読書日和

お気に入りの小説やマンガをご紹介。
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「県庁おもてなし課」有川浩

2014-08-31 17:47:09 | 小説
今回ご紹介するのは「県庁おもてなし課」(著:有川浩)です。

-----内容-----
とある県庁に生まれた新部署「おもてなし課」。
若手職員の掛水史貴は、地方振興企画の手始めに地元出身の人気作家・吉門に観光特使を依頼する。
が、吉門からは矢継ぎ早に駄目出しの嵐―
どうすれば「お役所仕事」から抜け出して、地元に観光客を呼べるんだ!?
悩みながらもふるさとに元気を取り戻すべく奮闘する掛水とおもてなし課の、苦しくも輝かしい日々が始まった。
地方と恋をカラフルに描く観光エンタテインメント。

-----感想-----
この小説の舞台は高知県です。
高知県は「観光立県」を目指しています。
県外観光客を文字通り「おもてなし」する心で県の観光を盛り立てようということで、高知県庁観光部に「おもてなし課」が発足。
主人公の掛水史貴が入庁3年目、25歳の時でした。
おもてなし課には課長の下元邦宏40歳、掛水の2年先輩に当たる近森などがいます。

序盤から土佐弁での会話が面白かったです。

「いや、そこまでは……自治体によるがやないですか?」
「割引きらぁてケチなことしたらバカにされますろう。ここは太っ腹に無料で行かなぁ」
「それもそうやにゃあ、じゃあ観光施設はどこにするで」

こんな感じで、「○○ろう」や「○○にゃあ」など、豪快さとほのぼのさが合わさったような方言が特徴的で楽しかったです。
掛水たち「おもてなし課」の面々は「観光特使制度」を始動させ、県出身の著名人達に特使になってもらい、高知県の観光名所の無料クーポン券付きの「特使名刺」を配布してもらおうとするのですが…
そのうちの一人、関東在住の県出身作家、吉門喬介(きょうすけ)にいきなりダメ出しされてしまいます。
そのダメ出しとは「特使制度の実効について」でした。
このやり方ではほとんど効果がないのでは?と疑問をぶつけられていました。
その後も吉門からはたびたびダメ出しの電話が掛かってきて、掛水はそのたびに竦み上がっていました。

『高知の男はこの「男らしくない」というワードに弱い』というのは、何となく納得しました。
坂本龍馬のふるさとでもありますしね。

吉門がダメ出ししていた中で言っていた「民間感覚」とは何か、みんなで考えるが分かりません。
やがて一年が経ち、吉門が予告していた時期になると、特使の人達からおもてなし課に苦情の電話が殺到。
吉門が指摘していた民間感覚のなさが招いたものでした。
掛水は藁にもすがる思いで吉門にアドバイスを求めます。
すると「課に一人、外部の人間をスタッフとして入れろ。公務員じゃないのが絶対条件」とアドバイスをしてくれます。
そしてもう一つ、「パンダ誘致論を調べてみたら?古い職員を当たれば出てくるはずだ」と意味深なアドバイスもしてくれました。
やがて明神多紀というアルバイトの子の調査により、かつてパンダ誘致論を唱えていたのは清遠和政という人だということが分かります。
清遠和政は画期的なアイデアを次々と出す県庁では異端の存在で、それがお役所的な仕事を好む県庁では煙たがられ、閑職に追いやられて既に県庁を辞めていました。
また、多紀は清遠和政の現在の消息まで調べてくれていました。
掛水は多紀をおもてなし課のスタッフとして採用することを考え、了承されました。
吉門の言っていた条件にピッタリ合う子でした。
多紀は掛水の3つ年下の23歳とのことでした。

清遠和政には佐和という娘がいます。
佐和は25歳、和政は55歳です。
掛水と多紀は清遠のところに行くのですが、佐和がすごい剣幕で立ちはだかります。
佐和にとって県庁とは、父を迫害し、家族をばらばらにした憎むべき敵でした。
県庁を辞めた後に清遠は妻とも離婚し、進学で東京に行っていた佐和の兄もそれと関連する事情により高知には帰ってこなくなりました。
また、佐和は吉門喬介について何か知っているようでした。

ちなみに清遠について「いかにも高知の男、いごっそう」と描写があったのですが、いごっそうとはどういう意味か調べてみたら、
いごっそうとは、「快男児」「酒豪」「頑固で気骨のある男」などを意味する土佐弁。ならびに高知県男性の県民性。
とのことでした。
また、かつて清遠が唱えた「パンダ誘致論」は興味深かったです。
高知県にはカツオ人間がいますが、パンダとカツオ人間なら、全てにおいてパンダのほうが上回っているのではと思いました。
ただカツオ人間もなかなか見所のあるキャラです。

参考 カツオ人間



「多紀はおもてなし課が唯一持っている「民間」の視点。これを徹底活用しない手はない」と掛水は考えています。
そして、県は変わることができるのか。

苦労してついに掛水と多紀は清遠和政本人に接触。
清遠は民宿「きよとお」を経営しつつ、観光コンサルタントの仕事もしています。
そしておもてなし課に、県の観光に、力を貸してもらえることになりました。

掛水と多紀が仁淀川の堤防でアイスクリンを食べていたのですが、これは今まで食べたことがなかったかも知れません。
シャーベットとアイスクリームを足して2で割ったような冷菓とのことです。

そして清遠がおもてなし課にやってきます。
おもてなし課から観光コンサルタントの依頼を引き受けた清遠は「県の観光をプロデュース」ということで持ってきた案を出していきます。
まず、高知県についてみんなで意見を出し合っていくと、
高知には自然が多い。そして自然しかない。
ということが見えてきます。
海、山、川、仰げば自然を見下ろす空と、何でもあります。
高知は「自然を剥がしたら価値がなくなる土地」、ならばその自然を最大限生かすのがベストと清遠は説きます。
そしてキーワードとして出てきたのが
「アウトドアスポーツ&ネイチャーツアー」
「グリーンツーリズム」

さらにもうひとつ、
「高知県まるごとレジャーランド化」

余計な開発は入れず、素の自然環境と元からある設備を利用して県全体をアウトドア関係のレジャーランドにしてしまおうという発想です。
高知県の自然にはそれだけのものが揃っているということです。
そして今まではそれに気付かず、観光資源として上手く活用できていませんでした。
この「高知県まるごとレジャーランド化」を目標におもてなし課は動いていくことになります。

高知県の定番観光コースの話題になった時、「はりまや橋は日本三大がっかり名所の一つ」とありました。
たしかに、ずいぶんと小さな橋ですしね
残りの二つは何だろうと思って調べてみたら「札幌の時計台」と「長崎のオランダ坂」とのことです。

高知の食べ物の話では、高知は何でも寿司にするのが好きとあり、これは興味深かったです。
タケノコやこんにゃくも寿司にするとありました。
また、高知の寿司は寿司飯にゆず酢を使って白ごまなどの薬味を忍ばせているところが独特とあり、地域色の出た珍しい寿司になっているのだなと思いました

