今回ご紹介するのは「遠くの声に耳を澄ませて」(著:宮下奈都)です。
-----内容-----
私は一人でどこへでも行ける。
そんなことも忘れていた―。
新しい一歩を踏み出す覚悟をくれた南の島の空。
恋を静かに終わらせた北の大地の湖。
異国から届くラジオの声に思いを馳せた豊かな記憶。
淡々とした日常を一変させる「旅」という特別な瞬間は、気持ちを立て直し、決断を下す勇気をくれる。
人生の岐路に立つ人々をやさしく見守るように描く、瑞々しい12編の傑作短編集。
-----感想-----
第13回本屋大賞を受賞したことで各書店で
「羊と鋼の森」が売り出されている宮下奈都さん。
書店によっては他の宮下奈都さん作品も一緒に並べていて、そこで見かけた「遠くの声に耳を澄ませて」はまだ読んでいなかったので今回読んでみることにしました。
物語は12編の短編で構成されています。
最初はそれぞれ全く別の物語かと思いましたが、読んでいくと短編の登場人物同士につながりがあったりしました。
なので読み進めていくうちに「この語り手は以前の短編の誰かと関係しているのか?」と気になるようになりました。
「アンデスの声」
語り手は瑞穂。
ある日、瑞穂の祖父が倒れたと、祖母から電話がかかってきます。
動揺する瑞穂から電話を代わった母から祖父の状況を聞き、二人は祖父が入院した病院に駆けつけます。
病院に向かう車の中で瑞穂は、電話を受けた時に突如頭の中に広がった遠い記憶について思いを馳せます。
「転がる小石」
語り手は梨香。
冒頭、陽子から電話がかかってきます。
陽子は調子がよくない時に限って笑うとあり、一つ前に読んだ
「明日になったら 一年四組の窓から」にもそういった人がいたので印象的でした。
その陽子が梨香に波照間島(はてるまじま)に来ないかと誘います。
ただし陽子とは最近は気まずい関係になっていて、梨香は「もうこの人と会うことはないだろう」と考えていました。
波照間島は沖縄県の八重山諸島にある日本最南端の有人島です。
梨香は先日、恋人に振られてしまいました。
陽子と電話で話しながら、その恋人と陽子を思い浮かべながら梨香が胸中で思った言葉は印象的です。
笑ったり泣いたり怒ったり、感情を素直に出せるのは相手に恵まれているときなのだ。
これはそのとおりだと思います。
陽子とはパン教室で知り合いました。
そのパン屋の主人の圧倒的な熱心さに梨香は衝撃を受けます。
世の中にはいろんなすごい人がいて、ぱっと思いつくアイデアのすごい人もいれば、地道な作業を淡々とこなすパン屋の主人みたいな人もいる。
あたりまえといえばあたりまえなのに、ぱっとするほうに目を奪われて、パン屋の主人に気づかない。
これは良い言葉だと思いました。
目に付きやすいほうに気を取られがちですが、目立たず淡々としていながらも凄い人というのがいます。
怖がっていたものの正体を見極められたなら、もう、新しい一歩を踏み出しているってことだ。
これもかなり良い言葉です。
正体を見極めるのは自分自身の心と向き合うということで、簡単そうで難しいことです。
それが出来たなら、今までの場所から一歩踏み出せていると思います。
「どこにでも猫がいる」
語り手の「私」に名前は出てきませんでした。
冒頭、ずっと一緒に暮らしてきた元彼から「どこにでも猫がいます」という葉書が来ます。
消印はイタリアで、元彼はイタリアに行っています。
「私」はイタリアについて、
「私のイタリアは、今も昔もミラノではない。フィレンツェでもローマでもない。イタリアと聞いて人が思い浮かべるよりずっと南、長靴でいえばつまさきのあたりで海に浮かぶ島、シチリア島がそれだ」と言っていました。
このシチリア島については名前は聞いたことがあり、海に浮かぶ島ということで気色が良さそうです。
「私」は遠い記憶に思いを馳せます。
また、この元彼にはちょっとした仕掛けがあり、その正体と、彼が取った行動の意味に驚かされました。
