人は万物の霊長であり、しかも天地人の三つのはたらきの中におり、これらは、まことに不可思議にして、相互の密接な関連性をもっている。
天のはたらきは、何であろうか、それは太陽と月と星の三光である。
空には、多くの星や、雷、いなびかり、雲、露、雨、雪、霜、霧など、その時にしたがって、それぞれが変化するのである。
地のはたらきは、山川草木、空を飛び、地に潜む動植物や、胎卵湿化などは、各々生成化育しているのである。
人のはたらきは、聖人や賢人や哲人など、その優れた人材は歴史上においても多く輩出し、偉大な足跡を残してきたのである。
以上述べた天地人の三つのはたらきの中で、人のはたらきをもって万物の霊長となすのも、当然のことである。
この万物の霊長の霊とは、たとえ一時的には、霊長であっても、永遠にこの霊を守り保つことは難しいのである。
これに対して天のはたらきは不変であり、そしてその変化は知らず覚らずの内に現れてくるのである。
地のはたらきは生成化育して、万物を生じ、変化するのである。
生があれば変化あり、生ずるところ、変化するところは皆異なっているのである。
昔の桑畑が大海となるように、歳月の移り変わりによって大きな変化をもたらすのである。
これらの変化は、動中の静の変化あり、静中の動の変化があり、各々そこに、不可思議な現象をあらわすこと千変万化である。
そもそも、人のはたらきには、上は天に通じ、下は地に接し、中は万物を和し、その動には、原因があり、その変化にも、必然的なものがある。
故に人は、天地と息息相通じているが、また、多くの変化をもたらすのである。
そこで、人は万物の霊と称されるが、しかし万物を害することも多いのである。
天地のはたらきの多くが、その生成化育を助けているのに、人のはたらきは常に変化が多くて、その極まるところ、人類に対する災害も極めて深刻である。
人のはたらきは、常に変化しやすい。
それらは、人間の善悪が定まることなく、不安定であり、一時一刻の間に善ともなれば、悪ともなる。
それは、嗜欲が外より攻め、邪悪が内より誘い、その心を乱し、邪道に赴いているのである。
そこで、神聖仙仏がこれを憂い、ありとあらゆる方法を考えて、これを救うのである。
その救う方法は、ただ、修道のみが唯一の正しい道である。