教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

謹賀新年

2006年01月01日 23時55分55秒 | Weblog
 明けましておめでとうございます。
 ついにこのブログが年を越してしまいました(笑)。
 今年もどうぞごひいきにー
 なお、テンプレートを変えてみました。コレっ!というのがあんまりなかったのですが、去年と同じというのは面白くないので、とりあえず暫定ということで。

 我が家では、必ず年越しそばを食べた後、旦那寺へ除夜の鐘をつきに行きます。ですので、いつも旦那寺からの帰りの車で年を越します。また、我が家では、正月三が日の朝夕に、家の神さんと仏さんに供物を供えます。朝は雑煮(餅と大根と人参を鰹節としょうゆで煮込んだもの)を供え、夕は白飯を供えます。これらは、全部家の男連中がやることになってます。父曰く、そもそもは女性差別の現れであって、神事であるこれらの作業は女性がしてはいけないという意味を持っていたのですが、今はいつも家事をする女性を休ませるという意味(これすらも差別の現れですが…そこには父は気づいていないみたい)だそうです。
 朝食をとって、先祖の墓参りと初詣。私の近所には通称「椿神社」と呼ばれる伊豫豆比古命(いよずひこのみこと)神社という大きな神社があり、毎年われわれはそこに初詣に行っています。今年は参拝時間が早かったせいか、以外と人が少なくて、楽に参拝できました。ちなみに参拝で面白かったことが一つ。突然小さな女の子に手をつながれてしまいました(笑)。状況からして、その子が階段をお父さんの手につかまって下りようとしたのだと思うのですが、たまたまちょうどいい位置に私の手があったのでつかまったのではないかと。さすがにこれはびっくりしました(笑)。
  
 昼食後は、ここのところ無駄に夜更かしが多かったので疲れてしまったのか、寝込んでいました。結局、夕方に神さまに供える白飯を炊くために起き上がるまで、起きなきゃ、やることがいっぱいある、と思いながら、うとうと寝てました。その後、父の手伝いをし、父の年賀状を投函しに中央郵便局へ行って帰ってきたら、すでに22時すぎ。それから中山著をまとめにかかったのですが、やはり時間が足りない。中途半端で今日はおしまい。
コメント
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