「日曜市」も面白かったです。
県庁から徒歩数分、毎週日曜日に高知城下の大通りである追手筋(おうてすじ)を二車線閉鎖して開かれる露店の市場で、300年の歴史を持つ南国風の大きな市です。
そこで「イモ天」というのが出てきました。
これはおかずとしての天ぷらではなく、衣が揚げパンのようにふかふかしていて甘い、お菓子のような食べ物とのことです。
また、「天ぷら」もゴボウや野菜を練り込んだ魚のすり身を素揚げしたものを指していました。
高知で天ぷらというと、状況によって一般的な天ぷらとすり身の天ぷら、どちらを指すか変わり、イモ天も状況によってお菓子タイプ、おかずタイプどちらを指すか変わるとのことで興味深かったです。
日曜市にはそういった面白い食べ物を始め、農産物、海産物、衣料品、日用品、植木や花、雑貨、菓子、軽食、手作り小物、鍬やチェーンソーなど、何でもあります。
この独特な雰囲気の市をもっと売り出すべきだと掛水は考えます。

また、日曜市が立たないのは年明け2日までとよさこい祭り中の日曜日だけともありました。
そのよさこい祭りの踊りのフレーズで「高知の城下へ来てみいや~」という有名なのがあります(以下の動画の2:40頃を参照)。

参考 ’ひとひら’2012年


そこでこの高知の城下とはどんなものかと、まず高知城の画像を探してみると、以下のをはじめ多数ありました。



なかなか貫禄と風情があって良いですね
この城下町に日曜市が開かれている追手筋もあるようです。
「高知の城下へ来てみいや~」の後は「じんばもばんばもよう踊る~鳴子両手によう踊る~」と続きますし、よく踊る明るい県民性なのでしょうかね

四万十川と仁淀川の話が出てきて、仁淀川は「日本最後の清流」の四万十川に比肩するクラスの川とありました。
仁淀川は以下の写真の川です。



これは素晴らしい景色だと思います。
たしかに高知県の自然は観光資源として凄い可能性を持っていると思いました。

「佃煮のゴリ」というのも出てきました。
これもどんな佃煮なのか知らず、調べてみたらゴリとは小さな淡水魚のようでした。
四万十川の川漁師さんが捕まえた天然ゴリで作った佃煮はなかなか美味しいようです。

吾川スカイパークというパラグライダーの飛行場の話も興味深かったです。
ここは県の財政が厳しくてお金がないため、何と一般の利用客がインストラクターをやったり、山頂までの送迎の車を出したりしているとのことです。
せっかく良い観光スポットになり得るのに惜しいなと思いました。
ただ、「設備は作れるが地形は作れない」という言葉は印象的でした。
高知はその地形を持っているという点でやはり観光地としてかなりの力を秘めていると思いました。

馬路村(うまじむら)という県下有数のゆずの産地で、掛水は高知県の目指す観光のヒントをもらいました。
旅先でお仕着せのキレイなお膳が出てきてもつまらない、やはりその土地ならではのものを食べたいとか、少ないバスや電車に都合を合わせて動くことさえ旅の楽しみのうちだと思わせてこそ、不便なイナカに客が来るなど、目指すものが見えていたようでした。

高知は海・山・川・空、全部あるやん。あらゆる種類のイナカが選び放題やん。それ、きちんと自覚してプロデュースしたらすごい武器だよな。

中途半端に都会を意識するより、田舎であることを最大限生かしてプロデュースしていくということで、良いやり方だと思います。
開放感のある自然の中でゆったり過ごしたいと思っている人はかなりいるでしょうし、「高知県まるごとレジャーランド化」が上手くいけば、高知は全国に名を馳せる「観光立県」になれるのではと思いました。
この物語から何年か経った後の物語も読んでみたくなるような作品でした


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「ビタミンF」重松清

2014-08-29 01:09:20 | 小説
今回ご紹介するのは「ビタミンF」(著:重松清)です。

-----内容-----
38歳、いつの間にか「昔」や「若い頃」といった言葉に抵抗感がなくなった。
40歳、中学一年生の息子としっくりいかない。
妻の入院中、どう過ごせばいいのやら。
36歳、「離婚してもいいけど」、妻が最近そう呟いた……。
一時の輝きを失い、人生の”中途半端”な時期に差し掛かった人たちに贈るエール。
「また、がんばってみるか――」
心の内で、こっそり呟きたくなる短編七編。
第124回直木賞受賞作。

-----感想-----
この作品は以下の七編で構成されています。

ゲンコツ
はずれくじ
パンドラ
セッちゃん
なぎさホテルにて
かさぶたまぶた
母帰る

内容紹介に「人生の”中途半端”な時期に差し掛かった人たちに贈るエール」とあるように、どの短編も40歳前後の中年を迎えつつある父親が物語の語り手になっています。
そしてどの父親も子供のことや妻のことなど、家族のことで悩んだり戸惑ったりしています。

ゲンコツの語り手は加藤雅夫。
雅夫は自販機メーカーの営業マンで主任です。
入社16年目の38歳で、同期の吉岡とともに、この4月から二人揃って営業課の主任に昇進しました。
雅夫は物語の所々で自分が年をとったと考えています。
もう若くはないという思いが滲んでいて、カラオケで若手に混じって元気よく歌う吉岡を冷めた目で見ていました。
その雅夫がある日の帰り道、自販機に悪さをしていた中学生達を注意します。
中学生達は自分達が犯罪まがいなことをしていたのは棚に上げ、「かんけーねーよ!」「えらそーなこと言わないでくれる?」「今度、殺すから」などとこの手の中学生や高校生にありがちな乱暴なことを言っていました。
この中学生グループのうちの一人が同じマンションに住む家の子で…というのがこの物語です。
最初は妻に「毎日マンションの前にたむろしている中学生グループ、物騒で怖いから注意してガツンと言ってやってくれ」と言われて嫌がっていた雅夫でしたが、意外に男らしいところが見られました。


はずれくじの語り手は野島修一、40歳。
中学一年生の息子がいて、名前は勇輝と言います。
妻の淳子が病気になって入院し、父親と息子だけで何日か過ごすことになります。
勇輝は「どっちでもいいよ」という言葉をよく使います。
そして修一はそれに苛立っています。

「勇輝、ラーメンでも食うか」
「いいよ、どっちでも」
「腹減ってるだろ」
「べつにそんなことないけど、お父さん食べたいんでしょ?だったらいいよ」
「お父さんが、じゃなくて、おまえはどうなんだ?」
「だから、どっちでもいい」
「……食いたいのか食いたくないのか、それくらいわかるだろ」

