パウロ式ストレス・コントロール

2008年07月23日 | メンタル・ヘルス

 以下は、私が厄年の頃に書いた小文です。過去の原稿データ保存用のCDを開いていて、ふと思い出し、このままでも、みなさんの参考になるのではないかと思い、掲載することにしました。



 若い頃にはあまりピンとこなかった言葉が、ある年齢になって、いろいろな体験をすると、とても心に響くようになることがある。

 「それだけでなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、忍耐は練達を生み出し、練達は希望を生み出すことを、知っているからである。そして、希望は失望に終ることはない。」(新約聖書『ローマ人への手紙』5・3-5、日本聖書協会訳による)

といった言葉がわかるようになろうとは思ってもみなかったが、この頃、繰り返し暗唱する。つまり、早い話が、いつのまにか、ストレスの多い年代にさしかかってきたということなのだ。

 「患難」という言葉はやや大げさにしても、生きているといろいろストレスの溜るようなことがある。ぐだぐだとグチを言いたくなったり、叫びたくなったり、泣きたくなったり、さらには、「蒸発」したくなったり、「出社拒否」や「帰宅拒否」にさえなりそうになる。若い頃は鼻の先でせせら笑っていた「厄年」が実感される年齢になった。

 そんな時に、この聖書の一句を思い出すのである。

 なぜパウロという人は、「患難をも喜んでいる」と言えたのだったか。そうとうな痩せ我慢をしているのか。もちろん、そうではないと、神学生時代にそれなりの神学的説明は学んだはずである。
 しかし今、自分が「患難」を「ストレス」と読み換えるような状況に置かれて、なんとかまいらないでがんばろうとしていると、そういう説明と少し違った、自分の体験を重ねた読み方をしたくなる。

 考えてみると、この患難→忍耐→練達→希望というつながり方は、じつによくできていると思う。

 患難は、ふつう患難→失望・絶望というふうにつながるものだ。それはふつうの人間の心のほとんど「自然」とか「必然」とかいってもいいほどのつながり方である。(現時点でのコメント:これは論理療法的にいえば全然自然でも必然でもなく非論理的なのですが)

 ところが、パウロは、患難→希望とつなげる。これは、「逆転の発想」といってもいい。あるいは、「積極的思考(ポジティヴ・シンキング)」ということもできる。常識とはいささか違った考え方である。

 しかし、よく見ると、決して安うけあいの気安めを言っているのではない。患難と希望のつながりの間に、きちんと忍耐と練達が入っているのだ。

 ストレスは、それに対する姿勢しだいで、人間的成長のきっかけに転換しうる。

 ただ、「忍耐」という言葉にはやはりやや無理のある痩せ我慢ふうのニュアンスが感じられるが、「逃げないで、リラックスしてポジティヴに対処する」とでも読み換えれば、もっと納得がいく。

 ストレスを、ただただ嫌なピンチと捉えず、逃げないでリラックスしながらポジティヴに直面し、人間成長のチャンスに変えてしまおう、「厄年は成熟の年齢への第一歩」と考えることにしよう、と自分を励ますヒント 1) 2) を「知っている」のは、やはり有難いことだ。

 「希望は失望に終ることはない」とパウロ先生も保証しているから、がんばってみよう。(現時点でのコメント:今振り返ると確かにこの頃の苦労が私を精神的に成熟させてくれたなあ、と感じています。)



 *こういうストレス・コントロールの方法をさらに体系化したものとして「論理療法」というのがあることを、後で知りました。英知というものは、時代にかかわらずほぼおなじことになるのは、当然といえば当然ですね。

 ところで、私の『いやな気分の整理学――論理療法のすすめ』(NHK生活人新書)がおかげさまで発売1ヶ月で重版になりました。有難うございました。
 まだ読んでいない方、よかったら読んでみて下さい。きっとストレス・コントロールのヒントになると思います。

 ストレスがなければ、論理療法を学ぶこともなく、したがってこの本を書くこともなく、ストレスを抱えている人のお役に立てることもなく、さらに印税をもらえることもなく……終わりよければ、すべてよし……まだ私の人生は終わっていませんが。



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