教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

だるい

2005年07月14日 14時48分40秒 | Weblog
 「ダルい」とは「怠い」と書く。怠惰(たいだ)の怠であった。「怠」は「おこたる、なまける」意味を持ち、自分の意志のようなものが関係ある言葉みたい。今まで単なる状態を示すものだと思っていたが、自分が「ダルくさせて」いたのかもしれない、と思った。意味不明のコメントですみません。

 今日は、教育史研究会であった。最初は、自分が発起人になったのはいいけれど、どれくらい続くかな、と継続に懐疑的であった。しかし、教育史研究会ではだいたい隔週で例会を開いているのだが、今日は第九回例会。次で十回目となる。会員は院生ばかりで、活動目的は、「(1)本会の参加者が、教育史研究の能力・知識を向上させること。(2)本会の参加者が、自身の専門地域・領域を越え、互いに知的交流を行うこと。」である。この研究会例会がここまで続いたのは、教育史研究のあり方や方法などについての知識、分野間の交流に需要がある、という証拠だろうか。
 今日はE・H・カー『歴史とは何か』の第1章「歴史家と事実」を読んで、議論した。有名な「歴史とは現在と過去の対話である」というフレーズを解説した部分である。歴史は、事実と解釈によって研究されなくてはならないが、同時に事実と解釈のどちらかに偏重してはならず、両者の相互作用によって歴史は研究される、というのがエッセンスです?
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頭痛に

2005年07月13日 23時15分51秒 | Weblog
 昨晩も呼吸失敗(だと思う)。頭痛で目が覚めた。うーん、業者もしくは先生に電話しないとなあ。
 今日は、明日の教育史研究会の発表レジュメを作成(中!)。博論審査会も終わったことだし、と引き受けたのはいいものの、ご存知の通りやる気なしの最近の私には少し荷が重かったかも… かなり適当なものが完成しそう… まあ、要約するテキストはすでに読んでおり、難しいテキストではないし、何とかなりそうだが。
 結局、今日の研究・勉強関連事はそれだけ。後は、久しぶり(審査会後以来)にいつも連んでいる友人たちと晩飯。私以外は学会事務作業疲れを癒すため、ビールを飲む。私はまだレジュメをやらなくてはならないので我慢する。目の前でビールを旨そうに飲む友人を見ながら、「いいなぁ」と思いつつ飯を食ってました
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生活習慣

2005年07月12日 13時03分51秒 | Weblog
 昨夜も口呼吸をしてしまい、少し苦しい睡眠でした。一度目に目が覚めたときは大丈夫だったのですが、起きるにはあまりにも時間が早すぎるので二度寝(だってAM5:00に目が覚めるのですから)。この二度寝時に口呼吸になってしまいました(目が覚めた時に口呼吸をしていた)。私は最近までいくら眠っても眠り足りないので、二度寝が習慣になってしまっていて、今でも普通にやってしまいます。この二度寝の習慣をそのままやってしまうと、せっかくの無呼吸治療が台無しになってしまうことをようやく自覚しました。二度寝はだらしないし、今度から気をつけます。なぜ二度寝がこの状態につながるのかは、わかりませんが。
 そんなこんなで今日は、ちょっと微妙な状態で起きあがりました。しないよりかはマシかな、という程度。授業に遅れそうだったので、朝飯抜きで登校。うーん、微妙だ、と思いながら、昼飯を食べると、なぜか急に元気になりました。…あれ?単なるエネルギー切れだっただけ?
 最近、ダイエットのため晩飯を抜いていたので、朝飯を食べないといけないだけでした。なぜ晩飯を抜くのか。二つ理由があります。第一は、体の基礎代謝量の朝夕の傾向を考えているため。運動をできる時間的・精神的余裕はないので基礎代謝だけでやせたいのですが、体の基礎代謝量は朝方高く、夜低いという性質があるそうです。なので、朝飯はしっかり食べて、晩飯は少な目に食べるのがいいみたいです。第二は、単に晩飯のタイミングを逃すため。夜の方が集中できるので、夕方以降にかけて勉強・研究に集中しています。集中していると食事を忘れるため、気づいたら夜9時とか。これ以降は、デッドタイム(?)。太る時間です。で、食べない。しかし、私にとって食事は最高のストレス発散の時間なので、疲れた後の晩飯は結構食べたくなってしまう。中途半端にはできないタチなので、むしろ食べない、ということをしてます。
 んー、あんまり良くないですね、この習慣。早めに晩飯を食べる習慣をつけないといけないなあ。
 さっそく実践してみました。んなこと、どうでもいいですねー
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口呼吸

