今日本人が直面している問題の多く―特に環境問題―は、政治主導で解決するしかない、またできるものだ、というのが私たちの主張です。
しかし、日本国民のアレルギーといってもいいくらいの政治離れ、政治嫌いはなかなか改善されないようです。
そんな中、政治アレルギーの主な原因となった―と私が捉えている―六〇年代~―七〇年代の新左翼の過激な暴力的活動とその失敗・挫折が、いったいどういうものだったのか、かつての当事者の一人が書いた本を読みました(荒岱介『新左翼とは何だったのか』幻灯舎新書、2008年1月刊)。
熱かった、ある部分は共感した、しかし当時から全面的には参加できないものを感じていたあの時代を思い出しました。
そして、あの頃から今に至るまで、なぜ日本では、穏健、つまり穏やかで健全で長い目でみると明らかに有効な、北欧型(ノルディック)デモクラシーが、育つどころかほとんど注目さえされなかったのか、その理由の一端を再確認したような気がしました。
かつて日本の若者たちの心は、心情の論理に過度に同一化していて、自己相対化のできる、ほんとうの理性・論理段階までへの成熟を遂げていなかったのではないか、と思うのです。
しかし、事の大小にかかわらず、過去の失敗については「後悔しないで、反省する」というのが、私のモットーです。
同世代たち、そしてもちろん自分自身の精神的成熟を願わずにはいられません。
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