読書日和

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「聖夜」佐藤多佳子 -再読-

2019-01-21 23:28:17 | 小説


今回ご紹介するのは「聖夜」(著:佐藤多佳子)です。

-----内容-----
学校と音楽をモチーフに少年少女の揺れ動く心を瑞々しく描いた School and Music シリーズ第二弾。
物心つく前から教会のオルガンに触れていた18歳の一哉は、幼い自分を捨てた母への思いと父への反発から、屈折した日々を送っていた。
難解なメシアンのオルガン曲と格闘しながら夏が過ぎ、そして聖夜――

-----感想-----
※以前書いた「聖夜」の感想記事をご覧になる方はこちらをどうぞ。

クラシックを中心にコンサートをよく聴くようになった今読むと以前読んだ時とは受ける印象が変わりました。
語り手は高校三年生の鳴海一哉です。
幼稚園、初等部から高等部、さらに大学まである私立のキリスト教系の学校に通っています。

メシアンという現代音楽の作曲家は、音を色として感じるそうだ。なんとなく、ぼんやり、という感覚ではない。音楽を聴きながら、鮮明な色のイメージと変遷が脳内に起こる。
これは音楽をよく聴くようになった今、興味深くて気になりました。
またコンサートでも演奏者がトーク中にオリヴィエ・メシアンの名前を出したことがあり、この作品のことが思い浮かびました。

冒頭、6月のある日一哉は毎日礼拝が行われるJT講堂という場所で二年の天野真弓のオルガン演奏を聴きます。
一哉は天野の弾くオルガンの音に興味を持っていて、二人ともオルガン部に所属していて一哉は部長をしています。
また一哉は一年のうちからどの先輩より弾けたとありかなりの実力者なのが分かりました。
「エリザベト音楽大学同窓会 佐伯区支部 第9回ハートフルコンサート」「広島女学院 第22回クリスマスチャリティーコンサート」でパイプオルガンの生演奏を聴いた今、オルガンを演奏する場面がとても興味深かったです。

一哉は父が牧師、母が元ピアニストで、記憶のない頃からピアノやオルガンを触っていました。
オルガン部の他に聖書研究会にも入っています。
「俺はキリスト教を信仰していない。それでも、こんな学校にいる以上は宗教のど真ん中にいてやろうと思っている。」とあったのがひねくれた考えをしているなと思いました。
また自身を「揚げ足取りの名人」と表現していてやはりひねくれていると思いました。
ある日聖書研究会の集まりが終わるとオルガン部でも一緒の二年の青木映子が声をかけてきて、オルガン部に音大から先生が教えに来ることになる噂があると言います。

一哉の父が神父を務める教会は世田谷の住宅街にあります。
一哉の母の香住(かすみ)はドイツ人の男と出会い一哉が小学五年の夏に家を出て行きました。
香住が家を出てから半年くらいピアノもオルガンも弾かなくなっていたとありショックの大きさが分かりました。
一哉は父と母への気持ちを次のように語っていました。
母に通じることの全てに背を向けてピアノもオルガンも封印し、父に通じることも拒否して宗教からできるだけ遠ざかるようにすれば、楽なのだろうか。心の平安が得られるのだろうか。
母だけでなく、一哉が何かを話しても神父としての言葉しか言わない父にも嫌な気持ちを抱いていました。

音大のオルガン科の大学院に通う24歳の倉田ゆかりがコーチとしてやって来ます。
一哉は一人の女性を初めて見る時この女は俺を裏切るのかと思うようになったとあり、母が家を出ていったのは一哉の性格に大きな影響を与えていました。
それでも一哉は倉田を「自分より格段に技術のある演奏者」と評していて、認めているのが分かりました。
ただ倉田が自身を先生ではなくコーチと呼んでと言っても一哉だけ頑なに呼びたがらず、やはりひねくれていました。

倉田コーチが9月末の文化祭でコンサートをやろうと言います。
すると部員達が歓声を上げ、やはり音楽をやっている人にとってコンサートを開催できるのは嬉しいのだなと思いました。
コンサートをよく聴いている今読むと嬉しさが胸に迫ります。
一哉はオリヴィエ・メシアンを弾きたいと言い、倉田コーチは「すごいね。それは、すごいチャレンジだわ」と驚きます。
一哉は9歳の時に母が弾く『主の降誕』を聴いてそれがとても印象に残っていました。
倉田コーチが曲を何にするかを聞くと一哉は「『主の降誕』から、『神はわれらのうちに』」と答え、その『神はわれらのうちに』が母の演奏で印象に残った曲でした。
それぞれの部員が弾く曲も決まり、三年で副部長の渡辺がフランクの小品(しょうひん)、青木がメンデルスゾーン、天野がバッハ、一年の北沢が結婚行進曲になり、オルガン未経験の新入部員もごく短い曲を弾きます。
一哉は心の深いところからメシアンの名と曲が浮かび出てきたと胸中で語っていて、嫌な気持ちが胸を浸したともありました。

曲決めの時、倉田コーチが『神はわれらのうちに』を一度弾いてくれました。
メシアンで卒業論文を書いたとありましたが、そんな難しい曲をすぐに弾けるのはそれだけ上手い演奏者だということです。
またコンサートをよく聴くようになって大学の上級生や大学院生がどれくらい上手いかが分かるようになってきて、倉田コーチが上手い演奏を見せている様子が思い浮かびました。
一哉の呼び方が「倉田コーチ」に変わったのも印象的でした。

中学二年の夏前、一哉は父に「神が信じられなくなった」と言います。
一哉は教会の礼拝のオルガン演奏をしていましたが、父は神に捧げる音楽だから信仰がないと届かないので、オルガンはもう弾かなくて良いと言います。

一哉が毎日の日課で祖母にオルガンで弾いてあげている曲にムソルグスキーのピアノ曲『展覧会の絵』が登場しました。
ELPというロックバンドのキーボード奏者キース・エマーソンという人がこの曲を元にロックの曲を作り、一哉はそのロックの曲がかなり印象に残っていました。

7月になり夏休みになります。
自主練で一哉は天野の演奏を見て努力をしても手に入らない天性の才能かも知れないと思います。
そして天野に「生まれながらの演奏者」だと言い、自身の周りでそう思えるのは天野だけだと言います。
一方の天野も一哉の演奏を次のように言います。
「鳴海さんは、ただ、うまいっていうんじゃなくて、ずっとオルガンと暮らしてきたみたいな、すごくオルガンと親しいみたいな、オルガンでなんでもできるみたいな感じがするんです。自由な感じがするんです」
この二人は音楽家の素質のある人同士が引かれ合っているように見えました。

一哉は『神はわれらのうちに』を弾くと思い出したくない記憶が呼び起こされ、「どうも、メシアンのこの曲は危ない」と思っていました。
そして封印していた最悪の記憶を思い出します。
母が父と離婚してオリバー・シュルツというドイツ人と一緒にドイツに行くから一哉も一緒に行こうと言います。
一哉は衝撃を受け「その夜、突然、俺の世界が壊れた。」とあり、さらに次のようにありました。
十歳の俺は、あの夜、「罪」というものを初めて知った。

9月になり一哉は思うように弾けなくて苦しみます。
また「俺は、すべての音が、音符として聞こえる。」とあり絶対音感を持っていることが明らかになります。
そして音楽に関わる時に意外と感情をオープンにしていなかったことに気づき、もっと喜怒哀楽に身を任せても良いのだと思います。
一哉は『神はわれらのうちに』における自身のキーワードを神と母と考え次のように語ります。
信じられない神と、思い出したくない母。負のダブルだ。無理だ。弾けない。やっぱり、この曲は弾けない。
コーチも部員も非常に難しい曲をスムーズに弾けるようになった一哉を褒めてくれていましたが、一哉自身は演奏の出来に納得していませんでした。

文化祭になります。
ELPの『展覧会の絵』がきっかけで話すようになった深井という男子が一緒に文化祭を抜け出さないかと言います。
一哉は14時からオルガン部の発表会がありますが深井と学校を抜け出してしまいます。
深井が「おまえさ、自分で気づいてないみたいだけど、めちゃめちゃ音楽のセンス、あるんじゃないの?」と言っていたのが印象的でした。

深井と『アンバー』という凄く上手いアマチュアバンドのライブに行きます。
ライブ会場は新宿歌舞伎町の裏通りのビルの地下にある飲食店で、『アンバー』が登場するのは22時過ぎ頃です。
一哉は心配しているであろう家族、すっぽかした発表会のことが頭をよぎりますがそのままコンサートを聴きます。
二人はコンサートの後にキーボードの笹本さんと話すことになり、話を聞いて一哉はELPのキース・エマーソンのオルガンにナイフを突き刺すパフォーマンスに昔から抱いていた嫌な気持ちが解消されすっきりします。

次の日の朝、一哉が家に帰ると父と祖母が飛び出してきて二人とも凄く心配していました。
その夜、普段は神父としての言葉しか言わない父と胸を開いて話をします。
一哉は母のことについておよそ父らしくない生身の人間らしい感情を見せてもらって嬉しいと胸中で語っていました。
母の新たな事実も明らかになり、母について初めて希望が持てるものでした。

オルガン部のみんなには顧問の先生、倉田コーチを始めとして全員に一人ずつ謝りに行きます。
天野に謝ると次のように言います。
「いつか……。いつでもいいです。鳴海さんが、納得できるようになった時に、あの曲、聴かせてくださいね。私、本当に聴きたかっ……聴きたい!」
これを聞いた一哉は
聴きたかったと過去を責めるのをやめて、聴きたいと未来の希望を述べた。
と語っていて良い言葉だと思いました。
そして天野にクリスマス・コンサートでは何を弾くのか聞かれ、今度こそ『神はわれらのうちに』を弾くと答えます。
この小説はここからの明るい雰囲気が素晴らしかったです
一哉の言葉もそれまでとは変わって素直になります。

倉田コーチが交渉をしてくれて、学校敷地内にある学校本部の礼拝堂のパイプオルガンで二時間練習できることになり、普段は電子オルガンでの練習なので部員達は喜びます。
パイプオルガンは鍵盤を弾くことによりリコーダーに息を吹き込むように風を送ってパイプを振動させて鳴らす楽器とのことです。



(パイプオルガン。写真は「広島女学院 第22回クリスマスチャリティーコンサート」にて。)

パイプが長いものほど音が低いとあり、これはヴァイオリン属の楽器が大きくなるほど音が低くなるのと同じだと思いました。
パイプオルガンは世界中で一つも同じものはないと言われているというのも興味深かったです。
仕様が同じでも置いてある場所によってまるで響きが違うとありました。

天野のパイプオルガンの演奏を聴いた一哉は「音が生きている!」と感じていて印象的な言葉でした。
そして天野は一哉を探して目が合うと笑顔になり、一哉は「そう、花が咲くように笑う子だ」と表現していてやはり二人は引かれ合っていると思いました。
一哉も『神はわれらのうちに』を弾き、弾き終わると部のみんなが笑顔になってくれたのを見てクリスマス・コンサートはちゃんと弾こうと改めて決意します。

『神はわれらのうちに』には両手鍵盤と足鍵盤が全てリズムが違う場所があるとあり、コンサートで右手と左手で全く違うリズムで弾いているのを見て凄く難しいと思ったのに、さらに足鍵盤のリズムも違ったらとてつもなく難しいと思います。
深井とは「一緒にこれからも何かつながっていたいような気はする。」とあり、友達を作ることに興味のなかった一哉がこう思うのはかなりの変化だと思いました。

クリスマス・コンサートが明日に迫ります。
一哉はパイプオルガンを使ってのリハーサルで天野のことを「オルガンを介して、言葉では表現できないようなつながりが、俺たちには何かあるのだろう。」と胸中で語っていました。
そして一哉も『神はわれらのうちに』を弾きます。
このオルガンが弾けてよかった。
このオルガンを聴けてよかった。
この曲をやってよかった。

思うように弾けなくて苦しんだ末の、万感の思いの言葉がとても印象的でした。


オリヴィエ・メシアンの『神はわれらのうちに』の他にもムソルグスキーの『展覧会の絵』、さらにバッハやメンデルスゾーンなどクラシックの曲がいくつも登場したのが興味深くて聴いてみたくなりました
中でも『神はわれらのうちに』の両手鍵盤と足鍵盤が全てリズムが違う場所はどんな音色なのか興味深かったです。
そして今回この作品を読んで、途中で暗くなったりしながらも終盤になると一気に明るくなってフィナーレに向かうのはまるでクラシックの名曲のようだと思いました。
一度は『神はわれらのうちに』を弾きたくなくなっていた一哉が最後はこの曲をやって良かったと思っていたのが嬉しかったです


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「響け!ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部へようこそ」武田綾乃

2019-01-07 23:09:19 | 小説


今回ご紹介するのは「響け!ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部へようこそ」(著:武田綾乃)です。

-----内容-----
北宇治高校吹奏楽部は、過去には全国大会に出場したこともある強豪校だったが、顧問が変わってからは関西大会にも進めていない。
しかし、新しく赴任した滝昇の厳しい指導のもと、生徒たちは着実に力をつけていった。
実際はソロを巡っての争いや、勉強を優先し部活を辞める生徒も出てくるなど、波瀾万丈の毎日。
そんななか、いよいよコンクールの日がやってくるーー。
少女たちの心の成長を描いた青春エンターテインメント小説。

-----感想-----
中学校生活最後の吹奏楽コンクールのプロローグで物語が始まります。
語り手は黄前(おうまえ)久美子で、久美子の中学校は金賞を受賞します。
「金は金でも関西大会には進めないダメ金(金賞を受賞した学校の中から関西大会に進む学校が選ばれる)」とありましたが、金賞を受賞できたことに生徒達は盛り上がります。
しかし麗奈という子だけが涙を流しながら「悔しい。悔しくって死にそう。なんでみんな金賞なんかで喜べんの?アタシら、全国目指してたのに」と言っていたのが印象的でした。



久美子は京都府立北宇治高校に進学します。
入学式の校歌斉唱の時久美子は吹奏楽部の演奏を聴いて酷い演奏だと思い、これなら入部はやめようと思います。
また新入生代表の挨拶は高坂(こうさか)麗奈で、プロローグに登場した久美子と同じ吹奏楽部だった人でした。

久美子が教室に入り席に着くと隣の席の加藤葉月が話しかけてきます。
担任は松本美知恵という恐いベテランの音楽教師で吹奏楽部の副顧問をしています。
松本先生がクラスの名前の確認をした時、川島緑輝(サファイア)という名前の子がとても印象的でした。
緑に輝くと書いてサファイアは完全にキラキラネームだと思いました。
本人が恥ずかしがっていたのも印象的でこの名前は嫌だろうなと思います。

高校最初の一日が終わり久美子は葉月と話します。
葉月は中学はテニス部でしたが高校では吹奏楽部に入るつもりだと言います。
サファイアも話しかけてきて吹奏楽部に入るつもりだと言い、自身のことは緑と呼んでと言います。
緑は私立の聖女中等学園出身で、そこは吹奏楽部の超強豪校です。
緑はコントラバスの奏者、久美子はユーフォニアムの奏者でどちらも低音の楽器です。
二人の話を聞いて葉月が「ふうーん。うちはやっぱ派手な楽器がやりたいなあ。トランペットとか、サックスとか」と言っていたのはよく分かりました。
ヴァイオリンやフルート、トランペット、サックス(サクソフォン)などは高音の派手な音が出るので人気になると思います。
緑も吹奏楽部の演奏は下手だと思っていますがとにかく楽器ができたら良いと考えています。
緑も葉月も吹奏楽部に入ると言い、どうしようか迷っていた久美子は二人に流される形で入部することにします。

久美子が最寄り駅の京阪宇治駅で降りて歩いていると幼馴染みで同じ北宇治高校に入った塚本秀一が話しかけてきます。
熱心に話しかける秀一と冷たくあしらう久美子の掛け合いが面白かったです。
秀一も久美子が入るなら吹奏楽部に入ると言います。

吹奏楽部への入部希望者が音楽室に集められ、部長やパートリーダーなどが挨拶をして楽器の紹介をしていきます。
部長は小笠原晴香(三年生)でバリトンサックスの奏者、副部長と低音パートリーダーは田中あすか(三年生)でユーフォニアム奏者、トランペットパートリーダーは中世古(なかせこ)香織(三年生)です。

久美子はどの楽器にするかで悩み、あすかと緑に流されて中学校時代と同じユーフォニアムをやることにします。
緑は本人の希望で中学校時代と同じコントラバス、葉月はトランペットを希望しますが定員オーバーでチューバになります。

やがて顧問の滝昇先生がやって来ます。
滝先生は今年から北宇治高校にやって来た音楽教師で、生徒の自主性を重んじるので生徒達の手で今年度の目標を決めてほしいと言います。
そして生徒達が本気で全国に行きたいと思うなら当然練習も厳しくなり、大会に出場して楽しい思い出を作るだけで充分ならハードな練習は必要なく自身はどちらでも良いと考えていると言います。
北宇治高校の吹奏楽部は多くの生徒が練習を真面目にせず演奏が下手な状態ですが、表立って「大会に出場して楽しい思い出を作るだけで充分」とは言いづらいようで、多数決の結果全国大会を目指すことになります。
その多数決で一人だけ「京都大会で満足」に挙手をしたのが斎藤葵で、葵は久美子の家の近所の家に住む二つ年上の人です。
久美子がなぜ「京都大会で満足」に挙手したのかを聞くと「辞めるときにさ、意見は前から伝えてましたって言えるやん」と言っていました。
周りが全員全国大会を目指すほうに挙手している中で一人だけ「京都大会で満足」に挙手するのは勇気の要ることで、周りに流されがちな久美子との対比が印象的でした。

低音パートの練習が始まり、あすかの他にはチューバの長瀬梨子と後藤卓也、ユーフォニアムの中川夏紀(いずれも二年生)がいます。
吹奏楽部は三年生が35人、二年生が18人、一年生が28人で、二年生が少ないのはなぜなのかと緑が聞くと後藤が「一年生が気にすることない。知らなくていい」と言い険悪な雰囲気になります。

その帰り道に秀一が久美子に声をかけ、北宇治高校の吹奏楽部は嫌な感じだと言います。
秀一が今の三年生は晴香、あすか、香織といった特例を除いて全然練習しなくて、それが原因で練習をしようとしていた二年生と大揉めになり、何人もの二年生が吹奏楽部を辞めたことを話します。

毎年5月は「サンライズフェスティバル」という京都にある各高校の吹奏楽部が太陽公園を演奏しながら歩くパレードが行われ、まずそこを目指します。
曲はビートルズの「キャント・バイ・ミー・ラヴ」を演奏することになります。
初の合奏が行われますがそれぞれの楽器の音が全く合わずに滝先生に途中で止められて酷評されます。
滝先生の言い方は丁寧ですが凄まじく、パートによっては全く練習せず雑談していたのもばれていました。
滝先生からは次の合奏までにパート練習で合奏ができる状態にしておけと言われます。

その帰り道、久美子と秀一が滝は実力があるのかと言っていると突然後ろから激怒した麗奈があるに決まってるだろと言ってきます。
麗奈も吹奏楽部に入部し楽器は中学校時代と同じトランペットになりました。

次の日久美子がパート練習室に行くと滝先生が来ていました。
滝先生の指導はかなり上手く、次の言葉が印象的でした。
「音程というのは合わせるのがとても面倒ですが、美しい演奏はこの音程を無視してはできあがりません。超絶技巧を見せつけるだけが演奏ではないのです」

吹奏楽部が合奏の前に「チューニング」をした場面も印象的でした。
演奏者達が一斉に同じ音を出してその高低差を調節するもので、昨年の秋からクラシックを中心によくコンサートを聴いた私は演奏者達がチューニングをするのを何度も見ました。
今まで書いた記事では「音鳴らし」と書きましたが正式にはチューニングと呼ぶのかと思いました。

二度目の合奏ではどのパートも大幅に上手くなり滝先生は及第点だと言います。
この日まで滝先生は全てのパートの指導を行い、かなり手厳しいことを言われたパートもあり泣きながら楽器を吹く生徒もいたとありました。

サンライズフェスティバルが来週に迫りパレードで着る衣装が配られた時、スーザフォンという楽器が登場しました。
移動しながら演奏するにはチューバはあまりに重いため奏者の負担を減らすために作られたのがスーザフォンとあり、スーザフォンは知っていましたがそのことは初めて知りました。

サンライズフェスティバルの日を迎え、北宇治高校のパレードが始まると下手なはずだった演奏が上手いことに観客が驚きます。
さらにパレードの前に麗奈が個人でのチューニングをしていた時、その演奏のあまりの上手さに北宇治高校も他校も皆が演奏を止め麗奈のほうを見て辺りがしんとなる場面がありました。
麗奈は全国最強級の抜群の演奏力を持っています。
またサンライズフェスティバルには立華(りっか)高校という私立の超強豪校がやってきます。
立華高校はアメリカ海軍の中尉だったチャールズ・ツィマーマン作曲の行進曲「錨を上げて」を演奏していてどんな曲なのか気になりました。

立華高校には梓という久美子の中学校時代の同級生がいて二人で話をします。
梓が麗奈は立華高校から全額免除の話をもらっていたと言い、それなのになぜ北宇治高校に行ったのか気になりました。

中間テストが終わりいよいよ京都府吹奏楽コンクールに向かっていきます。
課題曲と自由曲が決まり、課題曲は堀川奈美恵さんという架空の人物が作曲した「三日月の舞」、自由曲はナイジェル・ヘスさん作曲の「イーストコーストの風景」(実在する曲)になります。
初心者10人を除いた71人のうち京都府吹奏楽コンクールでA部門に出場できるのは55人です。
全国大会まで行けるのはA部門で、小編成の学校や人数の多い吹奏楽部でA部門に入れなかった人達などが出場するB部門は全国大会への道はないです。
誰をA部門で演奏させるかについて滝先生は北宇治高校の慣例の「年齢順」を止めオーディションで出場者を決めると言い生徒達が騒然とします。
また「ソロパート」もオーディションで決めると言い、三年生を差し置いて一年生がソロの担当になることも有り得るためさらに騒然とします。

そんな中葵が吹奏楽部を辞めると言います。
久美子は出て行った葵を追いかけますが晴香が久美子より先に葵を追いかけていて話をします。
葵は「去年あんなにあの子らのことを責めてたくせに今年のうのうと全国を目指すとは言えない」ということを言っていました。
吹奏楽部を去った現在の二年生達が練習をしっかりやろうとした時に潰しておきながら、今年のうのうと全国を目指すと言うのはおかしいと感じているのだと思います。

久美子はみんなをまとめるのが上手く気さくでもありながら冷たさも感じるあすかに恐ろしさを感じます。
秀一が久美子にあすかのことが苦手だと言い、久美子も私らが思ってるような人ではない気がすると言います。

自由曲「イーストコーストの風景」の説明があり、曲についての理解が深まると曲の物語も分かるようになって面白いと思います。
また「へ音記号」という言葉が出てきて、音楽の専門知識のない私にはどんな記号なのか分からなかったので調べてみました。
調べると意味が分かりもっとしっかりと知識を身に付けたくもなります。
課題曲「三日月の舞」は低音の楽器が活躍する場面が多くさらに課題曲の中で一番難易度が高いとあり、楽譜を見て久美子は不安になります。
オーディションの日取りが近づくにつれて部の空気がピリピリしてきます。

宇治市の小学校では水道の蛇口をひねるとお茶が出るとあったのは驚きました。
お茶の産地宇治らしくて面白いと思います。

葉月は秀一のことが好きになります。
秀一が久美子を「あがた祭り」というお祭りに誘いますが、久美子は葉月の姿を見かけて咄嗟に近くにいた麗奈と行くことにします。
しかし久美子の胸中を見ると本人は自覚していませんが秀一のことが好きなのが分かりました。
久美子が麗奈と一緒に行くと言ったのはその場しのぎのつもりでしたが麗奈が乗り気になり一緒にあがた祭りに行くことになります。

あがた祭りに行くと麗奈は久美子と遊んでみたかったと言い意外に思いました。
久美子があがた祭りを歩く中学生を見た場面で「他人との差異を見せつけるために他人と同じように金髪にした中学生たち」とあったのは印象的な言葉でした。
また久美子が麗奈とお祭りに行くと言った日から秀一が久美子を避けるようになります。

オーディションの日を迎え久美子も演奏します。
オーディションの結果を発表するのは松本先生で、これは威圧感のある松本先生が言うことで生徒から不満が上がるのを押さえるためな気がしました。
久美子は低音パートのAメンバーで名前を呼ばれますが落ちた先輩がいました。
中学校時代、久美子がAメンバーになり自身が落ちた途端態度が変わった三年生の先輩がいたことを思い出し恐ろしくなりますが今度の先輩はそんなことはなかったです。

ユーフォニアムにソロパートはありませんが、次の日久美子はソロパートが発表された直後の様子を見ます。
トランペットのソロには麗奈が選ばれ、吉川優子という香織を慕う二年生がなぜ香織ではなく麗奈なのかと激怒します。
そして優子が滝先生が麗奈を贔屓していると言うと麗奈が激怒します。
この場面を見ると実力でソロパートの奏者が決まっても納得のいかない人は何かと因縁をつけるのがよく分かります。
やがてなぜ麗奈が北宇治高校に来たのかが分かります。

夏休みになり吹奏楽コンクール京都大会の日程が決まり、A編成の部は8月5日、6日に行われることになります。
「私、本気で思っていますよ。このメンバーなら、全国に行けるって」
滝先生のこの言葉が凄くドラマチックでした。
指導も最初は音程やリズムといったものだったのが日を追うごとに表現の仕方といった高度なものに変わっていきました。

「ソロは、あなたが吹くべきやと思う」
これは悔しさと相手を認める気持ちが一緒になっていて凄く引かれる言葉でした。

久美子はユーフォニアムが好きなのを自覚します。
物語を通して周りに流されて惰性でやっている感のあったのが最後に好きなのだと気づいていたのが良かったです。
そしてついにコンクールの日を迎えます。


この作品を読んでやはり青春小説は良いなと思いました。
演奏の下手だった吹奏楽部が強力な顧問のもと全国を目指してどんどん上手くなっていくのはとても盛り上がります。
吹奏楽部に所属している生徒達それぞれに様々な思いがあるのもよく分かり、温度差はありながらも後半ではみんな全国への思いを共にしていました。
前年度までの情熱のなかった吹奏楽部から一気に変わり全国目指して突き進んでいった生徒達の物語は引かれるものがあり面白かったです


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「書店ガール7 旅立ち」碧野圭

2018-12-31 23:41:37 | 小説


今回ご紹介するのは「書店ガール7 旅立ち」(著:碧野圭)です。

-----内容-----
中学の読書クラブの顧問として、生徒たちのビブリオバトル開催を手伝う愛奈。
故郷の沼津に戻り、ブックカフェの開業に挑む彩加。
仙台の歴史ある書店の閉店騒動の渦中にいる理子。
そして亜紀は吉祥寺に戻り……。
それでも本と本屋が好きだから、四人の「書店ガール」たちは、今日も特別な一冊を手渡し続ける。
すべての働く人に送る、書店を舞台としたお仕事エンタテインメント、ついに完結!

-----感想-----

「第1章 愛奈」
高梨愛奈は吉祥寺にある中高一貫の私立で中学校の司書教諭をして二年になり、読書クラブの顧問もしています。
5月の終わり、読書クラブが体育祭のクラス対抗リレーで三年連続優勝し、愛奈がクラブ員達に三連覇のお祝いをねだられ「びいどろ」というブックカフェで奢ることになります。
読書クラブは元々読書が好きな人の他に、クラブよりも趣味や勉強やスポーツに力を入れたい生徒達の受け皿にもなっていて、井出聡司という三年生のクラブ員はサッカーの全国大会でも上位を争う強豪クラブチームのエースです。
福永卓也という二年生のクラブ員も井出とは別のサッカーのクラブチームに所属しています。
さらに碇信一郎という三年生のクラブ員は芸能事務所のアイドル養成スクールに出入りしていて、そんな人が次々と出てきて驚きました。
私立の学校ならそんなこともあるのだと思います。

中村奏大(かなた)という入学以来学内テストでトップの座を明け渡したことがない秀才の三年生クラブ員だけが「びいどろ」に行くのを断り周りを戸惑わせます。
しかし愛奈は読書クラブの子達を次のように評していました。
ほかのクラブなら、中村のような単独行動をする人間は冷たい目で見られがちだ。仲間外れになるかもしれない。しかし、このクラブの子たちは、次に中村に会った時にはふつうの態度で接するだろう。そういう優しさが、読書クラブの体質だった。
この体質は良いなと思いました。

「びいどろ」で部長の高田ふみと書記の松川知弥(ちや)が「今年の文化祭ではビブリオバトルをやりたい」と案を出します。
ビブリオバトルは最初にそれぞれの人が読んで面白いと思った本を一冊決め、次にみんなの前で一人5分で順番にその本を紹介し、それぞれの人の紹介の後に参加者全員でその発表についてディスカッションします。
最後にみんなで一番読みたくなった本に投票し、一番多く票を集めた本がチャンプ本になります。
「チャンプ本」とあり、一番良い発表をした人が優勝しても主役はあくまで本なのは読書の催しらしくて良いと思います。
多数決の結果文化祭ではビブリオバトルをやることになり、まず三年生がお手本としてみんなの前で実際にビブリオバトルをやってみることになります。

ビブリオバトルで井手が「脳に悪い7つの習慣」という本を紹介した時、人は「もうゴールだ」と思うと脳の血流が落ちてパフォーマンスが落ちるとあったのは初めて知ったので興味深かったです。
そして全員発表後の投票の結果中村だけ一票も入りませんでした。
発表はよくできたものでしたが言葉が平坦で感情が込もっておらず、みんなを退屈させる内容だったことによるものでした。

二日後、中村が文化祭のビブリオバトルには出ないと言います。
高田や松川が反発して不穏な雰囲気になりますが高野大介という三年生がのんびりと仲裁に入ります。
中村が紹介した「きみの友だち」(著:重松清)という小説は中学入試に出やすい本で読書クラブ員にも既に読んだことのある人がいるはずで、そういった人はもう読んだことのある本には投票しないことが予想され最初から不利だったというのは興味深かったです。

やがて中村は小学校時代にいじめに遭ったのが原因でありのままの自分を出して回りに嫌われるのが怖いと思っていることが明らかになります。
また中村は読書クラブを気に入っていることも明らかになり、読書クラブの活動には常に淡白に対応しているように見えたのでこれは意外でした。

愛奈がビブリオバトル用の本を探したいと言う一、二年生を連れて新興堂書店吉祥寺店に行くと店長の西岡理子がいます。
理子は東日本のエリア長でもあります。
また新興堂チェーンが取次に吸収合併されたとあり、今どんなことになっているのか気になりました。

愛奈は新興堂書店吉祥寺店で中村に遭遇します。
中村は都立高校入試問題集を見ていて、金銭問題で今の私立を止めて都立高校に行こうとしていることが明らかになります。
また中村が「びいどろ」の集まりに行かなかったのは付き合いが悪いわけではなかったことも明らかになります。

愛奈からの頼みで中村はもう一度みんなの前でビブリオバトルをすることになります。
そのビブリオバトルで中村が自身のことを話し、今度はみんな食い入るように聞き、発表が終わると拍手が起きました。
私もかなり引き込まれて読み、心に触れる言葉の凄さを感じました。


「第2章 彩加」
宮崎彩加は28歳になり、沼津駅前のパスタ店で久しぶりに荒木百合香、小澤まなみという友達と会います。
三人で話している中でトルコパン職人で彩加のビジネスパートナーの大田英司がかなり有名になっているのが分かりました。

友達二人は地元の不満を口にしますが彩加は離れてみると地元も良いものだと思っていてこれは私もそう思います。
近年故郷の魅力を感じています。
彩加はまなみの地元への辛辣な言い方に刺を感じ、なぜかと思います。

三人で丸三書店という地元密着の書店の偵察に行きます。
彩加が英司とオープンさせるブックカフェから一番近いライバル店です。
丸三書店に行くと高校三年で同じクラスだった増田潤が店員をしていて彩加の活躍を知っていましたが彩加のほうは覚えていなくて思い出すのに時間がかかっていました。

まなみはその後もしきりにひがみっぽいことを言い、都会慣れした彩加に劣等感を抱いているのかも知れないと思いました。
やがて彩加が高校の卒業式の前日にまなみ達に酷いことを言い、それでまなみは彩加に怒っていたことが明らかになります。
彩加が胸中で語っていた「言葉は、文字にならなくても、ひとのこころに残る。」という言葉は印象的でした。
うっかり言った言葉が災いをもたらすことはあると思います。
この話ではもう一つ、彩加が「言葉は不思議だ。言い方ひとつでこちらの捉え方も変わってくる。」と胸中で語っていてこれも印象的でそのとおりだと思いました。
言い方によって強い不信感を抱かせることもあれば上手く収められることもあると思います。


「第3章 理子」
西岡理子が語り手の物語は久しぶりです。
シリーズが進んでからはたまに少し登場するくらいだったので意外でした。
理子が東日本エリアで統括するお店は多賀城店が閉店して八店舗から七店舗になっていました。

理子は櫂文堂(かいぶんどう)書店仙台本店に来て沢村稔という店長と話をします。
5年前、理子がエリア長になったと同時に宮城県を中心にしたローカルチェーンの櫂文堂書店が新興堂チェーンの傘下に入りました。
岡村真理子という20代前半のかつての小幡亜紀を思わせるような文芸書担当の店員とも話をします。
沢村は仙台の書店員の間で絶大な人気があり、沢村の作った棚は書店員なら誰もが一目置き、地元ラジオ局でお勧め本のコーナーを担当したり新聞にも時々寄稿したりしています。
岡村はそんな沢村のことを尊敬し信奉しています。

理子がバックヤードに行くと新興堂書店本部の総務部長の星野が来ていました。
星野は理子を夕御飯に誘い、その席で新会社が設立され近々正式発表になることを話します。

1ヶ月後、理子は再び櫂文堂書店仙台本店に来ます。
本部の重役会議で仙台本店を閉店させ仙台駅前に新たに大規模なお店をオープンさせることが決まったため沢村に閉店を伝えに来ました。
岡村が理子に話しかけてきて閉店の噂があると迫りますが理子は何とか誤魔化します。
岡村が去った後、理子は「あの子の言うように、この年季の入った店構え、立地、そしてスタッフ。どれ一つ欠けても、櫂文堂は櫂文堂でなくなるだろう。」と胸中で語ります。
櫂文堂書店仙台本店はとてもレトロな雰囲気で、最近では若い女性などがよくお店の中に写真を撮りに来るようにもなっています。
しかし理子はお店を守るために戦うのは無理だと考え、自分にできることは穏やかに新店への移転を進めることと考えます。
かつて自身が店長だったペガサス書房で閉店の危機を前に会社の上層部と戦い、お店を守れずスタッフも散り散りになった理子は今度はスタッフだけは守りたいと考え、新店のオープンをつつがなく進める代わりに櫂文堂書店仙台本店のスタッフの希望者全員を新店で働かせてもらおうとしています。

新聞記事に櫂文堂書店仙台本店の閉店のことが取り上げられ寝耳に水だった現場スタッフに動揺が走り、理子が仙台本店に行き自身の口でスタッフ達に仙台本店の閉店と新店のオープンのことを伝えます。
岡村が店名はどうなるのかと質問し、理子が会社が新しくなることで店名も変わるかも知れないと言うと、岡村は場所が変わって名前も変わるならもうそれは櫂文堂とは言えないのではと言います。
さらに他の従業員達も櫂文堂の名前を残してほしいと理子に詰め寄ります。
すると沢村が凄く良いことを言います。
櫂文堂の名前を残すには本部に「これなら櫂文堂の名前を残したほうが得と思わせるのが良策で、スタッフ一人ひとりが本部の人達にこれなら名前を変えず櫂文堂のままで行こうと思わせるには何をしたら良いかを考えてほしい」ということを言っていました。
ただ騒いだり理子に詰め寄っても何にもならないのはそのとおりだと思います。

理子は沢村がスタッフに「会社の立場を理解してほしい」「雇用は守られるから協力してほしい」ということを言ってくれるのを期待していたため、策を練って櫂文堂の名前を残すために戦おうということを言ったことにショックを受けます。
そんな理子に沢村は「おためごかしを言っても、みんなは納得しません」と言い、これもそのとおりだと思います。
理論だけ言っても現場で働いている人達からは総スカンになると思います。

沢村が今の時代は本を買うことにも物語が必要と言っていたのは興味深かったです。
ただ本を買うならネットでも良いため、そのお店で買う意味が必要とあり、ネットが台頭する中で生き残るために考えているのがよく分かりました。

ある日お客達が店にやってきて閉店は本当なのかと理子に詰め寄ります。
理子は騒がれれば騒がれるだけことは面倒になり本部からの心証が悪くなりスタッフ達の新店舗での雇用も危うくなると考え、何とか穏便に済まそうとします。

岡村が自身が作っている「ウサ耳通信」というフリーペーパーの号外を出して閉店の危機を知らせ、さらに騒ぎが広がることに理子は焦ります。
理子はしきりに「ことを荒立てたくない」という言葉を使っていて、荒立てたくないという気持ちに取り憑かれているかのように見えたのが印象的でした。
岡村はむしろ大騒ぎにして本部の人達に櫂文堂書店仙台本店がどれほどこの街で必要とされているかを分からせたいと言いますが理子はそんな岡村を説得します。

理子は東京の本部で事業部長の中田哲也の話を聞いて、会社が消したいのは櫂文堂の名前のみならず商売の仕方そのものだと理解します。
効率を追い求める本部にとって櫂文堂書店仙台本店のお客に寄り添うきめ細かいサービスの仕方は効率的ではないと考えられ排除されようとしています。

理子は本部で亜紀と再会します。
亜紀はフェイスブックで書店員とつながっているので櫂文堂の騒動を知っていました。

理子が櫂文堂書店仙台本店に行き、新店舗の名前が「REAL BOOKS仙台店」になると会社から正式発表されたことを告げると岡村は激怒し他のスタッフ達もざわつきます。
すると沢村が仙台市から櫂文堂を存続できないかというメールを貰ったと言い、さらに新聞社から「櫂文堂の百年」という集中連載をしたいと言われていると言いみんなを鼓舞します。
どんどん話が大きくなっていき、呆然とする理子とは対照的に岡村達は盛り上がります。
ついに理子はある決意をします。

櫂文堂書店仙台本店の閉店騒動は意外な形での決着になりました。
さらに沢村が驚きの決断をします。
この展開を見てなかなか思うようには行かないのがよく分かりました。
しかし理子が最後に「ことを荒立てたくない」と強迫観念のように思っているだけではなくなったのは読んでいてワクワクしました。


「第4章 亜紀」
この話はとても短い話で、亜紀の新たな旅立ちが描かれていました。
亜紀は新興堂書店吉祥寺店の店長として現場に戻ることになります。
理子と先週会った時の回想があり、理子が「その地にいられるうちにしかできないことを楽しむ」といったことを言っていたのは良い言葉だと思いました。
亜紀の店長としての最初の一日が始まるところで物語は終わります。


「書店ガール」シリーズは今作が最終巻となります。
理子、亜紀、愛奈、彩加それぞれの近況が描かれ、四人全員がそれぞれどう進んでいくのかを知ることができて良かったです。
四人ともシリーズの中で様々なことがありながらも本に携わり続けられているのも良かったです。
四人のこれからの本に携わっていく日々が明るいものであることを願います


「書店ガール」シリーズの感想記事
「書店ガール」
「書店ガール2 最強のふたり」
「書店ガール3 託された一冊」
「書店ガール4 パンと就活」
「書店ガール5 ラノベとブンガク」
「書店ガール6 遅れて来た客」


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「ビブリア古書堂の事件手帖 ~扉子と不思議な客人たち~」三上延

2018-11-23 14:06:59 | 小説


今回ご紹介するのは「ビブリア古書堂の事件手帖 ~扉子と不思議な客人たち~」(著:三上延)です。

-----内容-----
ある夫婦が営む古書店がある。
鎌倉の片隅にひっそりと佇む「ビブリア古書堂」。
その店主は古本屋のイメージに合わない、きれいな女性だ。
そしてその傍らには、女店主にそっくりな少女の姿があった――。
女店主は少女へ、静かに語り聞かせる。
一冊の古書から紐解かれる不思議な客人たちの話を。
古い本に詰まっている、絆と秘密の物語を。
人から人へと受け継がれる本の記憶。
その扉が今再び開かれる。

-----感想-----
「ビブリア古書堂の事件手帖」は第7巻で本編は完結しました。
ただ7巻のあとがきに番外編がもうしばらく続くとあったので楽しみにしていました。
その番外編がついに発売されたので読んでみました。

「プロローグ」
2018年の秋になり、篠川栞子と五浦大輔が結婚して7年経っていました。
二人には扉子(とびらこ)という6歳になる娘がいて、扉子は栞子にそっくりな外見をしていてさらに栞子と同じようによく本を読みます。
栞子は急ぐと少し足を引きずりますが杖なしで歩けるようになりました。

大輔は栞子の母親の智恵子がまとめようとしている大口の取り引きを手伝うために上海に発とうとしています。
二人は7年前、「ビブリア古書堂の事件手帖7 ~栞子さんと果てない舞台~」でのシェイクスピアの貴重な戯曲集であるファースト・フォリオの争奪戦をきっかけに洋古書の売買を智恵子から学ぶことになり、今は夫婦交替で海外にいる智恵子の手伝いをしています。

羽田空港に居る大輔から栞子に電話がかかってきて、大輔が大事にしている青い革のブックカバーがかかった本をどこかに置き忘れたので探してくれと頼まれます。
扉子は栞子と同じように本のことになると異様に勘が鋭く、栞子が本を探しているのに気づいて「なんのご本、捜しているの?」と聞いてきます。
扉子は栞子と違って表情が豊かで受け答えもはきはきしていてそこは妹の文香(あやか)に似ています。
ただし誰とでも親しくなる文香と違って扉子には幼稚園にも近所にも全く友達がおらず、他の子供達に関心を示さずに「わたし、本が友達だから」と言い栞子を心配させています。
また栞子も子供の頃は扉子と同じように友達も作らずにずっと本を読んでいたとあり、本好きな部分がとてもよく似たのだなと思います。

扉子という名前は様々なことに興味を持ち沢山の扉を開けて欲しいという願いを込めて付けられました。
扉子が「からたちの花」という本を手に取り同じ本を逗子に住む坂口しのぶの家で見たと言います。
栞子がその本はしのぶの夫の昌志が家族から贈られたものだと言うと扉子は詳しい話を聞きたいとせがみます。
しのぶはかつて「論理学入門」という本を取り返すために入院していた栞子を訪ねてきた女性で、しのぶと昌志には小学生になった息子がいて栞子達とは家族ぐるみの付き合いが続いています。
栞子は扉子も本を通じてなら人と関わることに興味を持ってくれるかも知れないと思い、昌志が家族から「からたちの花」を贈られた詳しい話を語り始めます。


「第一話 北原白秋 与田準一編『からたちの花 北原白秋動揺集』(新潮文庫)」
語り手は平尾由紀子という38歳の女性で、物語は2011年に戻ります。
由紀子の叔父が坂口昌志で、昌志は平尾家とは絶縁になっています。
由紀子の父の和晴が脳梗塞で倒れ、和晴の8歳下の異母弟の昌志がどこかからその話を聞いて電話をかけてきました。

昌志から和晴に見舞いの品が届き、返礼は不要とメッセージがありましたが和晴は子供が生まれたばかりの昌志に出産祝いを届けたいと言います。
和晴は祝い金とともに北原白秋の「からたちの花」も届けてほしいと言い、由紀子は本をビブリア古書堂に注文しました。

ビブリア古書堂で栞子は「からたちの花」には古い版もあることを伝え、この本の好きな年配の人なら慣れ親しんだ古い版を選ぶ気がするのに和晴はどうして新しい版を選んだのだろうと気にします。
また栞子の左手薬指には結婚指輪があり結婚したのが分かりました。
栞子は由紀子と話しているうちに本を渡す相手が昌志だと気づきます。
栞子と大輔が昌志と親しいことを知った由紀子は驚き、本を持って慌てて店を出て行きます。

昌志としのぶの住むアパートを訪れた由紀子は昌志が不在のためしばらくしのぶと話します。
嫌々アパートを訪れた由紀子でしたがしのぶと話すうちに荒れていた気持ちが収まっていきます。
そしてしのぶも自身と同じように子育てで大変な思いをしているのに気づきます。
しのぶから昌志は「からたちの花が咲いたよ」の歌が好きと聞き、由紀子は和晴が「からたちの花」を贈るのには意味があったのだと思います。
「からたちの花」を開いたしのぶが自身の知っている歌詞と違うと言い、由紀子もしのぶと同じでした。
二人とも同じところで歌詞を間違えていて由紀子はその理由に気づきます。
やがて和晴の狙いが明らかになります。

物語の最後、再び2018年の栞子と扉子の場面に戻ります。
扉子が今度はゲームの本に興味を持ち、栞子は自身が関わったゲームの本にまつわる話を始めます。
今作は2018年の栞子と扉子が話しながら過去にあった本にまつわる話をしていくのだなと思いました。


「第二話 『俺と母さんの思い出の本』」
第二話の始まりは2011年のクリスマスの頃の元町が舞台です。
栞子と大輔は入籍して一緒に住み始めて二ヶ月経ち、大輔が五浦から篠川になりました。
文香は大学受験を控えています。
「横浜の山手は日本有数の高級住宅街」とあり、とても上品な雰囲気と見てはいましたが日本有数とまでは思っていなかったのでそれほどまでとはと思い少し驚きました。

智恵子の大学時代の友人の磯原未喜からどこにあるのか分からない本を見つけ出して欲しいと頼まれて二人は山手に来ました。
二人が未喜の住む豪邸を訪ねると未喜は息子が持っているはずの本をどうしても見つけたいと言います。
息子の秀実は31歳の若さで亡くなり、生前秀実がゲームに関する何らかの本を「俺と母さんの思い出の本」と言っていました。
未喜は秀実に立派な人になってほしいと思い語学や絵画、ピアノなどの英才教育を施し、有名私大の法学部に進学もしますが、中学生くらいからアニメやマンガに没頭していてやがてプロのイラストレーターとして仕事を始めました。
亡くなる頃にはイラストの仕事だけでなくアニメやゲームのキャラクターデザインも手がけるようになっていてかなりの才能でしたが、未喜はそういったものの一切をオタク趣味と嫌悪しています。

未喜は秀実が言っていた本について秀実の妻なら何か知っているのではと言います。
栞子はゲームには全く詳しくないですが滝野ブックスの二代目店主、滝野蓮杖(れんじょう)の受け売りでゲームの攻略本などには詳しいです。
栞子は未喜の探している思い出の本が秀実の仕事や趣味を少しでも理解する助けになればと思って依頼を引き受けていて、この考えは良いと思いました。

二人がビブリア古書堂に戻ると文香と同じ高校の玉岡昴が店番をしていました。
以前宮沢賢治の「春と修羅」の貴重な初版本を巡る騒動で二人と知り合いお店にもよく出入りするようになり、予備校通いで時間がない文香の代わりに店番をしてくれています。
陳列している100百円均一本の入れ替えの描写があり、ずっと同じ本を並べておくとお客が飽きると本編で語られていました。
これはやったほうが良いのをこの小説で知りました。
ライトノベルを読んでいる昴に聞き秀実が多くの人に愛されている有名なクリエイターだと分かります。

栞子と大輔は大船駅の近くにあるマンションに秀実の妻のきららを訪ねます。
秀実の思い出の本は秀実が小学生の頃、未喜が買ってくれた唯一のゲーム関係の本だったということが分かります。

きららもアニメや漫画やゲームが好きで、二人のマンションには大量の本棚がありそれらの古書で溢れています。
きららが寝室にまで本棚がある話をした時、大輔が自身達の寝室は本棚が置いてあるどころではないのを思い浮かべながら「古書マニアの寝室に、本が置いてあるのは全然珍しくないです。俺のよく知ってる人なんか……」とからかっていたのが面白かったです。

岩本健太という秀実の友達のゲームのコレクターでライトノベル作家をしている人が二、三日前に来て秀実に貸していたゲームや雑誌を大量に持ち帰ったことが明らかになります。
その時に故意に秀実の思い出の本を持って行ったと栞子は考えます。

栞子と大輔は岩本の家に行き核心に迫ります。
岩本が秀実の思い出の本を持っていったのではと栞子が言うと岩本は激怒して声を荒げこたつの天板を叩きます。
「アンダスタンド・メイビー(上)」(著:島本理生)でも同じようなことをしていた人がいて、悪いことをする人は何かを叩いて相手を威圧したがるなと思います。
最後は驚きの展開になり、岩本がやったことは外道だと思いました。

この話では「ファイナルファンタジーⅤ」というゲームの「はるかなる故郷」という曲が秀実と未喜、さらに秀実ときららにとって重要な曲として登場します。
子供の頃に「ファイナルファンタジーⅤ」はプレイしましたがどんな曲だったかは忘れているのでこの話を読んで聴いてみたくなりました。


「第三話 佐々木丸美『雪の断章』(講談社)」
2011年8月の小菅奈緒と文香の話です。
二人とも高校三年生で、奈緒と文香は志田から佐々木丸美の「雪の断章」を貰っていました。
志田は奈緒に自身が「雪の断章」が好きで古書店で見かけるたびに買ってまだ読んでいない人にプレゼントしていると語った後すぐ、住みかにしていた橋の下から姿を消しました。
しかし一昨日奈緒の携帯に志田からメールが来て世話になった礼の挨拶をしたいと言い、奈緒は文香と一緒に一時間後に大船駅前で待ち合わせていて、二人はモスバーガーで時間が来るのを待っています。

奈緒だけ二冊目の「雪の断章」を貰っていたことが明らかになります。
さらに志田にはもう一人奈緒のようによく志田から本の話を聞いている「生徒」がいて、それらのことを奈緒は志田と会う前に文香に話します。

5月下旬のある日、奈緒が橋の下に行くと志田の小屋がなくなっていました。
そこに紺野裕太という橋の近くに住む年下の高校生が話しかけてきます。
裕太は志田から「クーラーボックスの中に奈緒へのお礼が入っている」という伝言を預かっていて、奈緒がクーラーボックスを開けると二冊目の「雪の断章」が置いてあり、見返しを開くと「アリガトウ」と書いてありました。
もう二度と会えないのは納得が行かない奈緒が志田を探すと言うと裕太も一緒に探すと言います。
奈緒は裕太のことが好きになり、話を聞き終えた文香が「初耳だよ!そんな男の子の話!どういうことだ!」と怒っていたのが面白かったです。
栞子も大輔もそれほど喜怒哀楽を表に出さない中ではっきりと表に出る文香の存在は物語を明るく楽しくしています。

裕太は志田とのことで奈緒に隠していることがありました。
奈緒と文香が志田と再会し、奈緒が志田に裕太のことを話すと驚きの展開になります。

「雪の断章」の見返しに書いてあった「アリガトウ」の言葉の謎が解けます。
隠していた全てを話した裕太に奈緒は「自分のことを話してくれて、どうもありがとう。嬉しかった」「今から、あたしの話を聞いて欲しい」と言います。
この場面が良くて、奈緒がかつて自身が志田にしたことを話して裕太と向き合おうとしているのが分かりました。


「第四話 内田百聞『王様の背中』(樂浪書院)」
半年以上前の真冬のある日、舞砂道具店の吉原喜市の息子の孝二が山田要助という愛書家の家を訪ねます。
山田要助は先月亡くなり、孝二は買い取れる古書がないかと訪ねてきました。
昔の古書店主は新聞の死亡広告を欠かさずチェックしていて、愛書家が亡くなったのを知ると面識がなくても「故人から蔵書の処分を頼まれている」と上がり込み強引に本を買い取っていったとあり、これは怖いと思いました。
人の死を掘り出し物を手に入れる好機と捉えているところに狂気を感じます。

孝二は要助の妻から話を聞き、お葬式が終わった辺りから古本屋が次々と来てほとんどの本を持って行ったことと、残っていたわずかな古書は同居している息子がビブリア古書堂に持って行ったと知ります。
孝二は15年前に父の喜市の運転手になり、大学を出て就職したものの会社が倒産したため舞砂道具店で修業することになりました。
シェイクスピアのファースト・フォリオを巡る戦いでビブリア古書堂に敗れてから喜市はすっかり衰え仕事でミスを連発するようになり、心筋梗塞で倒れてからは介護の身になりベッドでぶつぶつと何事かを罵る日々になっています。

孝二がビブリア古書堂の前を通りかかると店番をしていた文香が声をかけてきます。
文香は就職していてこの日は店番をしてくれていました。
孝二は山田家を出る時に転んで自身のコートを汚してしまい、要助の妻が貸してくれた息子も着るコートを着ていたために文香は先ほど古書を売りに来た要助の息子だと勘違いしていました。

孝二は扉子が読んでいた要助の息子が売った本に目を奪われます。
内田百聞の「王様の背中」で、特製本でかなりの値段がつきます。
孝二は要助の息子のふりをしたまま古書を売るのを止めて「王様の背中」を持ち去ることを考えます。

上手くいくかと思われましたが扉子に「王様の背中」の話の続きを教えてくれと言われて戸惑います。
やがて文香が違和感を持ち本当に要助の息子かと疑い孝二は焦ります。
それでも孝二は何とか「王様の背中」を持ち去り、親子二代に渡って高価な古書を手に入れるためなら犯罪も厭わないところに恐ろしさを感じました。
孝二は電車に乗って逃亡しようとしますが出掛け先から帰ってきた大輔も間一髪のところで同じ電車に乗り物語が緊迫します。

最後に栞子と扉子が探していた本の内容が明らかになります。
栞子が何としても扉子には見せたくないと思っていたのがよく分かる本でした。


久しぶりに「ビブリア古書堂の事件手帖」シリーズの小説を読むことができて嬉しかったです。
まさか一気に7年も経ち扉子という栞子と大輔の子供が登場するような展開になるとは思っていなかったので驚きました。
本編では語りきれなかった部分のみならず、今作の最後の話のように7年後もしくは7年近く経った頃の話もまだまだ書けるような気がします。
番外編はまだ続くのでどんな話が読めるのか楽しみにしています


ビブリア古書堂シリーズの感想記事
「ビブリア古書堂の事件手帖 ~栞子さんと奇妙な客人たち~」
「ビブリア古書堂の事件手帖2 ~栞子さんと謎めく日常~」
「ビブリア古書堂の事件手帖3 ~栞子さんと消えない絆~」
「ビブリア古書堂の事件手帖4 ~栞子さんと二つの顔~」
「ビブリア古書堂の事件手帖5 ~栞子さんと繋がりの時~」
「ビブリア古書堂の事件手帖6 ~栞子さんと巡るさだめ~」
「ビブリア古書堂の事件手帖7 ~栞子さんと果てない舞台~」


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「アンダスタンド・メイビー(下)」島本理生

2018-10-16 20:51:09 | 小説


今回ご紹介するのは「アンダスタンド・メイビー(下)」(著:島本理生)です。

-----内容-----
故郷でのおぞましい体験から逃れるように、黒江は憧れのカメラマンが住む東京へ向かった。
師匠の家に住み込みながらアシスタントとして一歩を踏み出すが、不意によみがえる過去の記憶。
それは、再び心を通わせはじめた初恋の相手・彌生との関係にも、暗い影を落とし出す――。

-----感想-----
※「アンダスタンド・メイビー(上)」の感想記事をご覧になる方はこちらをどうぞ。

「第三章」
2年半が経ちます。
冒頭、黒江は仁を乗せて東京の代官山のギャラリーで行われている写真展のオープニングパーティに行き、車の免許を取ったことが分かりました。
アシスタントの仕事は掃除、車の運転、荷物運び、現場での雑用や写真の現像などがあり忙しく働いています。

黒江がモツ鍋を作ると、黒江が仁の家に住み込んで東京の通信制の高校に入り直せるように黒江の母を説得してくれた海棠(かいどう)先生がやってきます。
黒江はすっかり打ち解けて話していて話し方も明るくなり、2年半の間に再び明るく話せるようになったのだと思いました。
高校は卒業し現在はアシスタントの他にコンビニでアルバイトをしています。
西田という仁のアシスタントだった人もモツ鍋を食べに来ます。
今はほとんどフリーで仕事をしていて、西田には彼女がいますが黒江は西田に好意を抱いています。

東京に来てから、私はずいぶんと気が楽になった。誰も必要以上に干渉しないし踏み込んでこない。関心は秋の風のようにさらりと乾いていて、すり抜けていく。どんな過去があろうと気にされることもない。
これを見て、酷い目に遭って故郷に住めなくなった黒江にとって東京の忙しなさや冷たさはかえって暮らしやすいのだと思いました。

黒江は仁の撮るグラビア写真について次のように語ります。
仁さんの写真はいつもどこかずっしりと重くてぎりぎりの感じがする。露出度だけじゃなく、女の子の心や背景にそういうものを求めている写真ばかりだ。
それは彼が壊れてしまった場所ばかり撮っていることと、どこかつながっている気がしていた。

仁にも何かあることが予感されました。

仁が西田はやめておけと言いますが黒江は聞く耳を持たないです。
黒江は男性に好意を抱くとすぐに依存してしまうので嫌な予感がしました。

仁が沖縄に行き刈谷セシルという新人芸能人のファースト写真集の撮影をすることになり、黒江も同行して初めてロケのアシスタントをします。
セシルは仁に好意を抱いていて、黒江と一緒に住んでいるのに付き合っていないのかと聞いた時に仁が「俺はハイパー美人が好きなの」と言うと「感じ悪ーい」と言いながらも機嫌を良くしていました。
これは黒江がハイパー美人ではないと言っているのと同じで黒江はセシルこそ感じが悪いと思います。
セシルは黒江に嫌な態度で接してきて黒江は段々気分が悪くなっていきます。
東京に戻り羽田空港で解散になった直後黒江はトイレに駆け込んで吐いて倒れ、救急車で病院に運ばれます。

黒江に中学三年の時のクラスメイトの神宮司(じんぐうじ)という女子が交通事故で亡くなったと連絡が来ます。
島本理生さんの作品では「女声が男性から酷い目に遭わされる」「臨床心理学」といった特徴の他に誰かが亡くなることもよくあり、その特徴がデビュー10周年の作品にも出ています。

黒江は久しぶりに茨城の実家に帰り通夜で怜、四条、彌生に再会し、彌生(やよい)の心が綺麗なままなことに心を打たれます。
通夜が終わり黒江は彌生に車で送ってもらい、途中で公園に寄って山崎に筑波山に連れて行かれた時のことを話します。
「自分でもまったく抑制がきかないくらいに大粒の涙が溢れ出した」とあり、当時を思い出し言葉にするだけで涙が出てくるくらい恐ろしい体験だったことがよく分かります。
誰かに助けに来てほしかった。怖かったけど自分がぜんぶ悪いと思った。
「自分がぜんぶ悪いと思った」は「夏の裁断」の主人公千紘(ちひろ)、さらに「ファーストラヴ」の環菜(かんな)も言っていました。
これも島本理生さんにとって重要なテーマだと思います。

黒江は彌生と電話で話すようになり、さらに彌生が親戚の入院のお見舞いで東京に来る日に新宿駅東口で待ち合わせて夕御飯を食べることになります。
黒江が「彌生君、おじさんみたい」と言うと彌生は「君は、あいかわらず無頓着にひどいことを言うね」と言い、黒江が本来の姿を出せているのが嬉しかったです。
二人が新宿三越近くの居酒屋にいると仁から電話がかかってきてバイクに当てられる事故に遭って病院に運ばれたと言い、お酒を飲んでいなかった彌生が迎えに行ってくれます。
仁は彌生に家に泊まって行けと言い宴会になり、酔っ払って寝ぼけた彌生がまた黒江と付き合いたいと言い黒江は驚きます。

二人は東京ドームに野球の試合を見に行きます。
彌生と話しながら黒江は次のように思います。
包み込むような雰囲気と、どっしり落ち着いた物腰。丁寧な喋り方。白いワイシャツ越しの肩を見ながら、なにもない、と感じた。嫌なところも苦手なところも。
やっぱりこの人は私の神様だ。

このことから、黒江は自身に嫌な思いをさせたり苦手意識を抱かせない男性を神様と思い特に強く依存するのだと思いました。
また黒江は好きになった男性には神様になってほしいと思っているのだとも思いました。
黒江は再び彌生と付き合い始めます。

黒江が見た夢の中で興味深い表現がありました。
崩れかけた廃墟の廊下を、私は迷ったように歩いていた。足元すら危ういほどに暗く、壁に触れるたびに、コンクリートの一部がほろりと落ちる。
雪が降るような音をたてて、靴の先にかかった。

これは良い表現で、私は雪の日に電線に積もった雪が地面に積もった雪の上に落ちる時のほんのわずかな音が思い浮かびました。

仁は大学の時に聖良(せいら)という恋人を亡くしています。
黒江と仁が渋谷の道玄坂にある試写室に向かう途中、仁は男と喧嘩をしている女に目を奪われます。
女は亡くなった聖良にそっくりで仁は黒江にも手伝わせて女が誰なのか調べ、小田桐綾乃という数年前にティーン向けファッション誌でモデルをしていた21歳の人だと分かります。

黒江は実家に帰って久しぶりに母と話します。
「下宿は、どう」と聞かれて「なにも問題ないよ」とだけ返すと母が「良かった」とだけ呟きます。
黒江はこの反応に気持ちが波立ち、「いつもそうなのだ、母はなに一つ知ろうとしないし、深く関わろうともせずに、時折心配して近付く素振りを見せたかと思えば、すぐに離れてしまう。」と胸中で語ります。
「なに一つ知ろうとしない」とありますが、母が「下宿は、どう」と状況を知ろうとした時に黒江は「なにも問題ないよ」と素っ気なく返しています。
このことから、黒江は「なにも問題ないよ」に対してすぐに引き下がらずにもっと熱心に聞いてほしい思いがあるのだと思います。
しかしこれは言葉から正反対の意味を察してほしいという無茶な要求でもあると思います。

黒江は東京に戻る深夜バスの中で賢治の夢を見ます。
その前には今まで一度も作品に登場していない父の夢を見ていて、夢が黒江に影響を与え始めているように見えました。


「第四章」
冬になり黒江は賢治を連想するものを見ると心が緊張して吐きそうになります。
さらにお風呂に入っていて浴槽で倒れて仁に助け出され、かなり心がおかしくなっていました。
仁は綾乃を撮影できるようになった場合仁個人の作品にするから黒江のサポートはいらないと言っていて、黒江はその言葉がきっかけで動悸に襲われ倒れました。
黒江はどこにも帰る場所はないと思っていて、仁と綾乃が付き合うようになって自身が見捨てられるのに怯えています。
賢治、南、靖、山崎の黒江を酷い目に遭わせた人達の顔も心に思い浮かびます。

仁は黒江を連れて綾乃の大学に押し掛け写真を撮らせてくれと頼みます。
仁はグラビア写真ばかり撮っているエロカメラマンと見られ嫌われていて断られますが、黒江が懸命に頼むと綾乃は撮るのが黒江ならという条件で写真を撮られても良いと言います。

黒江は彌生に次のように思います。
彌生君がいなくなってしまったら。神様のいない世界で、私はなにを信じて守られればいいのだろう。
「なにを信じて守られればいいのだろう」という言葉が印象的で、付き合う人には神様になって加護してほしいと思っているのがよく分かる言葉です。

黒江はカフェで綾乃と二人で話し、綾乃を見て巫女のイメージを持ったので神様が関係する場所で撮りたいと言い、明治神宮で撮影をすることになります。
二人で参道を話しながら歩いて行くと境内で結婚式をしていて、私も明治神宮の神前結婚式は何度も見たことがあるので景色がとてもよく思い浮かびました。
綾乃は「結婚なんて、馬鹿みたい」と言い黒江が「結婚、したくないんですか?」と聞くと「したかった」と言い涙を流します。
黒江は綾乃が黒ずくめの地味な格好で普段も同じような格好をしているのは誰にも注目されないように、傷つけられないようにするためなのではと思います。

母が黒江に今度東京に来るからお茶をしないかとメールを送ってきます。
メールを送ってくること自体が極めて珍しく、黒江はどうしたのだろうと思います。
新宿高島屋のタカノフルーツパーラーでお茶をすると母が職場で昇進したが断ると言います。
黒江が体調でも悪いのかと聞くと母は「そういうんじゃないのよ。違うの、本当はね、昇進が重なったのよ。だから、そっちのが忙しくなるなら、仕事はべつに今のままで」と言います。
黒江は昇進が重なるとはどういうことなのか気にしていて私も気になりました。
さらに母は洋服売り場で十万円近い冬物のコートを買ってくれます。
新宿駅から帰る時母は東京駅行きではない切符を買っていて黒江は疑問に思います。

黒江は彌生と体の関係になり「これでずっと一緒にいられるんだ、と嬉しくなった」と胸中で語ります。
しかし彌生が頻繁に体を求めるようになると今度は嫌になり、そんな中二人は温泉に行きます。
大広間で夕飯を食べる時、隣のテーブルで3歳くらいの女の子が「お父ちゃんのエビもー」と訴えているのを見て、黒江は彌生から醤油差しを受け取った時に「お父ちゃん、ありがとう」とふざけて言いますがその時何かが脳裏をよぎって様子がおかしくなりこれは父のことだと思いました。
露天風呂から出て大広間に向かって廊下を仲睦まじく歩いている時に黒江は次のように思います。
「二人を包み込む空気は、出会った頃となにも変わっていなかった。やっぱり彼は神様だ、と嬉しくなった。」
このことから、黒江の考える神様は黒江を優しく包み込んでくれさらに無闇に体を求めない人なのだと思いました。
ただし黒江は当初、彌生との関係を強化しようとして自身の方から体の関係を迫り「これでずっと一緒にいられる」と安心していました。
そのためずっと一緒にいられる安心感を得るには体の関係が重要と考え、安心感を得た後は優しく包み込み加護してくれる文字どおりの神のような存在になってほしいのだと思います。
この考えは彌生の気持ちを無視していて、黒江は彌生は神様なのだからこの考えも受け止めてほしいと思っているようですが、彌生は人間なので黒江の考えを知れば身勝手さに嫌悪感を抱くか頭が狂っていると思うかになると思います。

ついに黒江は彌生と体の関係になるのは嫌だとはっきり言います。
元々は黒江が体の関係を迫っていたのにこれは滅茶苦茶なことを言っていますが、「彌生には神様になってほしい」という心がどうしても拒むのだと思います。

この辺りまで読み、この作品にはどれほど凄まじい心理描写が練り込まれているのだろうと思いました。
間違いなく後の「夏の裁断」「ファーストラヴ」につながっています。

夕飯の準備をしていると仁から電話がかかってきて今から長崎に行くと言い、黒江は酷く動揺し置いて行かれるのを恐れていました。
そしてストロボを借りに来た西田を夕飯に誘いその後押し倒され、やはりと思いました。
どうしてその展開にばかり行くのかと思いました。
黒江は拒否しようとしますがもし西田を怒らせてもう仲良くしてくれなくなったらという考えがよぎり拒否できなくなります。

仁が帰ってきて長崎に行ったのは亡くなった彼女がらみだと話します。
彼女の家は熱心なキリスト教徒ですが彼女は信じる者しか救わないのはおかしいのではと疑問を持ちキリスト教を信じず母親とかなり仲が悪くなっていたとのことです。
島本理生さんの作品にはキリスト教が登場することもあり、デビュー10周年記念の本作には島本理生さんの特徴の全てが集結している気がします。

黒江は久しぶりに現在はAV女優になっている紗由と電話で話します。
紗由は中学時代は成績優秀でしたが大人になったら人に言いずらい仕事をしているのだから変なものだと話します。
人生は何が起こるか分からないです。

黒江は彌生と新宿で会います。
西田とのことを言うと彌生は激怒し「ごめん。俺にはもう君を理解したり支えることは出来ないよ。さようなら」と言います。
黒江の言動の必死さが痛ましく、去っていく彌生の背中にしがみついて「行かないで。ねえ、行かないで。見捨てないで」と言っていました。
この彌生との場面の冒頭で黒江は「別れ話をするつもりで、夕方の新宿駅東口の雑踏に紛れていた。」と胸中で語っていました。
ところが実際に西田とのことを話して彌生が激怒し別れると言うと酷く取り乱していて、これは彌生の発言が黒江を見放すものだったためまた一人になってしまうという思いがよぎり発作のような症状が出たのだと思います。

3月中旬、黒江は綾乃と一緒に長崎に写真を撮りに行きます。
黒江と綾乃は打ち解けていきどちらも心の中を話せるようになります。
二人で長崎市内の中華街で夕飯を食べていると、綾乃を見て聖良にそっくりで驚いた聖良の母が声をかけてきます。
黒江は聖良の母に聖良は神様ではなく自身の方を見てほしかったのではと言い、そのとおりだと思います。
またこれを見て、黒江自身が彌生を男性ではなく神様として見て心が通じ合わなくなったこととの矛盾を感じないのかと思いました。

黒江はその夜聖良の夢を見て、黒江が夢を見ると何か良くないことが起きるので嫌な予感がしました。
翌朝黒江がホテルのテレビをつけると宗教団体「赤と青の門」の事件のニュースをやっていて、新宿で起きた通り魔事件に関わっているとありました。
黒江の母もこの教団に入っている気がしました。

黒江の母が行方不明になり、さらに「赤と青の門」をずっと信仰していたため警察から参考人として呼ばれていたことが明らかになりやはりと思いました。
仁が黒江に見せた週刊紙にはYさんという元信者へのインタビューがあり、インタビュアーの記者は「赤と青の門」の信者達が我が子を犯罪計画の実行犯に仕立て実際に事件が起きたと言っていました。
仁が出版社に行き世話になっている人に頼んで週刊誌の担当に取り次いでもらいYさんに会い、黒江の母親を見つけようと言います。
教団は埼玉県にあり黒江が昔住んでいたのも埼玉の浦和で、黒江はかつて集会に行ったことがあるのを思い出します。
やがて母が青木ヶ原樹海の入り口で発見されたと連絡が来ます。

黒江が病院に行くと母は父と黒江の間にあったことを少し話します。
黒江は次第に心の状態がおかしくなり、ある日自殺しようとして病院に運ばれます。
幸い死なずに済みましたが心療内科に入院することになります。
病室で黒江はこれまでの人生を振り返り、その中でひどいことをされるのは、自分がダメなせいだと思っていたという言葉があったのが印象的で、第三章にあった「自分がぜんぶ悪いと思った」と同じ意味の言葉です。
しかし今回は語尾が「思っていた」になり、この時黒江は心理学関係の本を片っ端から読んでいて考えが変わるきっかけを得ていました。
退院した黒江はついに自身のことが分かるようになり、これは命を落としかねない状況になり病室で心理学関係の本を読みながらこれまでの人生を振り返ったことで、今までより自身を客観的に見られるようになったのだと思います。
退院してからの黒江は今までよりしっかりした意思を持つようになります。

上巻で黒江が見た、幼い黒江が男の人に酷い目に遭わされている写真は実の父によるもので、恐ろしいことだと思いました。
Yさんから会っても良いという返事が来て黒江と仁は吉祥寺の喫茶店に行きます。
Yさんは黒江が子供の頃に教団で一緒に遊んだことのある根室俊樹だと分かります。
根室は黒江の父親が生きていて埼玉の山の中の小学校で用務員をしていると言います。
黒江は一人で父親に会いに行き、最後はこの作品にずっと横たわっていた忌まわしきものに向かいます。
父親に会いに行くことを決断した黒江が「どんな形であれ、私を好きでいてくれたのは確か」と胸中で語っていて驚きました。
一体どれほど自身を好きになってくれる人を求めていたのか、孤独を感じながら生きてきたのかと思いました。

父と話す中で黒江は彌生に求めていた「神様」が何なのかに気づきます。
たしかに幼い子供から見れば全てを許し受け入れてくれる神様のような存在だと思います。
そして本来の神様は黒江の中で死んでいて、どうしても別の神様が欲しいという思いが男性関係において「強く依存する」という特徴として現れていたのだと思います。

父の言葉から黒江はなぜ母が黒江に冷たいのかが分かります。
黒江を助けることよりも自身の女性としてのプライドを傷付けられた怨みの方が上回ったというもので、これも恐ろしいですが人間なら有り得ると思います。

たくさんのものを失った。だけどまだ間に合うものもある。
黒江のこれは良い言葉だと思います。
過ぎたことよりも今あるものに目を向けた方が良いです。
しかし黒江はふとした時に自殺衝動に駆られるようになり、これまでに何度も酷い目に遭ってきたことを考えれば簡単には回復できないと思います。

自殺衝動に駆られている時に彌生から電話がかかってきて、黒江が今までの日々を「がんばろうとしたの、でも、出来ない」と言っていたのがとても印象的でした。
これと同じような言葉が「ファーストラヴ」にもあり、辛い家庭環境から生み出される生きずらさを何とかしようとしても上手く出来なくて苦しむことに島本理生さんはこだわりがあると思います。

黒江は青木ヶ原樹海の入り口から助け出された後教団に住んでいた母を連れ出して話し合います。
母は静子という名前だと初めて分かりました。
父から受けた仕打ちと、母の冷たさについて黒江の言葉を聞いた母が初めて心から「ずっと、ごめんね」と謝り、やっと黒江が母へのわだかまりから解き放たれたと思いました。

黒江は旅立ちを迎え、出発の日に次のように思います。
きっとこれからも思い出すのだろう。
そのたびに引きずり込まれそうになって、死にたくなりながら、何度もそれをくり返しているうちに、いつかかならず遠ざかっていくことが出来るはずだ。
数えきれないほどの人たちが、そうやって生き長らえてきたように。

今までに読んだ全ての小説の中で一番、最後が希望の持てる終わり方になっていて良かったと思いました。


「アンダスタンド・メイビー」は私がこれまでに読んだ島本理生さんの作品の中で「夏の裁断」「ファーストラヴ」とともに三強が形成される名作でした。
こういった人間の心の辛さに迫る心理小説は島本理生さんにしか書けないと思います。
これからもこの三作品に連なる心理小説の名作を生み出してほしいです。
込められている心理描写が非常に強大で読むには心の準備も必要になるので、読めそうな気持ちの時に、読みたいと思います。


※「島本理生さんと芥川賞と直木賞 激闘六番勝負」の記事をご覧になる方はこちらをどうぞ。

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「アンダスタンド・メイビー(上)」島本理生

2018-10-05 19:27:52 | 小説


今回ご紹介するのは「アンダスタンド・メイビー(上)」(著:島本理生)です。

-----内容-----
筑波に住む中学三年生の黒江は、研究者をしている母との二人暮らし。
両親の離婚以来、家庭に居場所を見つけられずにいた。
ある日、書店で目にした写真集に心を奪われ、カメラマンになるという夢を抱く。
同じ頃、東京から転校生がやってくる。
太めで垢抜けない印象の彌生に、なぜか心を奪われる黒江だった。
「やっと見つけた、私だけの神様を」ーー。

-----感想-----
この作品は島本理生さんがデビュー10周年記念に発表した作品で2011年第145回直木賞候補作です。
内容が恐ろしそうなことから今まで読むのを避けていましたが、「ファーストラヴ」で今年7月の第159回直木賞を受賞し、書店で「祝・直木賞!」の帯のかかった本作を見て興味が湧き読んでみようと思いました。

「第一章」
冒頭は2000年の春で、物語は茨城県つくば市に住む藤枝黒江(くろえ)という中学三年生の一人称で語られます。
家の近くに大学があるとありこれは筑波大学だと思います。
黒江は浦賀仁(うらがじん)というカメラマンからファンレターの返事が来て喜びます。
春休みに池袋の大型書店で日本全国の廃墟の写真集を見て感動しファンレターを送っていました。

酒井彌生(やよい)という男子が東京から黒江のクラスに転校してきます。
席が隣になった黒江が話しかけると彌生は戸惑いながら答えます。
序盤、語り手が中学三年生と若く友達とも明るく話しているため島本理生さんの小説では珍しく雰囲気が軽くて明るいのが印象的でした。
新しく担任になった板東先生の「席つけえー」という言葉を聞いて黒江が「噛みきれないお餅みたいな口調」と表現しているのが珍しい表現だと思いました。

酒井君はもう席に着いていて、額にうっすらかいた汗を拭っていた。風でカーテンがふくらむと、ちょっと野暮ったい切り方の前髪が揺れた。
黒江が彌生を見た時の描写の一文の後にさらにもう一文あり、後ろの一文があることで教室の様子がとても鮮明に思い浮かびます。
こういった後ろに一文を添えるのは島本理生さんの作品でよく見られ、繊細な感性が感じられて私は好きです。

黒江は管野怜(れい)、石田紗由(さゆ)と仲が良くてよく一緒に遊んでいます。
黒江の父は家を出て行き母は研究所で香料開発の研究をしていて、黒江は母の愛情が感じられない事務的な話し方が嫌で一緒にご飯を食べるのも苦手です。

体育祭の種目決めで板東が走力のある黒江に1500m走に出ないかと言います。
黒江が家事をしないといけないから朝練も放課後練習も出られず無理だと言うと、羽田野という女子が「それなら昼休みに練習すれば大丈夫だと思いまーす」と言っていてこれは酷いと思いました。
人の昼休みを奪うのなら自身も練習に付き合うくらいのことはしないといけないです。
自身は昼休みをしっかり休むのに人には練習しろと言うのは許されないと考えます。

怜の部屋で怜と黒江、二人と同じクラスで怜の彼氏の四条淳史(しじょうあつし)が遊び、彌生と仲良くなっていた淳史が彌生も呼びます。
その帰り、彌生が黒江を送ってくれます。
黒江は彌生を「垢抜けないけれど結構良い」と思い好意を抱きます。

体育祭で黒江が左足を怪我して動けなくなると彌生が助けに来て左肩を支えて寄り添いながら保健室に連れて行ってくれます。
保健室で黒江は「やっと見つけた」と思い心の中で次のように呟きます。
どんな怖い夢からも助け出してくれる、私だけの神様を。

黒江は彌生を筑波山へのデートに誘います。
彌生の受け答えが面白く、強引にデートの誘いに話を持って行った黒江に「藤枝さんって、時々、すごい唐突に変なことを言い出すよね」と言います。
彌生には霊感があり幽霊の気配を感じることができます。
筑波山に黒江の母親に迎えに来てもらった帰り道、彌生は母親に変な影が立ち込めているのが見え「もしかしたら、人が亡くなるとか、そういうレベルかもしれない」と言います。

梅雨になり黒江と紗由で彌生の家に遊びに行き、四条もやって来て4人でカラオケに行きます。
黒江は彌生に好きだと告白しますが考える時間をくれと言われます。

月が高くのぼっている。その光を遮るように、どんどん雲が流れていく。
風の強い夜は、月が明るくて、暗闇が青い。

これはそのとおりで、そんな夜道を歩く時は空の明るさに心が引かれます。

ある日教室が険悪な雰囲気になり、怜が紗由が淳史に告白をしたと怒ります。
怜の誤解でしたがいつも可愛らしい口調で話す紗由が馬鹿にしたような薄笑いを浮かべて怜を見下したことを言っていてそれが真の姿かと思いました。

坂東が黒江が友達と学校帰りにカラオケに行ったことをそれとなく注意しますが、表沙汰にはせず今回に限り不問にしていて良い先生だと思いました。
その帰り、黒江は家の駐輪場に着くと痴漢に突然背後から抱き着かれ恐怖を感じて逃げ出します。
黒江は彌生の家に逃げ込み、気持ちが落ち着くと「ところで、私と付き合うかは、どうすんの」と改めて言います。
彌生が「あの、藤枝さんは、やっぱりもう少しデリカシーを持ったほうが」と言っていたのが面白かったです。
二人は付き合うことになります。

黒江は母の「親子っていうのも、難しいわね。分かり合えるとは限らないものね」という言葉を聞いて母が自身を好きではないと思います。
今までもしかしたらと思っていたものが黒江の中で確信に近くなり、ここから母との関係がさらにぎくしゃくしていきます。

黒江は家の電話から怜に電話をします。
電話で怜が今まで彌生を格好悪いと悪く言ってごめんと謝ります。
普段は文句を言っていることが多い怜ですが謝れる人なのだと思いました。
怜が携帯電話を買ってもらったと言い、黒江はクラスで携帯電話を持っている子はまだ一人もいないと胸中で語っていました。
2000年はまだまだ携帯電話を持っていない人も多く、さらに黒江達は中学生なので持っていなくても不思議はないです。

ある日差出人不明で、幼い黒江が男の人に酷い目に遭わされている写真が送られてきて郵便を受け取った黒江は衝撃を受けます。
誰が送ったのかがとても気になり、わざわざそんな写真を送りつけるところに性根の悪さを感じます。
その写真を誰にも見られたくないと思った黒江は生ゴミ用のゴミ箱なら母も調べることはないから大丈夫だと思い捨てようとしますが、フタを開けると信じられないものが捨てられていてさらなる衝撃を受けます。
これは明らかに母の仕業で一気に緊迫した展開になります。
黒江は助けを求めて彌生のところに行きますが詳しいことを言うわけにもいかず途方に暮れます。

黒江が彌生の家から戻りファミリーレストランで途方に暮れていると山崎博(ひろし)という男が声をかけてきます。
山崎はご飯をおごってくれた後にカラオケに行こうと言い黒江は断れずについて行きます。
黒江を乗せて車が走り出すと山崎が本性を現し、カラオケボックスには向かわず筑波山に向かい強姦しようとします。
二回もハンドルをがんっと叩いているのが印象的で怖がらせて言うことを聞かせようとしているのが分かりました。
黒江は窮地になりますが土壇場で怒りが爆発して山崎を追い返します。
怜に電話をし怜の父親の車で助け出されると警察官がやって来ます。
警察官は「だいたい、君ねえ、そんなふうに夜に見知らぬ男についていくって、なにされても、本当は文句言えないんだよ」と黒江が悪いと言わんばかりで、詐欺事件が起きると詐欺師に騙されるほうが悪いと言い出す人がいるのと似ていると思いました。
すると怜の父親が「そういう輩から子供を守るのが我々の仕事だろう」「おまえみたいなのがいるからなあ、なにかあっても女の子が警察に行けずに、犯罪者が野放しになるんだよ。よく覚えておけ」とかなり良いことを言っていました。

黒江は彌生に別れようと言います。
山崎に付いて行った瞬間付き合っている彌生を裏切ってしまったのが堪えていました。

黒江は山崎博と写真のことで苦しみます。
ねえ、誰か助けて。誰でもいい。どうして私の呼ぶ声が聞こえないの。


「第二章」
黒江は高校一年生になり百合という友達ができます。
怜と同じ高校に進学しましたがクラスは違います。
百合が「黒江って良い子だよねー。人の悪口とか言わないし」と言い、これは紗由も言っていたので印象的でした。
百合は悪いことばかりしている危険な子として知られ、百合と喋っているうちに周りがよそよそしくなります。
百合は冬馬(とうま)という男子と仲が良く百合と冬馬は中一から三年間同じクラスでした。

黒江が百合といるのは、百合の素行不良さが山崎から受けた仕打ちを大したことではないと思わせてくれるからとありました。
これは「夏の裁断」で主人公の千紘(ちひろ)が子供の頃に磯崎という男から受けた仕打ちを大したことではないと思おうとしていたのと似ていて二つの作品の共通点だと思います。
さらに島本理生さんの作品では女性が男性から酷い目に遭わされることがよくあり、デビュー10周年記念の今作にもその特徴が出ているのがとても印象的で、重要なテーマなのだと思います。

夏休みになってすぐ、黒江は百合に誘われてカラオケに行きます。
そこには亮、羽場先輩という男子達がいて亮は百合の元彼氏です。
カラオケボックスでの振る舞いを見ると百合は羽場のことが好きに見えましたが羽場は百合よりも黒江に興味がありました。
黒江は最初は羽場の素行不良な雰囲気に戸惑っていましたが話すうちに引かれていきます。

浦賀から久しぶりに黒江に手紙が来て二人の交流は続いていきます。
百合に勧められ黒江は冬馬をデートに誘います。
すると二人で寄ったショッピングモール内のマクドナルドで羽場が声をかけてきて黒江を連れて行きます。

百合が語っていた羽場との関係と羽場が黒江と話しながら百合について語ったことが違っていて、百合は羽場との関係を強調したかったのかなと思いました。
黒江と羽場は付き合うようになり、黒江が山崎にさらわれたことを話すと羽場が山崎を見つけてやると言います。
羽場は賢治というフリーターをしている男を呼んで協力してもらいます。
やがて山崎が見つかり羽場達がぼこぼこにします。
また羽場は黒江ときちんと付き合おうとしていて、粗暴な言動をしていても黒江のことを大事に思っているのが分かりました。

黒江がゲームセンターの出入り口でビラ配りのアルバイトをしていると賢治がやって来ます。
賢治は羽場のことを悪く言い、羽場も賢治のことを悪く言っていたことがあり、羽場も賢治も相手がいない時に黒江に相手の悪評を言います。
黒江はそれを真に受けやすくて根が素直なのだと思いました。

黒江が母親に反発すると母親は「やっぱり、言われた通りだった。子供の頃からちゃんと教育しておけば良かった」と言います。
誰に言われたのかがとても気になりました。

賢治が黒江のことを好きだと言い、羽場より自身と付き合ってほしいと言います。
2学期の初日、黒江が教室に入ると百合が黒江に対して冷たくなっていました。
百合は黒江が冬馬を置き去りにして羽場に連れて行かれたことに怒っていて、黒江は百合に無視され学校に居場所がなくなります。

賢治が黒江を飲みに誘いそこには羽場も来ると言います。
嫌な予感がし、黒江が飲み会の場所に行くとやはり百合がいました。
黒江はすぐに引き返し追いかけてきた羽場と口論になります。
黒江が「羽場先輩は、私の、神様じゃない。」と胸中で語っていたのがとても印象的で、彌生に対してやっと私だけの神様を見つけたと思った時と同じように、羽場のことも神様として見ていたのが分かりました。
好意を抱く男性を神様として見るのは強烈に依存することでもあり危険な状態だと思います。
黒江の心の描き方が凄まじくて読んでいて圧迫感があります。

黒江は羽場よりは賢治のほうがずっと自身を好きだと思い羽場と別れます。
しかしこれは自身を好きだと言ってくれる人に縋り付いているように見えます。
羽場が黒江は不安定なところがあるから気をつけろと言っていてそのとおりだと思いました。

賢治と付き合い始めると今度は賢治のことを不安に思っていて、そんなに毎回不安になるならしばらく誰とも付き合わなければ良いと思いましたが、それは黒江には無理だと思います。
黒江は居場所がなく常に誰かに寄りかかりたいという思いを抱いているのだと思います。

黒江は2年生になり怜と同じクラスになります。
何と百合が話しかけてきて黒江は仕方なく応じ、羽場と別れたのが影響していそうな気がしました。

左隣の席の佐々木光太郎が黒江に一緒に写真部を作らないかと言います。
古賀先生という人が部室を用意してくれ写真部の活動が始まります。
光太郎の家に行き写真を見せてもらうと黒江が久しぶりに楽しそうに話し、光太郎になら不安にならずに話せるのだと思いました。
光太郎は「藤枝さんは、○○な人ですね」とよく言い、言い方が彌生に似ていると思いました。
黒江の撮った写真を見た光太郎が黒江はプロになるべきだと言い写真の凄さを語ります。
黒江は生まれて初めて他人から認められたと胸中で語り、これは黒江が求めているものの一つだと思います。

賢治との場面になると緊張した嫌な雰囲気になります。
黒江は賢治と付き合うのが正しいと自身に言い聞かせていて、言い聞かせる時点で正しくはないのだと思います。
やがて賢治と連絡がつかなくなり私はそのまま別れたほうが良いと思いました。

偶然彌生に再会して黒江は泣き出します。
賢治とのことを話すと彌生が「そんなひどい男なんて、別れることが出来てむしろ良かったんじゃないかな」「そういうやつもいるってことが勉強になったし、良かったんだよ」と言い、かなり良いことを言っていると思いました。
「遠くの薄暗い空に浮かんだ月を見ながら、私はようやく長くて悪い夢から覚めたような気分になった。」とあり、やっと賢治とのことから抜け出せたのかとこの時は思いました。

賢治から電話がかかってきて黒江は会っても良いと言ってしまいます。
どうしてと思いましたが、少しでも自身のことを好きと言ってくれる人に依存する気持ちには抗えないのだと思います。
賢治が車で黒江を迎えに来ますが、カラオケボックスに財布を忘れたから取りに行って良いかと言い立ち寄ると、賢治の友達の南と靖(やすし)が居て恐ろしい展開になります。
またしても賢治に裏切られ黒江は胸中で次のように叫びます。
神様、私はこの場で死んでもかまいません。だから今すぐ、こいつら、全員を殺してください!
女性が男性に酷い目に遭わされるのは今までに読んだ島本理生さんの作品で何度も見ましたが今作ほど恐ろしいのは初めて見ました。

数日後、黒江は「どんな理由があろうと、あんなふうに連絡を絶った相手を信じてのこのこ出かけていくなんて、私はどれほど馬鹿なんだろう。誰が聞いたって、おまえが悪いと言うに決まっている。」と胸中で語ります。
黒江は自身が悪いと自己嫌悪していますが悪いのは賢治達です。
高校を退学することにし塞ぎ込んでいる黒江を光太郎が訪ねてきて、光太郎と話すうちに黒江は東京に行って浦賀に会う決心をします。

黒江は東京に行く前に賢治に復讐しようとして一人で来てくれと言い公園で会いますが南と靖も茂みに潜んでいました。
賢治が一人で来るわけないのを見抜けないのは浅はかだと思います。
カラオケボックスでもその後の自己嫌悪でも黒江を馬鹿だとは思いませんでしたがこの場面では馬鹿だと思いました。
窮地の黒江を羽場が助けに来てくれ、別れたのに助けに来てくれるとは偉いと思います。

黒江は東京の渋谷に行き浦賀仁に会います。
家出したと言うと仁が家に下宿させてくれます。
仁は写真のことを教えてくれると言い、さらに基礎が身に付いたらアシスタントとして実際に現場に付いて来てもらうと言います。
仁との話し合いで黒江は東京の通信制の高校に入り直すことにし、母親から手紙が来て通信制高校に通いながら住み込みのアシスタントになるのを了承してくれます。
その手紙を読み終え黒江は何があっても家には帰らず東京でやっていくと決意を新たにします。


上巻では黒江の自身を好きと言ってくれる人への依存のしやすさがとても印象的でした。
そして「女性が男性に酷い目に遭わされる」という島本理生さんの作品によく見られる特徴が今までに読んだ作品の中で一番強く現れていたのも印象的で、デビュー10周年記念の作品がそうなっているところに島本理生さんのこのテーマへの思いの強さを感じます。
黒江は依存しやすい上に人を信じやすくもあるので悪意を持って近づいてくる人には酷い目に遭わされやすいです。
上巻で何度も酷い目に遭った黒江が下巻ではどうなるのか興味深く読んでいこうと思います。

※「アンダスタンド・メイビー(下)」の感想記事をご覧になる方はこちらをどうぞ。


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「三人の大叔母と幽霊屋敷」堀川アサコ

2018-09-24 20:59:51 | 小説


今回ご紹介するのは「三人の大叔母と幽霊屋敷」(著:堀川アサコ)です。

-----内容-----
不思議なモノ、コトが生息するこよみ村。
村長の娘・湯木奈央とボーイフレンドの溝江麒麟は今日も怪事件に首を突っ込む。
こよみ村中学の女王・麗華の陥落、「予言暦」盗難事件、湯木家の天敵・三人の大叔母が村の古屋敷で暮し始めるお話。
怖いけれど愛しい、そんな「予言村」の世界にようこそ。
シリーズ第三弾。

-----感想-----
※「予言村の転校生」の感想記事をご覧になる方はこちらをどうぞ。
※「予言村の同窓会」の感想記事をご覧になる方はこちらをどうぞ。

「第一話 混戦、収穫祭」
こよみ村中学校三年生の皆川麗華はクラスの頂点に立つ女王で、取り巻きの友達三人を「コバンザメABC」と呼んで馬鹿にしています。
考え方が傲慢で、バスケットボール部の彼氏のことも
「コバンザメABCと同等の存在で、生活必需品みたいなものだった。」とあり友達も彼氏も見下しすぎだろうと思います。
そんな中、歌手を目指す土岐果生莉(ときかおり)という子は麗華を崇めずスクールカーストにも所属しておらず、麗華は密かに果生莉と仲良くなりたいと思っています。

こよみ村中学校では文化祭のことを収穫祭と呼び、明後日の10月31日に迫っています。
校内では一週間前から「収穫祭の間に生徒が一人いなくなる」という貼り紙が何度剥がしても貼られ、誰が貼っているのか気になりました。

こよみ村には村内で起こることが全て記された「予言暦」があります。
そこには未来の天候やこれから起こる事件、事故も記されています。
昔から「こよみ講」という秘密組織を通して予言暦の内容は村に伝えられ村政をも左右してきました。
現在予言暦は村でたった一人の予言暦が読める巫女、よろず屋の妻の藍子が保管していて、奈央や溝江麒麟(きりん)など一部の人間が知っています。

収穫祭には若手農家の有志や村の商工会も参加していて、生徒達の催しは校内で開かれ大人達は校庭で店開きします。
一年生はお化け屋敷、二年生は喫茶室、三年生は「こよ中出会い物語」を開催します。
こよ中出会い物語は恋人を求める同数の男女が向き合い集団見合いのようなことをするイベントです。

麗華の取り巻き二人が溝江アンナというアイドルの子で見た目も格好良い麒麟をこよ中出会い物語に参加させようとします。
奈央、麒麟と同じクラスの大谷沙彩は麒麟のことが好きで、二人が付き合っていると知っていてもよく麒麟に話しかけます。
麒麟は民俗学部で、収穫祭で展示するために家でこよみ村に言い伝わる話を模造紙に書くのを奈央に手伝ってもらいます。
その時麒麟が奈央に清書を頼んだ文章に「地主皆川家」が登場し麗華の家だと分かりました。
その話の中で着物の種類が「手猫友禅」「総絞り」「江戸更紗」と三つ登場していてそれぞれどんな着物か気になりました。
また話の中で麗華の祖先の登志(とし)という女の人が麗華と同じ傲慢さが災いして酷い死に方をしていました。

よろず屋夫人の藍子は浮気相手と駆け落ちして村を出て行きましたが、病気にかかり長く生きられないのを機に店主に戻って来いと言われ戻ってきました。
奈央と麒麟が藍子に聞くと予言暦には収穫祭の間に生徒が一人いなくなるとは書かれていないと言い、誰かのいたずらという見方が強まります。

こよみ郵便局には切手マニアが切手を買いに来て、そのマニアぶりが凄くて驚きました。
そして郵便局で何か事件が起きるのが予想されました。

麗華が小学四年生の時、楠美博士という老人の霊が話しかけてきました。
その頃の麗華は男子にいじめられていましたが楠美博士は麗華に君は本当は人気者なんだよと言います。
「たった今、皆川麗華の存在に、きみのこころが追いついたんだ」という言葉が印象的でこの日から麗華は女王になりました。

収穫祭の前日、奈央と麒麟が三年生の教室に行くと果生莉の怒りの声が聞こえます。
麗華が果生莉と仲良くなりたい思いから果生莉に東京からスカウトが来たなどの嘘の情報を流していることに激怒しています。
この事件で麗華は女王から転落してクラス中から除け者にされます。

収穫祭が始まり奈央はお化け屋敷で一年生の女子五人に麒麟と別れるように迫られます。
「湯木先輩は、村長のお父さんの権力で麒麟先輩に無理やり迫ったって本当ですか!」が面白かったです。
そんな奈央を皆川秀人という麗華の弟の一年生が助けてくれ、奈央を見込んで頼みがあると言い、麗華がクラスでハブられているから助けてやってくれと言います。

奈央は村のあちこちで麗華と同じ「angel's path」という洋服ブランドの服を着た子を見かけ、それが登志の物語と同じなことに気づき嫌な予感がします。
「収穫祭の間に生徒が一人居なくなる」の貼り紙のこともあり麗華が死ぬのかなと思いました。

「つるべ落としの秋の夕暮れ時」という言葉があり、意味を調べたら「釣瓶を井戸の中へ落とすときのように、まっすぐにはやく落ちること」とありました。
他にも分限者(お金持ちのこと)のようにこの作品には古風な言葉がよく出てきます。
そしてミステリー、ホラー、ファンタジーの三つが合わさる堀川アサコさんの作品はやはり面白いと思いました。


「第二話 予言暦盗難事件」
藍子が亡くなりお葬式が行われます。
喪主挨拶で感極まったよろず屋が藍子がこの先50年分もの未来の出来事を誰にでも分かるように書き写したこと、さらにそれを村長に託したと言ってしまい、湯木家はお葬式に来ている人達から注目されます。

11月のある日、湯木家の金庫に入れていた予言暦が盗まれる事件が起きます。
学校からの帰り道、奈央は麒麟と盗まれた予言暦の話をして犯人を捕まえてやろうと気合いを入れます。
またこの帰り道では政治信念の演説をしていた福村孝司に睨まれます。
福村は村の実力者の十文字丈太郎と同じ開発促進派です。

十文字が予言暦を見せろと言い、「予言暦など信じない」と言っている十文字が見せろと言ってきたのを奈央は意外に思います。
十文字は開発促進派の悲願の「竜胆南バイパス道路」がこよみ村を迂回する案が出てきて焦っています。
札束を出して予言暦を見せろと言う十文字に奈央の母の多喜子が激怒していると、奈央の祖父湯木勘助の盟友で自然保護派の重鎮、神田幸甚(こうじん)が訪ねてきます。
神田はとても怒りやすい人で湯木家に来てずっと怒鳴り散らしていました。
奈央が「怒りというものは、その場だけなら、表明したもん勝ちである。」と胸中で語っていたのが面白かったです。
神田は育雄にお前ごときに予言暦を持つ資格はないからわしが預かると言いますが予言暦は盗まれてないため湯木家は困ります。

さらに福村も予言暦をよこせと言ってきて、福村は予言暦を消滅させようとしています。
福村の娘の七瀬と神田の孫の豊は秘密で付き合っています。
しかし福村孝司は開発促進派の過激派、神田幸甚は自然保護派のボスキャラで二人の恋は成就できそうにないです。

七瀬と豊も予言暦が見たいと言いますが育雄と多喜子で諭します。
さらに江藤玲子という人が訪ねてきます。
江藤は息子の司法試験のことを語り、30歳まで落ち続けていましたが諦めずに試験を受けていました。
しかしある日息子が司法試験を諦めてハローワークでフルタイムの仕事を探してみようかと言います。
何としても司法試験を諦めないでほしい江藤は予言暦で息子が司法試験に受かると分かれば希望を持たせられるから見せてくれと言います。
「ご迷惑だろうことは、重々承知で参りました」「無理なお願いとは、重々承知しております」といった言葉を言っていたのが印象的で、これは実際には大して申し訳ないとも無理なお願いとも思っていないから押し掛けてきて要求するのだと思います。
無理なお願いと重々承知していると言っている割りに多喜子が断っても食い下がっていて、「無理なお願いと重々承知」の後に続くのは「ただし断ることは許さない」という酷い発想なのだと思います。
江藤を追い払うために奈央が風邪が悪化して倒れそうという大根演技をしていたのが面白かったです。

奈央が江藤と多喜子の話を盗み聞きしながらプリンを食べていた時の「お腹が空いていたから、五臓六腑にしみわたる。」という表現も印象的で、まだ中学二年生なのに古風な言い回しです。
またこの表現は第二話の序盤にもあり、その時は麒麟と二人でアンナの作ってくれた美味しい料理を食べていて「溶けあった食材のうまみが、五臓六腑にしみわたる」とありました。
これらは第一話で奈央が麒麟の家でこよみ村に言い伝わる話を模造紙に書くのを手伝った時、「得意」という字が二回続けて出てきているが良いのかと麒麟に聞いた場面を意識しているのだと思います。
麒麟は「二人が得意になるレベルが違うことで、片方の立場の悲惨さや健気さを表現したい」と言っていて、同じように五臓六腑の微妙な意味合いの違いを表現したいのだと思います。
一回目がとても美味しいものを食べて五臓六腑に染み渡るのに対して、二回目はお腹が空いていたから染み渡っています。

予言暦盗難の容疑者は何人もいます。
そんな中、こよみ村産直センターで奈央と育雄が買い物をしていると十文字が因縁をつけてきて、かなり予言暦を見たがっているのが分かりました。
そこを木崎というこよみ村出身者で仕事休みの日に故郷に帰って来た男が助けてくれます。
次々と予言暦を見たがる人が現れるのを見て奈央が「運命のカンニングができるかも……ってなると、人間っておかしくなるんだね。せいぜい、朝のラジオの星占いで満足しとくべきだね」と言っていたのが印象的でした。

後半はどんどん犯人の絞り込みが進んでいくのがミステリー調で面白いです。
奈央と麒麟が福村のアリバイ調査のために竜胆市の時計屋に行った時、福村の写真を見た店主が「この人って、どっかの八墓村(やつはかむら)みたいなところから来てるんでしょ?」と言っていたのも面白かったです。
終盤、奈央がある人物に拉致監禁され、育雄が指定の場所に予言暦を持ってこいと言われ緊迫した展開になります。


「第三話 三人の大叔母と幽霊屋敷」
11月が終わる頃、27歳の木村留綺(るき)は竜胆市のオープンカフェで前川昴と猪田美帆に会います。
昴と美帆は婚約していますが留綺が昴を奪おうとし不倫関係になっていました。
昴に別れを告げられ留綺は怒りますが自身が悪いと分かっています。
留綺は「人生は穏やかなのが一番いい。大きな幸せなんて、なくていい。その分、大きな不幸が来るのだから。」と胸中で語ります。
この言葉は第三話の冒頭にも留綺の祖母の木村薫の口癖として登場し、二度登場して留綺にとってかなりこだわりのある言葉なのが分かりました。

薫は死の間際に留綺に自身がこよみ村で育ったことを話します。
薫は水上家の生まれでかつてこよみ村でも一、二を争う名家でした。
不幸なことがあって皆死に薫だけが助かったとあり、何があったのか気になりました。

湯木勘助の三人の妹達の長女、繁子が長男の一郎と遺産相続で対立して家を出て湯木家にやって来ます。
次々と文句を言う繁子に多喜子が激怒すると、繁子は妹の竹子と花子も呼び三位一体で多喜子を攻撃します。
繁子は74歳、竹子は72歳、花子は70歳です。
少し前まで大叔母達はこよみ村の夜を恐れ夜になる前に必ず竜胆市に帰っていたのに今回は三人揃って泊まることを奈央は不思議に思います。

大叔母三人がこよみ村に家を借りて住むことになったと言って出て行きます。
すると繁子の長男の一郎がやって来て自身が繁子を家から追い出したのは棚に上げてなぜ繁子を湯木家から追い出したと因縁をつけます。
育雄の家にならいくらでも居て良いが、家を借りられると自身が母親を追い出したことになり会社への心証が悪くなるから困ると言っていてかなり身勝手だと思いました。

滑坂にある三人の大叔母の家に行って帰る時、奈央は廊下の突き当たりの開け放ったドアの前に若い女の人がいるように見えます。
家に住み着く幽霊かなと思いました。

育雄が大叔母三人がこよみ村の夜を怖がっていたのは三人揃って娘時代に怖い目に遭ったからと言います。
まだ楠美博士が居た頃の話とあり、第一話に登場した楠美博士の名前が出てきて気になりました。
さらに奈央の曾祖父の湯木進は楠美博士の弟子で、二人とも別荘の井戸に落ちて亡くなったことが明らかになります。

三人の大叔母の家に留綺が居て、奈央が幽霊と思ったのは留綺だったことが分かります。
ただし奈央は留綺に不穏な気配を感じます。
留綺も大叔母達の借りた家を借りようとしたものの先に借りられていて、大叔母達に頼んで居候させてもらっています。

その夜湯木家の玄関を何者かが激しく叩きます。
不審者かと思い育雄が玄関に向かい多喜子も孫の手を両手で持って続きます。
堀川アサコさんの笑いの感性が面白く、奈央が「孫の手で掻かれても、痛くもかゆくもないでしょ」と胸中で語っていました。
やって来たのは竹子の連れ合いの村井博文で、奈央が博文に聞くと三人の大叔母は子供の頃に怖いものを見たと言っていた気がすると言います。
さらにその夜は花子が奈央に電話をしてきて育雄と三人で会えないかと言い、翌日の夕方に会うことにします。

翌日奈央が竜胆市にある博文の家で竹子が若い頃のアルバムを見ると、滑坂の幽霊屋敷が出てきてさらに留綺そっくりの人が写っていました。
その帰り道、花子から繁子が肺炎で入院したと電話があり奈央は嫌な予感がします。

その夜に花子から奈央に電話があり水上の家には花子より5歳年上で薫という人がいたことが語られます。
昭和27年10月5日、花子は薫も招待して自身の誕生日会を行い、終わった後に湯木進の自動車で薫を送って行くと水上家の人達が倒れていました。
その後楠美博士が大叔母三人を一人ずつ部屋に呼んで話を聞き、楠美博士も何かを話しましたが花子は全く覚えていないです。
読んでいて催眠術を研究していた楠美博士が大叔母達に催眠術をかけて事件のことを忘れさせたのが分かりました。
やがて恐ろしい真実が明らかになります。


シリーズ三作目の今作も楽しく読めました。
堀川アサコさんの作品はミステリー、ホラー、ファンタジーの三つが合わさった独特な面白さがあります。
序盤から中盤にかけては笑える展開もあり、終盤になると驚きの展開になったり恐ろしい真実が語られたりしてとても引きつけられます。
面白いシリーズなので続編が読めたら嬉しいです


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「この世界の片隅に」原作:こうの史代 著:蒔田陽平

2018-09-16 16:19:38 | 小説


今回ご紹介するのは「この世界の片隅に」(原作:こうの史代 著:蒔田陽平)です。

-----内容-----
すずは広島の江波で生まれた絵が得意な少女。
昭和19年、18歳で呉に嫁いだすずは、戦争が世の中の空気を変えていく中、ひとりの主婦として前を向いて生きていく。
だが、戦争は進み、呉はたびたび空襲に見舞われる。
そして昭和20年の夏がやってきた――。
数々の漫画賞を受賞した原作コミック、待望の劇場アニメ化。
戦時下の広島・呉を生きるすずの日常と軌跡を描く物語、ノベライズ版。

-----感想-----
冒頭は昭和8年で、7歳の浦野すずが広島の中島本町(ほんまち)におつかいに行き、妹のすみへのお土産を食べ物とおもちゃのどちらにするかで迷います。
この頃はまだ太平洋戦争(大東亜戦争)が始まっておらずおもちゃと迷えたのだなと思いました。
戦争末期になると食べ物もろくに無くなりおもちゃと迷う余裕もなくなると思います。

この時すずは産業奨励館という建物を目にしていて、後の原爆ドームだとすぐに気づきました。
すずは人さらいの大男にさらわれます。
大きなかごの中に押し込められるとそこには同じようにさらわれた男の子がいました。
しかしすずの機転で二人とも大男から逃げることができます。

すずの家は広島の江波(えば)にあり、父の十郎、母のキセノ、兄の要一、妹のすみと暮らしています。
兄はすぐに怒り出す人ですずは心の中で「鬼いちゃん」と呼んでいます。
大潮の朝、遠浅の広島湾はすずの家のある江波から叔父、叔母のマリナ、祖母のイトが暮らす草津まで陸続きとなり徒歩で訪ねて行けるとあり、そんな場所があるとは知らず驚きました。

叔父、叔母、祖母が暮らす家で昼食を食べた時「わけぎのぬた」というメニューがありました。
どんな料理なのか調べてみたらわけぎ(分葱)はねぎに似た野菜で「ぬた」は酢味噌和えのことです。
料理名は知りませんでしたが食べたことはあると思います。
子供達三人が昼寝をしている時、すずは天井から女の子が降りてきてすず達が食べたスイカの皮をかじっているのに気づきます。
すずは思い切って女の子に声をかけ、切ったスイカを新しくもらってきてあげます。
しかしすずが戻って来ると女の子の姿はなくなっていて、誰なのか気になりました。

昭和13年2月、小学6年生のすずは教室で水原哲という活発な子が暴れて大事な鉛筆を教室の壁際にある削りカスを捨てる穴に落とされてしまいます。
すずは「水原を見たら全速力で逃げえいう女子の掟を忘れとったわい」と言います。
帰宅したすずが江波山に行って焚きつけの松葉を拾っていると崖に哲がいます。
すずは母の「哲くんに親切にせんといけんよ(家庭環境が悪く不憫に思っているため)」という言葉を守って態度の大きい哲に話しかけていて、とてもまじめで優しい子だと思いました。
そして哲がどんな子なのかも気になりました。
哲はすずに新品の鉛筆を渡していて心の優しい面もあるのかも知れないと思いました。
哲が「浦野の兄ちゃん見たら全力で逃げえいう男子の掟があるけえの」と言う場面がありすずの言葉と対になっていて面白かったです。
哲は松葉を集めてすずに渡してもくれ、そこには椿の花が1輪挿してありすずのことが好きなのだと思いました。



昭和18年12月、すずは18歳になりこの年の春に要一が軍に召集されました。
太平洋戦争(大東亜戦争)が始まっていて、すず達一般国民には知らされていませんがこの時既に戦況は大きく悪化しています。
昭和17年5月のミッドウェー海戦と昭和17年8月~18年2月のガダルカナル島の戦いで日本軍は陸軍、海軍ともに壊滅的な打撃を受けています。
※百田尚樹さんの「永遠の0」で詳しく描かれているので感想記事をご覧になる方はこちらをどうぞ。
すず達の食べ物が雑炊になったのを見ても戦況の悪化が分かりました。

呉からすずを嫁に欲しいという人が来ます。
草津の叔父の家に手伝いに来ていたすずは実家に戻る時に海軍上等水兵になった哲に再会します。
すずが妹のすみのほうが綺麗なのですずを嫁に欲しいという人はすみと間違っているのではと言うと、哲は「……ほうでもないと思うがの」と言い、やはりすずのことが好きなのだと思いました。

昭和19年2月、すずは嫁に欲しいと言ってきた呉の北條周作の家に嫁ぎます。
かつて大男にさらわれそうになった時の男の子です。
浦野家一行が江波から呉に向かう時に山陽本線が登場し、私もよく乗るのでこんなに昔から走っていたのかと思いました。

周作の伯母の小林が仲人をしてくれますがすずには結婚の実感がまるで湧かず、「うちはぼーっとしとるけえ、こうなってしもうたんじゃろうか……。」と胸中で語っていました。
北條家で周作、父の円太郎、母のサンと一緒に暮らしていくことになります。
周作には黒村径子という結婚している姉がいて、すずはサンに見せてもらった径子の洋服を見て「モガ」と評していました。
どんな意味なのか調べてみたら「モダンガール」の略で、西洋文化の影響を受けたファッションの女性とありました。

「空の彼方から零戦(ぜろせん)の爆音が響いてくる。」という描写があり零戦(零式艦上戦闘機)の名前が登場しました。
この時は昭和19年3月で海軍が防空演習を行っていました。
また配給所に行く径子にすずが配給切符を渡す場面があり、既に米などが配給になっているのが分かりました。

径子は婚家と上手く行っていないようで娘の晴美とともに北條家に居続けます。
ちまちまと台所で作業するすずを見かねた径子が私がやると言っててきぱきと料理を作ります。
径子はさつまいものかて飯を作り、これは米に他の穀物や野菜・海藻などの食品を混ぜて炊いたご飯のことです。
食卓の場で径子がすずに里帰りを勧めると円太郎、サン、周作も「それはいい」と賛成します。
ただし径子は実は本気で実家に帰そうとしていたので、ただの里帰りとして話が進んで気まずそうにしていました。
里帰りしたすずは広島の繁華街で丸いドームを載せた産業奨励館、市電が走る紙屋町の交差点、塗装工事中の福屋百貨店新館をスケッチブックに描きます。
広島によく行く私はどれも知っているので印象的でした。
すずは絵が上手く作中で何度も描いています。

4月、呉の軍港に航空母艦(空母)が二隻停泊している場面がありました。
既に大半の空母が沈められた時期でまだ生きている空母がいたのかと思いました。
戦艦大和(やまと)も居ました。
「呉の軍港で生れた世界一の軍艦」とあり呉が日本軍の重要な場所なのが分かる場面でした。

「誰も口にはしないが、戦況がかんばしくないことは配給の減り具合からも察せられた。」とありました。
すずは頭にはげができ、すずのことを邪険にしがちな径子との暮らしが影響している気がしました。
しかし径子は突然晴美を連れて婚家に戻ります。

6月15日、初めて空襲警報が発令されます。
円太郎は「まあ、敵の予想航続力からすりゃあ、初回は九州がええとこげな」と言っていました。
この時点では爆撃機B-29は中国成都から飛び立っていて距離的に九州までしか爆撃できませんでした。
しかし6月はサイパンの戦いが始まった月でもあり、サイパンが奪われやがてサイパンから飛び立つB-29が呉を爆撃しに来るのが予想されました。
この頃から建物疎開と言って防火のために密集した地域や重要施設周辺の建物を間引いて空き地を作ることが行われます。
径子の家も取り壊しになり、晴美を連れて北條家に戻ってきた径子が良い機会だから離縁してきたと言います。

7月、北條家は防空壕を作ります。
晴美とすずが段々畑から港を見る場面で晴美が「戦艦はようけおってのに航空母艦はおらんねえ」と言います。
6月のサイパンの戦いと同じ時期に海ではマリアナ沖海戦があり、4月に晴美が見た二隻の空母のうち飛鷹(ひよう)は沈没、隼鷹(じゅんよう)は損傷して修理中でした。

周作は海軍軍法会議所で録事(ろくじ)をし円太郎は海軍工廠(こうしょう)で働いています。
すずが周作は6時に帰るから録事だと思っていたというのが面白かったです。

8月、来月から砂糖の配給が隔月になるとありました。
さらにスイカが畑で禁止になっているとあり、これは食糧が足りないからもっと栄養価のある穀物を作れということだと思います。

闇市で砂糖を買ったすずは朝日町の朝日遊郭に迷い込みます。
道が分からなくて困っているすずを二葉館という遊郭の白木リンという若い女が助けてくれます。
すずは気づいていませんでしたがリンはかつてすず達が食べ終わったスイカの皮をかじっていた子です。
リンの「この世界に居場所はそうそうなくなりゃせんのよ」という言葉は印象的でした。
言動から親に売られて遊女になりそんな境遇でも何とか居場所を見つけて生きようとしているのが分かりました。

9月、すずは国防訓練で使う竹槍を作ります。
竹槍訓練が始まるのを見て日本軍が追い詰められているのが分かりました。

すずは周作とリンそれぞれの言動と、周作が持っていたりんどう柄の茶碗とリンが着ているりんどう柄の着物をきっかけに周作とリンのつながりに気づきます。
周作はすずと結婚する前は遊郭でリンと知り会い遊郭から救い出そうとしていました。

12月、重巡洋艦「青葉」の乗組員をしている哲が入湯上陸という名の自由時間を得て北條家を訪れます。
哲がすずが普通の日常を過ごしているのを羨ましがっているのが印象的でした。
「お前だけは最後までこの世界で普通でまともでおってくれ……」とすずに言い、心が疲れているのが分かりました。

昭和20年2月、要一が戦死しついに身内に犠牲者が出ます。
3月、呉に空襲が来ます。
3月は硫黄島が奪われた月でもあり、ここからはB-29だけでなく零戦を遥かに上回る高性能戦闘機のP51も護衛としてやってくるようになり、爆撃機と戦闘機の大編隊を前に日本はなすすべがなくなります。

4月、北條家は二河(にこう)公園に花見に行きすずはリンに会います。
りんはB29が夜ごと熱心に機雷をまき、呉の港も広島の海も身動きできない海になってしまったと海軍のお客から聞いたと言います。

5月、円太郎が働く広(ひろ)工廠にもB29の爆撃が来ます。
周作は法務の一等兵曹になり、軍人として海兵団で訓練されるため三ヶ月は戻って来られないとすずに言います。
広工廠の爆撃から1ヶ月半後、円太郎が海軍病院に入院している知らせが届きます。
すずは晴美と一緒に海軍病院を訪れ円太郎から大和が沈んだことを知らされます。
その帰り道、爆弾が爆発して晴美が亡くなりすずは右手の先がちぎれます。

7月、一発の焼夷弾が北條家の板の間に落ちて燃え、すずは叫びながら掛け布団を持って炎に覆いかぶさり消そうとします。
普段はおっとりとしてマイペースなすずの家を守る執念を感じました。
焼夷弾による市街地攻撃で呉市の大部分が焼け野原になります。
久しぶりに周作が北條家に戻ってきますが頭に包帯を巻き右手は吊っていて、すずは右手の先が吹き飛び円太郎も入院の重傷を負い晴美は亡くなり、どんどん犠牲が広がっているのが痛ましいです。

見舞いに来たすみがすずに江波に帰って来いと言います。
「来月の六日は江波のお祭りじゃけえ。早う帰っておいでね」と言うのを見て、その日は原子爆弾が投下された日なのがとても印象的でした。

昭和20年8月6日、この日すずは江波の実家に帰ろうとしていました。
径子に手伝ってもらいながら支度をしていると庭のほうが明るく輝き、鳥のさえずりもセミの鳴き声も絶え辺りが静寂に包まれます。
そして突然物凄い地響きとともに家全体が揺れます。
外に出てみると広島市の方角で桃色がかった巨大な入道雲がみるみる盛り上がっていくのが見えました。
夕食の席で円太郎が「どうも広島に新型爆弾(原子爆弾のこと)が落とされたらしい」と言いすずは青ざめます。

昭和20年8月15日、北條家は玉音放送を聞いて敗戦を知ります。
9月、すずはすみが生きていることを知ります。
11月、すずは小林の伯父も近所に住む主婦の知多も広島から戻ってから体調が悪いと言っているのが気になります。
これは原爆投下後すぐに広島に救援活動に行った時に放射線を浴びたのだと思います。

昭和21年1月、すずは草津の祖母の家を訪れ、すみから母は原爆投下日にお祭りの支度で広島市街におつかいに行っていて父とすみで探したものの見つからず、父は10月に倒れてすぐに亡くなったと聞きます。
父が倒れたのは原爆投下のすぐ後に母を探して放射線を浴びたからだと思います。
さらにすみは青白い顔をして寝込んでいて左手首には黒い染みが二つあり、放射線の影響の深刻さを感じました。

すずは周作との待ち合わせのために産業奨励館の前に行きます。
産業奨励館は半壊し、特徴的だった帽子のようなドームは骨組みだけになっていた。周囲にはそれ以外の建物は一切ない。
これが後の世界文化遺産、原爆ドームです。


昭和20年8月15日の夜に「うちらの暮らしは続いていく。」とあり、さらに物語の一番最後に「この世界の片隅で、わたしたちの生活は続いていく――。」とあったのがとても印象的でした。
戦争が終わった後も気持ちを整理する間もないまま日々の生活は続いていきます。
生き残ったすずが北條家や草津の祖母の家の人達、近所の人達と助け合いながら生きていってくれていたら嬉しいです。


参考フォトギャラリー
「広島駅から平和記念公園へ」(すずがスケッチしていた百貨店の福屋、路面電車、産業奨励館(原爆ドーム)が登場
「平和記念公園を散策」
「オバマ大統領訪問翌日の平和記念公園」
「平和記念式典前日の平和記念公園」

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「サマータイム」佐藤多佳子

2018-09-09 14:00:13 | 小説


今回ご紹介するのは「サマータイム」(著:佐藤多佳子)です。

-----内容-----
佳奈が十二で、ぼくが十一だった夏。
どしゃ降りの雨のプール、じたばたもがくような、不思議な泳ぎをする彼に、ぼくは出会った。
左腕と父親を失った代わりに、大人びた雰囲気を身につけた彼。
そして、ぼくと佳奈。
たがいに感電する、不思議な図形。
友情じゃなく、もっと特別ななにか。
ひりひりして、でも眩しい、あの夏。
他者という世界を、素手で発見する一瞬のきらめき。
鮮烈なデビュー作。

-----感想-----
「一瞬の風になれ」で2007年第4回本屋大賞を受賞した佐藤多佳子さんのデビュー作を読みました。
小説の題名が夏で、夏が終わる今ふと読んでみようと思いました。

「サマータイム」
8月、語り手の伊山進(すすむ)は小学5年生だった6年前の夏を思い出します。
市民プールで進はおかしな泳ぎ方をしている男の子に出会います。
進は男の子には左腕がなく、それで泳ぎ方がおかしくなっていることに気づきます。
男の子の名前は浅尾広一(こういち)と言い、中学一年生で進と同じ団地に住んでいますが建物同士は距離があります。
団地は桜台という場所にあり、東京都練馬区の桜台のことかなと思います。
雷雨になりプールからの距離が近い広一が家に来いと誘ってくれます。

広一は母との二人暮らしで母はジャズのピアニストをしていて仕事でよく旅行に出ています。
広一はその母が結婚することになりもうすぐ引っ越すと言い、部屋にあるグランド・ピアノで「サマータイム」という曲を弾きます。
冒頭で高校二年生の進が思い出していたのは広一の弾く「サマータイム」だと分かりました。
広一は4年前に自動車事故で左腕を失い、運転していた父は亡くなりました。

進が家に帰ると1つ年上の姉の佳奈が進を心配して迎えに行こうとしていたことが分かります。
進は佳奈を暴君のように表現していますが意外と優しい面もあるのかも知れないと思いました。
しかし進を探しに外に行ったせいでずぶ濡れになった佳奈はとても不機嫌になっていました。
進はそんな佳奈を見て次のように思います。
こんな時の佳奈のきげんをとるのは、でかい氷の塊に空手チョップをくわすようなものだ。
これはびくともしないか、こちらが手を痛めるということだと思います。
面白い表現だと思います。

進が広一に借りた服を返しに行くと母親がピアノを弾いていました。
部屋にはアルコールの臭いがしていて、進に気づいた母親は広一は雷雨の日のずぶ濡れで高熱が出て入院したと言います。
母親の名前は友子と言い、彼氏に振られ失恋してやけ酒のジンをボトル半分空けてしまっていました。

進と友子は広一のお見舞いに出掛け、こっそり進の後をつけて来ていた佳奈も一緒に行くことになります。
その途中で友子が「サマータイム」を歌い、元は黒人の子守歌だと分かります。

病室に行くと広一は進が思っていたより元気でした。
広一はもう全然平気だと言って笑顔を見せますがその時に無理に笑ったように見え、病室に来たことを歓迎されていない気がして進は不安になります。
広一は無理に笑う気遣いをする面で大人びたところがあり、進は本心からの笑顔ではないのを見抜く面で鋭いところがあると思います。

友子が広一に「結婚、だめになっちゃった。ごめんね。広一、あの人、好きだったのにね」と言った場面で進は次のように感じます。
その時の広一くんの顔って、ぼくは今でもよく覚えている。
大人の顔だった。すごく色々な感情が一気に浮かび上がり、そのどれもをひっこめようとやっきになっている感じがした。

これを見て広一は実際には友子の彼氏のことが好きではなかったのだと思いました。

広一が佳奈の来ている真っ赤なサンドレスを「カンナみたい」と言い、どんな花なのか気になりネットで調べてみました。
赤やピンクなどの花が出てきて、普段名前を聞かないカンナの花の雰囲気が分かりました。

夏休み最後の日、進が桜台のショッピングセンターに行くと広一に遭遇します。
二人並んでベンチでチョコミントアイスを食べながら広一は本当は友子の結婚が無くなって嬉しいことを打ち明けます。
進は病室で友子が結婚が無くなったことを言った時の広一の顔を見て本心を少し察知していたので小学5年生なのに凄いと思います。

佳奈と広一が二人で会うようになります。
片手のため自転車に上手く乗れない広一に佳奈が特訓をしてあげます。
しかし11月の中頃、佳奈が広一と喧嘩をして帰って来ます。
その直後から進が広一の家に何度行っても留守で会えなくなります。
やがて隣に住む広一の叔母から二人が引っ越したことを聞きます。

進はピアノ教室に通うようになります。
佐藤多佳子さんの作品ではよくピアノなどの音楽が登場し、佐藤多佳子さん自身音楽と縁があるのかも知れないです。

進は17歳になり高校でジャズ研に入ります。
そこで「サマータイム」に再会し自身の手で弾きたいと思い、再会がきっかけで猛烈に二人に会いたいと思うようになります。

8月の終わり、何と広一が進の家を訪ねてきます。
広一は19歳の大学一年生になり家族と離れて進の家の近くに下宿しています。
友子は再婚し広一は妹が出来ました。

ぼくにとって広一くんがピアノであるのと同様、佳奈にとって、彼は自転車だった。という言葉がありこれは印象的でした。
喧嘩をしたまま何年も離ればなれになりましたが、佳奈は広一に自転車の特訓をした日々が忘れられなかったのだと思います。


「五月の道しるべ」
小学一年生になったばかりの佳奈が語り手です。
佳奈はピアノが嫌いなのに習わされていて可哀想だと思いました。
嫌がっているものを無理に習わせてもあまり効果はないと思います。

佳奈の4月の誕生日プレゼントはアップライトピアノでした。
しかし佳奈はピアノなど欲しくありませんでした。
対する進の5月の誕生日プレゼントは新品の自転車で、自身の自転車は同じ団地に住む従姉のお下がりだったため激怒します。
この時佳奈は次のように語ります。
わたしは、ずっとずっと小さい時から、弟が自分よりいい思いをしないように、気をつけて見はっていたのだ。
とても勝手な考えですが子供の頃にこう思うことはあると思います。

佳奈がピアノを弾いていると進が「アマダレ、アマダレ。下手くそのこと、アマダレって言うんだよ。あまだれぇ」と憎まれ口を言います。
「サマータイム」では佳奈が暴君のように表現されていましたが、佳奈の視点で見ると弟が憎らしく見えているのが分かりました。

ある日佳奈は道沿いのツツジの花を一つ一つ蜜を吸いながら大量にむしっていきます。
母親に原っぱや道端の雑草以外は取ってはいけないと教えられていましたが、よくツツジの花をむしり取ってはラッパのように口にくわえ、かすかに甘い蜜を吸っています。
ふと後ろを振り向いた佳奈はむしり取ったツツジの花が道しるべのように連なっていることにドキドキし、もっと長くしようと考えます。
しかし自転車で通りかかった進がその道しるべを轢いてしまい佳奈は怒ります。
何でこんな馬鹿な弟がそばに居るのだろうと憤りますが、やがて悪いのはツツジの花をむしり取って捨てていた自身だと気づきます。

悪いのは自身なのにそれを棚に上げて「何してくれてるんだ!」と怒り出すのは子供時代によくあることだと思います。
私は学校で悪いことをした人が誰かに悪行を先生に伝えられ、「誰がちくりやがったんだ!」と怒りながら先生に伝えた人を探しているのを見たことがあり、佳奈と同じだなと思います。
自身が悪いことに気づいた佳奈は少しだけ内面が大人に近づいたと思います。


「九月の雨」
語り手は16歳の広一です。
冒頭で友子が「セプテンバー・イン・ザ・レイン(九月の雨)」という曲を弾いていてどんな曲なのか気になりました。
曲を聴いている時は雨が降っていて広一は九月の長雨に触れ、私が小説を読み感想を書いている今も連日雨が降っているので「セプテンバー・イン・ザ・レイン」にとても興味を持ちました。

友子が種田さんという付き合っている男の人が家に来るから広一も居てくれと言います。
広一は今までの友子の恋人には必ず「音楽家」「渋いハンサム」という二つの共通点があることに気づきます。
それは亡くなった父にも共通していることで、広一は友子は父の面影を探しているのだと思います。
友子は連日「セプテンバー・イン・ザ・レイン」を弾き、広一はピアノの音を聞いて友子が何かに悩んでいることに気づきます。