2005年07月11日 21時43分14秒 | Weblog
今日は朝から登校。さっきまで学校にいた。長い間学校にいたわりに、あんまり充実感がない。作業は難なくこなせるが、なぜか文字が頭に入ってこないので、勉強が中途半端であった。
実は昨夜あまり寝られなかった。寝るとき呼吸に失敗して、頭痛が少しあったためである。具体的には口で呼吸してしまい、鼻のなかの空気圧が変になってしまったらしい。無呼吸治療も、なかなか難しい。
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呼吸器、自作曲、それからブログ移動

2005年07月10日 16時37分22秒 | Weblog
 昨日の約束通り、私にレンタルされた呼吸器の写真です。これを使い始めてまだ二日目ですが、寝起きが非常によくなりました! AM7:00に苦労せずに起きられるなんて、夢のようです(笑)。昨日は途中で送ってくる空気圧が高すぎて目が覚めましたが、今日はそんなこともなく快眠しました。やはり内蔵しているコンピューターが操作する、というのはホントだったみたいです。この調子なら、安心。
 本日、以前私の自作曲の楽譜を差し上げた(コピー代・郵送料の実費のみいただいています)茨城のK氏から、「ひのもとのくに」を演奏会にて演奏したと、メールでご報告いただきました。今まで自分もしくは自分の周りの人にしか、演奏したことがなかったので、感無量です。まさに、私の手から離れた「初」演奏です。
 さらに広がっていくとうれしいですね。演奏者の方、本当にありがとうございました。

 昨日、gooブログ「大日本教育会・帝国教育会の群像」を新設しました。さっそく休呆さんが訪ねてくださって、AutoPageのブログサービスを紹介してくださいました。そのサービスが非常に興味深かったので、AutoPageのサービスの下で新しくブログを設置し、先日のプロジェクトの公開場所を移動することにしました。変更のポイントは、こちらのサービスではブログをそのまま書籍化してくれる、という点です。どれくらい時間がかかるかわかりませんが、いずれまとめて冊子にしたかったので、移動を決めました。冊子にするといっても、求められない限り自分用に作るくらいにしか考えてないですがね。
 そういうわけで、新ブログ「大日本教育会・帝国教育会の群像」はこちらに(http://sky.ap.teacup.com/siraisi/)移動しました。昨日新設したブログは、しばらくそのままにしておきます。ただし、ブックマーク・ホームページのリンクは新しい方に変更、更新も新しい方のみでやっていきますので、よろしくお願いします。

 
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新ブログ設置

2005年07月09日 18時59分01秒 | Weblog
 このたび、ブログ「大日本教育会・帝国教育会の群像」を新設し(7月10日、こちらのサービスに移動しました)、大日本教育会・帝国教育会研究に関するちょっとしたプロジェクトを始めました。このブログでは、両会の会員を一人一人どのような人物であったか、簡単な履歴の叙述によって群像を描いていきます。最終的には会員の共通性・相違性などが見いだせればいいかな、と思ってます。両会の会員たちは、明治・大正・昭和の教員や教育行政官たちです。両会に入会していた教育関係者たちとはどうのような人々であったのか、という単純な興味でもよいので、ときどき覗いてみてくださいね。このブログのブックマークにも追加しておきましたし、私のホームページからは、研究者(タマゴ)としてのページから飛べるようにしておきます。
 こうやって公開することによって、新資料の発見など新たな進展があるかもしれないので、このプロジェクトは前からやりたかったのですが、早く博論を仕上げなきゃという焦りと、その公開の仕方に悩んでいて、今に至っていました。論文としては成り立たないけど、誰もやってないし、是非やっておきたい… そこで今はブログという便利なものが無料で使えるので、これを利用してみようと思ったわけであります。私の性格は、こつこつ地道に素朴な調査を行うことに向いているので、こういう作業は好きなのです。普段、難しいことを勉強し、考えなくてはならなくなったので、気晴らしのような意味もあるかもしれません。
 …いやいや、学術研究の一環ですよ。
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無呼吸治療の始まり

