シュルイのブログ「エコ魂」

スケールの大きい小心者のこの私。地球の未来を憂いて早四半世紀。地域活性と持続可能な社会を目指す日々を綴ります。

その「おもてなし」、無くても大丈夫ですよ。包装編

2022年01月21日 | 持続可能な社会
日頃「エコじゃないなー」とモヤモヤするコトのいくつかは、
前々から過剰な「おもてなし」のせいではないかと思っている。

容易に思い付くのが、包装。
せっかくレジ袋が有料化になったのに、
スーパーのレジでは店員さんが肉や魚などを薄いビニール袋に入れてくれる。
万一の汁漏れや、冷たいものの水滴がついたりするのを防ぐためなのだという理由だろうけど。
その他にも、歯ブラシなど小さい雑貨も何故かわざわざ一つずつ入れてくれる。
「要りませんよ」と言いたいのだが、素早い動作でささっと入れてしまう。
客が会計済みの商品をマイバッグなどに入れる台に、そのビニール袋があるのだから
本当に必要だとしても、店員さんがやらなくても良いのになぁ。

そのスーパーでは少しだけど花も売っている。
私が欲しかった花は、たまたま1本ずつでしか売っていなくて
いちいち透明のプラスチックシートにくるまれている。
私はそれを2本買ったので、家に帰った時は大きなシートが2枚と、
会計時に下をくるむようにつけてくれたビニール袋が1枚、ゴミになった。
うーーーーむ。
わかるよ、その方が色々便利だというコトも。
でも、売るモノに対してゴミになるモノが、いかんせん多すぎる。
1本ずつではなくて、2本ずつにしたらゴミは半分になる。
1本ずつならば、シートを半分にするなど必要最低限にするとか。

店側の事情や、客に対するサービスも含めた、それまでの慣習なのだろうけど。
持続可能な開発目標、SDGsの12番目「つくる責任つかう責任」は
大量のエネルギーと資源を使うこと見直す項目。
「つくる」生産者と「つかう」消費者の間の輸送や販売でも、責任はある。

キレイに包装することの理由の一つは、見栄えが良いとか持って帰りやすいとか、
客に対する「おもてなし」である部分が大きいと思う。
もちろん、その他の理由があるだろうということも承知の上で。
でも、その「おもてなし」は環境に対してはどうかな?
環境に負荷をかける原因になっているなら、未来の私達にとっては「おもてなし」とは逆のことをしているのでは?

日本は暮らしを便利で快適にするアイディアを生み出すのがすごく得意な国だと思う。
それが「おもてなし」として世界に評価されているけれど
ちょっと過剰ではないか、と感じる事も多い。

その「おもてなし」、無くても大丈夫ですよ。