教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

今週の予定

2007年05月14日 23時55分55秒 | Weblog
 今日は、25日用のレジュメ作成と就活用の書類作成。結構進みました。
 今週は微妙に忙しい。水・金・土曜にバイト(それぞろ前日に準備)。それから週末に学会参加のため、名古屋へ。これらの予定の合間にレジュメと就活用書類の作成を進める、という感じです。
 がんばろう!
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ワガママ院生の迷走っぷり

2007年05月13日 19時39分20秒 | Weblog
 今朝、teacupに頼んでいた「教育史研究と邦楽作曲の生活」の本が届きました。写真みたいな感じの仕上がりです。分厚い… 内容は2005年3月1日~11月30日の分。前に言った分より、結局だいぶ増えました。273記事、送料含めて4000円とちょっとでできあがりました。決して安くはありませんが、仕上がりはなかなか。十分満足です。ページ数が付いていないので正確な数字はわかりませんが、300頁以上あるのでちょっとした本になりました(笑)。ブログ(日記)開始から無呼吸治療開始・2005年中四学会発表までを綴った内容からは、ワガママ院生が迷走状態へと突入する様が見て取れます(苦笑)。しかし、よくもまあ、こんなに書くことがあるもんだ。…まっ、この時期以降は、もっと文字数が増えるんですがね!
 私のストレス量とこのブログの文字数は、比例して増加しているのかもしれない(笑)。

 頭が痛い… 若干熱がありそうです。
 25日の発表用レジュメを作ろうと思っていたのですが、眺めるだけで何も進みませんでした。
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学会・研究会での質問は、異論と批判のどちらがよいか

2007年05月12日 22時09分03秒 | 教育研究メモ
 本日、論理トレ終了。案外最後はあっさりした内容でした。
 これまで、野矢茂樹『新版論理トレーニング』(産業図書、2006年)を使って、論理トレーニングをやってきました。その中で、一番「ためになった」内容は、「異論と批判の違い」の説明でした。論は、主張(結論、いいたいこと)と論証(いいたいことを言うための根拠と論理展開(導出))で成り立っています。「異論」は、ある主張に対して異なる主張を提示するもので、異なる主張を提示するための論証も伴います。他方、「批判」は、提示されている主張をそのままに引き受けた上で(実際納得しているかどうかは別)、その主張に至る論証を問う行為です。例えば、批判的な質問とは、「この根拠は何を情報源にしているか」とか、「この概念はどういう意味で使っているのか」とか、「この根拠と結論は飛躍しているのではないか」とか、「この結論での評価は次のような異なる評価ができるのではないか」とかいったものだそうです。
 時間的な制限の強い学会や研究会での質疑応答を想定すると、そこで提出する質問は異論と批判のどちらが効果的でしょうか。異論であれば、質問される側の主張とまったく別のことを言うので、互いに理解できないままに議論が終わってしまいがちです。また、主張そのものには必ずしも普遍的な解答はないので、互いに異なる主張をしあえば、議論が空転してしまいます。他方、批判であれば、同じ結論・主張を言うために最善の論証を求めるので、質問される側にとっては持論の再確認・改良につながります。また、質問する側にとっては発表された内容のさらなる理解につながります。学会や研究会の目的は、相手をやりこめることでは決してなく、学問研究を前進させることです。学会や研究会での質問は、異論ではなく批判こそふさわしいと言えるでしょう。
 あらためてそういう場での自分の質問を思い返してみると、けっこう、異論になっていた場面が多いように思います。そもそも、質問の仕方がわからなかったので、批判も異論もぐちゃぐちゃに区別がついていなかったというのが本当のところでしょう。たしかに、異論があるなら別の機会に自分で発表するべきであり、他人の発表の質疑応答時間を使って主張するのは間違っているようにも思います。異論を出さざるを得ない場面もあるかと思いますが、普遍的な解答のない学問研究においては、あえて相手の主張を受け止めて考えてみることが大事なのです。
 今後は、批判としての質問をしようと思う私でした。

 夜、バイト終了後、研究室へ戻って履歴書を仕上げる。
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論理トレの毎日、バイトバイトと連呼する

