道は縁によって成就し、縁は天より授けられるものである。
古来より、大道を悟り得た、多くの聖、神、仙、仏は、皆、善縁によってこれを成就したのである。
故に、その境遇の順境と逆境は、皆、我が魂を磨くのに非常に役に立つのである。
智慧のある人は、この縁を審(つまび)らかにして、それに、本づいて、自らを救うのである。
智慧の無い人は、善縁にあっても自ら悟らず、善縁より日に日に遠ざかり、邪(よこしま)な縁によって、日に日に堕落していくのである。
しかし、善い縁には、初めに逆境があり、それによって、身心が鍛えられ、戒められて、これを正しい道に復帰させようとするのである。
邪な縁には、その初めに、必ず、思うままになる、順境があって、それに迷わされて、目が醒めず、迷いの道から、いつまでも抜け出す事は出来ないのである。
そこで、修道の志のある人は、必ず、先ず心を正しくして、本源を明らかにし、驕りや虚栄心によって飾る事を捨てて、淡白となり、実質を重視して、虚名を軽んじるのであり、また、根本を重視し、枝葉末節を軽視するのである。
志を、高尚にし、言葉を少なくし、静思して、精神を統一し、黙して悟り、道の真髄を明らかにして、全ての道理に通達し、たとえ順境に、遇っても憂えず、順境と逆境にかかわらず、如何なる境遇といえども、これらは皆、修道の上において、又、成道の上に於いても、非常に役に立つのであり、これは、善縁中の最も優れた因縁である。
更に世間の全て一切の因縁は、皆、天から授けられたもので、少しでも、人為を加えて、思うままに為し、得るものでは無いと、会得するのである。
何事も天の定めであるから、その天意を受けて、努めるべきである。
このように実行すると、日に日に徳性は光り輝いて、無極という、最高の境地に到達点するのである。
しかしながら、最も一言身近な、一言一言を慎み、戒め、善を楽しむ誠を持続すべき事である。
このようにすれば、善縁は日に日に増加し、悪縁は次第に減食し、天より授けれる善縁は限りなく増大し、しかる後に道功は、自然に完成されるのである。