「秋の転校生」
語り手は「僕」。
みのりという鳥取県出身の子と付き合っています。
「僕」はみのりから蔵原佐和子と付き合っているのではと疑いを持たれています。
仕事で北陸の街に降り立った「僕」は商談をするのですが、その別れ際、相手の方が言った「なまた」という方言に興味を持ちます。
なまたは「ほんならまた」が縮まった方言ではとのことでした。
「うなぎを追いかけた男」
語り手は看護師の蔵原。
妹は佐和子で、「秋の転校生」に名前が出てきた人でした。
妹の佐和子は要領が良いですが、姉の蔵原はそうでもありません。
また、蔵原は患者からよくナースコールで「指名」され、あれこれと愚痴や悩みを聞かされたりすることがよくあり、精神的に疲れ気味のようでした。
この話にはかつてうなぎについて研究していた「濱岡」という男が登場します。
今は病気で蔵原の勤める病院に入院していて、「どこにでも猫がいる」の「私」が暮らすマンションの管理人でもあります。
探しても見つからない。
考えてもわからない。
そういう大きなものに押しつぶされないように私たちはただ生きていく。
蔵原のこの言葉は印象的でした。
考えても分からないことを考えても詮無きことですし、そのことについては考えないほうが良いと思います。
また、考えが浮かんできてしまうのは仕方ないことなので、そんな時はその考えを横にどかし、気分転換することが大事です。
「部屋から始まった」
語り手は依子。
依子はOLで、職場の昼休み、女子社員でご飯を食べながら談笑していました。
その中に佐和子がいて、依子は佐和子のほうを見ながら可愛い子だと思いながらも、「この人がこっそり北村さんと」と考えていました。
どうやら佐和子は北村さんという人とこっそり付き合っている疑惑があるようでした。
依子は北村が好きですが、北村のほうは全く興味がないようです。
精神的なものなのか、依子は体に不調を感じていて、台湾に居るという「目を見て脈に触れるだけでどんな身体の不調もぴたりと言い当てる医者」に診てもらおうと思い、台湾の首都台北(タイペイ)に行きます。
台湾の医者はこの話の中では伊東さんというOLが言っていたし、他の話にも名前が出てきていて気になる存在でした。
「初めての雪」
語り手は美羽。
美羽の友達として「転がる小石」で語り手だった梨香が登場し、冒頭から二人で話していました。
そして美羽は梨香の薄ぼんやりした不自然な様子が気になっていました。
美羽によるともともと梨香はしっかり者で大学時代は「級長」と呼ばれていて、今の梨香の様子は明らかにおかしいようです。
一体梨香の身に何が起きたのか気になるところでした。
「足の速いおじさん」
語り手は七海。
七海は塾の講師をしていたのですが激務に嫌気が差し退職し、四ヶ月ほど前から繭子という中学生の家庭教師をしています。
しかし繭子は全然勉強をせず、隙を見つけては公園にいるという「足の速いおじさん」の話ばかりしています。
最初はどうでも良いと適当に聞き流していた七海だったのですが、次第にそのおじさんの正体が気になります。
もしかすると、七海と関係のある人物かも知れないと思ったのです。
話が進むにつれおじさんの正体に迫っていきました。
やがて、塾の講師を退職したことでやや自信を無くし気味だった七海はおじさんの調査をする中で祖母から色々な話を聞き、気持ちに整理がつきます。
次はある。強く信じさえすれば、次は必ずある。
自身のこれからに明るい気持ちを持って終わってくれたのが良かったです。
「クックブックの五日間」
語り手は碓井。
碓井の仕事は料理を作ることと、その作り方を本に書くことです。
ある日、インタビュアーの女性が来て、碓井が料理を始めたきっかけの話になり、碓井はそのきっかけについて北海道の朱鞠内湖(しゅまりないこ)と答えていました。
