自分のコトを過大評価してはいないが、過小評価もしていない。
ただのひとりの中年女性ではあるが、
何か人々に訴えかけて少しでも持続可能な社会に貢献できるコトはないかと思っているのだ。

今のところ、大して出来てはいないけど。
何かもっと、私にも出来るんじゃなかろーかと何の根拠もなく楽観的に思っている。

考えずにラクしたい

2021年06月19日 | 持続可能な社会
この春から畑のやり方を変えて、野菜が去年より少しは良く育ってきている気がする。
田んぼだったところを借りて今年で4年目なので、
ようやく土が良くなってきて野菜も上手く実るようになってきた時期でもあるかな。

化学肥料や農薬を使わないので「自然農」って言えるのかなぁと思いつつ
自然農とか有機農法とかは、その提唱者とかによって、ある程度「こーいうものだよ」みたいのがあるらしく
それに当てはまってるかわからんなぁ・・・と何となくモヤモヤしていました。
商売にしてるワケじゃないんで、公に言える言葉を探す必要は無いんですけど。

畑に限らず、他の趣味や活動や仕事をやるからには、
極めるなんて大それたコトは出来ないけど、多少は形になってるというか
「こーいう風にやってるんですよ!」と胸を張って言えたら良いなぁと。
その時に明確に「こういう形を目指してる」という目標というかビジョンがあると
自分自身の中で、より頑張れたり、達成感があったり、成長できたりするんじゃないかなー、と。

それがないと、自然とやっつけ仕事になってしまう気がする。
基本的にはズボラで面倒くさがりなので、こうするんだと決めておかないと、結局はいい加減なやり方になるのだ。
やっつけ仕事は、充実していると感じられないので、せっかくやっても面白くない。
面白くないことをしていると「私はなんのためにコレをやってるのかなぁ?」と思ってしまって
嫌になっちゃうんだよなー。

で、話は畑に戻ります。
「循環型農業」という言葉があるんですね。
化学肥料や農薬を使わないのは自然農法や有機農法と一緒かな?
例えば、家庭菜園だったら家で出た生ゴミを堆肥化して使うとか。
使う肥料も、できた作物も無駄にしないしゴミも出ない、とか
まぁものすごくザックリ言うとそんなカンジでしょうか。
合鴨農法なんかも、循環型と言えるそうな。
合鴨が田んぼの虫を食べてくれて、その糞が稲の肥料になる、という風に「循環」する。
あくまでも「私なりの」循環型農業ではあるけど、極力(完全ではない・・)プラスチックを使わない。
黒いビニールマルチとか。
決して使ってる人を批難したいワケじゃなく、せっかく自分でやるなら、のこだわりです。
以前に団体でやっている畑で使っていたのだけど、片付ける時に結構な量のゴミになるんだなぁと感じました。
あとは不織布なんかも、風で破れると小さい切れ端があちこちに散らばったりして後がやっかいなので、
んじゃもう始めっから使わない!
えーと、それと支柱ね。
手伝ってくれた人が持ってきた、人工の緑のやつも数本ありますが、基本的には竹。
あと、竹内孝功さんの本に載ってる「ぐるぐるリレープラン」で
作る野菜を決めてしまうと、春と秋の組み合わせで連作障害を防いでくれる。
これは次に何を植えようかと毎回悩まずに済んでとてもラク。
草や虫の力も活かすやり方なので、「循環」のひとつと言えるかも。
自然農や有機農にも共通する内容も多いだろうから細かい定義にこだわるのもナンセンスかもしれないけど
「循環」というコトバが刺さった。
ぐるぐる回るんだ。
決まったサイクルの中で成り立つ。
昔「ミクロコスモス」という言葉を知った時もときめいた。
密閉された空間の中で、空気と水があり、植物がずっと生き続けている。
小さな動物もいたかな?
バランスが保たれれば、人間が手を加えなくてもその生態系の中で生きて子孫を残せる。