こんな感じで、何か提案しても「どっちでもいいよ」と返ってくることが多く、修一はそんな息子に気疲れしていました。


パンドラの語り手は孝夫、40歳。
妻は陽子で、子供は中学二年生の奈穂美と小学四年生の晃司がいます。
奈穂美は14歳の誕生日を先月10月に迎えたばかりです。
その奈穂美が、コンビニで万引きをしたのが見つかり警察に補導されます。
男と二人組で万引きをしていたらしく、どうやらその男は奈穂美の彼氏のようでした。
孝夫はそんな男とは付き合うなと言いますが、奈穂美は「ごめんなさい」としか言いません。
孝夫は自分の娘との関係に行き詰まりを感じていました。
ちなみにこの話では陽子の以下の言葉が印象的でした。
「知らん顔をしてあげるのが、父親らしいのよ。無関心と知らん顔ってのは、ぜったいに違うんだから」
無関心の場合は気付いてさえいないということですが、知らん顔の場合は知ってはいても知らないふりをして相手を気遣ってあげているということで、たしかにこの差は大きいです。


セッちゃんの語り手は高木雄介。
妻は和美で、子供は一人娘の加奈子が中学二年生です。
加奈子は転校生の「セッちゃん」が特に理由もなくクラスから速攻で嫌われてしまい、超可哀想だということをよく両親に話します。
次第にセッちゃんの話はエスカレートしていき、明らかにクラス中からいじめに遭っているようでした。
そんな話を連日加奈子から面白可笑しく聞かされ、雄介も和美もうんざりして「もうそういう話はやめろ」と言うのですが、加奈子はなおも話をやめようとしません。
実際にはセッちゃんは加奈子が作り上げた架空の人物で、本当は自分のことを言っているのでした。
加奈子は本当はいじめのことを両親に伝えたかったはずです。
しかし自分がそんな目に遭っているとはプライドもあって言えず、しかし両親に話は聞いてほしいと思い、転校生のセッちゃんを作り上げたようです。
やがてセッちゃんとはうちの子のことだと雄介も和美も気付き、衝撃を受けます。


なぎさホテルにての語り手は岡村達也。
今夜12時に37歳の誕生日を迎えます。
妻は久美子で、子供は小学二年生の俊介と幼稚園の年長組の麻美がいます。
この日は家族で海辺のリゾートホテルにやってきました。
一見楽しい家族旅行に見えますが、久美子が「これが最後の家族旅行になるかもしれないしね…」と言っていて、達也と久美子の間に不穏な空気が漂っているのが分かります。

久美子が悪いわけではないのですが、達也は今の生活が嫌になってしまっていました。
ある日唐突に、「これが俺の人生か…」と虚しくなってしまったらしく、そこからは久美子のことも冷たくあしらうようになっていってしまいました。
最初のうちは戸惑い、どうしたら良いのかと達也に言っていた久美子も段々とそんな達也にうんざりしてきて、夫婦仲は冷えきって離婚寸前になっていました。
ちなみにこの話では以下の言葉が印象に残りました。
人間はもちろん、さなぎにはならない。だが、もしかしたらそれは体だけのことで、心はわからない。こどもからいっぺんにはおとなになりきれず、さなぎの時期を過ごすひともいるのかもしれない。


かさぶたまぶたの語り手は橋本政彦。
妻は綾子で、子供は一浪して予備校に通う兄の秀明と小学六年生の妹の優香がいます。
優香は私立中学に合格したばかりです。
「御三家」と呼ばれる名門の女子校で、かなり優秀な子のようです。
児童会長に、ボランティア委員会の委員長、子供会の班長も務めていて、来月の卒業式では総代で答辞を読むともありました。

政彦は広告代理店の企画部で20年余りイベントを手がけています。
家では立派で頼れる父親であろうと意識していて、常に気を張っていました。
当然家庭も順風満帆と思っていたのですが…
小学校卒業が間近に迫ったある日、優香に異変が起きます。
相当悩んでいたようなのですが、立派で頼れるはずの父親の政彦には何も話してくれていませんでした。
そして政彦も綾子から優香の様子がおかしいと聞いてはいたものの、あまり真剣には考えておらず、大したことないだろうと思っていました。
政彦はようやく、立派で頼れる父親は自分が思っているだけで、子供からは悩みごとの相談などできない父親だと思われていることに気付くことになります。


母帰るの語り手は拓己、37歳。
妻は百合で、子供は小学三年生の志穂と小学一年生の彩花がいます。
10年前、それまで33年連れ添っていた拓己の母が父に突然離婚をつきつける事件がありました。
熟年離婚です。
子育ても終わったし、後は自分の好きなように生きたいというのが理由でした。
父はそれを受け入れました。
そんな勝手な理由で家族を捨てて出ていった母を拓己は恨んでいます。
そして10年経った今、母が新たに連れ添った相手が亡くなります。
それを知った父が母に、もう一度一緒に暮らしてみないかと言うのですが…
拓己も拓己の姉の和恵もこれには反発します。
二人とも母には良い感情はなく、なぜ父が突然そんなことを言い出すのかと戸惑いや苛立ちを感じていました。
そして拓己と和恵は二人が生まれ育った家で今は一人で暮らす父のところに行くことになります。


この「ビタミンF」という作品では、どの短編にも救いがあるのが良いです。
どの短編も親子や家族などが単に崩壊したままでは終わらず、最後は少し希望が持てます。
まさにビタミンを摂ったように、いずれの短編も元気が出て読了することができるのは嬉しいです。
状況は決して良くはなくとも、今までとは流れが変わるのではと思えました。
各短編の登場人物達も自分と向き合うことができていましたし、良い流れに乗っていってほしいなと思います。


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「吉野北高校図書委員会2 委員長の初恋」山本渚

2014-08-26 23:59:58 | 小説


今回ご紹介するのは「吉野北高校図書委員会2 委員長の初恋」(著:山本渚)です。

-----内容-----
みんなの頼れる図書委員長・ワンちゃん。
彼の憧れは、いつものほほんと穏やかに見守ってくれる司書の牧田先生。
高2の冬、進路のことで家族ともめたワンちゃんは、安らぎを求め司書室へ。
だけどそこで出会った牧田先生の、普段とは異なる意外な素顔に動揺して……。
憧れから初恋へと変わっていく、高校生の甘酸っぱい葛藤を描いたシリーズ第2弾。
委員仲間のかずらへの初恋と将来の進路に悩む藤枝のパート「希望の星」を併録。

-----感想-----
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吉野北高校は、徳島県徳島市にある進学校です。
そこで図書委員会に所属する生徒たちが物語の中心となります。

委員長に岸本一(ワンちゃん)、副委員長に武市大地と川本かずら、書記に藤枝高広で、この四人が図書委員会の幹部でみんな二年生です。
二年生の主要登場人物にはもう一人西川行夫というものすごいオタクキャラがいます。
そして一年生で武市大地の彼女の上森あゆみ、司書の牧田先生の七人が主要な登場人物となります。

