今回ご紹介するのは「四畳半タイムマシンブルース」(原案:上田誠、著:森見登美彦)です。
-----内容-----
炎熱地獄と化した真夏の京都で、学生アパートに唯一のエアコンが動かなくなった。
妖怪のごとき悪友・小津が昨夜リモコンを水没させたのだ。
残りの夏をどうやって過ごせというのか?
「私」がひそかに想いを寄せるクールビューティ・明石さんと対策を協議しているとき、なんともモッサリした風貌の男子学生が現れた。
なんと彼は25年後の未来からタイムマシンに乗ってやってきたという。
そのとき「私」に天才的なひらめきが訪れた。
このタイムマシンで昨日に戻って、壊れる前のリモコンを持ってくればいい!
小津たちが昨日の世界を勝手気ままに改変するのを目の当たりにした「私」は、世界消滅の危機を予感する。
史上最も迂闊な時間旅行者(タイムトラベラー)たちが繰り広げる冒険喜劇!
「宇宙のみなさま、ごめんなさい…」
-----感想-----
この作品は「サマータイムマシン・ブルース」という演劇作品を原案にしています。
森見登美彦さんの小説でタイトルに「四畳半」が付くのは「四畳半神話大系」、「四畳半王国見聞録」に続いて3作目となります。
作品の舞台は京都、主人公は大学3回生の「私」で、「四畳半神話大系」の時と同じ主人公のようです。
「京都に住む大学生」が主人公なのは森見登美彦さんの作品の王道だと思います
物語の最初の2文に「ここに断言する。いまだかつて有意義な夏を過ごしたことがない、と。」とあり、自信満々な雰囲気で悲観的なことを言っているのが森見登美彦さんらしいと思いました。
あまりの暑さで今年も有意義な夏を過ごせない無念さを「嗚呼、夢破れて四畳半あり。」と言っていて、「国破れて山河あり(国が滅びても山や川は変わらずにある)」のパロディにしていたのが面白かったです。
「私」が住んでいるのは下鴨幽水荘という四畳半アパートで、森見登美彦さんの作品に何度も登場しています。
森見登美彦さんは正方形の「四畳半」にかなりのこだわりがあるようで、何らかのアパートの部屋が登場する時は大抵四畳半です。
「私」の隣の部屋には樋口清太郎というおおらかで世の中を達観した雰囲気の人物が住んでいて、他の作品にも登場することがあります。
「四畳半にウッカリ墜落した天狗」「樋口氏のごとき天狗的人物」といった描写もあり超人のように見られています。
「私」には小津という悪友がいて、小津も他の作品に登場することがあります。
小津の不気味さの描写が面白く、次のようにありました。
「夜道で出会えば、十人中八人が妖怪と間違う。残りの二人は妖怪である。弱者に鞭打ち、強者にへつらい、わがままであり、傲慢であり、怠惰であり、天の邪鬼であり、勉強をせず、誇りのかけらもなく、他人の不幸をおかずにして飯が三杯喰える。およそ誉めるべきところが一つもない。」
「残りの二人は妖怪である」が面白く、そして全部が酷い言われようだなと思いました
下鴨幽水荘には「私」の住む209号室にだけ先住民が大家に無断で設置したクーラーがあります。
ところが真夏の8月11日、小津がクーラーのリモコンにコーラをこぼして壊してしまい、部屋が物凄く暑くなります。
物語の冒頭はその翌日の8月12日で、「私」が部屋で小津に文句を言い、小津が反論して二人でじゃれ合いのような言い争いになっているところに、明石さんという二人の一年後輩の女子がやって来ます。
登場シーンが面白く、言い争う二人を見て「仲良きことは阿呆らしきかな」とクールに言っていました。
明石さんと小津は学内映画サークル「みそぎ」に所属していて、明石さんはクールな佇まいとは裏腹に全くクールではないポンコツ映画を作ることで知られています。
そして二人とも樋口の弟子を名乗っていて、特に小津はよくアパートの樋口を訪ねて来るのでそのついでに「私」を訪ねることがあります。
映画サークル「みそぎ」は城ケ崎という男がボスをしていて、「私」は尊大な態度で振る舞うこの男が嫌いです。
また、近所の歯科医院に務める羽貫さんという陽気な女性も登場し、樋口、城ケ崎、羽貫の三人は古くからの友人とのことです。
森見登美彦さんの文章には「偉そうでありながら滑稽」の他に「古風」という特徴もあります。
隣の部屋の樋口を「隣室の怪人」と表現していたのは面白かったです。
「怪人」表現は他の作品にも登場することがあり、私が読む作家さんでは変わった人のことを怪人と表現するのは森見登美彦さんだけです。
さらに他の作品にも登場する「先刻ご承知」という言い回しがこの作品にも登場していました。
