世間の全ての事はみな仮の事であり、たとえ自分の一身といえどもまた、幻想である。
一たび、息が止まれば、いぜん空に帰してしまう。
おもうに、色身の中に真身があり、身体の中に五行がある。
吾が修を授けるのは、その仮のものによって、その真を修めるのである。
色声身体の仮のものを借りて、真身五行の真を練磨するのである。
五行は木 火 土 金 水である。
心は火に属し、その徳は礼である。
腎は水に属し、その徳は智である。
肺は金に属し、その徳は義である。
肝は木に属し、その徳は仁である。
脾は土に属し、その徳は信である。
木 火 土 金 水は五行の性であり、仁 義 礼 智 信は、五行の徳である。
心は神を蔵し、発しては楽しみとなる。
腎は精を蔵し、発しては悲しみとなる。
肺は意を蔵し、発しては欲となる。
これが後天で具(そな)えているところの仮のものである。
人は生まれてより、先天は後天の中に混ざり、後天は先天の内より流出し、先天は後天と雑居して清まっておらず、もし、後天の仮のものを練磨しなければ先天に復(かえ)る事は出来ない。
故に後天を借りて先天を練り、先天をもって後天を化するのである。
後天が全く化されてしまえば、先天は自ら純粋となる。
この時、一粒の明らかな珠は肉体より、抜け出て、その輝きは天地を照らす事に成る。
人の真実とするところは、すなわちこの一点の真霊である。