母心の荒廃:日本人の精神的荒廃の重要局面

2008年07月06日 | いのちの大切さ

 「日本人の精神的荒廃の三段階」の講義をすると、必ずといっていいくらい出てくる反論・疑問の一つに、「荒廃しているという根拠(データ)はあるのか?」「最近凶悪犯罪、青少年犯罪が増えているというのはメディアがでっち上げたイメージで統計的には増えていない」といったものがあります。

 犯罪件数については、すでに述べたので、今回は、「児童虐待」についてふれておきたいと思います。

 幼い子どもが大切にされるどころか虐待されるというのは、明らかに社会の荒廃を示す現象だと思うからです。

 第72回日本社会学会大会での金原克憲氏の報告によれば、「幼児虐待は近年著しい増加傾向がみられる。全国の児童相談所における幼児虐待処理件数は、集計結果が公開開始された1990年の1101件から1997年では5352件と、7年間で5倍近く増加している。虐待者別に処理件数をみると、1位は実母による虐待であり、2943件(55%)と半数以上を占めている。」とのことです。


 そうした状況に対して、厚生労働省等、責任ある公的機関は十分に対応しているのでしょうか。

 平成15年6月付けの「社会保障審議会児童部会『児童虐待の防止等に関する専門委員会』報告書」の「はじめに」にはこう書かれています。


 児童虐待への対応については、「児童虐待の防止等に関する法律」(施行:平成12年11月20日。以下「児童虐待防止法」という。)の施行以来、広く国民一般の理解の向上や関係者の意識の高まりが見られ、また、この間、様々な施策の推進が図られている。
 しかし、全国の児童相談所に寄せられる虐待の相談処理件数も、ここ数年の間に急増し、平成13年度においては、児童虐待防止法が施行される直前の平成11年度の約2倍となる約2万3千件にも上っている。
 また、児童相談所の職権による一時保護や、保護者の意に反する児童福祉施設への入所措置を家庭裁判所に申し立てる件数の増加など質的にも困難なケ-スが増加している。児童養護施設に入所する子どももここ数年増加し、虐待を受けた子どもの入所も増加している。
 このような状況にあって、児童虐待対応の中核機関である児童相談所や虐待を受けた子どもを受け入れている児童福祉施設をはじめとする関係機関においては、様々な取り組みを行っているものの、十分には対応し切れていないなど、大変厳しい現状におかれており、児童虐待への対応は、早急に取り組むべき社会全体の課題である。


 「児童虐待への対応は、早急に取り組むべき社会全体の課題である」と書かれてから5年経った今年の6月朝日新聞の報道によれば、「全国の児童相談所が対応した児童虐待が07年度は過去最多の4万618件(速報値)に上ることが17日、厚生労働省のまとめで明らかになった。前年度より約3300件増え、初めて4万件を超えた。虐待を受けて死亡した児童は03~06年に295人いた。」とのことです。


 3つの資料を合わせて考えてみましょう(他にもいろいろな資料があるでしょうが、専門家ではないので、手近に入手できる社会的権威ある(と思われる)機関のものを使っておきます。)

 平成2(1990)年 1101件
 平成9(1997)年 5352件(7年で5倍近く増)
 平成13(2001)年 約2万3千件
 平成19(2007)年 4万618件

 もし資料に大きな誤りがないとすれば、調査が始まった平成2(1990)年からなんと約37倍になっています。

 ……とここまで書いて再度検索したところ、より詳細な「児童虐待相談対応件数の推移」というデータが見つかりました。

 これは、児童虐待の実数ではなく「相談対応件数」にすぎません。

 かつて相談されなかったのが相談されるようになったので増えた数も一部あるとは思われますが、それだけでなく実際増加しているのであり、おそらく相談されていない何倍もの件数の実態があるのだと推測されます。

 知れば知るほど、きわめて心の痛む深刻な事態、恐るべき荒廃というほかないのではないでしょうか。

 もちろんいろいろな社会的条件もあって、虐待してしまうお母さんのつらい事情もあるでしょう。

 しかしそれにしても日本社会全体として見れば、いのちを産み、守り、育てる中核であるはずの母(の心・精神性)が荒廃しているとしかいえない、と私は思うのですが、読者はどうお考えですか。

 そして、そうした事態を招いた責任の大きな部分が、「お金にならない家事・育児など価値はない」といわんばかりの価値観を流通させた、経済優先社会のリーダーたちにある、と思えてなりません。



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いのちの大切さが伝わる授業

2008年07月06日 | いのちの大切さ

 学生(2年女)がまた次のような授業への感想・評価・証言を書いてくれました。


 ……私はこの授業をうけるまで自分が他人と親せき(つながっている)と考えたことがなかった。

 この授業を通して、自分は今までの歴史が集積したものであり、進化の一部であることを知ったし、家族以外の人ともつながり、親せきで、かけがえがないということも知った。

 中学校の頃も薬物についての授業などで「自分は大切な存在なのだから……」と度々聞いていたが、単なるきれい言だと思っていた。

 今なんとなく、その意味が自分のものとなりつつある。

 最近、自分の行動によって次になにが起こるかを考えるようになった。

 授業をうけて自分の行動がかわるなんて授業は今までなかった。


 児童・生徒・学生が関係した悲惨な事件が起こるたびに、学校関係者の口から「これまでも教えてきたのですが……いっそういのちの大切さを教えていきたいと思います」といった言葉が聞かれます。

 そのたびに私は、「いのちは大切だ」といいさえすれば子どもがいのちの大切さへを納得するのならば、こんなに問題は起こらないはずなのに、と残念でなりません。

 「度々聞いていたが、単なるきれい言だと思っていた」、「授業をうけて自分の行動がかわるなんて授業は今までなかった」と学生が証言しているとおりです。

 私の10年以上のアンケートや聞き取り調査からすると、この学生の証言は特殊例ではなく、きわめて一般的なものだと思われます。

 あえていわせていただきますが、従来の〔絶対の根拠不明の〕ヒューマニズム的な教育法では、十分な質と量の納得は起こっていないのではないでしょうか(「そんなことはない。こんなに効果が上がっている」という反論があれば、ぜひお聞かせ下さい)。

 どういう思想と方法ならば、聞いている子どもの心に「いのちは大切だ」ということが「自分のものになる」という体験が起こるのか、教育関係者の方や親御さんに、ぜひ根本的な再検討をしていただきたいと切望しています。

 でなければ、ほぼまちがいなく同質の問題がこれからも繰り返し起こると予測されるからです。

 そして、コスモス・セラピー=コスモロジー教育は、唯一・最高かどうかはともかく、検討していただくに値する実績のある、一つの有力な候補であると思っています。
 


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