今作は「委員長の初恋」とあるように、図書委員長の岸本一(ワンちゃん)の初恋にスポットが当たり、主役になっていました。
物語の語り手もワンちゃんです。
ちなみにワンちゃんとは、一を英語読みするとワンになることからこの渾名になったようです。

時期は高校二年生の冬。
特別進学クラスの補習を終えたワンちゃんが牧田先生の居る司書室に来たところから物語は始まります。
まだ他の委員は誰も来ていません。
ワンちゃんはそこで読書を始めるのですが、ワンちゃんにとって他に誰も来ていないこの時間は大事なようで、
しんとした部屋の中で、僕がページをめくる音と、先生がボールペンを走らせる音だけが響くのが、耳に心地いい。先生と二人だけの司書室はとても静かで穏やかだ。
と何やら牧田先生を意識しているのが見て取れることを語っていました。
ちなみにワンちゃんがこの時読んでいたのは「時をかける少女」(著:筒井康隆)でした。

ワンちゃんによると、一年生の頃は武市大地と川本かずらとワンちゃんはずっと三人でつるんでいたとのことです。
そこに藤枝高広が加わり、後輩の上森あゆみが加わり、今までは三人で形成していた形が少しずつ変わっていったようでした。

今作はワンちゃんが語り手なだけに、ワンちゃんの家族も出てきました。
美咲と志保の小学校三年生の双子の妹。
中学二年生の弟の祐二。
父はサラリーマン、母は看護師で祖父母は農業を営んでいます。
家は二世帯住宅になっています。

ワンちゃんは常に周りに気を配っていて、他の人のことをよく見ています。
美咲が元気に遊んでいるように見えながらも熱を出している異変にもすぐに気づいていました。
他にも川本かずらについて、
川本さんは後輩でも世話になったらちゃんと「ありがとう」と言うし、迷惑をかけたら「ごめんね」と言う。それは川本さんがしていると、いとも簡単そうに、当たり前のように思えるけれど、本当は難しいことだ。
というように他の人をよく見ているのが分かる描写がありました。

そんなワンちゃんに、事件が起こります。
進路調査表に「O大学工学部環境工学学科」と書いたことに祖父が激怒。
ワンちゃんは都市の環境保全や緑との共生に興味があるのですが、農業を継ぐものと思っていた祖父はこれが許せないようでした。
ワンちゃんは動揺し、また、それくらいで環境工学はやめて農業にすべきかなと気持ちが揺らぐ自分自身にもだいぶ動揺していました。

ワンちゃんは心の安らぎを求めて牧田先生の居る司書室に行くのですが、牧田先生の意外な一面に遭遇してしまいます。
私はその場面を読んで普段とのギャップに衝撃を受けました。
普段おしとやかだからといって、常にそうとは限らないということです。
相当ショックを受けたようで、ワンちゃんの心の乱れようが半端ではなかったです。
普段のワンちゃんと全然違っていて、これには驚きました。
前作では常におおらかで落ち着いていたワンちゃんが初恋をして、その相手の意外な姿に珍しく物凄く動揺していたのが印象的でした。

そんな珍しく動揺しているワンちゃんを、牧田先生が励ましてくれます。
そしてこの時、ワンちゃんは完全に牧田先生のことを好きなのを自覚します。
牧田先生はワンちゃんより10歳近く年上らしいので、25~6歳だと思います。

「空飛ぶ広報室」(著:有川浩)に出てきた「愛の反対は無関心」と似た場面がありました。
この作品ではそれを逆から見たバージョンで、「無関心の反対は愛」です。
特に興味のない人であれば関心自体示さないし、その人のことが好きだから関心を持ち、意外な一面にショックを受けたりするということでした。

僕は今まだぐちゃぐちゃだ。そのことをこうやって、一つ一つ受け止めていくしかない。
これを見て、ワンちゃんは偉いと思いました。
ただ混乱しているだけではなく、きちんと自分自身のことを受け止めようとしています。
この初恋がどうなるのか、第三巻が気になるところです。


「希望の星」の語り手は藤枝高広。
藤枝が進路調査表が書けなくて居残りさせられていて、その様子をクラスメイトでもある川本かずらと壬生が見ています。
壬生はアニメの声優に興味があり、進路も東京に出てその方向で狙っているようです。
かずらは本が好きで本に関わる仕事をしたいことから司書を狙っています。

学校って多分そういう場所なのだ。未熟な奴が未熟ななりに、色々考える場所。
藤枝のこの考えは何だかすごく納得しました。
たしかに未熟なことこの上ないと思います。
そして未熟だというのをきちんと自覚しているのが偉いです。

物語は高校二年生の2月なので、あと二ヶ月でクラスが変わります。
かずらとも違うクラスになってしまうかも知れません。
その前に、もう一度告白をしようかと、藤枝は考え始めます。

ちなみに「希望の星」では「委員長の初恋」と同じ場面を、藤枝の視点で描いている箇所があります。
あの時はワンちゃんの視点でしたが、そのすぐそばに居た藤枝はこんなふうに考えていたのかというのが分かって面白かったです。

藤枝は前作で川本かずらが勧めていた竹久夢二の「宵待草」を読みました。
それをかずらに伝え、二人で話しているのを見ると、この二人がどうなるのかも気になるところです。

第三巻は高校三年生での物語になるはずです。
藤枝とかずらはどうなるのか、ワンちゃんの恋はどうなるのか、三巻もぜひ読んでみたいと思います

また、今日マチ子さんによる最後の2ページも良かったです。
この人のイラストは線の細さと温かみが上手く合わさっていて良いなと思います。
この作品には今日マチ子さんのイラストがかなり合っていると思うので、三巻にも期待しています


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「図書館の神様」瀬尾まいこ

2014-08-24 22:56:16 | 小説
今回ご紹介するのは「図書館の神様」(著:瀬尾まいこ)です。

-----内容-----
思い描いていた未来をあきらめて赴任した高校で、驚いたことに”私”は文芸部の顧問になった。
……「垣内君って、どうして文芸部なの?」
「文学が好きだからです」
「まさか」!……
清く正しくまっすぐな青春を送ってきた”私”には、思いがけないことばかり。
不思議な出会いから、傷ついた心を回復していく再生の物語。
ほかに、単行本未収録の短篇「雲行き」を収録。

-----感想-----
主人公は早川清(きよ)。
かつて、バレーボールがきよの全てでした。
中学校では県大会に、高校の時には国体に出場し、よい記録も残していたきよ。
将来は体育大学に進んで、ずっとプレイをするはずでした。

順調だった高校三年生のある日、事件が起こります。
臨時の全校朝礼でバレー部の同じ三年生の山本さんが自宅のマンションから飛び降りて亡くなったことが伝えられます。
キャプテンのきよが試合後のミーティングで、試合中にミスをしまくってチームを敗戦させてしまった山本さんを責めたのが原因のようでした。
この事件で部員からも反発を受け、部内にきよの居場所はなくなり、退部することになりました。
そしてきよは大学でもバレーボールを続けるために目指していた体育大学ではなく、住んでいた土地を離れ、地方の小さな私立大学に進学します。