ゴミが溜まることも無い。
過剰なエネルギーの消費で温暖化になることもない。
資源を使い切って無くなってしまったり、
食べ物や水などの必要なものが枯渇することもない。

何十年も前から、環境破壊に対して世界で様々な警鐘が鳴らされてきた。
が、実際には身近で地球環境が変わって困る事はなかった。

季節や場所の差はあれど、この先もずっと便利で快適な暮らしを続けられると、ほとんど誰もが思ってきた。
そして実際そうだった。
今までは。
それはミクロコスモスのようにバランスを保ってきたからではなく、
未来に残すべき資源や環境を、この先の世代から搾取してきたからなのだ。

ここ数年のような異常気象や環境の変化、海にたまり続けるゴミなどが
今まで生きてきた大人が犯した罪の結果だ。
もちろん罪人には私自身も含まれている。
しかし地球上全ての人類が同じではなく、日本のように経済的に裕福な国民はより罪が重い。
国土や人口で言ったら、大国では無いのに
エネルギーの消費量や外国からの食料の輸入量などを見れば
個人的にはつつましく暮らしているつもりでも、
世界の中で環境に負荷を与えている度合いが高いのは明らかだ。

ぐるぐる回ってラクしたい。
このやり方ならこの先もずっと持続できる、という風に。
でも残念ながら、そういう時代はとうの昔に過ぎてしまった。
今はもう負のスパイラルなので、今までのやり方では悪化の一途をたどる。

ならば、大きく方向転換をしなければならない。
国連が採択したSDGs。
持続可能な開発目標。
ゴールとして掲げられた17の目標は2030年までの達成を目指している。
世界で起きている様々な問題を解決する時間はあと9年しかないということか。
いや、2030年のゴールは解決できる時間ではなく、
方向転換をする舵を切るのに要する時間か。
78億の人間が、完全とは言えないまでも足並みを揃えるには時間がかかるだろう。
色々書いたが、私は悲観論者ではない。
17の目標が掲げられて、とりあえずは世界が共通する認識を持ったなら
今までにない成果と言える。
だから、2030年のゴールを期待したい。

この記事のゴールは、書いてるうちに私の脳みそがヒートアップして温暖化して
畑の話から大きく逸れてしまったけれど。

ペットの食べもの

2021年05月20日 | 持続可能な社会

職場で飼っている猫。
餌が残っていても決まった時間になると新しいご飯が出るのが習慣になっていて、残す事がしばしば。
私は残っているのを手に乗せてあげたり、何とか全部食べきるようにさせています。
猫のご飯ゆえ、量的にはほんの少しなので「もう時間が経ったし」とあまり気にせず捨ててしまう人も。

しかし私は元々、「食べ物を捨てるのは罪だ」と思っているし
「世界と地球の困った現実」という本を思い出すと、猫のご飯とて残して捨てるという行為はなるべくしたくない。

日本のような豊かな国と、開発途上国の暮らしがどのように関わっているかを
子どもにもわかりやすく、マンガで描かれています。

その中のひとつに、猫の餌に関する話があり、缶詰の多くはタイから輸入している、と。
原料となるマグロをとるための餌として、バンデンという魚を使います。
バンデンは東南アジアの人達が昔から食べているのですが、マグロ漁の餌で大量に穫られたため、
かなり数が減っているのだそうです。
値段も高くなり、人々は昔のようにバンデンを食べられなくなりました。
猫が悪いのではないし、もちろん、猫を飼っている人が悪いわけでもありません。
バンデンを穫ったり、マグロを穫ったり、缶詰を作って輸出する国はそれが産業となっているし。

でも。
本で読んだだけで、実際の詳しい状況も知らないけれど・・。
これに関わる国々の立場は平等と言えるのかな?
この漁や餌の生産がこの先も続けられる持続可能なやり方になっているのかな?