また京都についての印象的な言葉もよく登場していて、今作では「下鴨神社糺(ただす)ノ森」や「五山送り火」などが登場しました。
明石さんが誰かと五山送り火見物に行くことを知り「私」と小津は驚きます。
「私」は明石さんから見た自身を「路傍の石ころ的存在」と思っていて、明石さんのことが好きでそこからの脱却を目指しています。
「路傍の石ころ的存在」も「夜は短し歩けよ乙女」という森見登美彦さんの作品で初めて見た面白い表現です。
アパートに全体的にモッサリした雰囲気の若い男が現れます。
モッサリ君はアパートの住人ではないのになぜか樋口のことを知っていて、しかし樋口はモッサリ君のことを知らず不思議がっていました。
「私」、小津、樋口、城ケ崎が近所の銭湯「オアシス」に行った時に次の言葉がありました。
我々は広い湯船につかってポカンとした。
短い文章の中に森見登美彦さんの特徴がよく出ていて、「我々は」の部分は少し偉そうにも見えますが「ポカンとした」で途端に間抜けな雰囲気になり、独特な文章を形作っています。
やがてアパートの物置きにタイムマシンのようなものが現れます。
その段落の終わりの文章が良く、次のようにありました。
やがて明石さんがぽつんと言った。
「タイムマシンだったりして」
恥じらうように小さな声だった。
物干し台の風鈴がちりんと鳴った。夏であった。
以前も段落の終わりに似たような、線香花火が消えていくような雰囲気の文章を見たことがあり、森見登美彦さんは段落の区切り方も上手いと思います。
小津が試しにタイムマシンを操作してみると「私」達の前から姿が消え、やがて戻って来てタイムマシンが本物だと分かります。
そして「私」達はタイムマシンで昨日に行き、リモコンを持ってくればまたクーラーを使えるようになると思い立ちます。
樋口、羽貫、小津の三人がまず先発で昨日に行くことになりましたが、「思いつくかぎり最悪の人選だった」とあり波乱が予感されました。
再びモッサリ君が現れ、タイムマシンに乗って25年後の未来から来たことを明かします。
モッサリ君は田村と言い、下鴨幽水荘のみんなでタイムマシンを作ったとのことです。
田村の父親も「私」達と同じ時代に京都に居て銭湯オアシスに通っていたとあり、父親が現在での誰なのかが気になりました。
「私」達は田村と話すうちに、リモコンを昨日から持って来るとリモコンにコーラがこぼれた結果としての「今日」が存在しなくなり、「私」達が消滅してしまうのではという懸念を抱きます。
そして「今日」の消滅はそのまま全宇宙の消滅になるのではという考えになります。
タイムマシンは帰って来ますが樋口達が乗っておらず、昨日が変われば全宇宙が消滅する危機を感じた「私」と明石さんも昨日に行くことになります。
昨日にタイムトラベルしてクーラーのリモコンで騒動になるのはくだらないことですが、宇宙が滅びかねない危機があるので「滑稽な緊張感」のような面白い雰囲気になっていました。
この作品では「今日」の中で謎の部分がありますが、タイムマシンで行った「昨日」で謎が解けていくのが面白かったです。
昨日と今日をタイムトラベルするので全く同じ文章が繰り返される構成になっていた場面は「既視感」が印象的でした。
「私」が大嫌いなはずの城ケ崎に共感した場面も印象的でした。
ともに逆境に立ち向かう仲間というものは、立場や性格の違いを超えて強い絆で結ばれるものである。
これは逆境に立ち向かっている間は共通の目的があるので、立場や性格が違っても共感する場合があるのだと思います。
そして逆境を切り抜けると共通の目的はなくなり、再び立場や性格の違いが顕著になるのではと思います。
終盤では田村の正体が明らかになり、「未来は自分で掴み取るべきもの」という良いことを言っていました。
この作品は終わり方が美しく、「成就した恋ほど語るに値しないものはない。」という言葉がとても印象的でした。
言葉自体が森見登美彦さんらしい偉そうな雰囲気が出ていますが、時空を越えた言葉でもあり、タイムトラベルを題材にしたこの作品を象徴していると思いました。
森見登美彦さんは好きな作家ですが1年近く読書が思うように出来なかった時期もあり、作品を読むのはかなり久しぶりになりました。
久しぶりに読む作品が森見登美彦さんの王道的な作品だったのは良かったです。
楽しく読むことができ、独特の文章を読んでいるうちに小説を読む楽しさを感じました
しばらく森見登美彦さんの作品を読めなかったうちに発売された作品が他にもあるのでいずれ読んでみたいと思います
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