ここまで、冒頭から語られたのですが、その文章構成が秀逸でした。
一気に読ませる魅力がありました。

きよは赴任先の高校での担当教科が国語で、文芸部の顧問でもあります。
大学は文学部だったのですが、本人は文芸部の顧問になったことに不満を感じています。
また、文学部の部員はたった一名しかいません。
その一名が3年C組の垣内君で、きよとの二人での文芸部活動方針決めを、かなりてきぱきと決めていきました。
この時の会話のスピード感は凄かったです。

大学三回生だったきよはもう一度バレーボールに関わりたいと思い、バレーボール部の顧問になるために慌てて教職課程の授業を受け、教員免許を取り、高校の講師になりました。
一年契約の講師です。
しかしバレーボール部ではなく、文芸部の顧問になってしまいました。

また、きよは浅見さんという人と付き合っています。
きよが通うお菓子作りの教室の講師が浅見さんでした。
しかし浅見さんは結婚していて、二人の関係は不倫です。
教師は聖なる職業、聖職と言われていて、それなのに不倫とはいかがなものかと思いました。
ただきよの立場は教員試験に受かった教師ではなく一年契約の講師なこと、またきよ自身生徒にものを教えるのが好きなのではなく、バレーボール部の顧問になりたくて教育現場に入ってきたことから、あまり熱心な教育者ではないです。
ちなみに私は浅見さんという人に嫌悪感を抱きました。
この人、自分は家庭という安全圏に身を置き、自分が会いたい時だけきよのところにやってきます。
口では「愛しているよ」などと言いますが、家庭を捨ててまで付き合う気は毛頭ないようです。
きよはきよで寂しさからつい浅見さんと一緒に居ることを選んでしまい、いいように愛人として利用されているなと思いました。

文芸部の活動は常に図書館なのですが、講師を始めて1ヶ月経った5月のある時、きよは川端康成「抒情歌」の冒頭部分を読んで、山本さんのことを思い出していました。

「私のせいなの?」
「どうして死んだの?」
「許してくれているの?」

きよは今まで何度も心の中で山本さんに話しかけています。
山本さんの死はきよにとって大きな心の重しになっているようでした。

きよには拓実という一歳年下の弟がいます。
拓実はきよが地方の小さな大学に行くことになったことなど、きよのこれまでのことに心を痛めているようで、浅見さんとの不倫についても「今の姉ちゃんには不倫するくらいが丁度いい」というようなことを言っていました。
精神的なダメージから完全には立ち直っていないことを弟は分かっているようです。

文系クラブは毎日ダラダラ過ごしていると言うきよと、バレー部のほうが毎日同じことの繰り返しだと言う垣内君の言い合いは面白かったです。
スポーツタイプのきよは文芸部の活動が退屈なようで、顧問というより学生のノリで垣内君に不満をぶつけるのですが、垣内君がすごく冷静にしかもテンポ良く切り返してくるので読んでいて楽しかったです。
きよはこの時点では22歳、垣内君も17歳か18歳で年齢が近く、垣内君が大人びていることもありあまり顧問と学生には見えなかったです。

夏休みに教員採用試験があり、きよはそれに臨むことになります。
そして全然駄目だったはずの試験に合格してしまいます。
どうやら熱血タイプよりもきよのような無難な受け答えをするほうが好まれるらしく、それで合格したようでした。

部活の活動費が少ないから垣内君が詩を書いてそれを売り出そうときよが言い出し、
「ほら、人生は厳しいけど、君は一人じゃなくて、誰だってみんな本当は弱くて、僕はいつだって君の味方だよ。みたいなことをしゃれて書いたら絶対ヒットするよ」
と言っていたのはウケました(笑)

人は実はいつも語りたがっている。自分の中のものを表に出す作業はきっと気持ちがいいのだ。
これはたしかにそうかも知れないと思いました。
自分が感じていること、思っていることを口に出したり紙に書いたりすると気持ちの整理がつきすっきりすると思います。

ちなみに垣内君は中学の時サッカー部のキャプテンでした。
その時の部員が夏の部活の練習中に突然倒れて、入院する事態になったことがあります。
それにキャプテンとして責任を感じて、高校ではサッカー部には入らずに、文芸部に入ったようです。
この状況はきよと似ていると思いました。
また、きよは垣内君について、
「同じ年代の中にいるのには、垣内君はきっと少し成長しすぎている」
と述懐していました。
本当にすごく大人びていて、きよとの会話もどちらが文芸部の顧問なのか分からないくらいです。

きよと垣内君が図書室の大規模な本の整理をやり遂げてハイタッチをしている時、
きっと、バレーボールをしている時にも、こんな風にハイタッチをしていたら、私はいいキャプテンでいられたに違いない。
と高校のバレーボール部時代を思い出す場面がありました。
きよは頻繁にバレーボール部時代のことを思い出していて、それだけ当時のことが心の重しになっているのがよく分かりました。
また、きよは毎月山本さんのお墓参りにも行っています。

やがて新たな春を迎え、物語は終わりを迎えます。
この物語ではきよの一年が描かれていました。
自分が罵倒したせいで死んでしまったのであろう山本さんのことは一生忘れられないとは思いますが、この終わり方を見ていたらきっと人の心の痛みがよく分かる、素晴らしい教師になっていくのではないかと思いました。


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8月下旬ともなると

2014-08-23 15:50:08 | ウェブ日記
8月下旬ともなると、学生さんの夏休みも残り少なくなってきます。
毎年この時期は読書感想文の検索でこのブログに飛んでくる人が現れるようになります。
gooブログのアクセス解析でその日の検索キーワードの上位20位までを表示できるのですが、夏休みになってからは毎日のように読書感想文での検索がランクインするようになっています。
ここ3日間の検索キーワードで、読書感想文関連のものを以下にざっとご紹介します。


8月20日
もものかんずめ 読書感想文  7 PV
5年3組リョウタ組 読書感想文 7 PV
読書感想文 サクラ咲く    4 PV
幻想郵便局 読書感想文    3 PV
珈琲店タレーランの事件簿 読書感想文 2 PV

8月21日
吉野北高校図書委員会 読書感想文 8 PV
神去なあなあ日常 読書感想文 5 PV
幻想映画館 感想文     5 PV
幻想郵便局 読書感想文    3 PV
太陽のパスタ、豆のスープ 感想文 2 PV

8月22日
るり姉 感想文       7 PV
珈琲店タレーランの事件簿 読書感想文 4 PV
神去なあなあ日常 読書感想文 4 PV
八日目の蝉 紹介文      3 PV
読書感想文 幻想郵便局    2 PV