日本は食糧自給率が低く、その半分以上を輸入しているのだけど
人間だけでなく、ペットの食料さえも似たような状況なのかもしれない。
一時期のマスク不足のように、何かを輸入に依存し過ぎることの危険性もある。
そして輸出している側にとっても、低賃金で働かされたり、
その土地の環境や生態系を壊すなどの問題がある場合も多い。

私たちは何でも手に入る豊かな暮らしが普通過ぎて、それがどこから来ているか
どんな風に生産されているか、なんてほとんど考えもしない。

世界は複雑すぎる。
問題がありすぎる。
私が悩んだってどーしようもないのだけど、考えずにはいられない。
せめて餌を残さないようにお皿を置く位置を変えてみたり、
量を調整したり、遊んでやったり(関係ないか)しています。

それにしても猫はカワイイですね。
自宅で飼う気はないけど。
職場では猫に対してドライだと思われている私ですが動物は好きですよ。
畑の虫だって好きなんだから。
先日だって、ゆずの木にジャコウアゲハの幼虫を見つけてしまったけど、殺せなかった。
だってアイツら、食べられないように鳥の糞みたいな姿なんだよ!!
いじらしい。
そんな生きもの、殺せるもんかい。

生理の貧困

2021年04月20日 | 持続可能な社会
最近、ニュースなどで「生理の貧困」という言葉を度々聞くようになりました。
一ヶ月に使う生理用品って金額にしたらいくらくらいだろう?
それほど高額ではないはずなのだが、これが多く取り上げられるという事は
その背景に様々な要因があるからなのだろうな。
単純に金額の大小の問題として片付けるのではなく、想像力を働かせる必要がありそうです。

まずは「貧困」という言葉から連想しやすいのは「絶対貧困」という状態。
住む家や、食べるものも全然なくて服も古くて・・みたいな。
それに対して最近よく取り上げられるのは「相対的貧困」。
「生理の貧困」より前から「子どもの貧困」や「女性の貧困」などもありましたが、
これらも後者に当てはまる場合が多いのではないかな?

普通に生活しているように見える「相対的貧困」は「本当にそんなに貧しい?」という印象がある。
が、調べてみると「相対的貧困」は
「世帯の所得が、その国の等価可処分所得の中央値の半分に満たない状態。
OECDの基準によると、相対的貧困の等価可処分所得は122万円以下、4人世帯で約250万円以下(2015年時点)」
なるほど。
これは確かに苦しい生活だろうな。
餓死してしまうほどの貧困ではないが、常に苦しい状態だと容易に想像できる。

「生理の貧困」が必ずしも相対的貧困に当てはまるワケではないのかもしれない。
スマホを持ったり、お化粧しているのを見て
「そんなに苦しいなら、スマホ解約して、化粧もやめれば?」という声も聞こえてきそうだが、
実際にスマホ無しに生活するのは不便すぎて支障がある。
化粧も、まれに全くしない人がいたり、してないように見える人もいるけれど
するのが当たり前の年齢の女性にとって、特に高価なもので無い限りは
「我慢すれば?」というのは「貧乏なんだから、容姿なんか気にかける必要ないよ」と言っているみたいで、そりゃひどい。

スマホや食べ物、化粧がほぼ毎日必要なのに対して
生理は基本的には月一回なので、お金が苦しい時は買うのを後回しにしてしまうのかも。
どうしても他のものを優先してしまい、いざ生理が来たときにはお金がなくて買えない・・という感じなのだろうか。

そして、生理の話というのは公にする事は少ないし、男性にはもちろん理解されにくいし
「生理用品が買えない」という事は「極めて個人的な問題」という感覚だったので、
私自身、この言葉を初めて知った時は「へぇ~~~」くらいの反応しか無かった。

しかし、よく考えてみれば、生理になるならないを個人の自由で決められるワケではなく
初潮から閉経まで、ほぼ全ての女性が嫌が応にも直面する現象だと思うと
社会の問題として考えても良いのかなぁ・・・と。