2007年05月11日 17時06分17秒 | Weblog
 このところ、とくに書きたいことがなかったので、更新してませんでした。3日もログを空けるなんて、初めてかも(笑)。
 8日は速読トレ→論理トレ。その後、就職活動用の書類を作っていました。うーん、なかなかうまくできないなぁ。それから次の日のバイトの準備。
 9日は論理トレとバイトのみ。20日の学会へ参加するため、夜行列車の切符を買う。論理トレをしてからバイトへ。夜、バイトから帰ってから論理トレ。
 10日も、野矢茂樹『新版論理トレーニング』(哲学教科書シリーズ、産業図書、2006年)を使って、論理トレ。今日はこれのみ。今はまだ途中ですが、論文に対する自分の見方・書き方が明らかに変わってきているのがわかります。野矢著の最終章が「論文を書く」なので、早くここまで終わらせて実際に論文を書いてみたいです。今日のトレで、かなり進みました。なお、ここで久しぶりにブログを更新しようかと思ったところ、パソコンの調子が悪くて断念。そして今日に至る…

 今日11日も論理トレとバイト。どうもこのところ、夜更かしが多くて、ちゃんと朝に目が覚めない。おかげで、時間的に今日中に論理トレを終わらせることはできそうにないのですが、とにかくいけるところまでやりました。論理構造や質問・批判の仕方を勉強しました。これ使えそう! 試しに先行研究の批判をしてみると、以前より若干進歩した批判ができていそうなものができました。時間がなかったのでたいしたものじゃないけど。これで、あと1回分(最終章の「論文を書く」)を残す状態に。明日には論理トレを終わらせるぞ!
 バイトの時間になったので、研究室を引き上げる。バイトから帰ったら、明日のバイトの準備をしないとなぁ。さて、ここまでバイトバイトと連呼してきたので、何をやっているのか気になる人もいるでしょうね。しかし、公開するといろいろ不都合があるようなので、内緒です。といっても、法に触れるような仕事ではないです(笑)。週2~3日・1日2時間くらい人前に出て話などをする仕事で、前準備に同じくらい時間がかかります。使っている時間はそんなもんです。
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教育団体論・教育会研究の意義?

2007年05月07日 18時40分58秒 | 教育会史研究
 今日も、登校後すぐに速読トレ→『教育学研究』の読書。今日は藤田晃之「2006年の教育改革案・調査報告等」(日本教育学会編『教育学研究』第74巻第1号、2007年、49~62頁)を読みました。この内容は、2006年に特に目立った教育問題の発生と、各方面の対応をまとめた年表です。昨年の教育に関する動向について、最低限押さえておくべき内容がまとめられています。この年表は、教育に関する動向を捉えるにあたって、政府・文部科学省・日本教職員組合・政党・教育委員会の動向に注目し、主に政治的動向を捉えたものと言えます。
 しかし、教育に関する政治的動向を押さえるには、これらの組織・機関だけに注目していていいのでしょうか。たとえば、教育団体の動向を日教組に代表させるのは、再考の余地が十分にあると思います。現代日本では、日教組とは理念や歴史を違える無数の教育団体が活動し、独自に政治過程へ関与しています。文部省対日教組の対立が大きな政治的影響力を持っていた時代ならばいざ知らず、現在の教育に関する政治的動向は、多様な教育(関係)団体の動向に注目しなくてはならないと思います。
 読書後、「今、教育会とは何か」というテーマで教育会のHPを調査。今日は、全国団体(日本連合教育会・日本教育会)とその他の全国教育団体(全国連合小学校長会など)を調査。なんとなく今の教育会を取り巻く状況がわかってきましたが、依然ピンとこないのは、この無数ともいえる教育団体の中、教育会はどんな役割を果たしているかという点です。
 全国的教育会に限って、各教育会自身が自らの特色をどのように語っているかというと、日本連合教育会は、明治以来の教育会の伝統に連なっているという点をとくに強調しています。日本教育会は、異なる学校種別(幼小中高など)やPTA関係団体等を横断的に組織している点を強調しているようです。あえて整理するならば、教育会独自の特色とは、明治以来の教育会の伝統と学校種別・教育関係団体の横断的組織、といったところでしょうか。ただ、これは組織上の特色であって、役割上の特色ではありません。教育会の役割は、表面上よくわからないままなのです。
 結局、他の団体にできなかったことのうち、教育会は何をしてきたのか、ということがハッキリしないと解明されない問題なのでしょう。無数の教育団体がひしめく現在、教育会の役割が不明確なのは、もしかしたら仕方ないことなのかもしれません。しかし、明治期の教育会結成が相次ぐ時代はどうでしょうか。明治期には教育会以外にも教育団体がありましたが、今ほどではありません。結成期の教育会を研究することで、今の教育会が果たすべき役割もわかってくるのかもしれませんね。
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月曜からがんばりましょう

2007年05月06日 19時55分56秒 | Weblog
 このままだと黄金週間が休日だったことを忘れそうだったので、昨日今日と遊んでました。息切れして平日に潰れてもいけないし。
 月曜からがんばろう。
 写真は大学のキャンパス内。写真では暗くなってしまったけど、雨上がりの新緑がきれいだったので。
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「親学」について、など4主題。

