今回ご紹介するのは「ふくわらい」(著:西加奈子)です。
-----内容-----
暗闇での福笑いを唯一の趣味とする編集者の鳴木戸定。
愛情も友情も知らず不器用に生きる彼女は、愛を語る盲目の男性や、必死に自分を表現するレスラーとの触れ合いの中で、自分を包み込む愛すべき世界に気づいていく。
第1回河合隼雄物語賞受賞作。
-----感想-----
物語の主人公は鳴木戸定(なるきどさだ)。
定は4歳になったばかりの頃に初めて福笑いに触れて、面白さに引かれました。
冒頭からしばらくは定の生い立ちについて書かれていました。
福笑いに初めて触れるまでの定は物凄く静かでほとんど話すこともなかったとありました。
娯楽の種類が増えた今では、福笑いで熱心に遊ぶ人は減っていると思います。
私は最初に「福笑い」という言葉が出てきた時、どんな遊びだったか一瞬思い浮かばなかったです。
定が遊んでいる様子を見て「そんな遊びがあったな」と思い出しましたが、こんなふうに昔ながらの遊びが忘れられていくのかと思うと寂しくもありました。
定は25歳になり、出版社の文芸編集部で編集の仕事をしています。
福笑いは今も定にとってかけがえのないもので、福笑いとともに日々を生きているように見えます。
作家の男との打ち合わせでは、男の顔を見ながら眉毛を上のほうに動かしたり、唇を顎の先に置いてみたり目を左右に大きく引き離したりと、心の中で福笑い遊びをしていました。
編集の職場は電話が鳴ったり上司に呼び出されたり何かとうるさいため、原稿を持って社外の喫茶店に行ったり、原稿を家に持ち帰る人もいるとのことです。
しかし定だけはそのうるささを苦にしていないです。
意識をして耳に蓋をすると、周囲の音は消え、自分の耳内(じない)のどくどくと脈打つ音しか聞こえなくなるとありました。
定は、いつだってひとりになれるのだ。誰といても、どこにいても。
この言葉が印象的でした。
幼い頃から辺りを暗闇にして静寂の中で福笑いをしてきた定には、周りの全てを遮断して自分だけの世界を作る術が確立されていました。
定がその状態になっている時間は職場では「定時間」と呼ばれ、声をかけても全く反応してくれないことで有名です。
ある日、定は編集長から守口廃尊(ばいそん)というプロレスラーの担当を頼まれます。
本名は守口譲(ゆずる)、46歳で、定の出版社が出している「週刊事実」という雑誌でコラムの執筆を5年ほどしています。
そのコラムを書籍化することになり、定は「週刊事実」の雑誌編集者の若鍋という男から守口廃尊の担当を引き継ぎました。
定が5歳の時に母の多恵が病で亡くなり、そこからは父の栄蔵に育てられます。
栄蔵は冒険家のような紀行作家で、アラスカや北極、パタゴニアやメキシコなど、興味を持てば世界のどこにでも飛んで行き、ほとんど家にいないです。
定は5歳から栄蔵の亡くなる12歳の時まで、栄蔵に連れられ世界の様々な場所に行きました。
守口廃尊はかなり面倒な人物でその厄介さを若鍋から聞いたのですが、定は怯むところがなく凄く淡々としていて、その冷静さは幼い頃から世界の様々な場所を見て形作られていました。
守口廃尊と若鍋と定が新宿の喫茶店で会った時、守口廃尊は定の子供の頃の不気味な体験について無遠慮に聞いてきました。
紀行作家だった栄蔵は世界各国での様々な体験を本に書いていて、その体験にはかなり不気味なものもありました。
一緒に連れられていた定もその体験をしていました。
不気味な話題を無遠慮に聞いてくる守口廃尊に対し定は淡々と答えていて、そのあまりに淡々とした雰囲気はどこか異様でした。
その後、若鍋から守口の担当を引き継いだ定が守口と二人で会った時も守口が周りの迷惑を無視した話をし、定が淡々と合いの手を入れていました。
定の淡々とした受け答えはずれているため独特な面白さがありました。
定は相手の言葉に対しあまりにも真っ正面から向き合うところがあります。
担当している「之賀(これが)さいこ」という作家が締め切りを過ぎても原稿を寄越さないので定が催促のメールを送ります。
すると之賀さいこは「僕は雨音が気になり原稿に集中することができない。原稿が欲しいなら、この雨をやませて下さい」と返信してきました。