碓井が20歳だった当時、大学の研究室に勤める助手職の彼氏と逃避行のような形で朱鞠内湖に来ていました。
この大学の研究室に勤める助手が「うなぎを追いかけた男」に出てきた濱岡の若き日の姿でした。
「ミルクティー」
語り手は原田真夏。
真夏は「秋の転校生」に登場したみのりと高校の同級生であり、ある日後輩の高野にずっと好きだったので付き合ってくれと言われます。
戸惑いながら「ごめん」と断った真夏。
そんなこともありふとした時、かつてみのりと「コーヒーと紅茶」について話していた時のことを思い出します。
「真夏はコーヒー向き。コーヒーって、これからのための飲みものって感じがするもの」
「じゃあ、紅茶はどうなの、何のための飲みものなの」
「紅茶は、どちらかというと、振り返るための飲みものなんじゃないかなあ。何かをひとつ終えた後に、それをゆっくり楽しむのが紅茶」
この「コーヒーはこれからのための飲みもの。紅茶はこれまでを振り返るための飲みもの」というのが凄く印象的でした。
たしかにコーヒーは何かする前に飲む印象があり、紅茶はほっと一息つく時に飲む印象があります。
そして真夏は自身が何気なく口にした言葉からみのりと口論になり、疎遠になってしまったことを思い出していました。
「白い足袋」
語り手は咲子。
「アンデスの声」で語り手だった瑞穂の又従妹です。
冒頭、「かぺかぺ」という言葉が出てきました。
かぺかぺとは方言で、「表面をつるんとコーティングされて、かぺっと光る様子を表している」とのことです。
田舎出身で現在は都会で暮らす咲子は都会の街の明るさをこの「かぺかぺ」で表していました。
ある日、留守電に母からのメッセージが入っていました。
今度の土曜日に又従妹の瑞穂の結婚式があり、咲子が帰省する時にはお土産を買ってきてくれというものでした。
ちなみに咲子は母の電話が憂鬱です。
ある時期、故郷近くの海が埋め立てられて発電所ができる件で母から頻繁に電話があり、発電所反対の意見をまくし立てていました。
「ほやけど電気は居るんやろ。みんな今の生活レベルを落としたくないと思ってるんやろ。日本のどこかでつくらなあかんのなら、うちらの町にだけは嫌やなんていうの、わがままなんでないか」
咲子がこう言ったところ母はひどく嘆き、以来ぎくしゃくした関係になっていました。
また、この故郷は宮下奈都さんの出身地である福井県ではと思いました。
瑞穂の結婚式のために帰省した咲子は花嫁の瑞穂の衣装の中で足袋が足りないというアクシデントに遭遇し、足袋を買いに行くことになります。
「夕焼けの犬」
語り手は比々野先生。
比々野は「うなぎを追いかけた男」に登場した蔵原と同じ病院で働く医師で、ある日屋上に行くと蔵原に遭遇しました。
蔵原は比々野が「一瞬誰だか分からないほど生気の削がれた顔」と形容するほど疲れた様子でした。
同じく疲れ気味の比々野に対し、看護師の三上が言った言葉は印象的でした。
「だから、先生、たまにはゆっくり休んでください。整理のつかない気持ちが溜まっていくと、身動きが取れなくなりますよ」
これは良い言葉だと思います。
整理のつかない気持ちが溜まって身動きが取れなくなる前に、休んだり出かけたりして気分転換することが大事です。
比々野が屋上から帰ってきてしばらくしても蔵原の姿が見当たらず、もしやと思ってもう一度屋上に行くとそこには蔵原の姿がありました。
幸い比々野の姿を見た蔵原は微笑んでいて、最初に見た深刻な気配はなくなっていました。
蔵原は亡くなった患者に対し、屋上で気持ちに整理をつけていました。
感情を軽く流すのが苦手でまともに受け止めることが多い蔵原ですが、自身に合った気持ちの整理のつけ方を持っていて良かったです。
全12編の最後となるこの話が爽やかな終わり方をしていて読後感も良かったです
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