教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

だるい

2005年07月14日 14時48分40秒 | Weblog
 「ダルい」とは「怠い」と書く。怠惰(たいだ)の怠であった。「怠」は「おこたる、なまける」意味を持ち、自分の意志のようなものが関係ある言葉みたい。今まで単なる状態を示すものだと思っていたが、自分が「ダルくさせて」いたのかもしれない、と思った。意味不明のコメントですみません。

 今日は、教育史研究会であった。最初は、自分が発起人になったのはいいけれど、どれくらい続くかな、と継続に懐疑的であった。しかし、教育史研究会ではだいたい隔週で例会を開いているのだが、今日は第九回例会。次で十回目となる。会員は院生ばかりで、活動目的は、「(1)本会の参加者が、教育史研究の能力・知識を向上させること。(2)本会の参加者が、自身の専門地域・領域を越え、互いに知的交流を行うこと。」である。この研究会例会がここまで続いたのは、教育史研究のあり方や方法などについての知識、分野間の交流に需要がある、という証拠だろうか。
 今日はE・H・カー『歴史とは何か』の第1章「歴史家と事実」を読んで、議論した。有名な「歴史とは現在と過去の対話である」というフレーズを解説した部分である。歴史は、事実と解釈によって研究されなくてはならないが、同時に事実と解釈のどちらかに偏重してはならず、両者の相互作用によって歴史は研究される、というのがエッセンスです?
コメント
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