今日は、広田照幸『教育言説の歴史社会学』(名古屋大学出版会、2001年)の第I部の大事なところを抜き書きし、夕方からバイトへ行き、夜研究室に戻って広田著のまとめと上記の問題設定を作りました。この後はしばらく、その他の参考文献を用いながら、「日本における教育とは何か」をテーマに、まとめていこうと思っています。
「教育とは何か」を考察するには、当然、「教育」という言葉の意味がわかっていなければいけません。ただ、この「教育」という言葉が日本で一般的に使われるようになるのは、明治初期以降のことです。また、「教育的」という慣用句の発明によって、様々な意味で使われるようになりました。さらに、現在使われる「教育」の一般的意味は、戦後の教育学の中で練り上げられたものです。我々が普通に使っている「教育」という言葉は、実は歴史的に固有な形で形成されたものでした。日本において「教育」がどのように、どのような形で形成されたものかわかっていなければ、「教育とは何か」の考察は、自分の考えを押しつるだけの不毛なものか、誰かの言ってきたことの繰り返しにしかならないと思います。
とまあ、こんな大それたことを考えているのは、就職後のことを考えているからです。私のような日本教育史専攻者は、どうしても教職科目の原理的分野を担当します。となれば、「教育とは何か」というテーマは避けては通れないテーマなのです。誰かが編集した教科書を使ってもいいのですが、できたら私なりに授業したい。私は、本格的に訓練を受けたのは、哲学研究ではなく歴史研究です。そのため、「教育とは何か」というテーマを、事前に歴史的に考察しておこうというわけです。主な内容は、研究論文を書くほどの準備と時間はないので、主に先行研究の整理によって構成していくことになると思います。
なお、就職だけの意味しかないかというとそうでもなく、専門の研究(教育会史研究)にもかなり刺激になってます。勉強するうちに、重要なテーマが浮かんできました。
まー、ぜんぜんまだ就職決まってないですけどね(笑)。今後、2・3年あるいはそれ以上かかるかもしれませんし(笑)。備えあれば憂いなし、専門の研究の刺激にもなるし、程度のものです。
「教育とは何か」を考察するには、当然、「教育」という言葉の意味がわかっていなければいけません。ただ、この「教育」という言葉が日本で一般的に使われるようになるのは、明治初期以降のことです。また、「教育的」という慣用句の発明によって、様々な意味で使われるようになりました。さらに、現在使われる「教育」の一般的意味は、戦後の教育学の中で練り上げられたものです。我々が普通に使っている「教育」という言葉は、実は歴史的に固有な形で形成されたものでした。日本において「教育」がどのように、どのような形で形成されたものかわかっていなければ、「教育とは何か」の考察は、自分の考えを押しつるだけの不毛なものか、誰かの言ってきたことの繰り返しにしかならないと思います。
とまあ、こんな大それたことを考えているのは、就職後のことを考えているからです。私のような日本教育史専攻者は、どうしても教職科目の原理的分野を担当します。となれば、「教育とは何か」というテーマは避けては通れないテーマなのです。誰かが編集した教科書を使ってもいいのですが、できたら私なりに授業したい。私は、本格的に訓練を受けたのは、哲学研究ではなく歴史研究です。そのため、「教育とは何か」というテーマを、事前に歴史的に考察しておこうというわけです。主な内容は、研究論文を書くほどの準備と時間はないので、主に先行研究の整理によって構成していくことになると思います。
なお、就職だけの意味しかないかというとそうでもなく、専門の研究(教育会史研究)にもかなり刺激になってます。勉強するうちに、重要なテーマが浮かんできました。
まー、ぜんぜんまだ就職決まってないですけどね(笑)。今後、2・3年あるいはそれ以上かかるかもしれませんし(笑)。備えあれば憂いなし、専門の研究の刺激にもなるし、程度のものです。