これを見ると、なかなかみんな読書感想文に困っていそうだなと思います
小説は読めたとしても、感想を書くのは苦手という人は結構いると思います。
そこでネットの書評を参考にしようとなるのでしょう。
「幻想郵便局」は特に検索が顕著で、これ以前の日もほぼ毎日「幻想郵便局 読書感想文」のような検索キーワードがあります。
学校の課題図書になったりしているのかも知れませんね。

昨年は夏休み終了間近になってさらに読書感想文の検索が増えていましたが、今年はどうなるのか気になるところです。
厄介な夏休みの宿題の一つだと思いますので、無事に切り抜けられるように学生さん達の健闘を祈ります

「もういちど生まれる」朝井リョウ

2014-08-22 23:59:28 | 小説
今回ご紹介するのは「もういちど生まれる」(著:朝井リョウ)です。

-----内容-----
彼氏がいるのに、別の人にも好意を寄せられている汐梨。
バイトを次々と替える翔多。
絵を描きながら母を想う新。
美人の姉が大嫌いな双子の妹・梢。
才能に限界を感じながらもダンスを続ける遥。
みんな、恥ずかしいプライドやこみ上げる焦りを抱えながら、一歩踏み出そうとしている。
若者だけが感受できる世界の輝きに満ちた、爽快な青春小説。

-----感想-----
この作品は以下の五編で構成されています。

ひーちゃんは線香花火
燃えるスカートのあの子
僕は魔法が使えない
もういちど生まれる
破りたかったもののすべて

どの作品も、その年に20歳を迎える若者達が語り手です。

「ひーちゃんは線香花火」の語り手は汐梨(しおり)。
冒頭、風人(かざと)とひーちゃんの三人で徹夜でマージャンをしていた明け方、部屋で寝てしまっていた汐梨は誰かにキスをされたようでした。
どうやらそれは風人のようでした。
汐梨は動揺します。
汐梨には尾崎という彼氏がいて、友達は風人とひーちゃんの二人です。
「東京に出てきたあたしの両手はそれでいっぱいだ」と述懐していて、この三人が汐梨の人付き合いの中心となります。
ちなみにひーちゃんの名前は「ひかる」で、三人ともR大学という東京都内の大学に通っています。

「あたしが子どものころに想像していた19は、こんなふうに、ぐしゃぐしゃになった洗濯ものを放っておいたりはしなかったはずだ」という心境は、たしかにそのとおりだと思いました。
私はもう少し後の21歳頃に、仕事で精神的な疲労が激しく、似たようなことになったことがありました。

汐梨は「線香花火の危うさは、ひーちゃんに似ている」とも語っていました。
いつ消えてしまうかわからないような儚さがあるということです。
また、この話には最後に意外な展開が待っていました。
どんでん返しに驚きました。


「燃えるスカートのあの子」の語り手は佐久間翔多。
翔多のバイト先にハル(遥)という子がいます。
ハルは短い黒髪にブルーのメッシュを入れていて、ダンスの専門学校にも通っていて、独特な雰囲気を放っています。
翔多は同じ大学の椿という人のことが好きで、ハルが高校時代に椿と仲良しクラスメイトだったことからあれこれ聞こうとしていますが、ハルには煙たがられています。
ちなみに椿は読者モデルとして雑誌に載ったりもしていて、なかなか派手な子です。

この話には翔多の少し話す友達で、派手なパーマでメガネのフレームが虹色の礼生(れお)が登場します。
礼生は映画サークルで映画を撮っています。
一話目でほんの少しだけその存在が描かれていて、二話目への伏線になっていました。
その他、大学内のパン屋で汐梨がアルバイトをしていることについての翔多と礼生の会話から、一話目と同じ大学が舞台なのが分かりました。

翔多には丘島純(オカジュン)、佐倉結実子(ゆみこ)、椿の三人の友達がいます。
オカジュンは結実子のことが好きで、翔多は椿のことが好きです。
翔多の「あったかいごはんに納豆と味噌汁と焼き魚がそろったように、オレたち四人はいつでも無敵になれる」という言葉が印象的で、なかなか良い四人組のようです。
また、この物語では「何者かになりたくて」「何者にもなれなくて」といった言葉がよく出てきます。
後の直木賞受賞作「何者」につながるものがあるなと思いました。


「僕は魔法が使えない」の語り手は渡辺新(あらた)。
新は一浪して美術大学に入りました。
ナツ先輩という人がよく出てくるのですが、この人の妹は二話目に出てきたハルです。
また、新の父は亡くなっていて、母は鷹野さんという人と再婚するかもしれず、そのせいで新は母とうまく向き合えなくなっていました。

また、ナツ先輩はR大学の映画サークルの映画撮影を手伝っていました。
R大学は一話目と二話目に出てきた大学です。
派手なパーマで虹色のメガネフレームの礼生が、ナツ先輩が描いたダンサーの画を美術展で見て気に入り、声をかけてきていました。
新はナツ先輩の助手としてくっついて行っていました。

この話で新は人物画を描こうとするのですが、「悲しみや希望や無念や様々な感情はあるけれど、微笑みがどの感情よりもほんのちょっとだけ多いような、そんな人物画を描きたい」と語っていました。
これは印象的な言葉でした。
悲しみや希望や無念や様々な感情はあるけれど、微笑みがどの感情よりもほんのちょっとだけ多いというのは、きっと温かみのある優しい表情になるのではと思います


「もういちど生まれる」の語り手は柏木梢。
椿は双子の姉です。

私は「普通に話せる」という感覚はとても難しいと思う。笑わせようとか、盛り上げようとか、沈黙が気まずいとか、そういうことを一切気にしなくていいような、心拍数の変動が全くないような「普通」の会話ができる相手って、きっと、すごく貴重だ。

冒頭からこの文が出てきて目に留まりました。
これはまさにそのとおりだと思います。
無理して笑わせたりせず、沈黙を恐れず、自然体で話せるような相手は本当に貴重だと思います。

梢は高田馬場駅の近くにある予備校に通っています。
二浪してしまい、予備校で20歳を迎えることになりました。
ちなみに一話目に出てきた風人と梢は幼馴染みで、風人は梢のことを「こっさん」と読んでいます。

こんな感じで、どの話も少しずつリンクしています。
例えばその話に出てきた友達の向こう側の日常が、次の話で描かれていたりします。
友達のこちら側の人から見れば向こう側は未知ですが、友達から見ればこちら側も向こう側も両方が日常となります。

梢は予備校の先生に片思いをしています。
妻子持ちとのことで、好きになってはいけない人を好きになってしまいました。
また、梢は椿のことを苦手にしていて、嫌っています。
梢はルックスにおいて自分より全てにおいて上回っている椿にコンプレックスを持っていて、この物語の最大のテーマでした。