すると定は編集部のビルの屋上に行き、昔栄蔵と一緒に行った南米のある国で行われていた雨を止ませるための儀式をしていました。
できるだけ空に近い場所に行くために、屋上にある給水タンクの上に上って儀式を行う姿は本人はいたって真面目なのですが想像するとかなり面白くて笑ってしまいました。
ある日守口と新宿の喫茶店で話をした後、定がJR新宿駅に向かって歩いていると、武智次郎という盲目でイタリア人と日本人のハーフでラテン系の顔の男がパニックになっているのに遭遇します。
武智を落ち着かせて話を聞くと新宿御苑に行きたいから一緒に行ってくれないかとのことでした。
そして新宿御苑に行った帰りにはまた会いたいと言っていました。
この武智、本当に目が見えていないのか怪しいと思いました。
お調子者で強引で、どうにかして定とデートをしようと躍起になっていました。
ここでも定は淡々としていて、武智が強引にデートの流れに持って行こうとするのを凄く冷静にかわしているのが面白かったです。
編集部には定の一年後に入ってきた小暮しずくという新人の編集者がいます。
物語の途中まで小暮しずくは定のことを気味が悪く苦手に思っていたのですが、あるきっかけからよく話すようになりました。
「美しすぎる編集者」と呼ばれファッションモデルのような小暮しずくと、いつもだぼだぼのパンツスーツの定は対照的で性格も全然違うため、この二人がよく話すようになるのはとても意外でした。
そして小暮しずくが定につきまとう武智がどんな人物なのかを見極めると言って三人で会ったりもしていました。
いつの間にか定と小暮しずくは友達になっていて、定の人生の中で初めてできた友達でもあり、物語の序盤の定から大きく変化したなと思いました。
定は相手の言葉に対しあまりにも真っ正面から向き合うところがあるのですが、物語の後半では守口がその真っ正面さに深い感銘を受けて「天才だ」と言っている場面がありました。
また守口の次の言葉は印象的でした。
「羽生(はぶ)でもいいよ。ピカソでもいいし、マラドーナだっていい。誰だって思うんだ、そうなりたい、なれるって。でも気付くんだ、なれない。天才は生まれたときから天才だし、ずっと努力しつづけるから、どんどん差が開いちまうんだ。おいらたちは、少なくとも、おいらは、その差を分かった上で、もう猪木さんにはなれねぇって分かった上で、その世界を生きていかなくちゃならねぇ。自分なりの、個性っつうか、特においらたちの世界じゃ、キャラを作って、生きていかなくちゃならねぇ。」
そして守口は定のことを「猪木さん側の人間だと思うよ」と、「天才だ」と言ったのでした。
前の担当者の若鍋から「かなり面倒な人物」と言われ、煙たがられる守口のような人の言葉を苦もなく真っ正面から受け止められるのは定の才覚であり、たしかにこの点において天才だと思います。
「河合隼雄物語賞」として名前が使われている河合隼雄さんはかなり有名な臨床心理学者だった人で、私も著書を数冊ほど読んでいます。
「ふくわらい」には1ヶ所だけ河合隼雄さんの気配を感じる言葉があり、それは若鍋が守口廃尊の言葉を「郷愁ですねぇ」と一言にまとめて終わらせた時、「お前はよう、なんでも名前をつけて話を終わらそうとするなぁ。そらだめだよ」「郷愁って言っちまったら、もう、それは郷愁だ、て決まっちまうんだよ」と怒っていた場面でした。
河合隼雄さんは著書の中でよく「かといって、⚪⚪である、などと決めつけてしまうととんだ見当違いになる」というような表現をよくしていて、守口のこの言葉にはどことなく河合隼雄さんの表現と似たものを感じました。
また、小説の最後にある解説には河合隼雄物語賞について、『「物語である」ということを大切に考え、「人のこころを支えるような物語を作り出した優れた文芸作品」に与えられる賞』とありました。
定の相手を真っ正面から受け止める姿は守口廃尊や之賀さいこのような気難しく厄介な人物の心をしっかりと支えていて、読んでいるほうもそんな定の姿に感銘を受けたので、この賞に相応しいと思いました。
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