PRINCOの今日のパチパチ
Sidosso Princoちゃんの思わず拍手パチパチ記録
 



台風18号という嵐が明日関東にやってくるのですが、時を同じくして平和台「浜あげ」さんにアラシ隊員がやってくるという、、、、。パチパチ!
円東寺には、史跡めぐりの方が20名ほどやってくる予定で、お話も頼まれているのですが、暴風雨の中、本当にくるのかしら?(失礼^^;!)


市野谷天神社の力石(ちからいし)が一個無くなっている!!


ちょうど今、流山市立博物館で企画展「流山の地名を歩く」をやっているので、その展示に出されているようです。
この力石に“一ノ谷村”と彫ってあるので「市野谷」は元々「一ノ谷」では無かったのか?とも言われておりますが、さて!?
私個人は坊さんという事もあって「漢字は略されるものだ」という考えが強いのです。漢字からカタカナを生み出したのも僧侶だし、○歳を○才としたり、フォントが無いので書けませんが、仏教界は略字だらけです。もっとも、現在常用漢字とされているものも略字だらけですけど。
そんな訳ですから、市野谷を一ノ谷と略したのではないかな、と私は勝手に思っているのですが、、、、。もちろん一ノ谷も、二ノ谷もあったのかもしれませんし、大和言葉に無理矢理漢字をあてるのもよくあることですので、「いちの」という言葉に「市野」を充てたのかもしれません。博物館の方がどういうコメントをしているのか興味があります。

とまれ、力石って、見ているだけで当時のことが偲ばれます。娯楽が何もない時代に、村の若い衆が力比べで相撲をとったり、力石を持ち上げたりしたのでしょう。当時の男たちの汗と脂と涙、娘たちの歓声や嬌声が確かにしみ込んでいるのです。由来を知らない人から見れば、ただの石ですが、徒やおろそかにはできません。もっとも、そこらへんに転がっている小石だって、何万年もの歴史の生き証人なんですけどね(^^;)

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )