今回ご紹介するのは「トラペジウム」(著:高山一実)です。
-----内容-----
高校1年生の東ゆうは「絶対にアイドルになる」ため、己に4箇条を課して高校生活を送っていた。
「SNSはやらない」「学校では目立たない」「彼氏は作らない」「東西南北の美少女を仲間にする」……?
努力の末、”輝く星たち”を仲間にした東が、高校生活をかけて追いかけた夢の結末とは。
人気アイドルグループ・乃木坂46から初の小説家デビュー作。
現役トップアイドルが、アイドルを目指すある女の子の10年間を描いた感動の青春小説。
-----感想-----
乃木坂46の高山一実さんはアイドルであるとともに、文才もあるようです。
私が手にした「トラペジウム」の文庫本は本編の文章が約250ページあり、アイドルとして多忙な中で書くデビュー作をこの規模の作品にするのは大変なことではと思います。
真に文章が好きで、文才も持っていないとやれないことだと思います。
(乃木坂46の高山一実さん)
冒頭、主人公の東ゆうが「半島」の南端にある西南テネリタス女学院という私立の高校を訪れるところから物語が始まります。
どこの半島かは書かれておらず、高山一実さんの出身地でもある千葉県の、房総半島かなと思いました。
ゆうを不審に思った女子生徒が声をかけてくる場面で、「まるで穴の開いた靴下を見るかのような酷い目つきでこちらを見据えてくる。」という比喩表現がありました。
珍しい表現だと思い、「駄目だこりゃ、使い物にならない」ということかなと思いました。
女子生徒との場面においてゆうの言葉や行動には不遜さが出ていて、負けん気の強い性格の印象を持ちました。
次の文章が特に印象的でした。
テネリタスの意味がラテン語で”優しさ”というのが本当なのであれば、あのお嬢様は退学処分にした方が良い。アイロニー女学園を設立し、早急に転校手続きをさせよう。
アイロニーとは皮肉という意味で、意地の悪い皮肉を言ってきた女子生徒へのこの文章は面白いと思い、センスの良さを感じました。
文章の軽妙さには史上最年少芥川賞作家綿矢りささんのデビュー作「インストール」が思い浮かびました。
また文章表現の特徴は芥川賞(純文学小説)よりも直木賞(エンターテインメント小説)に向いていると思いました。
この先経験を積めばノミネートの可能性があるのではと思います。
ゆうはひょんなことから、テニス部の華鳥蘭子という「わたくし」や「~ですわ」口調が印象的なお嬢様と友達になります。
家に帰ったゆうが地図を広げる場面で「伊能忠敬顔負けのお手製地図」と言っていて、なかなかの自信家だと思いました。
また携帯電話に華鳥蘭子を「南」という名前で登録したのを見て、東西南北の方角に友達を作ろうとしているのが分かりました。
序盤を読んで、サクサク読んで行ける印象を持ちました。
文章にはどこかギャグの雰囲気もあり、楽しく読める文章は良いなと思いました
ゆうは次に西の方角にある”西テクノ工業高等専門学校”に行きます。
この高専には大河くるみというNHKロボコン(ロボットコンテスト)で有名になった人が居て、その子に会いに来ました。
ゆうは工藤真司という男子の好意でくるみの元まで案内してもらいます。
しかし友達になりたいと思いあれこれ話しかけるゆうに戸惑ったくるみはその場を立ち去ってしまいます。
思い通りに行かなかったゆうは次のように胸中で語ります。
「理想は一人で描くもので、期待は他者に向けてするものだ。もう期待をすることはやめよう。」
印象的な言葉で、他者が期待のとおりに動くとは限らないと思いました。
他者には他者の考えや事情があり、ゆうに合わせて動くわけではないです。
くるみは地元では有名人ですが自身の存在が知れ渡っていることを喜んではおらず、その思いは終盤まで尾を引くことになりました。
僻見(びゃっけん。ゆがんだ考えのこと)という普段身の回りで目にしない言葉が登場しました。
「トラペジウム」を執筆時の高山一実さんは22~24歳の時期で、その年齢でこんな言葉を使えるのが凄いなと思いました。
幸いシンジの取りなしもあってくるみと仲良くなることが出来ます。