2007年05月04日 20時19分34秒 | 教育研究メモ
 今日は、速読トレをしてから『教育学研究』の読書。今日は山口美和「『<親>になる』ことへの物語論的アプローチ―NICU入院児の親の語りを手がかりに」(日本教育学会編『教育学研究』第74巻第1号、2007年、28~39頁)を読む。NICU(新生児集中治療室)への入院経験のある児の両親に対するインタビューを資料として、「<親>になる」とはどういうことか、という問題を論じた論文です。ここでの鉤括弧付きの<親>とは、子を産むことによって自動的になる「生物学的な親」ではなく、なんらかの関係性(<子>との直接的対面関係、家族・社会等における役割関係など、「第三の局面」はうまく説明できません…)を基軸として成立する「社会的存在としての親」のことを言います。従来の親子関係の研究は、親子間に愛着関係が成立することを自明とし、子へ愛着を持てない親を問題視し、愛着形成の失敗の原因を探ることを中心的な問題としてきたといいます。しかし、これでは、親が出産や育児開始にあたって、とまどい苦しみながら<親>になっていく過程を捉えることは難しい。山口氏はこの点を問題とし、研究を進めました。
 正直に言うと、私にはこの論文の本論部分の内容はよくわかりませんでした。ですが、NICUへ入院しなくてはならないような子をもつ親が、子に愛着を持つことは自明ではない、ということは伝わりました。それも一般論ではなく、事実によって実証されているというところに、私はこの論文の意味を見ました。子に重大な問題がなくとも、子に愛着を持てない親が社会問題となる中、親子関係に愛着を前提にする考え方を自明視しないことは、問題解決のために重要なことだと思います。
 最近、「親学」が必要だ、という政治的な言説がありますが、こういう問題を踏まえて発せられた言説でしょうか。私は、このまま行けば、「親学」は一方的な道徳論の単なる押しつけになりそうな気がしてなりません。少なくとも、<親>になる過程で生じる親のとまどいや苦しみを前提として構成しなくては、有効なものにはならないでしょう。

 なにやら昨日から大学内から外部のページにつながらない。昨晩、他講座の人が訪ねてきて「ネットが外部に繋がらないのですが、何か連絡ありました?」と聞いてきました。私はとくに連絡を受けていなかったので、わからないと答えました。明日になったら直ってるだろうと思っていたので、特に気にも留めませんでした。しかし、今日もつながらない。学内のページにはつながるのに… こりゃおかしいなぁと思い、とりあえず注意して調べてみると、この5月からネットワーク設定をいじらなくてはいけなかったらしいのです。説明には「家庭等でネットワークに接続する場合…」と書いてあったので、学内の端末は関係ないや、と早とちりしていました。指示に従ってちょっと設定を変えると、すぐに外部につながるようになりましたよ。気づかなかった私がいけないのか、早とちりするような表現で説明する管理側がいけないのか。
 まあいいや。
 速読トレ→『教育学研究』読書を終えた後、昨日に続いて「教育原理」の研究。私が想起する「教育原理」とは、戦後の教育職員免許法施行規則に規定された教職科目のこと。なので、教育職員免許法の制定過程を、先行研究などを読んで勉強しておりました。法令の羅列でなければ、戦後の教育史も面白いですね~
 その後、「今、教育会とは何か」というテーマで、都道府県レベルの教育会のHPを調査。団体名称、戦前の教育会との関係、目的、事業、組織形態をチェックして表にまとめました。調べて思ったのは、「案外、戦後の教育会も活発に活動しているなぁ」という感想と、「都道府県レベルの教育会は単なる上部組織であり、実質的な活動をしているのは郡市町村レベルの教育会である都道府県もありそうだ」ということ。まぁ、「今、教育会とは何か」というテーマに沿って言えば、あまりにも多様すぎて説明困難であることもわかりました(苦笑)。なお、本調査には、大学院生タカキさんのブログ・鵜の目「タカの目」の、2006.11.26の記事を活用させてもらいました。便利でした。ありがとうございましたm(_ _)m
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政策形成過程における意図の変化