19歳から20歳になるという、まるで水平線をまたぐような一歩を含んだ、人生に一度きりの夏

これもすごく印象的な言葉でした。
10代最後の夏というのは、特に意識するものだと思います。


「破りたかったもののすべて」の語り手は遥。
二話目に登場した「ハル」です。
遥はスクエア・ステップス東京校というダンスの専門学校に通っています。
二話目でのつっけんどんで自信がありそうな態度とは違い、実際の遥は才能の壁を前に行き詰まっていました。
同じクラスには有佐(ありさ)という圧倒的なダンスセンスの持ち主がいます。
遥はそれを見て敗北を感じています。
発表会のポジション決めに向けて一人で練習している時、「苦手なところを思いっきり練習できるのは、スタジオに誰もいない数分間だけだ」と胸中を語っている場面がありました。
これは弱味を見せられないということで、何となく分かります。
情けない姿を見せたくないのだと思います。

夜な夜な多くのダンサーが練習をしているという新宿駅西口近くにある大きなガラス張りのビルは、新宿モード学園コクーンタワーのことではないかと思いました。
ガラス張りのビルが夜になると大きな鏡のかたまりになるため、ダンサーに重宝されているようです。
遥もそこで練習をします。

翔多から見た「ダンスができるなんてすごい」な遥と、自身の限界に直面して挫折している遥のギャップが凄い、ちょっと切ない物語でした。
そして有佐はそんな遥のことも馬鹿にはせず、正面から声をかけてくれていて、遥との内面の差も描き出されていました。
遥がそれを受け止めて、自分なりのダンスで道を切り開いていってくれたら嬉しいなと思いました。


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「ビリジアン」柴崎友香

2014-08-19 23:35:22 | 小説
今回ご紹介するのは「ビリジアン」(著:柴崎友香)です。

-----内容-----
どこにでも行ける。
その意志さえあれば──。
黄色い日、白い日、赤い日。
映画、ロック、火花、そして街。
10歳から19歳まで、誰かにいつか存在した、ある瞬間。
第32回野間文芸新人賞受賞後初の小説作品、新たなる代表作の誕生!

-----感想-----
主人公は山田解(かい)。
過去を振り返る形で、10歳から19歳までの山田解の日々が断片的に、時系列も行ったり来たりを繰り返しながら描かれています。
どの物語も10ページ少々と短く、それが20編あります。

一番最初の「黄色の日」は、私も何度か見たことがあります。
空が黄色がかって見える日で、これは中国から飛んでくる「黄砂」が原因です。
この時の山田解は小学五年生で、黄砂が原因とは分かっていませんでした。
私も小学五年生の頃はまだ分かっていなかったと思います。

この作品では、断片的に語られていく章ごとに何人もの人物が登場します。
ピーター・ジャクソンさんなど、外国人も何人も登場します。
時系列もバラバラに語られていることから、もしかして一度登場した人物が後でまた出てくるのかなと思いました。
そして実際に再登場してきて、やはりそうかと思いました。

「鳩は首と足の筋肉がつながっていて、首を動かさずに歩くことはできない」というのは興味深かったです。
これは知りませんでした。
たしかに鳩が歩いている姿を思い浮かべてみると、首が常に動いているなと思います。

一度17歳の時まで行って、また10歳の時の物語に戻ってくることがありました。
そこには冒頭の「黄色の日」に登場した西山先生が再登場していて、やはり断片的な物語が続くから再登場が頻繁にあるなと思いました。

また、何となく再登場しそうな人物は分かるものがありました。
解とそれなりによく話し、解が愛称で語っている人物は再登場する確率が高いです。
反対に「○○さん」という呼び方の場合はあまり再登場はしないです。
解の中学校時代の物語に出てくる「愛子」「みなりん」「ぶっち」などはわりとよく再登場していました。

高校一年生の時の物語で、美空ひばりが亡くなった日の物語がありました。
なのでこの時の時系列は1989年の6月と分かりました。
この時16歳とすると、今は16+25=41歳で、柴崎友香さんの年齢と一致します。
なので柴崎友香さんの人生経験、見てきたものが生かされた物語になっているのかも知れないと思いました。

山田解はぜんそく持ちなのですが、小学五年生の時のある物語で「公害認定」だということが分かりました。
今はあまり聞きませんが、この当時は公害でぜんそくを発症することがあったようです。

小学五年生か六年生かは分かりませんが、11歳の時、解は殴られて鼻血を出していました。
どちらかというとつっけんどんなタイプなので、解のことが気に入らない人がいたようです。

16歳の時の物語で「おぼこい」という言葉が出てきました。
これはどういう意味なのか調べてみたら、関西弁で「無邪気な」や「初々しい」という意味のようです。
静かな物語の中で時折興味を惹くキーワードが出てきたりするのが特徴的です。

物語はすごく淡々とした語り口調で一貫しています。
特に大きなことは起きず、日常が描かれていて、柴崎友香さんらしい雰囲気の作品だと思いました。


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「星のしるし」柴崎友香

2014-08-17 22:51:14 | 小説
今回ご紹介するのは「星のしるし」(著:柴崎友香)です。

-----内容-----
UFO、占い、家族…
30歳を前にした会社員・果絵と周囲の人々をつなぐ、いくつもの見えないしるし。
悩みがないわけじゃない。
でも、いいあらわせない大切なものが輝きはじめる。街と人々をやさしく包みこむ、著者の新たなる傑作。

-----感想-----
主人公は野村果絵(かえ)。
今年で30歳になる29歳です。
時期はお正月で、カツオと皆子とともに、奈良県と京都の境目にあるファミリーレストランで待ち合わせていました。
皆子は果絵と同じ29歳で、カツオは20歳の貧乏学生です。
会話の中で占いの話になって、皆子は自身のことを占ってもらうことにします。

果絵の会社には女性が六人居て、その中の最年長に柿原さんという人がいます。
この人は果絵に「ライフカウンセリング」というパワーストーンを使ったヒーリングを勧めてきていて、この作品には占いやヒーリングといったものがよく出てきます。

カフェ「スターバックス」の騒がしさの表現は上手かったです。
こういうのを「ガヤガヤ」というのですが、その表現は使わず、店員さんの声とお客さんの声をそれぞれ描写して、間接的に「ガヤガヤ」を表現していました。

皆子には岡ちゃんという、果絵と皆子の同級生でもある夫がいます。
果絵にも朝陽(あさひ)という彼氏がいます。
ほかにも果絵たちの2つ下の直美など、何人かの人が登場します。
ただあまり人物像は深く描かれていなくて、軽くサラッとした登場になっているのが特徴です。
会話を読んでいて、これは誰の言葉だろうかと分からなくなることがあります。
しかしそれでも会話自体が他愛ないものであるため、問題なく読んでいけました。

果絵は柿原さんに勧められたライフカウンセリングに行きます。
パワーストーンを使ったヒーリングの施術を受けていましたが、意外と体の疲れが取れるような効果はあったようです。
ただ私はパワーストーンには懐疑的です。
パワースポットであれば、明治神宮の神聖な空気の凄さを知っているためそれなりに信じていますが、石だとあまり信じる気にならないです。