ゆうは”喫茶室BON”という喫茶店でシンジと会い、城州の東西南北から一人ずつ集めてアイドルグループを作りたいという思いを語ります。
作品タイトルの「トラペジウム」はオリオン座の中にある四重星の名前のことで、東西南北の4人を指しているのだと思います。
さらにゆうは、可愛い子を見るたびにアイドルになれば良いのにと思うもののきっかけがないと思われ、自身がそのきっかけを作ってあげると語っていました。
私は相手が本当にアイドルになりたいのかを見ていなくて独善的だと思いました。
新年になります。
城州地方は北に行くほど街が栄えているとあり、やはり北部にディズニーランドを持つ千葉県がモデルかなと思いました。
ゆう、蘭子、くるみの3人で本屋に行くと、かつて小学生の時にゆうと同じクラスだった亀井美嘉が居て、ゆうは顔を見ても誰か分かりませんでしたが美嘉の方は覚えていて話しかけてきます。
美嘉は心の問題を抱えていて、昼間は中高一貫の城州北高校に通いながら、放課後にババハウスという何らかの問題を持つ子を支援するボランティア施設に通っています。
「嫌われる才能を持って生まれてしまった」とあったのが印象的でした。
ゆうの高校での場面があり、クラスの話好きの女子によって他校のくるみや蘭子と会っていたことが広められていました。
ゆうはクラス内での人間関係を「最低限嫌われないように立ち振る舞ってきたつもり」と語っていましたが、気の遣い方が持ち前の傲慢さで少しずれているように見え、「美人だけどいけ好かない奴」くらいに思われていそうな気がしました。
ゆう、くるみ、美嘉の3人でパンケーキを食べに行きます。
美嘉からボランティア活動に興味はないかと言われ、ゆうは美嘉がボランティアをしている話を聞いて、「北」に住んでもいる彼女が最後の一人に相応しいと思います。
ゆうはさっそくババハウスで子供達に英語の勉強を教えるボランティアをします。
小学4年生から約5年間カナダに住んでいたとあり、それで英語が得意とのことでした。
乃木坂46には生田絵梨花さんという帰国子女がおり、もしかすると身近にあるそういった例から着想を得たのかなと思いました。
ゆうは”にこきっず”というババハウスのボランティア団体の活動を利用し、”にこきっず”のブログに4人全員で載って注目を集めることを計画します。
ゆうの計画は打算的であるとともに「地道」で、漠然と有名になろうとはしておらず段階を踏んで世に出ることを狙っていて、現実は簡単には行かないのをよく分かっているのだと思いました。
春を迎えゆうと美嘉は高二、蘭子とくるみは高三になります。
ボランティア団体のイベントに参加し、車イスの人を支えながら山登りをします。
ゆうは事前に蘭子とくるみを連れてくると聞かされていなかった代表の馬場に苦言されて気が重くなります。
突然2人が来たので山登りの段取りにも狂いが生じ、ゆうは2人から白い目で見られて気まずくなります。
それでも山頂で2人が許してくれているのが分かると、それまで喉を通らなかったご飯が突然美味しくなっていて、「わだかまりがなくなるとご飯も美味しくなる」という心境はよく分かりました。
また山頂でサチという車イスの少女と蘭子、くるみ、美嘉が仲良く話しているのを見て、ゆうは次のように思います。
この時、西南北はサチを中心としていた。やっと動いた歯車に石が詰まったようでいい気はしない。
この心情には二つのことを思いました。
一つは自己中心的だなと思い、3人をサチに取られる嫉妬が滲んでいると思いました。
もう一つはそれまでのわだかまりからやっと立ち直ったのだから、水を差されたくない思いがあるように見えました。
そして共通しているのは「東西南北の4人」へのこだわりが強いことだと思いました。
くるみから誘われ、3人は西テクノ工業高等専門学校の文化祭「工業祭」に行きます。
サチも工業祭に来ていて、ゆうがサチを見つけて機嫌が悪くなっていたのが面白かったです。
しかしサチに無邪気にお礼を言われた場面で心境の変化があったようで、作品全体を通して腹黒い印象の強いゆうにも心根の優しさはあるのだと思いました。