そもそも生理が「恥ずかしいもの」とされてきたのも、問題の一つなのかと思える。
「今、風邪ひいててさ」(コロナ禍であることは別として)というのは普通に言えるけど
「今、生理だから」は、親しい女性だけの間なら言えるけど男性が同席していたりすると
言いづらいというか、言いたくないというか、言っちゃいけない、という雰囲気になると思う。

日本は生理を「穢れ」(けがれ)としてきた歴史があるからなぁ・・と思って検索してみると
これは日本だけでなく、世界的な考え方らしい。

ふーん・・・。なんでだろ?
単純にシモの事だから、というのもあるのかしら。
排泄物、っていう。
そりゃ、きれいなモノではないけどねぇ。
「下痢してます!」とか「痔になりました!」が恥ずかしいのと同じ部分はあるかもしれない。
あと、出るのが「血」っていうのも不吉なイメージとして根付いた、とか?

で、あとそれに加えて「女性特有の現象」なので
女性だけの問題とされて、社会の問題として考えられる事がなかったし
生理用品が買えないだけでなく、生理にまつわる困ったことがあっても
相談しづらく、辛い思いを一人で抱えてる・・。
そんな状況を、「生理の貧困」問題が表面化されることによって、風穴を開ける事になれば良いですな。

子どもの性教育とか、少子化とか、けっこう色んな問題に繋がるんじゃないかと思うんだよね-。

生理用品でエコな話として、布ナプキンとかムーンカップとか、使い捨てでないモノもあるのでオススメしたい。
使用感や用途(出掛ける時なのか、自宅なのか、とか)によって使いたいモノは様々なので
誰にでも勧めたいわけでは無いのですが。

環境に配慮して節約にもなる生理用品を選択肢の一つとして認識してもらえれば幸いでございます。

利他主義な支援

2021年01月18日 | 持続可能な社会
コロナ感染が止まらない。
苦しい中、工夫をこらして飲食店が頑張っている。

三島広⼩路厨房
略して 三島広房!
三島広⼩路を中⼼に展開している5店舗が協⼒して
ミールキットを発売中です。
1箱に各店⾃慢の料理が約2⼈前⼊ってます。
5品×2人前で税込み4320円!

冷凍(毎回かどうかわからないけど)なので、食べたい分だけ食べられるのが便利です。
(と、言っても早めに食べた方が良いようです)

メニューは一月に2回変わり、第1回目のメニューは下記の通り。
パステリア 地中海(ベーコンと⽊の⼦のパスタ用トマトソース)
割烹 登喜和(牛すじ煮込み)
中国料理 麒麟(肉まん)
Pizzeria Bar Diciotto(クワトロフォカッチャ)
Bistro18(海老のビスクスープ)

ご注文は各店に電話、もしくは店頭にて
パステリア 地中海 055-972-3630 􀊢⽉曜定休􀊣
Pizzeria Bar Diciotto 055-973-6699 􀊢⽉曜定休􀊣
割烹 登喜和 055-975-3312 􀊢不定休􀊣
中国料理 麒麟 055-973-1474 􀊢不定休􀊣
Bistro18 055-955-9995 􀊢⽉曜定休􀊣

さっそく買ってみました!
私はマイ保冷バッグ持参で箱要らず。

お総菜を買うと、容器のゴミが増えるのがちょっと気になっていたので、ぴったり入った時は嬉しかった。
まだ全部食べていませんが、相当美味しかったです!

