教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

教育・教師はAIとどう向き合うか

2017年12月27日 19時37分14秒 | 教育研究メモ
 さて、久しぶりの投稿第二弾。

 近年、AIの開発が進み、将来、多くの仕事がAIに取って代わられてなくなる、という見通しが広がりました。中教審答申における学習指導要領の改訂趣旨にも、この見通しが現れ、これから育てるべき資質能力のあり方や問題解決学習の必要性などの根拠になっています。また、なくなるまでの時間は比較的遅めですが、教師もAIに取って代わられて将来なくなる仕事の一つに挙げられています。教育や教員養成の世界にとって、AIにどう向き合うべきかという問題は極めて重要です。
 このAI問題に関して、教育界では、AIは機械である、人間にしかできないことはできない、人間の教師にしかできないことがある、という人間の能力の神秘性を強調する論調があります。守りの論調ですね。私もそう思いますが、実はしっくりこない印象をもっていました。そんな中で、NHKの「超AI入門」という番組を見ていたところ、守りの論調に対するしっくりこない感じが晴れる瞬間がありました。番組ではまとめのところで、AIによって人間の認知や判断が広がる、AIによって何でも出来るようになるよりも、AIによって認知されるものが広がることが、人間の知らないことや考えられることをさらに広げるのではないか、という感じの趣旨のことが述べられました。このやりとりを聞いて、私は、なるほどと思いました。
 人間はこれまでにも幾度となく技術革新をおこし、便利な機械を生み出してきました。それによって人間は考えたり、感じなくなったわけではなく、むしろそれらの機械を使って、これまで知られていなかったことを考え、感じていなかったことを感じるようになりました。例えば、人間は、鉄道や飛行機、TVやインターネットを生み出したことで、これまで見知り得なかった遠い地域の出来事に直接・間接に触れられる機会を増やし、それらを使って楽しんできました。依然として徒歩による旅の楽しみもそれなりに楽しんでいますし、鉄道や飛行機の旅も楽しみ、TVやインターネットの伝える映像を通して仮想的な旅を楽しんでいます。また、その他にも、顕微鏡や電子顕微鏡を生み出すことで、人間は直接見ることのできなかった世界を見ることができるようになり、認知可能になった世界から知りうることを考え続けています。それから、PCやOS、スマートフォンなどのバージョンアップも挑戦し続けられて、人間にできることやしたいことを広げています。AIは、これらの新しい機械・技術革新が生み出してきた世界の広がりを、再び人間に味合わせる機会を提供してくれる可能性があります。AIの発展は、人間が新しいことに気づき、考え、挑戦できるようにしてくれる可能性があるのです。
 そう考えると、AIにはできないことを考えることに意味はあると思いますが、できないことをことさらに強調するよりも、AIによって人間が何をできるようになるのか、ということを考える方が、むしろ教育や教師の将来をより豊かに見通すことにつながるのではないでしょうか。もちろんAIではできないことや、AIを使うことによって感じにくくなることもあるでしょう。そういうものは、AIが発展することによってその良さが逆に再発見されることによって、大事に考え、味わうことができるようなるのではないかと思います。また、AIによってできる新しいことというのは、たぶんいわゆる「汲み尽くせない人間の神秘」と同じもののような気がします。
 これからの教育や教師は、どのようにAIに向き合うべきでしょうか。私は、守りの姿勢ではなく、むしろAIによって人間は何を得られるかについて積極的に考え、教育実践に取り入れていくことが大事ではないかと思うようになりました。AIの進展に応じた教育や教職生活、果たしてどんなことができるようになるのでしょうね!
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