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ジュリエッタ・マシーナの演技(フェデリコ・フェリーニ「道」)

フェデリコ・フェリーニの「道」(La strada)のDVDが
安かったので、買って久しぶりに見る。
私がイタリア文化に敬意を抱くようになった
原点のような映画。
内容については方々で語りつくされているから
あえて繰り返さない。
しかし、イタリアという国は
観光や料理や、一般的に信じられている人々の陽気さなど、
「明るい」イメージが強いと思うのだが、
芸術で時折感じさせる、恐ろしく底深い精神性こそ、
実は本質なのではなかろうか。
考えてみれば、この国はローマ時代から、
キリスト教が根付いた時代を通して
まさにヨーロッパの「中心」だった国(というか地域)である。
ヨーロッパの真髄を体現している、という気がする。

「道」も、そういうイタリアの真髄をまざまざと見せる傑作だ。
ここには、神性とか罪とか、救済とか、
そういう日本人にはとっつきにくい主題が、
否定しようのない実感をもって示されている。
ヨーロッパ的でありながら、普遍性を兼ね備えた表現である。
今回この映画を見て気付いたのは、
ジュリエッタ・マシーナ(ジェルソミーナ役)の凄まじい演技力である。
人生の価値を教えてくれた綱渡り芸人イル・マットが、
野獣のような男(ザンパノ。ジェルソミーナと旅回りの大道芸をしている)に
殺される。
それを目撃したジェルソミーナの姿を、
ジュリエッタ・マシーナは、
「罪に対するおののき」の化身となったかのような
迫真の演技で示して見せる。
誰しも、これを見れば「罪」というものがこの世に存在することを
否定できないだろう。
ザンパノが、これ以降、ジェルソミーナを内心恐れるようになるのも
無理はなかろう。
おののく彼女の姿には、「神」の影が垣間見える。

このシーンを模写したのだが、
とてもではないが、私の描写力で
描き切れはしない。
だが、この映画に対する敬意の印として、
掲載することにしたものである。
(絵の中のMassinaは、Masinaの誤りでした。
訂正いたします。)
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