また、果絵は今度は占いにも行きます。
先にその店に行ってはまった様子の皆子に連れられて行きました。
この占いは手相を見て占うお店だったのですが、いかにも占い師という出で立ちの人ではなく、柔らかい物腰の洒落た感じのお姉さんが出てきたのが意外でした。

果絵の母の様子が何だかおかしくて、もしかして初期の認知症かなと思いました。
何かをし始めるとそれまでやっていた別の何かをすっかり失念してしまったり、妙にボーッとしたりといった場面がありました。
ただ後半は問題なく一人で徳島に行ったりもしていたので、単にこういう性格なのかも知れません。

また、朝陽が果絵の彼氏であることは最初は示唆だけされて、読み進めていくと確定しました。
最初から彼氏として登場させるのではなく、示唆だけでの登場なので、読むほうは「この人は彼氏なのか?」と考えながら読んでいきました。
柴崎友香さんの作品ではこういう描写をしていることがあります。

占いについて、「だけど、こういうことのために、みんな占いに行くんだろうということは、うすうすわかっていた」と果絵が心の中で言っている場面がありました。
これは、占うというよりは、自分のことを理解し、慰めてもらいたいという気持ちのほうが強いということです。

また朝陽の「占いはカウンセリング。人生相談やって。話聞いてもらうことに意味があんの」という言葉も印象的でした。
私も占いにはカウンセリング的な意味合いもあるのではと思います。
さすがに占い師とカウンセラーを同一視はしませんが、どちらも人に相談するという共通点があります。

物語の終盤に石切神社というのが出てきました。
病気平癒を祈願する神社として人気があるとのことです。
そこで「お百度」をやっている人達がいました。
皆子はそれについて「自分でどうにもなれへんことがあって、できることはこれぐらいしかなかったら、やるんちゃうかな。わたしも、果絵さんも」と言っていました。
私もたぶん、やると思います。
最後は元を担いでみたり、神様に頼んでみたりすると思います。

全体的に占いやパワーストーンによるヒーリングなど、神秘的なものが物語に大きく関わっていました。
そういったものを試しつつ、果絵は極度に傾倒することもなく、自分を見つめられていたのではと思います。
淡々としつつもなかなか興味を惹く物語でした。


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同窓会

2014-08-16 23:32:46 | ウェブ日記
今日は中学校の同窓会がありました
同窓会が開催されるのは中学校卒業以来14年ぶりです。
14年ぶりに顔を会わせてみると、すぐ分かるくらい昔のままな人もいましたし、全く分からない人もいました。
男子は比較的分かったのですが女子は大幅に変わっていて誰だか分からず「ちなみにお名前は」と聞くことが何回かありました。
全く会っていなかったものの結構色々話すことができ、楽しい時間を過ごすことができました

同じテーブルに座った人の一人が、「小学校の先生になりたくて、今はもう一度大学生になっている」と言っていました。
「この年で何をやってるんだという感じだが」とも言っていました。
私はこの時、「いや、そんなことはない」と一言だけ言いました。
一緒に聞いていた女の人も同様のことを言っていました。

私は家に帰ってきてからその人に以下のようなメールを送りました。


「この年で何をやってるんだという感じだが、と仰られていましたが、私はそんなことはないと思います。
まだ30歳を迎えたばかり、何をやるにしても遅いということはありません。
定年まで見つめるとあと30年もあります。

以下は東京九段・靖国神社で毎年行われる「みたままつり」に昨年行った時、境内に奉納されていた言葉のひとつです。

「為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり」

私はこの言葉が強く印象に残っています。
何かを為し遂げようとする時、それが叶うかどうかはその人の情熱次第。強い意志を持って行動すれば、それは達成に向かうという意味です。
小学校の先生になりたいという○○さんの目標も、情熱を持って取り組めば叶えられるのではないでしょうか。」


私の世代は今年度で30歳になる世代です。
私も来月で30歳を迎えます。
30歳は、人生の進む方向、目指す方向がある程度見えてきて、そこに向けて進みだす頃合いという気がします。
20代は自分に何が合うのか見定められず、苦労し悩むといったことが往々にしてあるのではないでしょうか。
なので自身が小学校の先生になりたいと考え、もう一度大学生として勉強し進み出しているのであれば、全く遅いということはないです。
仮に60歳が定年だとするとあと30年、65歳が定年だとするとあと35年もあります。
「為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり」の最後の二節は、成就しないのは、その人がやろうとしないからという意味です。
転じて、情熱を持って取り組めば、成就に向かうということでもあります。
長い長い現役の社会人としての生活、出来ることなら自分のなりたいもの、もしくはなりたいものに近いものになって、過ごしていきたいものです。

そんなことを考えさせられる同窓会でした。


終戦の日 反天連について

2014-08-15 14:39:17 | ウェブ日記
今日8月15日は69回目の終戦の日。
こうして今の日本があるのは、第二次世界大戦、太平洋戦争(大東亜戦争)を日本のために戦ってくれた先人達のおかげです。
白人至上主義が世界を支配していたあの当時、この人達の戦いがなければ今頃日本という国は植民地にされ消滅していたことでしょう。
今年も東京九段、靖国神社には大勢の人が参拝に訪れています。
私も日本のために戦ってくれた先人達に感謝致します。

今年は反天連(反天皇制運動連絡会)について触れてみようかと思います。
反天連(反天皇制運動連絡会)とは毎年8月15日に靖国神社にやってきて、昭和天皇の骸骨を掲げて反天皇デモを行う反日極左過激派団体のことです。
靖国神社前での天天連デモの動画を以下に示します。



極左過激派団体のデモのため、機動隊が多数出動し、とんでもない物々しい雰囲気になっているのが分かると思います。
わざわざ8月15日に靖国神社に押しかけ、昭和天皇の骸骨を掲げて天皇反対及び靖国潰せを叫ぶこの集団、どう見ても狂気の沙汰です。
さらにこの反天連(反天皇制運動連絡会)の反天皇デモには在特会(在日特権を許さない市民の会)がカウンターを掛けに来ていたり、個人で抗議に来た人がいたりで、毎年靖国神社前で一触即発の状態になっています。
機動隊が多数出動しているのは、反天連がやっているデモが文字通りの反日極左でやばすぎるため、在特会(在日特権を許さない市民の会)のような対立する団体などが黙ってはおらず、激突が起きるのを防ぐ目的もあると思います。
私的には英霊の方々が眠る靖国神社を激突の舞台にしてほしくはないので、反天連の方々、反日左翼思想全開のイカレたデモで暴れるのはやめてほしいです。

最近ヘイトスピーチなる言葉を聞きますが、昭和天皇の骸骨を掲げて貶めるこれこそヘイトスピーチの最たるものだろうと思います。
わざわざ8月15日に靖国神社に押しかけてきて天皇反対及び靖国潰せを叫び終戦の日の参拝に嫌がらせするこの行為、到底理解できるものではないです。