値段を聞くと高く感じる人もいるかもしれませんが、このボリュームと味ならば大満足です。

私たちは「安いもの」を提供されるのに慣れすぎて、内容よりも値段に気をとられがち。
そして原材料や手間やその他、かかる経費を考えずに、
普段「これくらい」と思っている金額より高いと、「でも高いよね」と選択肢からはずしてしまう事も多い。

もちろん、お金の使い方はひとそれぞれで、何を選ぶかは個人の自由なのだけど。
コロナ禍の今、経営が苦しい飲食店や生産者を支援の意味も含めて、
いつもと違う買い物を選ぶのはとても良い事だと思います。

昨年、4月の記事で書いた「利他主義」に通じる。

フランスのジャック・アタリという人が
パンデミックという深刻な危機に直面した今こそ
「他者のために生きる」という人間の本質に立ち返らねばならない、と。
利他主義というのは、他人のために自分を犠牲にしなさいというのではなく
「合理的利己主義にほかならない」そうである。

今、辛い立場にある事業者に対して支援をするのは、色々な意味がある。
その土地に様々な事業者があってこそ、街のにぎわいや雇用や、産業が成り立っている。
それが無くなり、廃れてしまうのは、そこに関わっている人だけでなく
土地の価値や魅力が減ってしまい、そこに住む人々にとっても大きなマイナスになる。

税金を使った支援金ももちろんあるが、対象外だったり足りない場合もあるだろう。
それに、税金は結局未来への借金になる。

とか色々書いてはいるけど経済のちゃんとした知識もないので的外れなコトを書いていたら失礼しました。

今、苦しい人達がいる一方、そうでない人もいる。
前と変わらず仕事が出来ている人は収入が変わらない。
そして出歩く機会が減っているので、むしろお金を使わないのだ。
そうなった時、そのお金をどうするか。

アマゾンでばっかり買い物してて良いのか!?えっどうなんだ?
いや、アマゾンは悪くないけど。私も使うけど。
この、経済が停滞している時に、一定のところばかりに需要が集中するのはいかがなものか、と言いたいワケです。

これもジャック・アタリ氏の言葉。
利他主義という理想への変換こそが人類のサバイバルの鍵である

感染についても、経済についても言えると思う。

今、自分にできる事は何なのか。
まずは感染しないこと、させないこと。
そこは具体的なデータや有効な情報を常に自分の中で更新し、正しい感染予防に努めたい。
そしてそれ以外には?
残念ながら、まだまだこの状況が続く可能性が高いのだから、
やり過ごすのではなく、新しいやり方を模索し続ける事が必須の様だ。

リーダーの重要性

2021年01月08日 | 持続可能な社会
昨日、管首相の緊急事態宣言の記者会見があったが
具体的な対策がほとんど無くて驚くと同時に、まぁやっぱりそんなもんか、と感じた。

何でもかんでも政治が悪いと文句をつけたいワケじゃない。
このコロナ禍においてリーダーが発する政策で多くの国民が動くのだから
動かされる国民である私たちは、それで大丈夫なのかとしっかり見て考える必要がある。
いや、必要だけではなく義務もある。

会見の内容は今まで言っていた事の繰り返しに過ぎず、
記者からの質問で、何かの数値目標(緊急事態宣言を解除するステージⅢにする時の・・だったかな)を聞かれた際に
専門家の意見を聞いて考えます、みたいな事を言っていた。
えーーーーーーー、じゅうぶん予想できる質問だと思うけど!!!
いやーーーーーこの人とその周りの人は危機管理能力がつくづく無いと
このコロナ禍で何度思った事か。

前にも書いた気がするが、危機管理というのは、最悪の事態を想定して対策を立てるのであって、
このままでも何とかなるだろう、と何もせずじっとやり過ごす事ではない。
この何ヶ月かで、例えば保健所の仕事量を軽減させるなどの改革をどれだけやっただろう?
GoToキャンペーンにしても、行き当たりばったりでズルズルやって、切羽詰まって急に止める。
それが、関わっている事業者をどれだけ振り回しているか想像が出来ないのだろうか?