2007年05月03日 23時55分55秒 | 教育研究メモ
 今日は速読トレ→『教育学研究』読書。今日は上田誠二「音楽教師から敵視されたメロディの教育化―『東京音頭』から『建国音頭』へ」(日本教育学会編『教育学研究』第74巻第1号、2007年、13~27頁)を読む。大正昭和戦前期に学校教員から「亡国的」として嫌われていた「晋平節」(イ短調ヨナ抜き音階)が、戦時体制期に「建国音頭」として国策的に利用される過程を明らかにしたもの。作者の中山晋平が晋平節に込めていた教育的意図が、国策利用の過程でゆがめられた様を指摘しています。一番興味深かったのは、本論からはずれるのですが、この晋平節が戦後直後の「憲法音頭」にも使われたということ。このときは節に込められた意図はゆがんだの?それともゆがまなかったの?
 ちなみに昨日は石岡学「1920年代における学校教育に対する職業指導導入の論理―社会政策としての職業指導と教育政策としての職業指導」(同前、1~12頁)を読みました。社会政策として出てきた学校での職業指導の論理が、教育政策に取り入れられる過程で変化したという話。治安維持などの意味を持っていた職業指導が、学校卒業生の進路問題に解決を与える政策の一つとして変化していく様は、非常に興味深いものでした。学校教育への職業指導導入は、昭和2年の中学校入試改革(学力試験を廃止した)と連動していたといいますが、職業指導導入が中学校入試改革に与えた影響はあったのでしょうかね?
 それから「教育原理とは何か」をテーマに勉強。就職活動用+就職後用。
 夜は論理トレ。今日は接続関係の勉強。論理とは、言葉と言葉、主張と主張、部分と全体をつなぐ関係を意味します。論理的な文章を書く/読むには、言葉・主張の間の関係を理解することが必要です。したがって、論理トレーニングには、接続関係の勉強が重要です。そして、接続関係を最も端的に示す言葉である接続詞・接続助詞・副詞の勉強は、最も基礎的な勉強です。
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論理力トレーニング

2007年05月02日 23時55分55秒 | 教育研究メモ
 今日は朝から登校。
 速読トレーニング、就職活動の準備(公募応募用書類・資料の収集)、構内駐車証の受け取りをしました。その後、突然集中力が切れてボーッとする。夜になったので帰ろうかと思っていると、教育哲学研究室所属の後輩S君が私に声をかけに来ました。しばらく研究の事などを雑談。改めて私の説明力・会話力の不足を痛感。
 S君が帰った後、野矢茂樹『新版論理トレーニング』(哲学教科書シリーズ、産業図書、2006年)を読んで論理の勉強。この本によれば、論理とは、言葉と言葉、主張と主張、文章の部分と全体の関係のことです。そして、論理力とは、思考の結果を、一貫した、誰でも理解できる形(飛躍が少なく、さらなるひらめきを必要としない形)に再構成し、表現する力であり、かつ結論と根拠の関係や文章全体の方向性を読み取り、理解し、評価する力とされています。この本は、授業または独習の教科書として、論理力をつけるトレーニングを施すことを目的とし、非常に読みやすい文章で構成されています。また、練習問題がついており、ただの啓蒙書ではありません。しかも、旧版(1997年刊)を踏まえており、内容のブラッシュアップが期待されます。この本は、論理力をつけるには適切なテキストだと思います。
 今日は序論だけ読んで、練習問題を解いてみました。なかなか面白い気分です。勉強後、博論構想について、ちょっとだけ応用してみました。けっこう勉強の効果あったかも。明日も時間を見つけて勉強しよう。
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てつのくじら

2007年05月01日 23時55分55秒 | Weblog
 兄に港まで送ってもらって、14時のフェリーに乗る。16時すぎに帰広。
 写真は呉港のすぐ近くにある、元海上自衛隊の潜水艦「あきしお」です。海上自衛隊呉史料館(てつのくじら館)の一部で、中を見学することもできます。時間がないので見て回ってはいませんが、呉港から歩いてすぐ近くにあるので写真だけ撮ってきました。昨日船に乗る前に撮ったのですがね。ちなみに撮った場所は、呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)正面の歩道から。この二つの館は、ホントに近くにあるのです。内容も充実しているので、一日中楽しめる。最近、呉は、観光地としてアツくなってきたように思います。
 さて、実家では、久しぶりに気分よくすごせました。昨晩、父と気分良くビールを酌み交わせたし、やるべき課題も見出せました。今日の昼食では、これまた久しぶりに気分良く家族全員で食事ができ、兄とたくさん話ができました。分野は大きく違うのですが、父も兄もかつて大学関係者であったので(今は違います)、学問研究に造詣が深い。そのため、教育学・日本教育史・教育会研究の専門とは違う視点から、様々なアドバイスをもらえました。
 今後の課題について、実家に帰る前は「教育会に関する先行研究をざっと見直すくらいかな~」と漠然と考えていたのですが、今はいくつかの明確な課題が見えています。「早く課題をこなしたい」という気持ちが起こってきました。この課題にはもちろん、「教育会とは何か」を考えるための課題が、大きな位置を占めています。
 こうなれば私は強いはずだ。
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