2005年07月09日 15時46分16秒 | Weblog
 今日は、午前中、広島市でぐるーぷ樹のミーティングがありました。議題は来年の定期コンサートと、8月に徳島で開かれる演奏会についてでした。樹で定期コンサートを開く時、企画者兼責任者を決めるのですが、なんやかんやで来年の責任者は私になってしまいました。正直、長いだけでなかなか話の進まないミーティングにあきあきしていたので、仕切らせてもらうことにしたのです。
 ただ、来年=博論仕上げ…ううむ、不安だが、コンサートは7月なので大丈夫なはず

 無呼吸の話題。もろもろの条件がかさなって、業者さんが家に直接機械を持ってきました。それで、昨夜からさっそくつけて寝ました。なので、昨夜から睡眠時無呼吸症候群治療の日々に突入です(笑)。
 「最初は強めに設定しております」と業者さんが言っていた通り、途中「むぐっ」と軽くむせるほど強くなり、時々目が覚めてしまいました。毎日こうだと困りますが、機械の中のコンピューターが自動的に操作するそうですので、使っているうちに変わるでしょう。空気圧が低いと使っている効果がなく、強すぎると苦しい、と、調整が難しいようなので自分でいじらないことにしました。来週、業者さんに連絡してみよっと。
 まあ、おかげで今日は少し寝不足ですが、いつもの寝不足とは違い、寝覚めはあんがい悪くないのがうれしい。いつもの睡眠時間の3分の2ぐらいだったのに、いつもより寝た気がするのです。慣れればかなり効果があるかもしれません。この療法、CPAP(シーパップ)療法というそうです。機械からホースでつながった鼻マスク(のようなもの)をつけて、機械から送られてくる空気を鼻から直接吹き込む、という仕組みです。あっ、写真撮って見せようと思っていたのに、忘れてしまった。写真はまた後日。
 ところで、休呆さんのホームページのある隠れた場所に、この機械を装着した何ともあられもない?姿がありました。これを紹介していいのか?と思いつつ、紹介してみる。
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無呼吸確定

2005年07月08日 14時37分13秒 | Weblog
 久しぶりの無呼吸の話題。
 今日、無呼吸の診断結果がわかりました。何週間前の話だよ!って感じですが、ようやく確定です。調べたら、二ヶ月前のことでした。わお
 結果は、睡眠時無呼吸症候群、確定。
 一時間につき40~50回呼吸が止まる、または止まりかけており、血液中の酸素濃度も90%以下(通常94・95%程度、かなり長い間息を止めないと90%以下にはならない)の時間がかなり長いというデータを示されました。ほんとは病院で精密検査をする方がいいのですが、診てくれているお医者さんが月末まで時間がとれない、最近本格的に症状が出ているとのことで、いきなり治療のための機械(鼻マスク)を使用することになりました。まだ機械は手元にないのですが。
 最近、半日以上寝ても寝たりない、日中眠い、集中力が極めて散漫、という日常生活への深刻な影響がありました。無呼吸かも、と自覚したのは数ヶ月前ですが、症状自体はそうとう昔からあったのは間違いありません。10年近く、もしくはそれ以上の間、こんな状態を続けていたなんて考えると、ゾッとしますよ…
 ともかく、上に挙げた症状は自分の怠惰からくるものだと思っていたふしがあるので、原因がはっきりしてスッキリしました。この病気を治すにはとお医者さまに聞くと…「やせるしかないね」とおっしゃった…たぶん身長172cmに対して、今は80kgぐらいか。ちょっとがんばろっと。
 なんか、がんばることばかりだな…
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「よい」教育史研究とは?

2005年07月07日 20時32分21秒 | Weblog
 今日は(も?)、読書。
 昨日から、近代教育思想史研究会(現、教育思想史学会)編『近代教育フォーラム』創刊号(1992年)を読んでいます。もともとは、この中の一部のフォーラム3の報告「教育史研究の方法論的再検討」が目的だったのですが、あれよあれよと最初から読んでいます。そのせいで、目的だったこの報告をまだ一部しかよんでいないという、本末転倒の状態にあります(失笑)。
 この紀要を読んで、様々なことを知りましたが、結局一番印象に残った部分は、単純な言葉です。それは、討議上での安川哲夫氏の言葉、「日本教育史の場合によくみられるような事実としてあるものをこうでしたとういだけの歴史のアプローチ」という言葉でした。また、この言葉の後に記された「(笑い)」(おそらく会場出席者の(笑い)なのでしょう)が印象に残りました。この記録は、1991年8月に開かれた近代教育思想史研究会第一回研究大会の記録ですが、事実は別として、当時の西洋教育史(思想史)研究者が日本教育史研究にそのようなものが多いと認識していることに、注目したわけです。自分の論文はどうだろうか。と反省したと同時に、はたして十五年たった今の日本教育史研究はどうだろうか、だったら上記のような研究でない教育史研究とは何だろうか、その答えが未来の教育史研究者となる専攻の院生に伝わっているのだろうか、伝えているとしてもそれが院生たちが実行可能な状態にあるのだろうか、とさらに強く思ってしまいました。
 同研究会のフォーラムにおける報告書の体を為しているので、論文と同じようには読めませんが、問題関心やその問題を問うことの意義、序論的な方法論を読みとることはできます。今の教育史研究には何が求められるのか、それを問うためにこの紀要を読んでます。もちろん、この紀要=思想史という限定はかかりますが。
 後、注文していた、佐藤秀夫(小野・寺崎・逸見・宮沢編)『教育の文化史』3-史実の検証 を今日手に入れました。1・2はすでに買っておりますが、まだまともに読んでいない… 第3巻の第一部は、佐藤氏の教育史研究論で構成されております。
 あと、修士課程の院試を受ける学部4年生のためという建前で、皇至道『西洋教育通史』(玉川大学出版部、1972年)を読み始め。古いですが、西洋教育史の通史としては名著みたいです。他の西洋教育史の本をほとんど知らないので、相対化はできませんが。
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誠を尽くす

2005年07月06日 20時09分22秒 | Weblog
 あまりにあまりだったので、先の記事は削除しました。

 私の家族は、毎年大晦日の23時ごろになると、檀那寺へ百八つの鐘を突きにいく習慣がある。そこでかならず引くのが、鐘の横に置かれたおみくじ。寺でおみくじというのもおかしな感じだが、これがまた当たるのである。その一年を過ごすうちにあまりに当たっていることを実感し、今では心のよりどころになってしまっている(笑)。
 平成17年度もすでに半分すぎてしまったが、やはりこのおみくじの中身にはうならされっぱなしである。このみくじは、なにやら御利益がありそうな感じで漢詩と古語で書かれている。私の今年度のみくじにかかれていた漢詩は以下の通り。

 第二番 小吉
  月被浮雲翳(つきはくもにかくざれ)
  立事自昏迷(りうじおのづからくらし)
  幸乞陰合祐(こいねがわくばいんごうのさいわい)
  何慮不開眉(ひらかんまゆをひらからざること)

  <解説文>
  月あれど くもにかくれて 光が見えぬぞということなり
  立って見てもつい見えねば おのづから心もくらく まようなり
  まことをつくし 時節をまたば さいはいのたすけ あり
  よろこび の まゆをひらくべしとなり おもいわづらう事なし

 月(ツキ、か?)は雲に隠れ、立って見ても先は見えない。
 しかし誠をつくして時節を待てば、幸いのたすけがあり、喜びに眉が開く。(←あやしい訳)
 思い煩うことはない、努力せよ。という意味のようである。
 とにかく、はじめは心の思うままに何事も成し遂げ難いけれども、励んで時節を待てば、後にしあわせがある、ということだそうだ。みくじの最後には、「すべてこのみくじはは初悪しく後よきかたちなり」として結ばれる。
 初めは良くない。これはまさに当たっている。今年度初めの六ヶ月、ろくなことはなかった。論文が認められないということはもちろん、それ以外でも。みくじの通りであれば、この後、好転するはず。しかし、これには「努力すれば」という限定があることには注意しなくてはならない。幸いの後の不幸、不幸の後の幸い。努力なき結果など存在しない。今の私にできることは努力のみ。
 誠を尽くし、努力すれば、道は開ける。今は愚直にこれを信じるのみ。
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鬱との闘争

2005年07月04日 21時48分19秒 | Weblog
私の鬱とつきあう方法。

1、自分の鬱状態をあるがままに受け入れること。
 私の鬱の原因の一つ目は、消極的思考が伴った対人関係の不安から来る。仕事の失敗後によく鬱状態になるが、これは仕事そのものの先行きよりも、「この失敗で、あの人は私に失望しているだろう」と思ってしまうことから来る。この思考のクセは、私の生い立ちに一つの原因がある。私の育ってきた家庭環境は多少困難があり、私は、まず人の顔色を見て動く人間に育った。これは今さらなかったことにはできないことであり、認めざるを得ない。
 しかし、以上のような達観に至るのは、私にはかなり難しかった。そもそも自分にとっての鬱状態とは望ましくない状態だったからだ。鬱状態であることを嫌い、さらに鬱状態をひどくする。悪循環であることを理解すると、悪循環にしてしまう自分を嫌い、さらに鬱状態をひどくする。次第に、何が何だかわからなくなる。この悪循環が、鬱をひどくするのである。この状態から抜け出すには、鬱になる原因から一度距離を置くしかない。

2、他人に話すこと。
 鬱の原因から距離を置く方法には、他人に話すことが非常に効果的である。距離を置くということは、原因を客観視し、相対化することが可能な状態にすることでもある。話をするとき、話すことのすべてを最初からわかって話をすることが出来る人はまれであると思う。たいていは話しながら話すことを考えるし、相手との対話において思いがけない答えを得ることがある(相手から言われるにしろ、自分で気づくにしろ)。自分が今つらい状態にあることを告白し、対話の中で自分が置かれた状況を認識するのである。
 私は、長い間、人を頼るということを拒んできた。自分のことを処理できるのは自分しかいないわけだし、そもそも相手に迷惑をかけたくないからである。しかしこの際注意しないといけないことは、逆に私が人を頼ることを拒むが故に、相手に様々な迷惑をかけているのだとしたら本末転倒である、と理解する必要がある。私が一番つらかった時、兄がかけてくれた言葉、「もういいから、家に帰ってこい」。この言葉が、私の人生を変えた。私のことを気に掛けてくれている人がいる、私の悩みを聴いてくれる人がいる、ということに気づくこと。これがこの境地に達する鍵ではないか。

3、鬱に関することについて考えることをやめ、ゆっくり休むこと。
 鬱の治療法として最も穏当な治療法は、ゆっくり休むことであろう。鬱の治療法には、何もない真っ白な部屋に入り、ひたすら二・三週間寝るという治療法があるらしい。私の体験では、よほど状態がひどくないと、二・三週間も必要はない。私は一番ひどかった時にこの方法を知り、「寝る」以外の行動を取るのをやめて、三日ほど昼夜寝ていると不思議と体が軽くなった。入院の必要のない軽い鬱ならこの程度でよいようだ。ひどくならないうちなら、もっと期間は短くなる。最近では1日も寝る必要はなくなった。鬱の原因から完全に距離を取れるのであれば寝ている必要はないが、寝ていれば何かをするはずもない。
 しかし、これは意外に難しい。たいてい鬱の原因は差し迫った用事であり、絶え間なく対処する必要がある。だからこそ、すぐ治る、ひどくなる前に早めに対処する必要があるのである。鬱状態でやってもそれは中途半端に終わり、中途半端にやると鬱状態がひどくなる。この悪循環から抜け出すには、「休む勇気」、これを持つのが重要である。ここでいう休むこととは、「現実から逃げること」とは少し違う。鬱の原因に対処するために、その準備をするという意味で「休む」のである。もちろんそのまま休んでばかりいるのは問題だが、「やらなくてはいけない」という気持ちがあれば、休んでいる内に自然と「あ、これならやれる」と気づく瞬間があるはず。
 ともかく、休むことが重要なのだが、ここで言いたいことの中では、「鬱に関することを考えることをやめること」が実は一番重要である。鬱について考えることは基本的にストレスであり、鬱の原因になる。それでは休むことにはならない。体調が整ってから考えればいいのであり、そもそも消えてなくなっているかもしれないのだ。