この未曾有の事態に、もちろん完璧な対策はない。
だからこそ、集められる情報を全て集め、対策を立てる。
すぐにうまくいかなくて当然。
だから、いくつも対策をたてる。
AがダメならB。Bだけでは心配なのでCとD。
それがうまくいったらEに移行する。
例えばそんな風に色々なプランを国民に見せて、同じ目標に向かって頑張るように促す。

いくら注意を促しても届かない、一部の若い人に特に気をつけて欲しいと言うならば、
今までと違う、それなりの工夫をしなくては。
若い人が共感を持てる人からメッセージを発してもらうとか。
ただ、気をつけてと言うより、優秀なコピーライターにキャッチコピーを作ってもらうとか。
実際、星野源の歌が強いメッセージを発しているし。
早くに感染者を抑えた台湾のオードリー・タン氏は、ユーモアを交える事も重要だと言っていた。
台湾でも始めの頃、トイレットペーパーの買い占めが起きていて
「おしりはひとつだよ」というメッセージを発したそうだ。
ピンクのマスクしか無くて、学校でからかわれたという男の子のために
エライおじさん達が会見の時に全員でピンクのマスクをしたり。

国会議員や、重要な役割である人達が
「自分たちはこれだけ頑張ってるよ!だからみんなも大変だけど一緒に頑張ろう!」と言える事をして
それをちゃんと伝えるようにして、国民の見本になって欲しい。

特権階級であるかのように、国民に自粛をさせている会食をするよりも
会食は一切しません、でも飲食店を応援したいから、
その代わりにちょっと良いお弁当を会食予定だったメンバー全員で注文しましたよ。とか。
例えば国会議員がそういうのをやって、推進すれば、地方議員も同じようにするんじゃない?
そういう、良い連鎖を作って欲しい。

経済を回さなくては、というのであれば
コロナ禍でも収入が減らない人達が、もっと積極的にお金を使うべきで
それをわざわざGoToキャンペーンみたいに税金を使ったりしないやり方があると思う。

ここまで感染者が増えた今すぐにはちょっと難しいかもしれないが
GoToキャンペーンなら、おひとり様を優遇するとか。
あ、優遇するのもほどほどが良いよね。
GoToキャンペーンはサービスし過ぎだもん。
そりゃ中止しますって言ったらみんなキャンセルするよ。
落差が激しい事はあまりやるべきではないと思う。
みんなが旅行にいける環境ではないし。

「サピエンス全史」の著者のユヴァル・ノア・ハラリ氏がTVで言ってた事。

「人間が世界を支配する力を持てたのは大人数で協力しあえたから。
これは、他の動物にはできないこと」

「ウィルスに対する最大の強みは 他者と協力し合えること」

「歴史学者として言えることは
人間の愚かさを決して見くびってはいけない。人類は幾度となく誤った選択をしてきた」


この事態を乗り越える正しい答えは無いし、人は千差万別だ。
でも感染症という性質上、全ての人々が協力しなければならない。
関係無い、と協力しない人がいたらいつまで経っても拡がり続けるのだ。
そして、金銭的、精神的、体力的に辛い状況に追い込まれている人と、そうでない人がいる。

リーダーたるべき人は身をもって見本を示さなくては。
そうしなきゃみんなついて行かないよ。

変わる勇気と新しいアイディア

2020年12月23日 | 持続可能な社会
新型コロナウィルスの感染拡大が止まらない中、迎える年末年始。
感染が広まりだした2月頃、私も含め多くの人がまさかこんな事態になるとは思っていなかっただろう。
年末どころか夏にはまぁ大丈夫になっているんじゃない?と何となく予想していたと思う。

しかしTVで専門家が過去の事例をあげて言うには
第2波、第3波があり、むしろその方が被害が大きくなる、と。
そして今まさにその通りになっている。

これから例年ならインフルエンザが流行る時期。
コロナ対策のおかげでインフルエンザ患者は少ないものの、ウィルスにとって好都合な季節。
そうなると、考えたくはないが、この第3波を抑えるのは1波、2波よりも難しいのだろうか?

