白樺小舎便り(しらかばごやだより)

北信濃の田舎暮らしの日々

残雪を踏んで~溢れる光の中を重さなど無いかのように

2016年02月28日 21時02分55秒 | 登山

今はもう、中条村は無い。合併して長野市の一部になってしまった。

この地に、棚田の景観を守ろうと、田んぼの会ができたのは二十数年前のことだ。

僕もこの田んぼの会の会員となって、田植えと稲刈りに参加している。

会員の多くは東京近郊の都会の人で、自宅から1時間ほどのところに住む僕は近いほうの部類に入る。

合併してからというもの、自治体からの、金銭面、実務面の補助が一切削られ、会長さんは大変な苦労を強いられている。

収穫したコメの発送もコストがかかり大変だということで、友達のクニコさんを誘って一緒に取りに行くことにした。

会長さんが住んでいるところは八軒あった集落が、今では二軒だけになってしまったという。

限界集落なのだろう。

八十三歳になる会長さんと、多分少し年下の奥さんの二人暮らし。

おいしい漬物と、奥さん手作りのおやきは絶品。

玄米で40キロの我家のコメと、80キロのクニコさんのコメを車に積んで、お暇した。

 

この後、少し歩きたいというクニコさんとかみさんが帰途を歩くことに。

僕は車で、虫倉山に行くことにした。

虫倉山は標高1378.1メートルの里山だが、信州百名山にも選定されている名山なのだ。

不動滝への林道は積雪のため、途中で車を停め、後は徒歩で登山口まで行く。

 

時は正午少し前、先着の車は4台。

この時期にも登山者がいるのだな。さすがは信州百名山。

林道で下山の年配の男性登山者一人と出会う。

雪の具合はどうか尋ねると、結構いい具合に積もっているという。

完全な冬山装備。

対するは、トレランシューズに、ラジオとカメラだけを持った不埒ないでたち。

『山をなめるなよ!』そんな声が聞こえる気がする。

そんなことはお構いなしに、重さなど無いかのように、ともすれば潜ってしまいそうになる雪をだましだまし、溢れる光の中を踊るように進む。(ような気がする)

登山口の不動滝は暖かな日差しを浴びて、おーいもう春だよ、と周りの木々に呼び掛けているような音で流れていた。

 

 

 

急な斜面をジグザグに登り、尾根に出て、しばらく進むと東屋がある。

何と、屋根だけは完全なままだが、柱が無くなって、ぺしゃんこになっているではないか。

一昨年の強い地震で潰れてしまったのだろう。

とても直すところまでは手が回らないのだろう。

何しろ、合併して、駅周辺の再開発や、市民会館の建設に回す金はあっても、この見捨てられたような山の施設の修復に回す金も、気も無いに違いない。

たおやかな稜線を行くと、トレランシューズはびしょ濡れになり、靴の中に雪が入ってきたりするが、気にしない。

進むのみ。

 

光が妖精のように踊る。山頂はもうすぐだ。

 

 

地震で半分の大きさになってしまったという頂上には立ち入り禁止のロープ。

その向こうの猿すべりコースも通行禁止。

山頂には右端と左端に一人ずつの男性登山者がいたが、それぞれに没交渉。

この辺は、おばさん登山者たちとは対照的だ。

この時期に、たった一人で、こんな山に来る人は、よっぽど変わり者なのだろう。

立派な身支度の人たちの前に、突然現れたザックも持たないトレランシューズの僕の方がもっと変わり者に見えたのに違いない。

だが、気にしない。明るくあいさつを交わし、数枚の写真を撮る。

 

気温が高いせいで、空気中の水分が邪魔をして、北アルプスがかすんで見える。

この、天から祝福されたような、眠気さえ覚えるようなのどかな天地の中で、これ以上何も望まない。これでいい。

別れを告げて下山。時々雪に足が沈むが、舞うように降りる。

何しろ、この2月、僕は200キロ以上のランニングを続けて来た。

近所の里山とはいえ、臥竜山、城山、鎌田山、髻山、そして雁田山二度のトレイルランニングをこなしている。

僕は思う、プロ野球のキャンプにも擬した2月のトレーニングはそれなりの成果が上がったのだと。

不動滝から虫倉山頂往復に要した時間は1時間10分。

この、どうしょうもない程、標高もない、華やかでもない、交通の便もよくない、そんな虫倉山だが、マンガ日本昔話に出てくるような、時代から取り残されたのどかな山里とともに、僕は気に入っている。

信州百名山。もう何度も登っている山だが、もう一度、登山記録に留めるとしよう。

 

追記

田んぼの会の会長さんのところへ、手打ちそばと手作り豆腐をお土産に持って行ったのだが、奥さんが自分も作ってみたいというので、帰宅後、にがりとレシピを送ってあげることにした。後は郵便局に明日出しに行けばいい。

自分の手で作ることの意味を知っている人との出会いや交流は楽しい。

 なお、先に徒歩で出発したかみさんとクニコさんは9キロ先を歩いていた。

暖かくなってきて、歩きたくてうずうずしている二人。良い傾向だ。

 

 


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4 コメント

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お漬物♪ (くるみ)
2016-03-03 10:46:10
実は、私の母(一昨年亡くなりました)の実家は長野なのです。
子供のころは毎年東京から遊びに行っていました。
たいてい冬だったような気がします。
こたつの上にはお茶うけに必ず野沢菜のお漬物が乗っていて
子供心にご飯の時以外にお漬物が出てくるのがおもしろいなぁって思っていました。
今でも野沢菜のお漬物をを見るとその時の光景が浮かびます。
お写真を見て、とても懐かしく思いました。
お焼きもとっても美味しそうですね!(^-^)

棚田のある風景は美しくて大好きです。
でも棚田を存続するのはとても大変なのですね。
ずっと残してほしい日本の原風景ではありますが・・。
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長野ゆかりの (nob)
2016-03-04 21:35:37
くるみさんは長野ゆかりの人だったのですね。お焼きも今や全国区ですが、野沢菜もすっかり有名になりました。さらにもう一つ、流行らせたいものがあります。『ずく』という言葉。ご存知でしょうか?『ずくがある』『ずくなし』という風に使います。根気、やる気というようなニュアンスなのですが、『ずくなし!』というのは、非難の言葉ではなく、愛情あふれる言葉なのです。我家ではもう野沢菜が終わってしまい、残念なのですが、残っていればずくを出して野沢菜のお焼きを作ります。うまいんだな、これが。
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ずく (くるみ)
2016-03-07 11:10:17
おはようございます♪

「ずく」という言葉は知りませんでした。
母の田舎で印象に残っているのは、言葉の語尾に「だに」が付くところです。
「今の私は花粉症でずくなしだに~」
という使い方で合っているかしら?( *´艸`)

今日は新しい記事で素敵なブログを教えていただきありがとうございました。
(たくさんのブログの中から良いブログを探すのは大変なことですからありがたいです)
研修医さんの記事、少しづつ読ませていただこうと思います。


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だに~は伊那谷の言葉 (nob)
2016-03-07 21:25:18
多分信州の南部で使われている言葉だと思います。ここは北信濃なのでだに~は使いません。『ずく出せエブリディ』という番組が信越放送で月から金まで放送されています。『ずくをやんで、散歩に行かなかった』というようにも使います。相方に『ずく無し!』となじる言葉には限りない愛情が溢れているのです。メジャーになるといいな。
研修医1号さんのブログ、早速ありがとうございます。本当に良質だと思います。他に何もできないけれど、こんな形で相馬を応援したいし、多分去って行かれる研修医1号さんも応援したいと思います。
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