読書日和

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「ありふれた風景画」あさのあつこ

2016-08-27 22:27:51 | 小説


今回ご紹介するのは「ありふれた風景画」(著:あさのあつこ)です。

-----内容-----
地方都市にある学校で、ウリをやっているという噂のために絡まれていた瑠璃を、偶然助けた上級生の周子。
彼女もまた特殊な能力を持っているという噂により、周囲から浮いた存在だった。
親、姉妹、異性……気高くもあり、脆くもあり、不器用でまっすぐに生きる十代の出会いと別れを瑞々しく描いた傑作青春小説。

-----感想-----
物語は次のように構成されています。

第一章 少女たち
第二章 夏の始まり
第三章 セツナイという気節
第四章 秋の朝顔
第五章 冬風の音
第六章 温かな幹に
最終章 ありふれた街角で

高遠瑠璃は17歳の高校二年生で、南三原高校に通っています。
作品内の描写から島根県が舞台だと思います。
瑠璃はどこからかウリ(売春のこと)をやっているという噂を立てられそれが学校中に広まり、学校内で孤立しています。

ある日瑠璃は、彼氏に振られたのは瑠璃に彼氏が籠絡されたからだと思い込んだ長田(おさだ)志穂という三年生に屋上に呼び出されます。
一方的に因縁を付けてくる志穂に応戦する瑠璃。
一触即発の屋上に綾目周子という三年生が現れます。
周子には霊能力があるという噂があり、瑠璃と同じように学校中に噂が広まり孤立した存在となっています。
周子が現れた途端、辺りに沢山の鴉(カラス)が飛んできて異様な雰囲気になります。
その不気味さに志穂と二人の友達は逃げていき、結果的に瑠璃は周子に窮地を助けられました。
周子は鴉や桜と話ができる特殊な能力の持ち主です。
特に鴉の「タロウ」とは周子がタロウを助けてあげた時からの腐れ縁です。

この屋上での出会いがきっかけとなり、瑠璃は周子と話すようになります。
「運命」について周子は次のように言っていました。
「いいよ。しかたないよ。どんなに足掻いても運命って変えられないんだから」
これに対し、瑠璃は心の中で次のように語ります。
運命って、自分の意思で変えられるんじゃないですか、綾目さん。
私も運命は「これが運命だ」と諦めるのではなく、自分の意思で変えられると思います。
また、第一章の最後の一文は目を惹きました。
もうすぐ17歳を迎える瑠璃の夏が、一生に一度きりしかない17歳の夏が、眩しさの中で始まろうとしていた。
この後の展開が気になる一文でした。

一章では瑠璃の語りでしたが二章では周子の語りになります。
章によって語り手が変わる作品でした。

孤立している周子に対し、朱里(しゅり)という小学校の頃からの友人だけは、現在は特別親しくはないながらも、他の子達のように露骨に周子を嘲笑ったり気味悪がったりはせずに普通に話しかけてきてくれます。
そんな朱里を見て周子が心の中で思ったことは印象的でした。

自分の中の物差しで、自分と他者との距離を測れる者は案外に少ない。

これはそのとおりだと思います。
誰か特定の他者との距離を測る際、周りの人がその特定の他者をどう思っているかを意識してしまう人は結構多いのではと思います。

また、かつての周子に対する周りの反応は「変わり者」「魔女っぽい」程度だったのですが、「三年前の事件を境に急激に悪化した」とありました。
この三年前の事件がどんなものなのか気になりました。

瑠璃の誘いにより、瑠璃と周子は紫星山という山にピクニックに行きます。
その山について、「紫星山という雅やかな名をつけられた山の麓に着く」という描写がありました。
「雅やか」は普段小説を読んでいても目にする機会の少ない表現です。
私は「雅やか」には京都的な上品さ、及び着物女性の和の雰囲気のイメージがあります。
なので山の名前にこの表現が使われていたのは意外であり興味深かったです。

美しい言葉は良い。美しい言葉を使える人も良い。
周子のこの言葉も印象的でした。
中学生や高校生の頃は崩した言葉を使いたがる傾向がありますが、私的にも美しい言葉を使える人のほうが良いなと思います。