地元の翁琉城(おうりゅうじょう)がテレビに出ることになり、ゆうは翁琉城でボランティアをしてテレビに映ろうと考えます。
ボランティアの話を聞くために翁琉城に行った時、「指定された時刻よりきっかり5分早く着くことができた。ひときわ日本人レベルの高い行為といえるであろう。」と語っていました。
「ひときわ日本人レベルの高い行為といえるであろう」の言い回しはよく出てきたなと思いました。
ゆうのキャラともよく合っていて秀逸だと思います。
城内にある日本刀は名前が「蛍丸国俊(ほたるまるくにとし)」とありました。
人の名前が刀に付けられることはあり、私は新選組副長、土方歳三の愛刀「和泉守兼定(いずみのかみかねさだ)」が思い浮かびました。
調べてみると鎌倉時代後期の刀工・来(らい)国俊が実際に「蛍丸国俊」という刀を作っていて、太平洋戦争終戦後の混乱で行方不明になった幻の刀であることが分かりました。
そこに注目して作品内に登場させるのはセンスがあると思います。
ゆうは伊丹という77歳のボランティア男性から、スペイン人に「加賀まりこ」とは言わないほうが良いと教えてもらいます。
なぜ人の名前が禁句なのか調べてみると、スペイン語ではとんでもない意味になるのが分かり、高山一実さんはよくそんなことまで知っているなと驚きました。
頭の良い人だと思いました。
後日、東西南北とシンジの5人でボランティアをします。
そこにテレビ局の取材が来ると聞かされ、AD(アシスタントディレクター)の古賀という24歳の女性がやって来ます。
番組が放送されるとゆうは一時的に周囲から注目されますが、一週間経つと代わり映えのしない日々に戻っていて、そのことに憤りを感じていました。
「夢というものはどうすれば叶うのか本気で考えた。」とあり、真剣に有名になりたいと思っているのが伝わってきました。
ゆうは翁琉城でのボランティアがこれ以上役に立たないと見るや、伊丹と疎遠になりボランティアにも行かなくなり、計算高さがよく分かる場面でした。
作中で計算高さを描いているのは、私は良いと思います。
「綺麗事」で自動的に注目を集めて世に出て行けるとは思えないです。
ただしアイドルは本来清純さを売りにしているので、それとは真逆の計算高さ、腹黒さはネタでもない限り決して人前で見せてはいけないのだと思います。
演じきることもまたアイドルに必要な資質なのかも知れないと読んでいて思いました。
転機が訪れ、東西南北の4人は古賀が新たに受け持つ番組の1つのコーナーに出演することになります。
放送が始まると4人は世間からほんの少し需要を得ます。
やがてゆうは古賀のツテでマルサクトという芸能事務所の遠藤というお偉いさんと話をして貰えることになります。
物語終盤は一気にアイドルらしくなって行きました。
シンジがゆうに「翁琉城をまんまと踏み台にして」テレビに出るようになったなと冗談めかして言っていたのが印象的で、的を得ていました。
腹黒さをやんわりと教えてくれる友達の存在は貴重な気もしました。
ゆうが「必死なのはいつも自分だけ」と憤る場面がありました。
私はそれを見て、他の3人はゆうに巻き込まれていて心持ちが違うからだと思いました。
計算高く常に成功するための策を考えているゆうと違い、のし上がって行くという覚悟がないのだと思います。
「アイドルの使命は自分のパーソナルプロデューサーを担い続けることだった。」というゆうの言葉は、高山一実さんのアイドル経験による実感ではと思いました。
作品を手に取った当初は、東西南北の4人でもっと大々的にアイドルとして活躍していく物語をイメージしていました。
しかし読み始めてみるとゆうの仲間集めから始まり、策を練って地道に存在を知ってもらおうとしていて、そう簡単にはスターダムにのし上がれないのだと思いました。
高山一実さんの「アイドルとして成功するのは簡単ではない」というメッセージのようにも思いました。
私は2作目もアイドル関連のお話になっても問題ないと思うので、また高山一実さんの書いた小説を読んでみたいです
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