今回ご紹介するのは「窓の向こうのガーシュウィン」(著:宮下奈都)です。
-----内容-----
周囲にうまく馴染めず、欠落感を抱えたまま十九年間を過ごしてきた私は、ヘルパーとして訪れた横江先生の家で、思い出の品に額をつける〈額装家〉の男性と出会う。
他人と交わらずひっそりと生きてきた私だったが、「しあわせな景色を切り取る」という彼の言葉に惹かれて、額装の仕事を手伝うようになり―。
不器用で素直な女の子が人の温かさに触れ、心を溶かされてゆく成長ものがたり。
-----感想-----
主人公の佐古は未熟児として生まれます。
経済的に貧しくお金を心配した両親が保育器に入れることを拒否したため、耳は聞こえるものの、雑音が混じって聞こえるようになりました。
未熟児のため機能が足りていませんでした。
その影響で人生においても周りに上手く馴染めずに今までを過ごしてきました。
佐古は高校を出て薬問屋に就職します。
しかし会社は半年で倒産。
高校を出て半年で、まさかの失業者になってしまいました。
その後佐古はホームヘルパー三級の資格を取り、横江さんという人の家に派遣されます。
要介護者は横江正吉という79歳の、かつては先生をしていた人。
この家に派遣されたことで佐古の人生に変化が訪れます。
佐古が横江さんの家に派遣されるようになって早々、興味深い表現が出てきました。
ヘルパーの掟は、与えられた仕事以外のところには指一本触れないこと。
好きかどうかを基準にするのは、淀の外枠を指一本で触れるどころか、指を十本分合わせて掴んでがしんがしんと揺さぶるようなことなんじゃないだろうか。
淀の外枠とは京都競馬場(通称”淀”)の外枠のことだと思うのですが、これを指一本で触れるとはどういう意味なのでしょうか。
この表現は気になりました。
競馬場の外枠は掴んでがしんがしんと揺さぶったところでびくともしないので、そこから転じて無謀なこと、無意味なことという意味なのかなと思いました。
横江先生の家で佐古は先生の息子で「額装家」をしている男と出会います。
レコードのジャケットなど、依頼人にとっての思い出の品に枠をつけて飾れるようにすることを「額装」と言います。
佐古が小学生の頃にやっていたボードゲームに登場する「犯人」に似ていることから、佐古は心の中でこの男のことを「犯人」と呼んでいました。
しあわせな景色を切り取る、と犯人はいった。
切り取った景色を、額に入れて飾るのだろう。
いい仕事だと思う。
今度横江先生のお宅を訪問するときが、今から楽しみだ。
あの人が誰のどんなしあわせを額装するのか、後ろのほうから見させてもらおうと思う。
このように胸中で語っていて、佐古は横江さんの家に行くのが楽しみになっていました。
「後ろのほうから見させてもらおうと思う」という言葉には佐古の欠落感を抱えた19年間の、遠慮がちな様子が現れているなと思いました。
作中において「サマータイム」という歌が何度も登場します。
歌うのはエラ・フィッツジェラルドで作曲はジョージ・ガーシュウィン、作詞はデュポーズ・ヘイワード。
佐古が子供の頃によく聴いた歌で、佐古にとって特別な歌となっています。
作品タイトルの「窓の向こうのガーシュウィン」は額装の額を窓に見たてたのと、サマータイムの作曲者ガーシュウィンから来ているようです。
宮下奈都さんは歌に造詣が深いのか、「よろこびの歌」などでも作中で歌を扱っていました。
ちなみに、横江先生は認知症の症状が出始めています。
そのことについて、孫の隼(犯人の息子で、佐古とは中学の時の同級生だった)と佐古が話していた時、印象的な言葉がありました。
壊れてしまった日々、なくしてしまった日々を、取り戻せるわけがない。
たしかに失われた日々は戻っては来ません。
しかしこれからの日々をかつてに近づけることを目指し進んでいくことはできます。
それが相対的に見て取り戻すということなのだと私は思います。
「しなくてもいいや、って思っちゃえばたしかに平穏に暮らせると思うの。いろんなことに距離を取って、近づかないようにして、何にも執着しないで生きられれば楽だよ。だけどね、なんでもかんでもなくていいって思えるようになったらね」
この佐古の言葉は状況次第だと思います。
例えば、疲れきっている時はそれで良いと思います。
そして気力が戻ってくれば再び上昇思考になる、ということではないでしょうか。
そしてこの言葉から明らかなように、佐古の心境には変化が現れています。
欠落感を抱えてきた今までの19年感はまさに佐古が隼に語ったこの言葉そのもののような生き方をしてきましたが、そこから前に進もうとしています。
佐古の心境は変わっていき、段々と自信を持っていきます。
終盤に出てきた「今を大事にする」という言葉は印象的でした。
「今」このときを捕まえて味わいつくさなきゃいけないともありました。
私としても、過去を悔やんだり未来を不安がったりしてばかりいると、「今」が疎かになってしまうと思います。
過去、現在、未来のうち、現在は最も重要だというのをこの作品を読んで改めて実感しました。
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-----内容-----