いずれにしろ当初の予想に反して長引いているのだから、
本来ならばより気を引き締めるべきなのだが、人の不安はそう長くは続かない。

人が不安を感じる長さ、どれくらいだと思います?

4週間ですって。

短い!!!!!!

でも納得。
1波が来て、3月末に志村けんが亡くなって一気に危機感が高まり
4月に緊急事態宣言が出て、ゴールデンウィークが終わる頃は感染者数も減り
緊急事態宣言も解除された。
色々な要因がちょうど重ね合わさってはいるが、4週間・・まぁ1ヶ月ちょいで
日本では安堵感が広まったと思う。
慣れもある。

その後の第2波、今の3波の方が感染者数は増えている。
検査数が増えているから感染者数も増えるよね、と感じるかもしれないが
死亡者数は12月の方が多い。

だから気を緩めて良い要素はないのだが、第1波の頃の何やらわからない恐怖は無くなり、
感染者や死亡者数が増えようとも、最初の様な不安は感じなくなっている。

とは言え、不安を持ち続けては精神的に参ってしまうので、それはそれで良いのかもしれない。

重要なのは 有効な対策をする事。

先日、職場の忘年会が行われたが、リモートだった。
ちょっと良いお弁当と缶ビールが配られ、リモートでの挨拶や乾杯。

お弁当を食べ終えて、ちょうど良い具合にお腹いっぱいだと思った時に
かつて居酒屋で開催した時の大量に余った料理を思い出し、
食べ残しが出ないのは良いコトだなぁと感心した。
容器のゴミ問題はあるんだけどね。

仲間うちでの飲み会も、リモートで参加してみた。
感染のリスクを全く感じずに楽しめて良かった。

しかし、飲食店はじめ、コロナで大変な業種の支援する事も重要だ。
持続化給付金も助かるだろうけど、他にも色々するべき事はあると思う。
飲食店ならば、一人一人を仕切るアクリル板や、換気のためのサーキュレーターを、
店まかせではなく国や自治体が設置するとか。
5人以上の会食は控えて、というよりも、お一人様へのサービスを充実させるとか。

管総理が会食をして国民は呆れている。
「誤解を招いて」という反省にならない発言をしていて、
まったくお偉いさんは本当に「変わる」という事が出来ない人種だなぁ。

しかし、全国民が全く会食をしないのが最善では無い。
だからしっかりと反省した上で、こういうやり方ならば会食でも感染予防が出来ますよ、という発信をするのも1案だと思う。

例えば富岳でのデータを基に、感染予防に理想的なお店のモデルの具体的な対策をひとつひとつ紹介し、
広さなどで全く同じ対策は無理でも、他の店でも取り入れられるようなやり方を教えて
必要な物品があればどこで手に入れられるかという事まで伝える。
あるいはさっきも書いたけど、国や自治体が必要な設備を設置したり、指導したりする。
その上で、「会食が必要な時は、こういう店を最大でも4人までで使っていますよ」と発信して、経済を回す手助けをする。
「5人以上がダメとは言っていない」などというしょうもない言い訳よりも
考えられる事はいくらもあると思う。

感染予防に理想的な営業の仕方を、と言っても飲食店の業態も様々でやりやすい、やりにくいと色々だろう。
だから全て同じ対策は出来ないけれども、例えばバーならバーの人同士で、
うちはこんな風に対策してますよ、というアイディアを共有するサイトとかあったら良いなぁ。
張り紙の文言や、ついマスク無しで話に興じてしまうお客さんには、こんな風に声をかけてますよ、みたいな小さな事でも。

新しい生活様式、から1歩進んで、本当に有効な感染予防としての生活様式。
みんなでアイディア出し合って、「わかっちゃいるけど、面倒くさいなー」とか「言いにくいなー」から
勇気を持って脱し、実行する事が大事だと思う。