 この記事を仕上げるのに、書き直し書き直し、一時間半かかった。そのわりに、あまりうまく言えていない。しかし、とりあえず今日のところはこれまで。今、鬱で苦しんでいる人に、少しでも参考になれば幸いである。
 ちなみに、今私は調子がよくなっている。心の余裕があるからこんなことが言える。土日しっかり休んだからね。
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2005年07月03日 13時53分35秒 | Weblog
今日も休み。
東広島では、7月1日の昼ごろから雨が降り始めた。今年の梅雨はカラ梅雨で、雨がまったく降らず、真夏のような気温上昇がおこり、水不足が心配された。古来より水不足に悩まされた地方である、四国の香川では、早くも夜間断水を決行したほどである。山陰では雨が降りすぎて事故があったようだが、ともかくどこの地方でもまさに恵みの雨だろう。
今日、久しぶりにゆっくり雨が降る音を聞いた。規則的にして不規則。空高くから落ち、地上のあらゆるものにぶつかる。様々な音が聴こえる。幻想的であり、現実的でもある雨の音。
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第一次審査会レジュメ

2005年07月01日 19時04分54秒 | Weblog
 今日発表したレジュメを、以下の場所に公開します↓

 http://home.hiroshima-u.ac.jp/siraisi/kenkyu/sinsakai.htm

 ご意見・ご感想など、忌憚ないご批判を賜りますれば幸甚です。単なる「非難」は勘弁してください。
 なお、ブックマークはこちらのトップページにお願いします↓

 http://home.hiroshima-u.ac.jp/siraisi/
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博士論文第一次審査会

2005年07月01日 16時49分54秒 | Weblog
 博士論文第一次審査会とは、学位(博士号)を取得するために大学に提出すべき博士論文の構想を審査する会であり、具体的には博士論文の題目を決定する会である。院生が関与する審査会には次の段階に第二次審査会(普通一年後ぐらいに開かれる)があり、ここで論文そのものの審査が行われる。その後、教授会で学位授与の最終決定が下り、結論が出るのである。
 第一次審査会では、題目を決定するだけとはいえ、おろそかにはできない。題目は論文内容を最も簡潔に説明しなくてはならないものであるため、その決定には慎重な審査が必要なのである。だから、第一次審査会では内容の構想(研究目的・論文構成案・暫定的な研究内容)の発表も合わせて行われる。本日、広島大学教育学研究科教育学教室ではこのような第一次審査会が公開で行われた。公開で行う理由は、発表者以外の院生(学部生)に対する知的な刺激を与えるため、というのがその一つであろう。実際、院生にとっては、同級生や先輩たちが何をどのように研究しているのか、自分の専門外の教育学諸分野では何をどのように研究しているのか、得るものが多い。特に、発表されるのは、博士論文を見据えた最先端の研究であり、見るべきものがある。
 先日より予定していた通り、本日、私は博士論文第一次審査会にて発表をした。その後、指導教員のみで審査が行われ、合格したらしい。結論から言えばめでたいことだが、私自身の心情からするとあまり喜ばしくない。今日の記事が、結論にしては淡々としているのも、そのせいである。なぜこのような状態なのかというと、審査にあたった指導教員は四名いるのだが、全員一致で合格を示したのではないからである。不合格を示した教員を、仮にA先生としよう。A先生がただの副指導教員ならば、あまり心配する必要はない。しかし、A先生は来年度、主任指導教員になる可能性が高い教員なのである。今主任を務めていただいている佐藤尚子教授(東洋教育史専門)は、本年度で退官のため、来年度の私の主任指導教員は交代しなくてはならない(私は現在、博士課程2年)。今、広島大学教育学教室には諸事情があって日本教育史の専門家がいないため、専門から言って来年度以降の主任にはA先生しか現在のところ候補者がいないのである。そのA先生に、不合格の烙印を押された。しかし、研究室も違う、定例の指導も受けられる状態になっていない、という現状。そもそも、発表後の質疑応答でA先生の質問?感想を受けたが、不合格とする理由が今ひとつ理解できない。おそらく、私の勉強不足なのだろう。後日、直接本人にどうしたらいいか問うてみるつもりである。
 題目の決定だけなので、ということで合格になったのだろう。私の所属する日本東洋教育史研究室では、論文題目は研究対象を示すのみ、という伝統がある(と私は理解している)。副題をつける場合は具体的な結論に関わる内容が示されるが。まったく新しい研究を一から再び始めない限り、題目は変わらないし、変えるつもりもない。決まっていることは何も問題はない。しかし、将来は不安だらけである。テーマが悪いのだろうか。それとも私の能力が至らないのだろうか。今の私にできることは、問題はこの両方にあると考え、目の前にある課題を達成していくことだけ…
 ちくしょう、何でこんなに暗くならなくてはならないんだ
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