周囲にうまく馴染めず、欠落感を抱えたまま十九年間を過ごしてきた私は、ヘルパーとして訪れた横江先生の家で、思い出の品に額をつける〈額装家〉の男性と出会う。
他人と交わらずひっそりと生きてきた私だったが、「しあわせな景色を切り取る」という彼の言葉に惹かれて、額装の仕事を手伝うようになり―。
不器用で素直な女の子が人の温かさに触れ、心を溶かされてゆく成長ものがたり。
-----感想-----
主人公の佐古は未熟児として生まれます。
経済的に貧しくお金を心配した両親が保育器に入れることを拒否したため、耳は聞こえるものの、雑音が混じって聞こえるようになりました。
未熟児のため機能が足りていませんでした。
その影響で人生においても周りに上手く馴染めずに今までを過ごしてきました。
佐古は高校を出て薬問屋に就職します。
しかし会社は半年で倒産。
高校を出て半年で、まさかの失業者になってしまいました。
その後佐古はホームヘルパー三級の資格を取り、横江さんという人の家に派遣されます。
要介護者は横江正吉という79歳の、かつては先生をしていた人。
この家に派遣されたことで佐古の人生に変化が訪れます。
佐古が横江さんの家に派遣されるようになって早々、興味深い表現が出てきました。
ヘルパーの掟は、与えられた仕事以外のところには指一本触れないこと。
好きかどうかを基準にするのは、淀の外枠を指一本で触れるどころか、指を十本分合わせて掴んでがしんがしんと揺さぶるようなことなんじゃないだろうか。
淀の外枠とは京都競馬場(通称”淀”)の外枠のことだと思うのですが、これを指一本で触れるとはどういう意味なのでしょうか。
この表現は気になりました。
競馬場の外枠は掴んでがしんがしんと揺さぶったところでびくともしないので、そこから転じて無謀なこと、無意味なことという意味なのかなと思いました。
横江先生の家で佐古は先生の息子で「額装家」をしている男と出会います。
レコードのジャケットなど、依頼人にとっての思い出の品に枠をつけて飾れるようにすることを「額装」と言います。
佐古が小学生の頃にやっていたボードゲームに登場する「犯人」に似ていることから、佐古は心の中でこの男のことを「犯人」と呼んでいました。
しあわせな景色を切り取る、と犯人はいった。
切り取った景色を、額に入れて飾るのだろう。
いい仕事だと思う。
今度横江先生のお宅を訪問するときが、今から楽しみだ。
あの人が誰のどんなしあわせを額装するのか、後ろのほうから見させてもらおうと思う。
このように胸中で語っていて、佐古は横江さんの家に行くのが楽しみになっていました。
「後ろのほうから見させてもらおうと思う」という言葉には佐古の欠落感を抱えた19年間の、遠慮がちな様子が現れているなと思いました。
作中において「サマータイム」という歌が何度も登場します。
歌うのはエラ・フィッツジェラルドで作曲はジョージ・ガーシュウィン、作詞はデュポーズ・ヘイワード。
佐古が子供の頃によく聴いた歌で、佐古にとって特別な歌となっています。
作品タイトルの「窓の向こうのガーシュウィン」は額装の額を窓に見たてたのと、サマータイムの作曲者ガーシュウィンから来ているようです。
宮下奈都さんは歌に造詣が深いのか、「よろこびの歌」などでも作中で歌を扱っていました。
ちなみに、横江先生は認知症の症状が出始めています。
そのことについて、孫の隼(犯人の息子で、佐古とは中学の時の同級生だった)と佐古が話していた時、印象的な言葉がありました。
壊れてしまった日々、なくしてしまった日々を、取り戻せるわけがない。
たしかに失われた日々は戻っては来ません。
しかしこれからの日々をかつてに近づけることを目指し進んでいくことはできます。
それが相対的に見て取り戻すということなのだと私は思います。
「しなくてもいいや、って思っちゃえばたしかに平穏に暮らせると思うの。いろんなことに距離を取って、近づかないようにして、何にも執着しないで生きられれば楽だよ。だけどね、なんでもかんでもなくていいって思えるようになったらね」
この佐古の言葉は状況次第だと思います。
例えば、疲れきっている時はそれで良いと思います。
そして気力が戻ってくれば再び上昇思考になる、ということではないでしょうか。
そしてこの言葉から明らかなように、佐古の心境には変化が現れています。
欠落感を抱えてきた今までの19年感はまさに佐古が隼に語ったこの言葉そのもののような生き方をしてきましたが、そこから前に進もうとしています。
佐古の心境は変わっていき、段々と自信を持っていきます。
終盤に出てきた「今を大事にする」という言葉は印象的でした。
「今」このときを捕まえて味わいつくさなきゃいけないともありました。
私としても、過去を悔やんだり未来を不安がったりしてばかりいると、「今」が疎かになってしまうと思います。
過去、現在、未来のうち、現在は最も重要だというのをこの作品を読んで改めて実感しました。
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