月15日。終戦記念日。
認めたくない御仁もいるようだが、日本が無謀な侵略戦争に敗北した日。
真田丸の、秀吉による朝鮮出兵の失敗と重なる。
日本が再び右傾化し、おろかな過ちを繰り返さないよう願いながら、信州の秘境、秋山郷に出かけた。
長い間、心惹かれながら、ついに訪れる機会がなかった山。
『信州側の里からも、谷からも、どこからも見えない。里の人には、全然確認されない幻の山』と、信州百名山の著者、清水栄一氏は書く。
その山の名前は佐武流山。さぶるやま、またはさぶりゅうやまと読む。
秘境秋山郷のさらに奥に登山口はある。
平家の落ち武者の里と言われる秋山郷は、確かに人里から遠く離れた、谷の奥にあり、こんな奥深いところに人が住めるのかと思うほどだ。
飢饉で、幾つかのが消えた悲しい歴史もある。
もう、何年も前に、この谷の両側にある、鳥甲(とりかぶと)山と苗場山には登った。
だが、佐武流山はもっと奥深くにある。栄村の最高峰でもある。
かつては、マタギの踏み後くらいの路しかなくて、登るのがとても困難な山とされていた。
何年か前、有志のボランティアによって、登山道が整備された。
『熊くらいしかいないのだから、せめてお盆の頃なら、もしかすればほかの登山者がいるかもしれないから』
かみさんの許可が出たので、朝5時前に出発。
登山口まで2時間半。
7時15分に登山届を書いて、ドロの木平を出発。
林の中を、熊鈴を大きく響かせながら歩く。
白樺の林が美しい。
林を抜けると長い林道歩きが待っている。
この山域には面白いネーミングが多い。
この岩は月夜立岩という名が付いている。
もう少しで林道歩きも終わる。
ここから、本格的な登山道が始まる。
檜俣川まで下る。
渡渉点にはロープが張られていた。
靴を脱いで、はだしで渡った。
ここから地獄の急坂が待っていた。
それでも、標高1200メートル台からぐいぐい高度を稼いで登って行った。
花々が迎えてくれる。
クワガタも迎えてくれる。
このクワガタは、僕の地方では見たことがない。
新種なのだろうか、それとも太古の原生林に住む古代種なのだろうか。
この名前も何や曰くがありそうな、物思平に到着。
ここで5分ほどの休憩。
まだまだ急坂が続く。
この辺りまで来ると、周りの山々の奥深さが一層感じられる。
山の向こうに、また山。その向こうに谷を挟んでまた山。
太古の山々の姿を独り占め。結局、今日山に入っているのは僕だけのようだ。
苗場山への分岐。ここまで来ても、佐武流山は神秘のベールに包まれたままだ。
坊主平。緊急時のビバーク可能地点。
10時20分。3時間5分をかけてようやく山頂に到着。
標高2192メートル。ここから、白砂山に続く路が、ある、はずなのだが、藪が深くて、とても歩く気にはなれない。
余りに山が多くて、山の名前を同定することができない。まあ、いいか。
気になって、どれくらいの時が流れたのだろう。
信州百名山は、これで68座目となった。
来た道を戻って、13時に登山口に戻った。
帰り着いて、水場で冷たい水をたくさん飲んだ。
帰路、飯山湯滝温泉に立ち寄り、手足を伸ばした。
このところ、かみさんや、義姉の同行登山で、思い切り汗を流す登山をしてこなかった。
たまには、独りで山に行くことも必要なのだと、外湯に浸かって千曲川を眺めながら思った。
わたしも5年前にアタックしてます。
3時間5分 とんでもない早さですよ
わたしも記憶を辿ってみたら3時間50分
信州100名山は素晴らしいと思います。
錫杖さんのような写真が撮れないものかと、少し羨んでおります。