瑠璃の家の近所の花屋「フラワー・ショップ ミサキ」では加水(かすい)洋祐という瑠璃や周子と同じ高校の三年生がアルバイトをしています。
加水洋祐は長田志穂の元彼氏でもあります。
周子は持ち前の特殊能力から加水洋祐の姿を見て何かの異変を感じていて、加水洋祐の身に何が迫っているのか気になるところでした。
加水洋祐について瑠璃が「気になります?」と聞くと周子は「気にしてもしかたないけど……」と言っていました。
その時瑠璃は次のように言っていました。

「綾目さん、運命って変えられますから」
「運命って自分の意思で変えられますから」

再び運命は変えられるという言葉が登場していて、この作品の重要なテーマかも知れないと思いました。

加水洋祐の語りで始まる第三章では夏の終わりについての描写が印象的でした。
夏が終わる。ゆっくりと、しかし確実に日が短くなり、夜が延びてくる。真夏の熱やぎらつく光に惑わされて、永遠に夏が続くようにも感じてしまうのだけれど、ふと気がつけば、夕暮れの時刻が早まり、風の穂先が涼やかになっている。夏が終わるのだ。
私の感性とほぼ同じことが書かれていました。
8月下旬ともなると日中はまだまだ真夏の暑さですが空の雲や吹く風に秋の気配を感じることがあります。
そして夏至の頃には19時半頃でもまだ空に明るさが残っていたのが19時頃には暗くなり、確実に秋が近付きつつあることを実感します。

瑠璃には綺羅(きら)という二歳上の姉がいます。
綺羅は母親の真弓によって希望する都会の大学への進学を断念させられ地元の大学に進学させられたことから、母親に対する言動が尖り、二年近く経った今も鬱屈した対応をするようになっています。
鬱屈はなかなか消えないというのはよく分かります。

やがて瑠璃は周子のことが好きになっていきます。
女性が女性を好きになるという同性同士の恋愛感情を扱っていました。
周子も瑠璃の気持ちに気づいていて、この二人がどんな結末になるのかは気になるところでした。

フェミニスト団体や左翼団体に代表されるように、同姓愛について「理解しろ」と、理解することを強要する人達がいます。
私は同姓愛の人について基本的人権が尊重されるべきだとは思います。
しかし理解することを強要されるのには違和感があります。
私は男性は女性を好きになるのが、女性は男性を好きになるのが正常な状態であると考えます。
それに対し、同姓愛はそこから大きく逸れた特殊な状態だと思います。
この特殊な状態を特殊な状態と認めず、一方的に「理解しろ。理解しないのは偏見であり差別主義者だ」というようなことばかり言うから、同姓愛の人への理解が広まらないのではないかと思います。
こういったことが頭をよぎる瑠璃の周子への恋愛感情でした。

周子がパウンドケーキを作った際に、パウンドケーキは卵や砂糖やバターをそれぞれ1ポンドずつ使うからパウンドケーキという名前になったとあり、これは知らなかったので興味深かったです。
また、周子の「三年前」に何があったのかが明らかになる場面で、「おかしくもなさそうに笑う」という表現がありました。
蔑むような笑い方であり、私はそのような笑い方はしたくないなと思いました。

瑠璃の家は父親が不倫をして家を出て行ってしまっていて、母親の真弓はそれが原因で過食症になり、壊れかけています。
物語の終盤、真弓が思いの丈を瑠璃に話した時に瑠璃が思ったことは印象的でした。
母さんは誰かに聞いて欲しいのだ。声を出したいのだ。言葉にしたいのだ。
この「誰かに聞いて欲しい」というのは、心理学の本によると特に女性に多く見られる感情のようです。
たしかに自分の中に溜め込むより、誰かに話して気持ちを吐き出したほうが良いと思います。

作品全体を通して、文章に「諦め」や「ふて腐れ」の雰囲気が漂っている印象を受けました。
長い人生、そんな心境になる時期もあります。
瑠璃も周子もそこからもっと澄んだ心境になっていけると良いなと思いました。


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