現在の人情は日に日に薄くなり、世の中の道は益々乱れ、これは一体如何なる世であろうか。
道心と人心は共に不安であり、一日たりとも安穏に過ごすことは出来ないのである。
世界的に見ても、地震や水害、政情不安など平穏なところは、かけらもないのである。
一般人民は、動乱を望んでいるのであろうか、それとも太平を望んでいるのであろうか。
天にいる、あらゆる聖神仙仏や、また世間のあらゆる仁者や哲人など、みな世界の太平と人民に安楽を願わないものはないのである。
しかしながら、全ての人民の生命や、日常の生活における因果の積み重ねを詳しく点検し、また、多くの人民の現行の善々悪々を較べてみると、ほとんど、悪が善より多く、信じられないほどである。
悪の方が善より二倍も多いので、この二倍の悪因がまさにどれだけの悪い結果を生じているのであろうか。
また、どれだけの生命と財産がこれによって失われていることになるのであろうか。
想像を絶するのである。
ましてや、その原因の中に原因があり、結果の中にまた、その結果がある。
そこで善因には善果があり、悪因には悪果があるが、善悪の一方のみが増大して、これを相殺することが出来なくなれば、大刧がはびこるのである。
これが続々と起こってきて止むことが無ければ、人類は 将に滅亡してしまうことになるであろう。
これをどうして、恐れないでいられようか。
しかし、その恐るべき事を知れば、将にいかにして、これを挽回するのであろうか。
この緊急な事態に対し、今からでもこの処置を講ずれば、遅くはないのである。
中国のことわざでも、羊が小屋から逃げたしても、二度と逃げ出さないように修理すれば、間に合うのである。
したがって。天の殺生を好まないと云う慈悲の心は永遠に存在しており、そこで、多くの徳のある人を生み、より多くの善心を養い、この難局を救うのである。
たとえ、各人がめいめい功候を積んだと言うが、しかし、広大な大地は尽きる事が無く、極まるところを知らず、また、多くの人民が苦しんでいるのである。
そこで善者が力を尽くして災刧を救済しても、悪者は一方では破壊して止むことが無く、道が成長して、高くなればなる程、悪魔はその十倍も成長して、道を破壊するのである。
それも専ら、陰険な手段を用いて落とし穴を設けて、人に害毒をもたらすのである。
そこで、悪の限りを尽くし、人を悪に誘惑して、自分の大きな欲望を満足させることが出来ると思っているのである。
ところが、とどのつまりは、天の網というのは、広大無辺にして、どんな小さな罪悪でも、これを罰して見逃すことは無く、天罰覿面(てんばつてきめん)であると言うことを知らないのである。
漢の三傑の一人であった韓信は、自らの功労により、自称斎王になったが、終わりには、災難から逃れる事は出来なかった。
悪人の末路というのは、ほとんど、このようなものである。
そこで、善信の各方が、これを戒めとして、忘れないようにするのである。