「セプテンバー・イン・ザ・レイン」の解説があり、
古い映画の主題歌でセンチメンタルな回想の歌とありました。
盲目のピアニスト、ジョージ・シアリングのテーマ曲ともあり、9月の今ぜひ聴いてみたいと思います。

今回の友子の恋人の種田一郎は珍しく音楽家でも渋いハンサムでもないです。
広一は「なんとも冴えない、どこといって取り柄のない、灰色の貧乏神のように不景気な小男」と評していて種田が嫌いです。

今年の夏、広一と友子は高原の避暑地にある友子の友人の別荘で過ごしました。
友子は別荘の近くの小さなホテルのバーで1ヶ月間ピアノを弾きました。
普段の夏ならどこかのバンドのメンバーとなって日本全国を演奏して回るのですが、今年はバンドの人間関係が壊れてメンバーをクビになったためその仕事をしていました。
広一は普段なら怒って荒れるタイプの友子が疲れてメゲている様子なのが気になります。

友子の友人で別荘のオーナーで著名なコラムニストの女性が弟を連れてやって来て、それが種田でした。
広一は友子に種田と一緒にピアノを聴きに来るように言われ二人でホテルのバーに行きます。
友子が「サマータイム」を弾く場面で広一は三年前の夏を思い出します。
広一は自転車の特訓をしていた時に次第に佳奈に怪我をさせるのが怖くなり練習をやめようと言いそれで喧嘩になりました。

今回の友子はいつもの恋をした時の楽しそうな友子とは違ってイライラしていて、広一はそんな母を見て人生に疲れて風よけが欲しくなって結婚するのではと思いイライラします。
ある日種田が家を訪れて三人で夕飯を食べます。
夕食後に友子は「セプテンバー・イン・ザ・レイン」を弾き、その時の外の様子が音のしない小雨が、闇をぬらしている。とありました。
そして別の曲を弾いた後に今度はきっと降っているはずなのに音も届かないほど、めそめそした雨なんだ。とありました。
雨の描写が続けて登場したのが印象的で、広一が「セプテンバー・イン・ザ・レイン」をきっかけに雨をとても意識しているのがよく分かりました。

友子が出張で京都に出掛けます。
種田が訪ねてきて一緒に友子のピアノを聴きに京都に行かないかと言います。
戸惑う広一に種田が広一は冷めた言葉ばかり使っているがもっと感情を出しても良いのではと言います。
さらに種田は広一の父親になりたいと言います。

ふと広一は種田に自転車の特訓に付き合ってもらうことを思い立ちます。
種田に手伝ってもらい広一はついに自転車に乗れるようになります。
種田のことを酷評していた広一ですが自転車の特訓に親身に付き合っていて良い面もあり、最初の印象が全てではないということだと思います。
そしてこの特訓の時にも雨が降っていて、鬱陶しそうにしていた九月の雨に「自転車に乗れるようになった」という思い出が加わったのではと思います。


「ホワイト・ピアノ」
語り手は14歳の佳奈です。
2年前に広一から引っ越したことを告げる手紙が来た時佳奈は返事を書けませんでした。
広一と喧嘩したことを後悔している佳奈が早く大人になりたいと思う場面があります。
その言葉を見て、「かがみの孤城」(著:辻村深月、2018年第15回本屋大賞受賞)「平成マシンガンズ」(著:三並夏、2005年第42回文藝賞受賞)でも同じ言葉が登場したのを思い出しました。
佳奈は「大人になれば、つまらない喧嘩をしたり、つまらない手紙をもらったりしないだろう」と語っていました。
これは子供時代はそう思っても、大人になると今度はそれがとても尊い日々で青春だったのだと気づくのではと思います。

佳奈は父親が「ノナカ・ピアノ・サービス」という会社の社長をしている野中亜紀と友達です。
佳奈が亜紀の家に遊びに行くとホワイト・ピアノという絵本の話になります。
ホワイト・ピアノは雪でできていて鍵盤は氷で、お姫様は悪い魔法にかけられて長い眠りについています。
世界で一番熱い心を持って姫を愛する若者がこのピアノを演奏すると魔法が解けて二人は結ばれるという物語です。

ノナカ・ピアノ・サービスの展示場には亜紀がホワイト・ピアノのようだと言うピアノが展示されていて二人は見に行きます。
亜紀は佳奈を好きな子がいなくて男の子に対してツンツンしているところが眠り姫のようだと言います。
佳奈は広一との喧嘩以来そうなっていました。

二人がホワイト・ピアノを見に行った時、千田義人(よしと)という26歳の調律師が対応してくれました。
佳奈は千田を広一と似たところがあると評していて、広一を忘れられずにいるのがよく分かりました。

物語の最後、佳奈は自身が眠ってなどいないことに気づきます。
ずっと起きていたとあり、これは学校で好きな子がいないように見えたのはずっと広一のことが好きだったからということです。
「サマータイム」の最後で19歳の広一の自転車の荷台に18歳の佳奈が横座りして自転車が走り去って行った場面につながり、良い終わり方だと思います。


佐藤多佳子さんのデビュー作はピアノの音楽とともにあるという印象を持ちました。
作品を読んでいると音楽も聴きたくなってきます。
「サマータイム」の物語の最後のようにもう会えないと思っていた思い出の人とまた会えたら嬉しいだろうなと思います。
その人にまつわる音楽もさらに思い出深い音楽となって心に残ると思います。


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「夏の裁断」島本理生 -文庫での再読-

2018-08-30 18:51:25 | 小説


今回ご紹介するのは「夏の裁断」(著:島本理生)です。

-----内容-----
小説家の千紘は、編集者の柴田に翻弄され苦しんだ末、ある日、パーティ会場で彼の手にフォークを突き立てる。
休養のため、祖父の残した鎌倉の古民家で、蔵書を裁断し「自炊」をする。
四季それぞれに現れる男たちとの交流を通し、抱えた苦悩から解放され、変化していく女性を描く。
書き下ろし三篇を加えた文庫オリジナル。

-----感想-----
※以前書いた「夏の裁断」の感想記事をご覧になる方はこちらをどうぞ。

「夏の裁断」
29歳の作家の萱野千紘(かやのちひろ)は2ヶ月前、帝国ホテルの立食パーティーで芙蓉社の編集、柴田という男の手にフォークを突き立てる事件を起こします。
柴田の手に怪我はなく大事にはなりませんでしたがフォークで刺そうとするほど憎んでいるのはただ事ではないと思いました。

夏のある日、母が電話をしてきて帝国ホテルの事件の直後に亡くなった鎌倉の祖父の家の一万冊ある蔵書を自炊するのを手伝えと言います。
自炊は本を裁断して1ページずつデータ化していくことです。
物語は鎌倉での現在と柴田との回想が交互に進んでいきます。

千紘が柴田の反応を見て「間違えた」と思って青ざめる場面があります。
こう思うのは常に間違えないようにビクビクしながら過ごしているということで、柴田との相性は最悪だと思います。
柴田は最初から千紘を精神的に追い詰めることを繰り返していて、こんなに最悪な男ならすぐ別れれば良いのにと思いましたが、千紘の場合は嫌な思いをしてもどうしても柴田のことが気になるようです。

千紘は鎌倉の祖父の家に行きます。
縁側で蚊取り線香から立ちのぼる煙を見た時、タバコを吸う柴田を思い出す場面がありました。
これは私も何かを見た時にそこから連想される記憶が甦ることがあるので分かります。
嫌な記憶のほうが思い出されやすい気がします。

2年前に千紘は柴田と知り合いました。
柴田は初対面なのに失礼で、自然体の話し方で失礼なのが印象的でした。

自炊をしている時にキリスト教について書いた本が登場し、千紘が読む形で少しだけ作品内に本の文章が書かれていました。
島本理生さんの作品には「女性が男性から酷い目に遭わされる」「臨床心理学」という特徴がありよく登場しますが、キリスト教も他の作品で登場したことがありこの二つに次ぐ特徴だと思います。

母が長年経営しているスナックの古株のお客に英二という人がいます。
英二が千紘に自炊の仕方を教えてくれることになり母、英二、千紘の三人でスイカを食べる場面があります。
また千紘は柴田を「スイカの香りがする」と評していて、スイカを食べて柴田を思い出し「本物は柴田さんの匂いには似てなかった」と語っていました。
ここでも柴田のことを思い出していて忘れられずにいるのがよく分かりました。

千紘は大学は心理学科でかつては臨床心理士になろうとしていました。
現在は精神的に辛くて困っている層に小説で思いを届けようとしていますが上手く行かなくて悩んでいます。

千紘は柴田を「話を聞くのが上手い」と評していましたが、これは心の底の気持ちを引き出すのが上手いのだと思います。
そしてその気持ちを弄ぶのだと思います。

千紘は現在は猪俣駿というイラストレーターから好意を寄せられて断れずに付き合っていて、猪俣が突然鎌倉の祖父の家を訪ねてきます。
場所を教えていないのに自力で調べて来たと言いこれはストーカーじみていて怖いと思います。
そんな猪俣を見て千紘が胸中で語った「どうせ、断れないのだ。」はとても印象的でした。
千紘は相手に押されてしまう傾向があります。

猪俣は千紘に「心療内科とか行った?」と聞いていてこの言い方はないと思いました。
聞かれるほうがどれくらい嫌な思いをするかを考えていないと思います。
「猪俣君はまだアドバイスめいたことを語り続けていて、私はどんどん孤独になっていくのを感じた。」という言葉も印象的でした。
まず千紘はアドバイスなど求めていないと思います。
さらに猪俣の語ることは的外れで自己満足にしかなっておらず、聞く方の千紘はどんどん嫌な思いが募り孤独を感じるのだと思います。

猪俣君はたまに私を気まぐれと表現する。相思相愛じゃない原因を私に寄せようとする。
これも印象的な言葉で、猪俣を愛してはいないのがよく分かる言葉でした。

千紘は知り合いから下北沢の創作和食の店に誘われた時、柴田もいると聞いてお店に向かう途中で駅のトイレに駆け込んで吐きます。
そこまでして柴田のいる場所に向かうのは心が強迫観念に囚われていると思いました。
柴田は悪いことを悪いことと思っておらず躊躇わずに千紘の心を追い詰めていて、精神病質者(サイコパス)ではと思いました。

柴田から打ち合わせしようとメールが来て千紘はスペインバルに行きます。
現れた柴田がなぜか今度は千紘を気遣うことを言います。
千紘を追い詰める発言とは真逆のことを突然言っていて、これを見てやはり精神病質者ではと思いました。
加害側が精神病質者、被害側がその人に依存するタイプというのは一番恐ろしい組み合わせだと思います。

柴田とのことに思い悩む千紘は大学の時にお世話になった教授に会います。
自身が悪いのだろうと千紘が言った時教授が「どうして自分の違和感をないがしろにするの?」と言っていたのがとても印象的でした。
さらに「本能的に人をコントロールするのが得意な人間はいるんだよ」と言っていて、これはそのとおりでそういう悪質な人は存在します。

千紘は子供の頃母のスナックの常連の磯和という男に酷い目に遭わされたことがあります。
それ以来男の人が苦手になり、また何かあれば自身が悪いと考えるようになりました。
これは「過去に起きた事件が大きなトラウマとなり現在の性格に影響を与える」というジークムント・フロイトの精神分析学の考え方に基づいていると思います。
島本理生さんは中学生の頃から臨床心理学の本をたくさん読んでいて作品にも登場することがあり、その内容を見ると特にフロイトの精神分析学の本をたくさん読んでいたのではと思います。

千紘は柴田の言葉に「これ以上揺さぶらないでくれ。思い出させないで。」と思います。
「思い出させないで」は磯和のことで、千紘は柴田と居ると磯和を思い出すようです。
教授が語った言葉の中に「投影」という言葉があったのも印象的で、千紘は柴田に磯和の姿を投影しています。
そのせいで強烈な苦手意識を持ち、磯和に酷い目に遭わされた時にそれ以上酷い目に遭わないように大人しく従ったのと同じように柴田にも従うのだと思います。
千紘の柴田への依存の正体はこれだと思います。

柴田に追い詰められる千紘は次のように苦悩します。
それなのにどうして私は、ふりまわすのもいいかげんにして、と怒鳴って今すぐにタクシーを降りることができないのだろう。
これは柴田のことが苦手でも依存しているからだと思います。
前回の感想記事で「私が悪いのかもという思いがあるから」と書きましたが、その思いの根元には子供時代の磯和とのことがあり、それが私が悪いという自己否定や柴田に従うことに繋がっていると思います。

現在の千紘が東京の表参道で半年ぶりに教授に会い、教授がとても印象的なことを言います。
「誰にも自分を明け渡さないこと。選別されたり否定される感覚を抱かせる相手は、あなたにとって対等じゃない。自分にとって本当に心地よいものだけを掴むこと」
「選別されたり否定される感覚を抱かせる相手は、あなたにとって対等じゃない」はまさにそのとおりで、そのような相手はこちらを見下している可能性が高くまともに相手にしないほうが良いと思います。


「秋の通り雨」
千紘は王子というあだ名のモデルをしている男と付き合っています。
王子は千紘をかやのんと呼びます。
秋の初め頃に王子のやっているラジオ番組に呼ばれたのがきっかけで付き合うようになりました。
千紘が彼女いるんでしょうと聞くと王子は全く悪びれずにたくさんいると言い、一夫多妻制の国の王子様かと呆れて王子と呼ぶようになりました。

鎌倉の祖父の家は売るはずでしたが契約直前に購入希望者が逃げ、千紘はまだ住んでいます。
千紘は焼き鳥屋で清野(せいの)という35歳の男と話をし家に招きます。
その前には逗子に住む若い評論家の男を家に招いていて、次々と男を家に招くようになっていて驚きました。
千紘は清野がどこか柴田に似ていると思います。

「夏の裁断」とは違う、物語に漂う虚しさが印象的でした。
そして「夏の裁断」にあった恐怖の空気はなくなっていました。

千紘の「私のこと、どう思ってるんですか?」に清野は「そういうのは言葉にしないでおきたいんです」と答えます。
清野はとても淡白なところがあり、納得いかない千紘は清野と喧嘩になります。
しかし今度の千紘はしたたかになっていて清野を上手くあしらい、「夏の裁断」で何もかも自身が悪いと思っていた時とは変わったことが分かりました。

2、3ヶ月ぶりに猪俣から連絡が来ます。
清野と付き合い始めた千紘を心配する猪俣を見て千紘は猪俣にいつも心配されていたことを思い出し、次のように胸中で語ります。
一方的に心配される関係というのは果たして対等だったのだろうか。
これは対等ではないと思います。
猪俣は千紘を心配ばかりかける人と思っているのだと思います。

千紘は自身の心が清野を好きなのを悟ります。
そして東京に戻ることを決め、久しぶりに清野と会った時に東京に戻ると伝えます。

この話は終わりの一文が良く、次のようにありました。
なにが起きるか分からないということを、今なら私は、少し楽しめる気がした。
千紘の心が回復し始めているのがよく分かる一文でした。


「冬の沈黙」
千紘は東京に引っ越します。
鎌倉の祖父の家は民宿をやりたい夫婦が買い取りました。
仕事では柴田ほどではなくても妙に引っかかるようなことを言う編集もいますが、以前は自身のせいかも知れないと気を揉んで疲れていたのが、最近は「これから用事があるので、そろそろ失礼します」とぱっと打ち切って席を立てるようになり、やはり千紘は変わりました。

千紘が清野と話していてテーブルに頬杖をつく場面を見て、頬杖をつく柴田にビクビクしていたのを思い出し、清野になら自身が頬杖をつけるのだと思いました。
千紘は清野を何もくれないけれど奪わないと評しています。
清野に義理の姉と姪、甥がいることが分かりますが詳しいことは語らず気になりました。

久しぶりに王子からメールが来て会います。
王子はWebのCM動画に合わせて詩に近い文章を考える仕事を勧めてきます。
千紘は王子はちゃらく見えても色んなことを見聞きして考えていると悟ります。

教授にメールをして新宿御苑近くのカフェで会うと、教授は清野は千紘の求めているものは一生くれないかも知れないと言います。
清野は自身の生い立ちや家族のことを語ったり部屋を見せてくれたりはしないのだと思いました。

千紘は清野にもうきついと言い、さらに私はあなたが信じられないと言うと清野が出て行きます。
千紘は心の中で別れを告げます。


「春の結論」
千紘は昨年の11月で30歳になりました。
今年の春に東南アジアに行ってその取材を元に小説を書いてほしいという依頼が来ます。
まだ清野のことが忘れられずにいる千紘に清野からメールが来ますが一旦そのままにします。

千紘は磯和の名前をネットで検索して真珠で有名な海辺の町で配送業の仕事をしていることを突き止めます。
そしてその町に行き磯和の勤める営業所に行き、仕事が終わって飲みに行ったという情報を得てダイニングバーに行きます。
そこで千紘は磯和に酷い目に遭わされたことを抗議します。
「夏の裁断」の時では考えられないような行動に出ていて驚きました。
「夏の裁断」で教授が語っていた「どうせなら本人に返そう」と言う言葉がここにつながっていました。
酷い目に遭わされたまま黙ってはいないという心になったことが分かり、酷い目に遭わされた時から長い間沈んでいた心が開放されたのではと思いました。

千紘は清野にメールをして会って話したいことを伝え、久しぶりに会います。
清野の言葉が良く、千紘が自身の弱点と思って押さえ込もうとしているものをそれも千紘だと言ってくれていました。
清野が今まで言わずにいた自身の生い立ちの秘密を見せてくれます。
「夏の裁断」で弱っていた心が回復し、一度は別れた清野ともまた付き合うことになり、明るい終わり方になっていて良かったです


「リトル・バイ・リトル」「生まれる森」「大きな熊が来る前に、おやすみ。」そして「夏の裁断」の芥川賞候補になった四つの作品の中で私は断然「夏の裁断」をお勧めします。
千紘の追い詰められた心の描き方がとても優れていて緊迫した雰囲気がありました。
元々の芥川賞系作家らしい文章表現力に、優れた心の描き方が加わってかなり読み手の心に迫る作品になり、四つの作品の中で一番芥川賞に近づいた作品だったのではと思います。
主人公が臨床心理学を深く学んでいる共通点のある「ファーストラヴ」(2018年第159回直木賞受賞)でも優れた心の描き方が見られ、「夏の裁断」は後の直木賞受賞につながる人間の心を描いた名作だと思います。


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